索引
  過去6回のパンデミック
(1)第1回パンデミック ロシアからヨーロッパ(1729年)
1729年…ロシアから始まる
1729年から1730年…ロシア、スェーデン、ポーランド、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、イギリス、スイス、イタリア、フランス(享保15年・日本全国流行)
1732年から1733年…10月北米、11月ロシア、12月スイス、スコットランド、1月イングランド、2月イタリア、スペイン、4月マヨルカ、ドイツ、フランス(享保18年・日本全国流行)
カタル性疾患が現れドイツ、スウェーデン、オランダ、フランス、イタリア、スペインに至り新大陸に及ぶ四年間連続して病勢猛烈
流行2か月前エジンバラでは馬も鼻カタルに罹患した。
(2)第2回パンデミック 1781年(天明元年)
1781年春…北米、中国、インド、西シベリア、ロシアで流行していた記録あり
1782年1月…ロシアで急激に悪性に変化して4万人が感染しヨーロッパ全土へ イギリスでは人口の5分の4が罹患した
1784年(天明4年)日本では谷風と呼ばれた
(3)1829年 第3回パンデミック
1829年…中国から始まる
1830年…中国よりインドネシア、10月にはロシアへ
1831年春…ロシアからドイツ、オーストリア、デンマーク、ベルギー、フランス、イギリス、スイス、イタリア
1832年(天保3年)…琉球風邪:9月下旬に西日本から始まり11月下旬には東北に至る/スペイン、北米、西インド、中近東
1833年…1月 ロシアで再度東から西へ流行
1834年…ドイツ
1836年…イギリス、デンマーク、オーストラリア、南アフリカ、インド/12月 ロシアから西南に向かう
1837年…スェーデン、デンマーク、フランス、イギリス、オランダ、ベルギー、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガル
(4)第4回パンデミック(1847年)
1847年…ロシア、ドイツ、トルコ、スイス、イタリア、フランス、ベルギー、スペイン、デンマーク、北アフリカ、西インド諸島
1850年~1851年…後流行
1854年(安政元年)…ペリー来航のためアメリカ風邪と呼ばれる。
1855年 世界各部
1857年~1858年…東西半球
(5)第5回パンデミック(1889年)
2月…西シベリアに始まる
10月上旬…コーカサス
10月中旬…トムスク、プスコフ、セバストポリ
11月中旬…クラクフ、ワルシャワ、ベルリン、ブレスラウ、ライプチヒ
12月上旬…パリ、ストックホルム、コペンハーゲン、ウィーン、ハンブルグ、ミュンヘン
12月中旬…ロンドン、全イングランド、スコットランド、ブリュッセル、ニューヨークから北米全土
12月下旬…イタリア、ポルトガル、ボヘミア、アイルランド、アデン、コンスタンチノープル
1890年1月中旬…ペルシア
2月…香港
3月…南米、インド
4月…日本
(6)第6回パンデミック(1918年・スペイン風邪)
3月…中国
4月・5月…台湾、日本海軍内
5月…スペイン・マドリード
7月…ロンドン、以降全世界へ(1921年終息)
インフルエンザパンデミックの発生原因と経路
麻疹…牛の牛痘
結核…牛
天然痘…牛痘または天然痘ウイルスを持つ他の家畜
インフルエンザ…豚、アヒル
百日咳…豚、犬
熱帯熱マラリア…鶏とアヒル
中国で米と雑穀、豚と蚕が紀元前7500年までには飼育栽培化された
アヒルはマガモの家禽化により生じた品種で、野生のマガモの飼育は、中国北部で4000年前に始まっていた
ブタはイノシシの家畜化により生じてたものであり、ブタの飼育はユーラシア大陸の東西で行われており、中国では新石器時代(長江中流域の彭頭山文化の発祥は紀元前8千年、稲籾が見つかった玉蟾岩遺跡は紀元前1万4000年)からブタは家畜化されていた
満州民族の先祖である挹婁人、勿吉人、靺鞨人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、ブタを盛んに飼育していた
昔の感染症の伝播速度
マルコポーロの復路
泉州(1292年)→シンガポール→スマトラ→セイロン→インド南岸→マラバール→アラビア海→ホルムズ(1294年)→トラブゾン→ベネツィア(1295年)
鄭和の大航海(15世紀)
蘇州(1405年12月)→コーリコード(1407年初)→帰国(1407年9月)
蘇州(1407年12月)→コーリコード→帰国(1409年夏)
蘇州(1409年12月)→コーリコード→帰国(1411年7月)
蘇州(1413年冬)→コーリコード→ホルムズ→帰国(1415年7月)
スマトラより別行動の分艦隊→モルディブ→モガディシオ→マリンディ→アデン→ラサ→ホルムズ→帰国(1416年夏)
蘇州(1417年冬)→ホルムズ→帰国(1419年8月)
分艦隊→マリンディ→アデン→帰国(1420年夏)
蘇州(1421年2月)→ホルムズ→帰国(1422年8月)
分艦隊→モルディブ・アフリカ・アデン→帰国(1423年)
蘇州(1430年12月)→ホルムズ→分艦隊派遣メッカ→ホルムズ→帰国(1433年)
日本へのインフルエンザ伝播経路とは?
医師ツュンベリーの日記によれば、1755年6月20日バタビア出港、8月14日長崎入港。
アメリカ船フランクリン号によれば、1799年6月16日バタビア出港、7月20日長崎入港。
正体はロシアの東進と太平洋到達
ロシアとパンデミック
1572年 ロシアのツァーリはシビルハン国侵攻を決断
1578年 コサック首長イェルマーク東進開始、シビルハン国侵攻
1598年 シビルハン国滅亡
1636年 コサックオホーツク海に至る
1640年代からロシアの露清国境地帯への調査侵入が始まる
1689年 ネルチンスク条約で外興安嶺を国境線として確定する
1729年 第1回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
1781年 第2回パンデミック 中国→ロシア→ヨーロッパ
1829年 第3回パンデミック 中国→10月ロシア→ヨーロッパ
1847年 第4回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
1889年 第5回パンデミック 2月西シベリア→ヨーロッパ
第6回パンデミック
1918年3月…中国→台湾と日本海軍内
5月…スペイン→ロンドン、在欧米軍→インド
8月…ギリシア
9月…カナダ、ホンジュラス、ポルトガル、朝鮮
10月…ペルー、中国、南アフリカ、ニュージーランド、アメリカ合衆国
インフルエンザパンデミックの発生原因と経路
麻疹…牛の牛痘
結核…牛
天然痘…牛痘または天然痘ウイルスを持つ他の家畜
インフルエンザ…豚、アヒル
百日咳…豚、犬
熱帯熱マラリア…鶏とアヒル
中国で米と雑穀、豚と蚕が紀元前7500年までには飼育栽培化された
アヒルはマガモの家禽化により生じた品種で、野生のマガモの飼育は、中国北部で4000年前に始まっていた
ブタはイノシシの家畜化により生じてたものであり、ブタの飼育はユーラシア大陸の東西で行われており、中国では新石器時代(長江中流域の彭頭山文化の発祥は紀元前8千年、稲籾が見つかった玉蟾岩遺跡は紀元前1万4000年)からブタは家畜化されていた
満州民族の先祖である挹婁人、勿吉人、靺鞨人は寒冷な満州の森林地帯に住んでいるので、ブタを盛んに飼育していた
昔の感染症の伝播速度
マルコポーロの復路
泉州(1292年)→シンガポール→スマトラ→セイロン→インド南岸→マラバール→アラビア海→ホルムズ(1294年)→トラブゾン→ベネツィア(1295年)
鄭和の大航海(15世紀)
蘇州(1405年12月)→コーリコード(1407年初)→帰国(1407年9月)
蘇州(1407年12月)→コーリコード→帰国(1409年夏)
蘇州(1409年12月)→コーリコード→帰国(1411年7月)
蘇州(1413年冬)→コーリコード→ホルムズ→帰国(1415年7月)
スマトラより別行動の分艦隊→モルディブ→モガディシオ→マリンディ→アデン→ラサ→ホルムズ→帰国(1416年夏)
蘇州(1417年冬)→ホルムズ→帰国(1419年8月)
分艦隊→マリンディ→アデン→帰国(1420年夏)
蘇州(1421年2月)→ホルムズ→帰国(1422年8月)
分艦隊→モルディブ・アフリカ・アデン→帰国(1423年)
蘇州(1430年12月)→ホルムズ→分艦隊派遣メッカ→ホルムズ→帰国(1433年)
日本へのインフルエンザ伝播経路とは?
医師ツュンベリーの日記によれば、1755年6月20日バタビア出港、8月14日長崎入港。
アメリカ船フランクリン号によれば、1799年6月16日バタビア出港、7月20日長崎入港。
正体はロシアの東進と太平洋到達
ロシアとパンデミック
1572年 ロシアのツァーリはシビルハン国侵攻を決断
1578年 コサック首長イェルマーク東進開始、シビルハン国侵攻
1598年 シビルハン国滅亡
1636年 コサックオホーツク海に至る
1640年代からロシアの露清国境地帯への調査侵入が始まる
1689年 ネルチンスク条約で外興安嶺を国境線として確定する
1729年 第1回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
1781年 第2回パンデミック 中国→ロシア→ヨーロッパ
1829年 第3回パンデミック 中国→10月ロシア→ヨーロッパ
1847年 第4回パンデミック ロシア→ヨーロッパ
1889年 第5回パンデミック 2月西シベリア→ヨーロッパ
第6回パンデミック
1918年3月…中国→台湾と日本海軍内
5月…スペイン→ロンドン、在欧米軍→インド
8月…ギリシア
9月…カナダ、ホンジュラス、ポルトガル、朝鮮
10月…ペルー、中国、南アフリカ、ニュージーランド、アメリカ合衆国
1917年冬に中国の万里の長城沿いの村々で呼吸器感染症が流行し、1日あたり数十人の死者が出ていたという。地元の保健当局が「冬季流感」と呼んでいたこの病気は、1917年末には6週間で500kmも離れたところまで広がった。当初、肺ペストではないかと考えられていたが、死亡率は典型的な肺ペストよりはるかに低かった。ハンフリーズ氏は、英国の在中国公使館職員による1918年の報告書に、この病気はインフルエンザだとする記述を発見した。
第一流行波は早く東方に発せしものの如し。1918年3月支那に肺炎の流行あり、鉄道沿線に拡がり、肺ペストと誤られたり。
日本におけるスペインインフルエンザの被害
流行 患者 死者 致死率
1918年8月-1919年7月 2116万8398人 25万7363人 1.22%
1919年9月-1920年7月 241万2097人 12万7666人 5.29%
1920年8月-1921年7月 22万4178人 3698人 1.65%
合計 2380万4673人 38万8,727人 1.63%

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