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金嬉老事件
 1968年2月20日、手形トラブルが高じて暴力団員から借金返済を求められた金嬉老は、返済を約束して静岡県清水市のクラブで面会した暴力団員のうち2人をライフルで射殺し、翌日には同県榛原郡本川根町寸又峡温泉の旅館で経営者、宿泊客ら13人を人質として籠城した。
 金は、M1カービン用の30発弾倉を取り付けた豊和工業製の猟銃「M300」とダイナマイトで武装し、ずっと以前に目撃した警察官による在日韓国人・朝鮮人への蔑視発言について謝罪する様子を報道するよう、人質解放条件として要求した。
 県警は射撃の名手をそろえ、ふじみや旅館から120メートルほど離れた旅館に前線本部を設置。人質の安否や監禁の実態がつかめない中、金の顔なじみの巡査が拡声器で呼びかけ、旅館内に入ることができた。
 金が立て籠もっていたのは、ふじみや旅館2階の6畳の部屋。部屋に置かれたお盆の上には約5百発のライフルの弾丸が盛られ、数十把のダイナマイトが床に無造作に置かれていた。積み上げた畳や布団でバリケードが築かれ、導火線の垂れたダイナマイトのすぐそばには火をおこした七輪があった。金はその部屋で経営者一家5人を監禁しており、外から金を狙撃すれば弾みでダイナマイトに引火する可能性も十分に考えられた。
 現地で陣頭指揮を執った県警本部長の高松敬治は、人質の安全確保を最優先し、金の要求を受け入れつつ説得に当たる方針を決定。「本部長自らドロをかぶる」と腹を決め、金に自首するよう説得しながら、ひそかに確保の機会をうかがうことになった。
  金は時折ライフルを乱射したり、ダイナマイトを爆破させたりして威嚇を続ける一方、「事件の背景をテレビで公表し、自分が納得すれば人質を返す」と宣言。自ら指名した記者に「遺書」と称する日記帳を手渡し、テレビで放送するよう要求した。自分の望みがかなえられると、金は22日午前に旅館の経営者一家の妻と子供の計4人を解放。メディアという新たな[武器]を手に入れた金は、人質の返還をちらつかせて要求をさらにエスカレートさせていった。
 金は警察官による「在日朝鮮人蔑視発言」の謝罪を要求し、本部長の高松らにテレビで謝罪放送をさせ、23日午後に宿泊客3人を解放した。また、「空に向かってライフルを撃ってくれ」というテレビクルーの求めにも応じるなど、テレビの力を最大限に利用。長期化の様相を見せる立て籠もりに、世間からは「警察は犯人の言いなりなのか」という批判も上がり始めていた。
 捜査本部では、金が22日以降に記者団を集めて[記者会見]を開いていたことに目をつけ、にせ新聞記者を潜り込ませる作戦を立案。前線の捜査員34人から、35歳未満で新聞記者に見えそうな7人を選抜し、カメラなどの道具を持たせた。
 23日にはさらに柔道5段の腕前を持つ根来ら2人を増強。高松の「失敗は許されない。やってくれるか」という命令口調を排した言葉に、根来は命がけの任務であることを悟り、眠れぬ一夜を過ごした。
 翌日、人質の男性を解放した金が玄関を閉めようとした隙を逃さず、警察官9人が一斉に躍りかかった。記者団もそれに続き、現場はもみくちゃに。舌を出して苦しむ金に舌をかませないように、口には次々と指やハンカチが突っ込まれた。約88時間に及んだ立て籠もり事件が解決した瞬間だった。
  事件は、韓国でも大々的に報道され、金は「差別と戦った民族の英雄」として祭り上げられた。
 裁判で、金は静岡刑務所未決監独房に身柄を移され、殺人罪、監禁罪、爆発物取締規則違反で起訴された。裁判では金の在日朝鮮人としての生い立ちがどれほどの影響を与えたかとが主な争点となった。
 裁判中に刑務所内での金に対する特別待遇の実態が判明する。金の独房は施錠されておらず散歩や面会なども自由で脱獄手段に用いられる出刃包丁、ヤスリ、ライターなどを持ち込んでいた。金の自殺ほのめかしや身の上話に絆された職員らの規則違反による特別待遇について、衆議院法務委員会で責任追及が為された。その結果、法務省矯正局長以下13人の法務関係者上級職員、専従職員13人が停職、減給、戒告、訓告などの処分を受けた。包丁を差し入れたとされる看守は、後に服毒死している。
 1972年6月、死刑求刑に対し静岡地裁は無期懲役の判決を下す。
 1974年6月、東京高裁が控訴棄却。
 1975年11月4日、最高裁が上告棄却し無期懲役が確定。千葉刑務所で服役。
  1999年9月に、韓国に送還し二度と日本に入国しないことなどを条件に70歳で仮出所。東京保護観察所を経て、韓国釜山に帰国した。
 帰国後、韓国政府から助力を得て、釜山で新生活を始め、結婚した。
 慰安婦施設を訪問して寄付するなど、[英雄]として振舞った。
 2000年、講演を聞きに来た人妻とW不倫の関係になった。不倫相手の夫を監禁して放火し、殺人未遂として逮捕された。有罪・服役により、金の人気は下火になった。
 前立腺がんで余命僅かとなった2010年3月、墓参の為日本に入国したいとの要請を韓国政府を通じて陳情しようとしたが、果たせず、同月26日、釜山市の病院で死去した(享年82)。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められている。
在日コリアンの本性は[金嬉老的英雄観]
日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作。
柳美里
恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日
この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵の祈り”でつらぬく。
真藤順丈
書出し:特別永住者の制度は廃止された。外国人への生活保護が明確に違法となった。公的文書での通名使用は禁止となった。ヘイトスピーチ解消法もまた廃され、高等学校の教科書からも「従軍慰安婦」や「強制連行」や「関東大震災朝鮮人虐殺事件」などの記述が消えた。パチンコ店は風営法改正により、韓国料理屋や韓国食品店などは連日続く嫌がらせにより、多くが廃業に追い込まれた。両国の駐在大使がそれぞれ召還されてから現在に至る。世論調査によると、韓国に悪感情を持つ日本国民は九割に近い。
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