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「言論機関の自殺」へと踏み出した朝日新聞  2017.12.27
「はあっ?」。思わずそんな素っ頓狂な声をあげてしまった。昨日、文芸評論家の小川榮太郎氏が、朝日新聞から謝罪広告の掲載と計5千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こされたというニュースを聞いたときである。
日本を代表する言論機関である新聞社が、自社を批判する書籍を発行した人物を名誉毀損で訴えたのだ。「言論」に対して「言論」で闘うのではなく、「言論」には「法廷で」というわけである。
これは、「自分への批判は許さない」という態度を朝日新聞が明確にしたもので、「言論の自由」に対する完全なる否定であることは疑いない。欧米では、この手の裁判は、Strategic lawsuit against public participation として軽蔑される。いわゆる「批判的言論威嚇目的訴訟」である。
大企業など資金豊富な組織体が、一個人を相手取って、威圧、あるいは恫喝といった報復的な目的で起こすものがそれだ。今回は、小川氏個人だけでなく、出版元の飛鳥新社も訴えているから、純粋な「大企業vs個人」ではないが、それに“近いもの”とは言えるだろう。
しかも、朝日新聞は、言論を持たない大企業ではなく、前述のように「言論機関そのもの」である。言論で挑んできた相手に、司法の判断を仰ぐというやり方は、日頃、「言論の自由」に則って、さまざまな報道をおこなっている新聞には、許されざる行為である。
今年10月に出された小川氏の著書『徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)は、非常に興味深く読ませてもらった。朝日が5月17日付一面トップで文科省内部文書の「総理の意向」記事で加計問題をブチ上げたとき、そこで使われた文書の写真が黒く「加工」され、朝日にとって“都合の悪い部分”が読めなくなっていたのである。
このことは、私自身も、何度も指摘しているが、これらのほかにも、マスコミの恣意的な報道の数々を当欄の7月30日付でも、詳しく書かせてもらった。小川氏の評論は、細かい分析に基づいており、モリカケ報道に関心がある人間にとって、間違いなく“必読の書”である。
朝日は、この本が「言論の自由の限度を超えている」とコメントして訴訟を正当化しているが、実際に、ベストセラーになっているこの本を読んだ多くの国民は、そう思わないだろう。
私は、朝日新聞の今回の行動は、裁判官との「密接な関係」なくしてはありえないものだったと思う。裁判官と報道機関とは、想像以上に密接な関係にあることをご存じだろうか。
司法記者クラブと裁判官との間には、折々に「懇親会」が持たれており、グラスを片手に、さまざまな問題について、話し合う関係にある。そこで記者は、裁判の進行具合や判決について、感触を得る。なにより「密接な人間関係」を構築していくのである。
有力政治家との日頃の関係によって、新聞社が一等地に政府から破格の値段で土地払い下げを受け、それが今の新聞社の経営を支えていることは広く知られている。朝日新聞などは、大阪の中之島にツインタワーを完成させ、いまや不動産事業で屋台骨を支えようとしているほどである。
司法とも密接な関係を維持してきた朝日新聞は、選択型実務修習先として司法修習生を積極的に受け入れ、裁判官の社会見学や実務研修に対しても、大いに協力してきた歴史がある。
つまり、裁判官にとって、新聞とは「朝日新聞」のことであり、これに敵対する勢力は、イコール自分たちの「敵」でもあるのだ。
私のデビュー作は、『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)である(※その後、再編集して現在は『新版 裁判官が日本を滅ぼす』WAC)。
その中でも指摘させてもらったが、社会常識に欠け、事実認定力が劣る日本の官僚裁判官たちは、「権威の序列化」が得意な人種だ。特に民事訴訟の場合だが、訴訟の勝敗を「どっちに、より権威があるか」ということをもとに判断する傾向が強い。
「一個人」と「朝日新聞」ということになれば、裁判官はどっちに軍配を上げるか。いうまでもなく朝日新聞である。個別の事情に踏み込まず、「権威の序列化」に基づき、判決を下すからだ。
これらをバックに、朝日新聞が大いに勇気が湧いた判決が、さる10月24日に最高裁であった。朝日新聞のこれまでの慰安婦報道で「知る権利を侵害された」として、千葉県や山梨県に住む28人が朝日新聞社に1人1万円の損害賠償を求めた「慰安婦報道訴訟」で、朝日新聞の勝訴が最高裁第三小法廷(林景一裁判長)で確定したのだ。
3つの団体から起こされている訴訟は、いずれも朝日の勝訴が続いている。私は、当初から裁判官との「密接な関係」と「権威の序列化」をキーワードにして、住民側の訴えは通らないと予想していた。
周知のように、吉田清治証言や女子挺身隊との混同、あるいは証拠なき強制連行など、朝日の慰安婦報道が現在のように世界中に慰安婦像が建ち、「日本=姓奴隷国家」というレッテルを貼られる元になっている。しかし、そのことが、どれほど明白であっても、裁判官と朝日新聞との“岩盤の関係”によって、ハネ返されているのが実情なのである。
「司法に持ち込んだら何とかなる」――言論機関でありながら、朝日新聞はそんなことを考えているのではないだろうか。それが「言論機関としての自殺」であることを社内で説く人間がいないことが朝日新聞の病巣の深さを物語っている。ジャーナリズムの世界にいる人間として、私にはそのことが信じられない。
2017年11月21日、朝日新聞社は、「徹底検証『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」の内容が、事実に基づかず同社の名誉や信用を著しく傷つけている旨、著者小川栄太郎氏と出版元飛鳥新社に 申入 を行った。
小川氏は翌月6日付で 回答 を出し、朝日新聞社に次の4項目を要求した。
1.貴社は私への申入書をネット上で公開した以上、この回答全文も責任を以て公開すること。
2.私の回答を歪曲せずに、性格を正しくとらえた記事で紹介すること。
3.今後、朝日新聞紙面に、森友加計報道に関する私の見解と貴紙の見解、また、両方の立場の有識者を公平に配分して、充分な質量の検証記事を載せること。
4.当該記事の執筆者や貴社幹部らと、私及び私と見解を同じくする有識者による公開討論をぜひ幅広く内外のメディアを前にして行うこと。
同日、朝日新聞社は、 記事 を掲載した。
そして、同月25日、朝日新聞社は、 東京地裁に訴訟を提起 し、5千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた。
朝日新聞は、ミサイルを撃って、核開発を行い、「日本を海に沈める」とまで恫喝する北朝鮮に対して、何度も「対話するべきだ」としつこい程主張している。それほどまでに"我慢強い"朝日新聞がなぜ、たった一回の小川氏の反論に「訂正は今後も期待できない」と言い切れるのか。
北朝鮮の恫喝は誹謗中傷による名誉棄損の比ではなく、具体的な生命の危機を伴うもの。それに対して「対話」を主張し、小川氏には訴訟に打って出るダブルスタンダード。
スラップ訴訟(SLLAPP:Strategic Lowsuit Against Public Participation)は、恫喝目的の訴訟。提訴によって弁護士費用、時間の消費、肉体的・精神的疲労などを被告に負わせ、疲弊させ、反対・批判を続ける意欲や能力を失わせる。それにより、被告が公的発言を行うことを妨害、あるいは被告が団体の場合には、団結を乱し、分断し、分裂させることを狙う弾圧。
北朝鮮と対話しろというその口で、自分を批判する相手には、北朝鮮と同じ手段の恫喝に出た。
森友や加計学園の “疑惑” を伝えた朝日新聞の報道を「捏造」と名指した書籍に対し、朝日新聞は著者と出版社に「謝罪と賠償を求める訴え」を起こしたと 発表 した。“言論機関” が言論による反論でなくスラップ訴訟を起こしたのだ。
朝日新聞社は25日、文芸評論家・小川栄太郎氏の著書「徹底検証『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」が、事実に基づかない内容で本社の名誉や信用を著しく傷つけたとして、小川氏と出版元の飛鳥新社に5千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地裁に起こした。
そして、論説委員が「エビデンスなどない」と言い放った。
1:主目的が書籍誤記糾明なら、5千万円もの損害賠償請求は不要
朝日新聞社は、小川栄太郎氏や飛鳥新社に対して訴訟を起こした理由について、「やむを得ないので、裁判でこの本の誤りを明らかにするしかないと判断した」ためだと説明している。
しかし、請求金額からみて、スラップ訴訟による恫喝で言論封殺を狙う目的は明らか。
過去にユニクロが『ユニクロ帝国の光と影』を執筆した著者に多額の損害賠償を求めて訴訟を起こしていたが、それを彷彿とさせる行為。
2:高橋純子氏の発言 は、「安倍叩きを目的にした報道はない」という朝日新聞社の主張と矛盾する。末端記者ではなく論説委員が「エビデンスはない、堂々とレッテルを貼ろう、根拠よりも感情論」との問題発言をしたのだ。
朝日新聞社の手段を択ばぬ体質が露呈されたといえよう。
植村隆元朝日記者の請求棄却 札幌地裁「相当の理由ある」 2018.11.9 21:08
元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった植村隆氏が、記事を「捏造」と書かれ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と原稿を掲載した出版社3社に損害賠償や謝罪広告掲載を求めた訴訟の判決が9日、札幌地裁であった。岡山忠広裁判長は「櫻井氏が、植村氏が事実と異なる記事を執筆したと信じたのには相当な理由がある」として請求を棄却した。植村氏は控訴の方針。
岡山裁判長は、櫻井氏の原稿には「社会的評価を低下させる内容がある」と指摘した。ただ、韓国での過去の新聞報道や論文など、櫻井氏が取材過程で参考にした資料は一定の信用性があるもので、植村氏の記事の公正さに疑問を持ったことには相当な理由があったと判断。
原稿に公益性が認められることからも、請求を退けた。
2017.8.21(www.sankei.com)
漫画家のはすみとしこさんが9月に東京都文京区で開催予定の講演に関し、金子けんたろう・杉並区議(41)が自身のツイッターに19日、「文京シビック…公共施設でやるなよ。週明け電話」とツイートし、ネット上で「講演つぶしだ」と批判の声が上がっている。
講演会は、はすみさんが9月15日に発売予定の新著「それでも反日してみたい」の出版を記念して9月11日に文京シビックセンターで行われる予定。
文京アカデミーのホームページなどによると、同センターは文京区全額出資の公益財団法人「文京アカデミー」が運営する。確かに「公共施設」といえる。
ただ、文京シビックセンターでは、右派左派問わず講演会の開催場所になっている実績がある。
はすみさんの新著の出版元である青林堂は19日、公式ツイッターで「業務妨害の脅しともとれるこのツイートは日本共産党杉並区議会議員金子けんたろう 当社もブロックされているためツイッター上では見れませんが、度重なる表現の自由を奪う行為こそ『暴力』です」と声明を発表。
はすみさんも19日、「お願いします。今回だけは勘弁して下さい。みんな楽しみにしているんです」「議員さんによる言論弾圧。こわい。これぞファシズムだよね。」と相次いでツイートした。
評論家の石平さん(55)も20日、「この一件においてこそ、日本共産党の恐ろしい本質が現れている。勿論のこと、普段では『言論の自由』を高らかに主張している日本の大新聞や左翼はこの件について一切批判しないのであろう。共産党と左翼ほど、言論弾圧を好む人間はいないのである」と自身のツイッターに投稿し、金子区議や共産党を批判した。
青林堂は21日、「9月11日はすみとしこ講演会の件ではお騒がせしております。現時点では問題なく、皆さまから参加のお申し込み並びに励ましのメッセージをいただいております。どうもありがとうございました。本書は9月15日発売です!『それでも反日してみたい』」とツイート。現時点では開催に支障はないとの見解を明らかにした。
講演会をめぐっては、昨年11月、日本第一党党首の桜井誠氏(45)ら東京都知事選立候補者のシンポジウムを企画した早稲田大学の早稲田祭実行委員会に「レイシストを登壇させるのか」などと抗議があり、サークルが企画そのものを断念したケースのほか、作家の百田尚樹氏(61)が一橋大学で予定していた講演会が、学内の左派サークルなどの反対で中止に追い込まれたり、東京都内で企画されていた精神科医の香山リカ氏(57)の講演会が右派とみられる団体の抗議を受けて中止となったケースなど、左派と右派問わずに発生している。
産経新聞の取材に対して21日、文京区は「1、2件問い合わせがあったが、特段、業務に支障は出ていません」、文京シビックホールは「特に電話はありませんでした」と回答した。同日、金子区議には杉並区議会事務局を通じて取材を申し込んだほか、金子区議の携帯電話に取材依頼のメッセージを残したが、同日夕までに回答はない。
  Facebook (創業者マーク・ザッカーバーグCEO)の社内エンジニアによる内部告発が話題になっている。内容は「社内には左翼的なイデオロギーがはびこっており、その思想に従わない者は同僚から攻撃される。解雇圧力もある。」というもの。
 SNSでは日々、世界中の多くの人々が自らの思想・信条に基づいて情報発信や議論を繰り広げているが、ヘイトスピーチや差別の助長にあたるとして多数のアカウントが凍結されるなど、特定の思想への「言論統制」が行なわれているとの批判の声が国内外で高まっている。米トランプ大統領も先月、SNSでは「保守派に対する差別」が行なわれていると主張して話題を呼んだ。
 そんな中、Facebookのシニアエンジニアであるブライアン・アメリゲ氏の行動が注目を浴びている。先月28日付の「New York Times」によると、アメリゲ氏はFacebook社内用の掲示板に「我々には政治的な多様性について問題があります(We Have a Problem With Political Diversity)」と題し、「我々は全ての考え方を歓迎すると言っているのに、左翼的なイデオロギーと対立する見解を示す人には(しばしば群衆に紛れて)すぐさま攻撃をしかけている」との書き込みを行ったのだ。
 アメリゲ氏は社内に存在する反リベラル思想を排除する空気の一例として、前回の大統領選でトランプを応援するポスターが破られたことなどや、反リベラル的な意見を示した社員が解雇の圧力にさらされたことなどを挙げ、政治的に一つの思想しか許さない社内文化があると痛烈な批判を繰り広げた。
 つい最近も著名な陰謀論者アレックス・ジョーンズ氏の各種SNSアカウント凍結が話題になったように( 詳しくはこちらの記事 )、Facebook社をはじめとするSNS各社は「保守派の意見を排除しようとしている」と大きな批判を受けている。Facebook社内にも自社の方針に疑問を持ち、アカウント凍結の理由や内容について批判する社員が多数いるという。
 アメリゲ氏の投稿の後、百人以上のFacebook従業員がアメリゲ氏に同調の意思を示し、社内の政治的多様性を育むためのオンラインディスカッショングループ「FB'ers」を結成したという。このグループの掲示板やアメリゴ氏には、社内で少数派に対する攻撃を受けたという訴えが多数寄せられているそうだ。このような動きに対し、建設的な議論が行なわれていると評価する社員もいる一方で、グループ内で偏見や差別的な書き込みが多数投稿されているという批判もあり、一部には上層部へ訴える動きもあるようだ。
 リベラルな思想と社会の風潮に追い風を受け、たった数年で世界で知らぬ者はいない巨大企業となったSNS各社にとって、自社サービス内で自らの掲げる思想・信条に反する意見が飛び交うのは我慢できないという一面はあるのかもしれない。だが、小説「1984年」に登場する“ビッグブラザー”のように特定の主張を監視・封殺するような仕組みが、よりにもよってリベラルを謳う米国発のIT企業から生まれるとしたら、それはとんでもない皮肉としか言いようがない。
 Facebook社は一大学のコミュニケーションツールという枠を大きく飛び越え、たった数年で世界中にユーザーを抱える巨大サービスの一つとなった。当初の想定を超えた様々な主張・思想を持つ人々が参加してくるのは当然のことだ。結局のところ、各サービスのポリシーを明確にし、どのように運営されているのかをはっきりと表明するしかないだろう。

思想の自由市場論
思想の自由市場論とは、最初に言及したホームズ裁判官の言葉を借りれば、「真理の最良の判定基準は、市場における競争のなかで、みずからを容認させる力を持っているかどうかである」という考え方をいう。そして、この 真理に到達できる という点が、表現の自由が他の自由権よりも優越的地位にあるという主張を支えてきた。
今回は、この思想の自由市場論から、違憲審査基準を導出するという発想を説明したい。
① 思想の自由市場論の本質思想の自由市場論から、違憲審査基準を導出するためには、思想の自由市場に対するどのような規制措置がどのように市場にダメージを与えるかを分析する必要がある。そのためには、市場の本来の姿を知らなくてはならない。
そこで、思想の自由市場論の本質を説明する。思想の自由市場という発想は、当然ながら 経済市場のメタファー
経済市場においては、自由な営業行為がなされている。ところが、各人が自由に営業をしていると必ず何らかの弊害が発生する。この弊害に対して、少々の弊害ならば、そのような弊害を発生させるプレイヤーは弊害が賠償金等のコストに跳ね返り、 いずれライバルに破れ、市場から駆逐される と考え、自由に任せるべきという考え方がある。他方、その弊害が生命・身体に影響を与えるような場合に、自由市場に任せていては、 取り返しがつかない事態が生じることがある ので、(消極目的)規制を正当化できるという考え方がある。
ここで重要なのは、「弊害を発生させているがゆえに市場から 駆逐されうる 」ということと、「市場が弊害源を駆逐するには 時間がかかる 」ということ。これを表現の自由市場におきかえると、以下のようにいえることになる。
思想の自由市場においては、自由な表現行為がなされている。ところが、各人が自由に表現をしていると必ず何らかの弊害が発生する。この弊害に対して、少々の弊害ならば、弊害を発生させていることはその表現の価値を減少させるため、その表現はそこを攻撃され、 対抗言論により淘汰される 。他方、その弊害がすぐ起こりそうでかつ憲法上の重要な人権侵害を引き起こすような場合は、 対抗言論による淘汰が間に合わない事態が想定される ので、規制を正当化できる場合がありうる、といえる。
ここで重要なのは、やはり「弊害ゆえに対抗言論により市場から 駆逐されうる 」ということと、「市場が弊害源を駆逐するには 時間がかかる 」ということ。
② 明白かつ現在の危険の基準との関係上述の「市場が弊害源を駆逐するには時間がかかる」という思想の自由市場の性質から、重大な弊害発生まで時間が切迫している場合の弊害除去の規制が正当化される。このような場合の規制といえるかどうかの基準が、「明白かつ現在の危険の基準」。
一応説明しておくと、明白かつ現在の危険の基準とは、㈠ 近い将来 、実質的害悪を引き起こす蓋然性が 明白 であること、㈡実質的害悪が 重大 であること、つまり、重大な害悪の発生が 時間的に切迫 していること、㈢当該規制手段が害悪を避けるのに 必要不可欠 であることの三つの要件が認められる場合には、表現を規制できるとする違憲審査基準。
逆からいえば、この「明白かつ現在の危険の基準」というものは、(速やかに弊害除去しなきゃいけないのに、それができないという形など)思想の自由市場が機能不全をおこしているという限定的な局面でのみ働く基準。
③ 事前抑制禁止原則との関係 事前抑制禁止原則とは、表現に対する公権力による事前の規制を排除するという原則 をいう。
この原則は、事前抑制は思想の自由市場論に真っ向から反するという考え方から導かれる。
つまり、思想の自由市場論というのは、市場に表現が自由に出回ることによって、ある表現には別の対抗言論が存在するという状況を保証し、それらが淘汰しあうことでより真理に近づけるのだ、だから表現の自由は優越的地位を有するのだという発想。
しかしながら、事前抑制は、表現が市場に流通する前に公権力によって市場への投入を阻止する。これはすなわち、 表現の淘汰を対抗言論ではなく、公権力が権力的に行っている 。この点が、思想の自由市場論に真っ向から反するとされる点。事前抑制という手法を用いるということは、対抗言論による淘汰を信頼しておらず、それは思想の自由市場の存在をあやふやなものにする。もっとも、以上の理屈が成り立つのは、 表現内容規制 に限定される。というのは、 表現内容中立規制 は、表現の時・場所・方法に関する規制をいう。そして、時・場所・方法による規制というのは、(それが実質的な表現内容規制でない限り)一定の市場への表現経路は残されている。詳言すると、いくら公権力が市場に出回る前に時や場所等に着目して規制したとしても、 規制されていない時や場所で表現すればいい わけだから、依然として表現経路が残っているわけ。
ということは、規制にかかわらず対抗言論も思想の自由市場もキチンと機能しているので、上の理屈は成り立たないわけ。だから、表現内容中立規制なのに、事前抑制禁止の原則を持ち出すのはおかしいといえる。
④ 市場の機能不全
前回は、弊害発生までの時間が切迫しているため、対抗言論による淘汰に任せていては、弊害除去が間に合わないという局面を念頭において、市場の機能不全を説明してきた。これの典型例は、破壊扇動表現。もっとも、市場の機能不全はこの局面に限らない。例えば、プライバシー侵害表現の場合は、 市場への回路がつながってしまった瞬間に回復不可能な弊害が発生してしまう ため、市場が上手く機能していない。これも市場の機能不全。この場合も規制に対して同様の理屈で正当化を考えることになる。
⑤ 低価値表現
機能不全の場合と同様の規制の必要性が一般に認められる場合がある。性表現や差別的表現。しかしながら、規制の正当化を思想の自由市場論からは上手く説明できない。なぜなら、これらの表現こそ対抗言論で淘汰されるべき言論であり、これらの表現によってもたらされる弊害も抽象的なものにとどまるから。
そこで、これらの表現に対する考え方は二つに分かれる。
ひとつは、差別的表現には価値がないから、思想の自由市場論はカテゴリカルに排除すべきとする 思想の自由市場不適格論
つまり、差別的表現への規制は表現内容規制だが、差別的表現には価値がないので、内容規制としての側面は抜きにして考えればいいのではないかということ。そうすると、正当化には目的手段審査を使うことになる。(私見)
もうひとつは、差別的表現には対抗言論も無力だから、思想の自由市場が機能しない例外的な場合にあたるとみなす 思想の自由市場機能不全論 。これは、さっきいったように本来は対抗言論で淘汰されるべきはずなのだけれど、差別的表現は他の個体と差別化を図りたいという人間の本質に根差す特殊な言論であって、対抗言論は差別的表現を淘汰するまでの力をもたないのだから、④の場合と同じ状況だと「みなす」という議論。個人的には、あまり説得力を感じないが、この場合は④の場合と同様に処理をするということになる。
⑥ 市場の不機能
市場の機能不全と似て非なるものに 市場の不機能 がある。これは、思想の自由市場を想定したうえで、その機能が上手く働かない場合を指す市場の機能不全とは根本的に異なる。市場の不機能というのは、そもそも 思想の自由市場を想定できないような局面 をいう。
この例はいろいろあるが、例えば生物の多様性や生態系を守るために、あらかじめ生物の使用に一定の枠をはめる規制をかけるという局面を想定してみると、生物を使用するという行為は、学問の自由等で保障されうる行為だが、 対抗言論というものを想定できない 。この局面は「市場の不機能」。
市場の不機能ということは、事前抑制禁止原則や明白かつ現在の危険の基準は導けないので、このような局面で、法律であらかじめ一定の行為に規制の枠をかけたという点のみに着目したりして、事前抑制禁止原則を持ち出したりするということは、誤りであることになる。
以上のように、思想の自由市場論というものを問題に出会ったときの一つの道具として持っておくと、より違憲審査基準の定立が精密になる。
グローバリズムが国民を不幸にし、共産主義国家を救済した 2018年11月14日
もちろん、古代エジプトあるいは縄文時代にはすでに「世界交易」が行われていた証拠が無数にある。江戸時代鎖国をしていた日本でさえ、長崎の出島でオランダ・ポルトガル・中国との交易は制限付きながら行っていた。
しかし、現在我々が「グローバリズム」と呼んでいる国家の枠を超えた広範囲にわたる大量の交易が普遍的になったのは、1980年代以降であろう。
1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連邦の消滅、さらには鄧小平が指揮した改革・開放政策は1978年にスタートしたが、1989年の天安門大虐殺を経て1992年に南巡講話が行われてから本格化した。
グローバリズムの利益を享受したのは、それまで西側先進国と隔離されて貧しさに悩まされていた、ロシアや中国などの共産主義国家である。
武装したキリギリスの集団が支配する、つまりアリが額に汗して蓄えた財産を暴力で奪うことが合法化された、共産主義圏ではだれもアリにはなりたくない。だから、武装するのは共産党員に限られるが、一般国民もキリギリス化して生産力は落ち、国家が成り立たなくなる。
実は自給自足が成り立たず崩壊しようとしていた共産主義を救ったのがグローバリズムなのだ。特に共産主義中国は、2001年に143番目のWTO加盟国になってから我が世の春を謳歌した。WTOの機能不全は以前から問題視されているが、共産主義中国は、その制度の不備をつき、自由貿易の利益を享受しながらも、国内の規制を温存し、外資系企業に対して公式・非公式に様々な圧力を加えてその活動を妨害した(事実、現在の共産主義中国の輸出依存度は約25%(米国は一ケタ)であり、輸出無しでは国が成り立たない)。
その被害を受けたのは、日本企業だけでは無く米国を含む世界中の企業である。しかし、グローバル企業といえども、巨大な共産主義中国政府に真っ向から刃向かうことはできず泣き寝入りしていただけなのだ。
その世界中の「声なき声」を代表して、中国と闘う姿勢を明示したのがトランプ大統領のアメリカである。
民主主義の基本は「国民国家」である
Gage Skidmore / flickr
トランプ大統領が掲げる「自国第一主義」に対する非難をよく聞くが、「自国第一主義」は民主主義の原則に従った行為なのである。
民主主義の基本は主権者と被支配者(国民)が一致することである。したがって、国民から選ばれた代表が統治するのが民主主義だが、この国民の中には外国人はもちろんグローバル企業も含まれていない。一部で「外国人参政権」などという奇妙な運動が行われているが、これはもちろん、反民主主義的行為である。
「国家は国民のものである」という民主主義の大原則に立ち戻っているのがトランプ大統領の「自国第一主義」である。
この流れで言えば、受け入れを拒否しているのに押し寄せる人々を「移民」と呼ぶことはできない。
例えば、独立後間もない時期の米国や一時期の欧州などのように「どうぞ来てください」と宣言すれば、移民と呼ぶことができるが、国境に壁を作ったり軍隊を配備して流入を阻止しようとする国に不法に侵入する人々が犯罪者であることは言うまでもない。ましてや、数千人単位でグループを作れば「侵略者」とでも呼ぶしかないことは、トランプ氏の言葉を待つまでもない。
個人レベルで言えば、パーティーに招待されて家を訪問するのは合法だが、呼ばれてもいないのに、家のドアをこじ開けて入るのは「強盗」であり撃ち殺されても仕方が無いということである。
賃金が上がらないのはグローバル化の影響である例えば、人手不足だと騒いでいるのに、日本の若者(労働者)の賃金はさほど上がらない。グローバル化によって広がった市場において、多くの発展途上国(後進国)が「人間の安売り」=低賃金労働力の供給を行っているからである。
この「低コスト」の恩恵を受けているのは、もちろんグローバル企業である。彼らはどこの国に人間であれ、コストが安いほうが都合がよいのである。「高い賃金を払ってみんなで幸せになろうね!」などという古き良き日本(古き良き米国も・・・)の哲学は全く通用しない。
安倍政権の「移民政策」が色々議論されているが、介護、建設、飲食などの人材が不足しているのは給料が安いからである。だから給料をあげれば(例えば倍にするとか極端なことをすれば・・・)、人手不足などすぐに解消する。
そもそも、外国人がそのように日本人が敬遠する仕事を自ら進んで行うのは、本国の貨幣価値に換算すれば高給であるからに過ぎない。彼らも、(本国換算で)給料が安ければそのような仕事に見向きもしない。
長期的には、移民(外国人労働者)政策よりも少子化対策に国民の血税を使うべきだし、より短期的には、そのような業種の企業の経営者が業務の生産性をあげる努力をすべきである。
最近、居酒屋などの飲食店でタブレットによる注文が標準となりつつあるが、介護、建設、飲食などの業種ではこのような生産性向上のタネがいくらでもある。これまでカイゼンされなかったのは、低賃金労働者が十分供給されてきたからである。
したがって、このような業種の経営者は甘えを捨てて、移民(外国人労働者)などをあてにせず、生産性の向上による従業員給与の引き上げに努力すべきである。
実際、日本の高度成長期には、中学卒業生が「金の卵」と呼ばれるほどの人手不足が生じたが、(基本的に)移民や外国人労働者を受け入れていなかった日本は、「自動化」「機械化」で乗り切った。逆にそのことが、日本の機械産業やロボット産業を刺激し「高度成長」を牽引した。
逆に欧州では安くて豊富な(少なくとも当時はそう見えた)移民(外国人労働者)を潤沢に使えたため、機械産業やロボット産業で日本の後塵を拝し、しかも「移民問題」という、現在の欧州における最大級の問題の原因を作ってしまった。

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