索引
2019.12.9
 朝日新聞が9月21日夕刊の1面をすべて使って、横に大きく「『地球を守る』学校スト 響かない日本」と見出しを付けた記事がある。これは同月23日から始まる国連気候行動サミットを前に、若者が政治家に気候危機への対策を求める世界一斉デモが20日に行われたが、日本の若者の参加が少なかったことを慨嘆して、積極的な参加を扇動したものといえそうだ。
 学校ストライキとは、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさんが、授業をボイコットして国会議事堂前に座り込み、環境の危機を訴えたことから始まった運動である。欧米では大学や高校で続いているが、日本では広がっていないという。
 スウェーデンを旅行して環境問題に目覚めた、立教大学の女子学生は、大学でグレタさんの動画を上映して、プラスチックごみを減らそうと呼びかけたが、「聴講した学生から『何も思わない』『何が問題かわからない』と感想をぶつけられ、言葉を失った」という。
 しかし、欧米流のやり方が、世界的に通用しないことは、この記事自体が紹介している。英語圏の名称である「グローバル気候ストライキ」は、日本では「グローバル気候マーチ」にしているし、活動も放課後にした。そのほかの国でも、名称を言い換えた国は、いくつもあるようだ。
 11月28日夕刊では、1面で大きく「グレタさんの訴え 若者一歩ずつ」の見出しで、翌29日のデモへの参加を呼び掛けている。前回はデモ後の記事だったが、今回は事前に宣伝する記事になったわけである。
 それでは、29日のデモの結果はどうだったか。朝日新聞は30日朝刊社会面の一番下に、短い記事とカラー写真を載せている。
 記事には「25都府県で延べ2千人が参加」とある。9月のデモの参加者約5千人が、2千人に減少してしまった。朝日新聞の扇動は、全く効果がなかったので、小さな扱いだったのか。
 朝日新聞の環境問題報道には、日本を悪者にして、自分は善人を演じるという、朝日報道の大原則が見られる気がする。
 10月1日朝刊の「声」欄に、グレタさんに感激した、76歳の男性の投書がある。そこでは、「特に反省すべきは日米両国だろう」「日本は先進7カ国で唯一、石炭火力の新増設を計画している」と言っている。
 11月14日夕刊の「環境」欄によると、二酸化炭素排出量第1位は中国で28.2%、2位が米国で15.0%、日本は6位で3.5%にすぎない。石炭火力を増設しなければならないのは、原発をほとんど止めしまったからである。こうした事態については、「脱原発」を掲げる朝日新聞にも、大きな責任があるのではないか。
2019.12.7
 キリスト教カトリック教会のトップに立つローマ教皇が11月23日から26日の日程で来日した。今回の来日は、朝日新聞18日朝刊の2面の「いちからわかる」欄にあるように、日本のカトリック教会が要望し続けてきたものだった。
 そして、日本でのスケジュールについて、同欄は「被爆地の長崎と広島を訪ね、核兵器廃絶を呼びかけるアピールを出す。東京では天皇陛下や安倍晋三首相と会談するほか、東京電力福島第一原発事故の避難者らとも面会するよ」と説明している。核兵器だけでなく、原発も含めた「核利用への警鐘」がメーンテーマのようである。
 朝日新聞はこの来日について、事前に大報道を展開したが、その記事数は大変なものだった。特に、17日朝刊の「社会の『周辺』へ行動する思想」や、18日朝刊の「ナガサキからの発信」、19日朝刊の「ローマ法王38年ぶり被爆地へ」、20日朝刊の「『ゆるし』への一歩」など、紙面の一面大半を使う大型記事の連発だった。
 一連の記事を読んで、日本カトリック教会と朝日新聞は、歴史認識問題においても、核の問題においても、ほぼ同一の見解に立っているように感じた。歴史認識は日本罪悪史観のようだし、核兵器は無論のこと、「脱原発」として平和利用である原発も認めない。だからこそ、朝日新聞は教皇来日を大報道したのだろう。
 朝日新聞は、ローマ教皇の核兵器反対の言葉を引用して、米国の核の傘の中にあり、核兵器禁止条約に署名していない日本を、記事の中で繰り返し批判していた。しかし、中国や北朝鮮の「核の脅威」に直面する現状では、核の傘はどうしても必要である。この現実を絶対に見ようとしない。
 ローマ教皇は今回の訪日で、死刑廃止など広いテーマに関して、美しい言葉をいろいろと述べた。だが、アジアで現実に起きている人権と人命にかかわる重大問題である、香港での民主運動や中国・ウイグルでの弾圧について発言したとの報道に、私は接していない。中国への忖度ではなかろうか。
 香港・ウイグルの件については、産経新聞が何度も取り上げ、11月28日には共同通信電として、ローマ教皇が帰途の機内で「北京に行きたい。中国が大好きだ」と発言したことを載せている。朝日新聞は、教皇のこの発言については沈黙を守ったままである。
 12月1日朝刊の社説余滴で、郷富佐子論説委員は「軍隊も工場もないバチカンのトップが持つ最大の力は、モラルだと思う」「『平和』という究極のモラルに向き合い、だれにも忖度せず、真っ当な主張を堂々と説いて回った」と述べている。
 私には真実と全く異なる、明白なフェイクニュースと感じた。
2019.12.5
 天皇陛下の即位礼関連儀式について、朝日新聞は素直に祝意を示すというより、いろいろと異議・批判を発信し続けた。
 10月の「即位礼正殿の儀」において、高御座におられる天皇と、松の間の安倍晋三首相の立ち位置とでは、1・3メートルの差があって、これは憲法に違反するという識者の意見もあった。また、11月の大嘗祭については、秋篠宮皇嗣殿下の発言を利用しながら、経費が掛かりすぎると再三にわたって主張した。
 中でも、私が注目したのは万歳に関する“難癖”である。
 11月12日朝刊の「ニュースQ3」の記事のリードは、「天皇陛下の即位を祝う9日の『国民祭典』の祝賀式典で、『天皇陛下万歳』の唱和が繰り返された。天皇、皇后両陛下が会場を出た後も続き、少なくとも16回。万歳三唱ならぬ、万歳『四十八唱』に令和の人々は何を思うのか」とある。
 本文中では、万歳に関するSNSでの感想を、以下のように紹介している。
 「式典はテレビ中継され、SNS上では万歳をめぐる投稿が相次いだ。『エンドレス万歳が怖い』『しつこいな』。若い兵士が『天皇陛下万歳』と叫んで死んでいった戦時に触れ、『不気味さしか感じない』との批判もあった。一方で、『敬愛と祝意を伝えたいんだから、いいじゃない』『一体感を得た』などの肯定的な意見も」と、両論併記の形を採る。
 これとは別に、「『天皇陛下万歳』をめぐるSNS上の声」という図があり、6つの意見が掲載されている。
 「なんか戦前っぽくってすごい怖かった!」「即位はめでたいけど、別の言い方ないの?」「なんか一体感あるね~」「嵐もよかったけど、やっぱり万歳がよかった」「エンドレス万歳が異様」「子どもが気味悪がっている」
 ここでは、「否定4、肯定2」の割合になる。
 本文中の最後の段落で、2人の学者が意見を述べているが、1人は「万歳を続ける様子が異様だった」といい、もう1人は「『万歳』という言葉はかつて、天皇崇拝や軍国主義を進めるための方策だった」と言っているから、2人とも否定派である。
 朝日新聞は、11月22日朝刊の「ナショナリズムの迷宮 すれ違う日韓 上」で、「万歳が『日本人』を作った」の見出しの下に、また万歳を取り上げて、日本のナショナリズム、すなわち国家意識・民族意識を懸命に貶めようとしているように感じる。日本のささやかなナショナリズムに比べたら、中国・韓国のナショナリズムの方が、はるかに巨大で脅威である。
 そもそも、万歳はそんなに危険なものなのか。全国で膨大に実施される選挙で、当選者と支援者は、無邪気に「万歳、万歳」と叫んでいるではないか。
2019.12.4
 11月19日の「天声人語」に、米国の政治学者である、ヤシャ・モンク氏の話が出てくる。ポピュリズムの危険性を訴え続けているモンク氏は、来日時のシンポジウムで、「多くの国を訪れましたが、ポピュリズムの台頭が見られない国に来たのは初めてです」と述べたという。
 続いて筆者は「トランプ大統領の米国、欧州連合離脱に揺れる英国のほか、ハンガリーやブラジルなどでもポピュリズムが広がる。そんな潮流から日本は幸いにも免れている。欧米の専門家からよく聞く指摘である」と書いている。日本がポピュリズム国家でないことは、世界的に見て、専門家の基本認識であるわけである。
 しかし、天声人語の筆者は、この事実が不愉快で仕方がないようだ。
 そこで、モンク氏があげる「大衆の情緒を利用する」ポピュリズムの政治手法、つまり反対勢力は悪だとし、司法をないがしろにしてメディアを敵視し、少数者の権利を無視する-といった手法が、安倍晋三首相にも同じように見られるといい、違いがあっても、「あくまでも程度問題ではないか」と主張する。
 続けて、「モンクさんの言葉は半分正しく、半分間違っている気がする」と歯切れが悪い言い方になっている。「第2次安倍政権の7年は非ポピュリズムというより、半ポピュリズムとでもいうべき時期だったか」と、どうしてもポピュリズムにしないと気が済まないらしい。
 私の正直な考えを述べれば、現在の日本は半ポピュリズムどころか、全ポピュリズムの時代であると言わざるを得ない。
 ただし、それは諸外国のような、政治権力者によるポピュリズムではない。日本型ポピュリズムを先導あるいは扇動しているのは、明白にメディア権力である。すなわち「メディア・ポピュリズム」というべきものである。
 政治権力者である大臣の首を、何人も飛ばすことができるのは、メディアが強大な権力そのものだからである。このメディア・ポピュリズムが、「悪夢の民主党政権」時代を生み出した。それをまったく反省せずに、現在は「桜を見る会」問題で、新たな大衆扇動に乗り出している。
 それによって、国会の運営が停滞するから、どれだけ日本の国益を毀損しているか、まことに計り知れない。
 権力者の自覚がない権力者ほど、危険で恐ろしいものはない。
 モンク氏などのポピュリズムの研究者には、世界でも稀有な存在であろう、日本型ポピュリズムの真相を、ぜひとも研究・解明してもらいたいものである。
2019.12.3
 朝日新聞10月19日朝刊のオピニオン欄に、耕論「嫌韓論の正体」という記事があった。3人の人物へのインタビューが載せられていたが、文筆業の男性のものが注目された。
 冒頭で、男性は「今春、がんのため77歳で亡くなった父は晩年、ネット右翼的な言動が著しく増えました」という。
 「名門とされる大学の出身で企業戦士だった父は、ノンポリでしたが、知的好奇心にあふれていました」というから、ごく普通の常識的な人であったことが分かる。それが右翼的な雑誌やネットの、「嫌韓ビジネス」に躍らされて、その被害者になってしまったのはまことに残念だ、というのである。
 同じような話は、朝日新聞11月16日朝刊、「悩みのるつぼ」という相談コーナーにも出ている。
 歌手で俳優の美輪明宏さんに相談している20代の女性の悩みは、「同居する80代の祖母が、ある近隣の国について、いつもバカにするようなことを言うので困っています」という。国の名前は出ていないが、韓国であることは明らかだ。
 「最近ではそういう祖母を見るたびにいやな気持ちになります。私のことをいつもかわいがってくれて、頭もよく、ずっと大好きで尊敬していました。しかし、これではネトウヨと同じです。最近では顔を合わせるのも避けたくなってきました」
 そこで何かアドバイスを、というものである。
 美輪さんの回答は「相談者のおばあさまに、そんな正論を説いても恐らく通じることはありません。近隣国の話をしだしたら、その場を去って耳を傾けないことが一番です」というものである。
 この2つの記事で、全く言及されていないのは、この高齢者の感情は、韓国側の数々の理不尽な言動に対する、極めて自然な反応に過ぎないという事実である。
 老人の認識が形成される前提として、慰安婦問題や、いわゆる「元徴用工」問題、韓国海軍駆逐艦によるレーダー照射事件、韓国国会議長による「天皇陛下への謝罪要求」、旭日旗問題など、あまたの問題が存在したのであろう。
 しかも、今日の日韓関係が破壊された根源に、朝日新聞による慰安婦問題の大誤報があったことは、紛れもない真実である。
 肉親の反応を嫌悪する、文筆家や20代の女性こそ、朝日的な虐日洗脳教育に踊らされた、見事な被害者ではないのか。
 この2人の方が、その洗脳状態を解くには、韓国の間違った歴史教育を解明した、元通産省官僚で、在韓日本大使館参事官や埼玉大大学院教授などを歴任した松本厚治氏の『韓国「反日主義」の起源』や、韓国人が自己検証した、ソウル大学名誉教授の李栄薫氏の「反日種族主義」を読むべきだろう。
 ただし、朝日新聞は、この貴重な著作を記事でも読書欄でも、紹介はしていないようだ。
2019.6.3
 5月10日、文化・文芸面の「令和に寄せて」の欄に、政治学者の白井聰さんに対する、高久潤記者によるインタビュー、「肥大する星条旗 いまや『国体』に」が掲載されている。
 白井さんの論の独特なところは、戦前によく使われた、国柄を表す「国体」という言葉を、現在の米国への従属関係に当てはめたことであろう。それは次のように説明される。
 「国体とは、日本は天皇を頂点に置く『家族』のような共同体であるとする観念です。天皇と国民は『愛し、愛される』関係で、その後の天皇制ファシズムの温床になりました」
 「敗戦後すぐに『対米従属』を選んだのにはそれなりの理由があった。東西対立を前提にした上で焼け野原になった日本をどう復興させるか。吉田茂元首相ら親米保守の支配層には目的意識があった。従属を通じた自立を目指したわけですが、その過程で戦前の『菊』の部分に、『星条旗』が食い入ってきた」
 ここで注目されるのは、戦後の米国への従属関係を、肯定的に評価しているように読めることである。そして、以上の引用に続けて、次のように述べている。
 「ただポスト冷戦期の今、そうした環境は変わりました。実際、ドイツもフィリピンも、先の大戦の結果、対米従属をひとまず選んだ国は、ポスト冷戦期に明らかに違った方向を選んで変わっていった。私が『国体=米国』と考えるのは、愛し愛されていると思うがゆえに、従属の必然性がなくなってなお、無条件に従い続けているから。この精神構造は日本独特です」「冷戦期ほど強い理由もないのに不平等な日米地位協定は自明のものとして受け入れ、沖縄からの声を無視して変えようとしない」
 冷戦期以後の現在、米国に従属する必要がなくなったというのは、白井さんの完全な間違いである。ソ連崩壊直後の平成初期はともかくとして、日本に対する軍事的脅威は、飛躍的に高まっている。それは、ほかでもない中国の台頭である。
 世界第2の経済大国になり、その経済力で世界第2の軍事大国にのし上がった。しかも、日本の領土である沖縄県・尖閣諸島を、チベットやウイグルと同様の「核心的利益」であると、明白な侵略宣言までしている。
 それだけではない。ドイツやフィリピンは、まともな軍隊を持ち、国民は自国を防衛する気力を有しているが、日本では、国防意識を喪失した人々が、巨大な規模で存在する。
 朝日新聞が「平和国家」のブランドと言うように、国体となったのは、星条旗ではなく、米国製の日本国憲法である。これこそ米国に対して、精神的に完璧に従属した、「究極のアメポチ」の姿ではないのか。
2019.5.31
 朝日新聞のオピニオンページに、論説委員が実名で書く、「社説余滴」という欄がある。2月22日と5月12日のそれは、元ソウル支局長も務めていた、箱田哲也記者によるもので、約2カ月弱をはさんで、論調に変化が見られるのが興味深い。見出しは、2月が「無知から始まる『正義』の衝突」で、5月が「韓国、自縄自縛の対日外交」である。
 2月は、冒頭で「どちらが無礼で盗っ人たけだけしいのか。日本と韓国はいま、国の威信を背にしたメディアも加わり、無制限一本勝負の様相だ。日韓とも正義は我にありと信じ、なぜかくも我々を挑発するのかと純粋にいぶかる」と言っている。
 のっけから間違ったことを言っている。韓国側は一方的に挑発しているが、日本側は政府もほとんどのメディアも、まったくと言っていいほど闘っていない。
 さらに、「対立の戦端を開くのは総じて隣国に対する無知である。天皇が元慰安婦に謝れば問題は解決する、とした韓国国会議長の発言はその典型だ」という。
 次いで、7年前の李明博大統領の天皇発言を踏まえたうえで、「かねて徴用工問題などで、加害者でありながら被害者然と振る舞う日本政府への不満は募っており、久々の『天皇発言』となったのだろう。一方で、これら韓国発の言動を、何でもかんでも『反日』の一言で片付ける日本の言説もまた、無知のそしりを免れまい」と、国会議長に理解を示しながら、日本を糾弾する。
 要するに、2月の社説余滴は、「両方が悪い」論であるが、韓国側が一方的に悪いのに、両方悪いということは、完全に韓国に味方しているとしか思えない。
 5月は、2月とはかなり趣が変わって、北朝鮮に裏切られ、経済も振るわず、対日関係も最悪という、文在寅政権の八方ふさがり状態が、比較的正確に解説されている。
 しかし、対日外交が失敗した原因を、「正確な日本関連情報が即座に提供されないという構造的な問題」としているが、これは明らかに違う。正確な情報以前に、韓国の世論におもねって、日本たたきに邁進してきた結果である。
 なお、この「社説余滴」の中で、前述した論旨と逆のことを述べるための接続詞「ただ」が、2カ所使われている。
 1つは、「ただ、文政権は『根っからの反日』『日本を無視』といった、日本で広がる安直な言説は、大半が誤りか正確さを欠く」であり、もう1つは、「ただ、文政権の内側に深く刺さっていないのは日本とて同じこと。加えて定まらぬ文政権の足元を見て、歴史に後ろ向きを決め込む安倍政権の責任は大きい」である。
 日本を批判しないと気が済まない、朝日的論調の典型と言わざるを得ない。
2019.5.30
 3月30日夕刊、第一社会面トップに、井の頭公園のカラー写真とともに、桜のアイコンが目に飛び込んできた。時節柄のどかな風物詩調の記事かと思ったが、そうではなかった。桜に対して、イチャモン・難癖をつける体の記事であった。
 まず、井の頭公園で花見をしていた人の声が述べられ、次いで桜の歴史の話となり、江戸時代から花見はあるが、明治までは桜は特別な花ではなかったという。
 それが大正から別格になったと、岩波新書「桜が創った日本」の著者である、佐藤俊樹・東大教授の説が紹介される。それはソメイヨシノの全国的な拡大と、学校・官庁・会社における卒業や入学・入社の時期が一致して、桜が「出会いや別れ」の象徴となったという。
 それはそうかもしれないが、解釈の仕方がかなり“異様”である。
 つまり、「全国で一様に咲くさまは、欧米列強に対抗するのに必要な中央集権的な国家像、同質的な国民像とも結びついた」と言うのである。それに続いて、「一斉に散る桜は、昭和に入るとさらに意味づけされる。軍歌『同期の桜』は『みごと散りましょ 国のため』と歌い、滑空して敵に体当たりする特攻兵器は「桜花」と名付けられた」と解説する。
 桜と特攻と言えば、5月14日、「若い世代こう思う」欄に、鹿児島県・知覧の特攻資料館「ホタル館富屋食堂」館長の鳥浜明久さんによる「特攻と桜 裏の真実」と題する文が載っている。
 明久さんは、「特攻の母」と呼ばれた鳥浜トメさんの孫らしい。まず、冒頭に「散り際の鮮やかな桜にたとえられることの多い特攻隊。知覧で撮影された写真にも、女学生たちが桜の小枝を振って隊員を見送る姿が残されています。私の叔母もその中の一人でした」とある。ただし、写真は宣伝用に一度撮られただけで、それが繰り返し使われているのだという。
 つまり、この2つの記事はともに、戦争にまつわる桜の忌まわしい歴史を述べているわけである。
 ところで、朝日新聞の社旗には、異なった2つのデザインがある。それは旭日の方向が、左向きと右向きと2様あることである。つまり西日本と東日本と、区別して使われているわけである。戦争中まで、「東京朝日」と「大阪朝日」が分立していた時代を、反映したものであろう。
 それと同じように、朝日新聞の題字のバックの模様も、2つのタイプがある。西日本版が難波の葦であるのに対して、東日本版は言うまでもなく桜である。
 桜が忌まわしい歴史を持つというのなら、平和主義の朝日新聞が、なぜ使い続けるのであろうか。
2019.5.29
 歌手で俳優の萩原健一さんが3月26日、亡くなった。68歳だった。8年も前から、消化管間質腫瘍で闘病生活に入っていたという。
 新聞各紙には29日に記事が掲載されたが、基本的には各紙とも同様で、グループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルから出発したこと。その後、俳優に転じて、テレビドラマや映画で、個性的な演技で活躍したことが詳しく語られていた。スキャンダルとして、大麻の不法所持や、映画出演料をめぐる恐喝未遂事件などが付け加えられている。
 俳優としての作品では、テレビドラマの「太陽にほえろ!」と「傷だらけの天使」が必ず言及されていた。だが、その解説の仕方において、朝日新聞の場合、顕著な特徴が見られた。
 まず、朝日新聞は29日朝刊で、「72年に始まった日本テレビのドラマ『太陽にほえろ!』に『マカロニ刑事』の役で出演。スタイリッシュな容姿と常識破りなキャラクターで、反体制的な70年代の若者の支持を集める」と述べる。
 次いで、「74~75年の『傷だらけの天使』では、水谷豊さんとのコンビで探偵社の下働き役を好演。不真面目ながら筋を通す若者像は、学生運動に敗れ去った後の冷めた社会の空気を象徴する存在となった」と説明する。
 つまり、萩原さんを、反体制の学生運動が流行した当時の時代背景と、わざわざ結び付けて回顧していたのだ。
 この1960年代から70年代にわたる、左翼勢力の活動を熱心にフォローし、彼らの側に立つような報道をしたのが朝日新聞であり、中核となったのが今はなき週刊誌『朝日ジャーナル』だった。
 それは、3月13日夕刊の「あのとき それから」欄の、東大安田講堂事件の論調に、見事なまでに再現されている。当時、講堂を封鎖した全共闘側の意見が、何人も紹介される記事になった。
 しかし、前出の2つのドラマが放送された70年代前半は、60年代の大学紛争で敗北した極左勢力が、凶悪なテロ犯罪に乗り出した時代だった。
 70年には、共産主義者同盟赤軍派が「よど号ハイジャック事件」を起こした。72年には連合赤軍による、仲間同士の「大量虐殺事件」が明るみに出た。74年には、8人の死者と4百人近い負傷者を出した、東アジア反日武装戦線による三菱重工爆破事件など、「連続企業爆破事件」が発生した。極左勢力によるテロ事件は、まだまだ、たくさんあった。
 それがすっかり忘れられているのは、メディアが「歴史の真実」を正確に回顧していないからではないか。学生が大学紛争に熱中して、身を誤ったのは自己責任だが、大学紛争とテロで、大学関係者や一般人に多くの犠牲者が出ている。
 私には、朝日新聞が、左翼をかき立てるような報道をしたことによって、凶悪な暴力事件が発生する温床を作り出したとしか思えない。
2019.5.28
 このところ、朝日新聞の皇室に関する論調が変化してきたようだ。それは上皇さまによって行われた、平成時代の「平成流」に対する評価に関してである。つまり一方的な称賛から克服、あるいは否定に変わってきたように感じるのだ。
 例えば、4月25日の天声人語は「『象徴としての務め』は、平成に入ってから目立つようになった。なかでも第2次大戦の戦地への訪問の一つひとつは、日本の加害の歴史を忘れないようにという試みだったのだろう。平和憲法を体現する道ともいえる。しかし、こうも思う。その営みは、天皇という権威が担えばすむことなのか」と記した。
 これは控えめな方で、もっとはっきりした個人の意見も掲載している。
 3月7日の耕論で、渡辺治・一橋大学名誉教授は「私は、天皇の行為の憲法からの逸脱は、正すべきだと思っています。戦争を繰り返さないこと、戦争に対する責任を明確にすることは、国民が自らの主体的責任で解決すべき問題であり、天皇の『おことば』や訪問で代行したり、解決したりできないし、またすべきではありません」と語っている。
 上皇さまの「平成流」を一貫して支持してきたと思えた朝日新聞が、ここにきて豹変したように感じる。「令和フィーバー」「皇室フィーバー」に、かえって危機感を抱くようになったのではないか。
 4月29日から5月6日まで、改元をまたいで連載された、天皇と憲法に関する「1条 憲法を考える」は、基本的に同様な観点から編集されていた。
 最終回は、見出しに「加害の歴史 向き合うのは誰」と掲げている。そこで、岐阜大学の講座「平和学」の講師は「学生は戦争の現実を初めて知って驚く。天皇の軍隊が何をしたのか、加害や抵抗の歴史が伝えられていない」と語っている。
 さらに、今年の憲法記念日の講演会で、作家の高橋源一郎氏は、上皇さまの慰霊の旅を「戦争責任を問われないまま、昭和天皇がやり残したことの贖罪の旅をやってきたのではないか」と表現したという。朝日新聞の豊秀一編集委員は、上皇さまと比較するように「過去への真摯な反省の言葉を持ち得ていない最近の政治の姿だ」と政治家を糾弾する。
 この連載は次のような文章で結ばれる。
 「過去から学ぶことの大切さを、高橋さんは講演でこう表現した。『令和が始まったというが、平成が終わったわけではない。昭和も終わってはいない』」
 朝日新聞は、戦争中に戦意高揚に大いに貢献した。自分自身の戦争犯罪は棚に上げて、日本国民に対して、永久に「加害の歴史」を反省し続けることを、卑劣にも強要するのである。
2018.12.10
 朝日新聞の言論の特徴の1つとして、政治面や社会面でなくとも、政治的主張を忍び込ませていることがある。それは文化欄などでも顕著である。具体例を紹介しよう。
 11月7日朝刊、「きょうの番組」欄の「ラジオアングル」コーナー、「戦時下の役割を考える」では、元NHK放送記者の秋山久さんが、『君は玉音放送を聞いたか~ラジオと戦争』という著作を出版したことが取り上げられている。
 本の柱は2つ。1つは、終戦時の「抗戦派」と「和平派」の攻防。もう1つは、人々を戦争に向かわせるラジオの声の力と音楽であるといい、以前、故・藤倉修一氏に、アナウンスを再現してもらった。それは北朝鮮の女性アナウンサーを想起させるものだという。
 そして、記事の筆者、ライターの山家誠一氏は「秋山さんは、これらの問題は戦時下だけではないという。例えば、特定秘密保護法の制定など、今の日本でも『言論統制』の兆候が見え始めていると危惧している」とまとめる。
 11月8日夕刊、文化面の「舞台・音楽」欄では、アイルランドの劇作家、ショーン・オケイシーの90年前の作品である『銀杯』を紹介する。演出は森新太郎氏で、第一次世界大戦中のアイルランドが舞台で、兵士ハリーは戦争から帰省するが、すぐにまた出征する。
 この演劇記事の解説は、「悲惨な戦場のシーンもあるが、だから反戦劇だと森は考えない。家や病院の場面で何げなくかわされるひとりよがりの言葉にも、戦争につながる根っこの部分を見る」と述べ、その中で「今もそうです。ツイッターで炎上とか、人を支配してやろう、打ち負かしてやろうという、戦争で行われているような人間の関係がいくらでも起きているんじゃないですかね」という、演出家の発言が紹介される。
 11月11日朝刊、文化・文芸面の「エンタメ地図」では、文芸評論家の末國善己氏が、オリヴィエ・ゲーズ作『ヨーゼフ・メレンゲの逃亡』を取り上げている。戦争中、ユダヤ人への人体実験を行った医師、メレンゲは、戦後は南米に逃亡するが、そこに居住するナチス残党の思想は、ナチス時代と全く変わらなかったという。
 そこで、末國氏は「ゲーズは、戦争の悲劇が忘却され、民族の自尊心をくすぐる思想が広まれば、再びメレンゲ的な悪が台頭するという。歴史修正主義と自国礼賛の声が強くなっている現代を生きる日本人は、この警鐘と真摯に向き合う必要がある」と訓戒を垂れる。
 これらの記事の目的は、過去を論じながら、現代に結び付けて、日本批判を展開するところにあるように感じる。このような正義を装った、日本蔑視の主張が横行する事態こそ、現代日本が抱えている、重大な危機と言うべきである。
2018.12.8
 週刊文春の調査報道によって、高視聴率を誇る日本テレビの看板番組「世界の果てまでイッテQ!」に“やらせ疑惑”が浮上した。タレントの宮川大輔さんが世界の祭りに挑戦する企画で、ラオスの「橋祭り」が実際には存在せず、番組がつくったものだったという。
 文春の発売直後、新聞各紙やテレビ各局も後追いしたが、朝日新聞の報道ぶりは極めて熱心であった。
 9日は第二社会面のカタ、10日は第三社会面のトップ、15日は第二社会面のトップ、16日は文化・文芸欄でトップ、同じ16日に第二社会面のトップ、17日は社説、同じ17日に第二社会面のトップといった具合である。
 日本テレビに対する追及の態度も厳しく、産経新聞が「やらせ疑惑」と表現するのに対し、朝日新聞は「でっち上げ疑惑」と表現している。
 17日の社説「イッテQ疑惑 放送への信頼傷つけた」では、冒頭で「人気のバラエティー番組にいったい何があったのか。すみやかに真相を明らかにして、社会に報告する責任がある」とし、「娯楽の要素が強いバラエティー番組は報道と違う、多少の演出は必要だ、という声もある。だが、『ない』ものを作り出して『ある』とする行為は、公共をになう放送番組として許されない。…日テレ自身のコメントにあるように『猛省』が必要だ」と“断罪”している。
 この騒動と重なるように、テレビ朝日の人気刑事ドラマ「相棒 シーズン17」に問題が発覚する。11月7日の放送で、薬物依存症の女性が人を殺害するシーンが流れたが、その演出に対する厳しい批判である。
 この問題については、朝日新聞は14日の社会面で報じている。
 国立精神・神経医療研究センターの医師は「白目をむき、予測できない動きをして奇声を発しているが、こんな依存症患者は現実にはいない」「今回の描き方では、依存症の人に対する差別意識だけを強めることになる。『シャブ山シャブ子』という名前も侮蔑的だ」と述べている。
 その後、朝日新聞は23日の文化・文芸欄でも取り上げている。依存症の家族や研究者らでつくる団体が15日、テレビ朝日に抗議文を出したという。
 ただし、記事の末尾で、抗議した団体の女性の話として、《その後、「相棒」のプロデューサーから「何ができるのか社内で協議します。話し合いの場も持ちましょう」と連絡があった》とあり、同女性が「抗議した側が批判されることもあり、声を上げにくい社会でもある。テレ朝は素晴らしい対応をしてくれた」と語っていたのには、少し違和感を覚えた。
 社内の協議や対話の場を持つことを約束したぐらいで、「素晴らしい対応」なのだろうか。朝日新聞が、関連会社であるテレビ朝日の火消しに懸命になっているとは思いたくない。
2018.12.6
 防衛省で10月13日、平成30年度の自衛隊殉職隊員追悼式が行われ、安倍晋三首相が岩屋毅防衛相とともに参列した。
 産経新聞の翌14日の記事によると、安倍首相は「尊い犠牲を無にすることなく、遺志を受け継ぎ、国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜く。世界の平和と安定に貢献するため、全力を尽くす」「強い使命感と責任感を持って職務の遂行に全身全霊をささげた皆さまは、この国の誇りだ。その雄姿と名前を永遠に心に刻みつけていく」と追悼の辞を述べたという。
 さらに、記事を読むと、「慰霊碑には、8月31日までの1年間で公務による死亡の認定を受けた30柱の名簿が新たに奉納されたという。内訳は、陸上自衛隊8柱、海上自衛隊15柱、航空自衛隊6柱、事務官1柱。…自衛隊の前身、警察予備隊が発足して以来の殉職隊員は計1964柱となった」と書かれていた。
 朝日新聞は、この自衛隊殉職隊員追悼式を、まったく報道していない。
 正確に言えば、「文字」としてはある。10月14日朝刊4面の下、前日の「首相動静13日」の欄に、「午前9時58分、東京・市谷本村町の防衛省、自衛隊殉職隊員追悼式に参列し、追悼の辞、献花」と記されている。これでは、きちんと報道したとは言えないだろう。
 ところで、人命に関わる最近の話題といえば、内戦下のシリアで2015年6月に武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが、約3年4カ月ぶりに解放され、10月25日に帰国したことがある。
 この安田さんの解放・帰国について、朝日新聞は驚くほど大量の報道を行った。
 10月24日の朝刊から同日夕刊、25日の朝夕刊、26日朝刊まで、常に1面のトップの扱いであった。
 それだけではない、24日朝刊では11、35面、同夕刊では9面、25日朝刊では2、13、35面、同夕刊では11面、26日朝刊では13、14、34、35面、27日朝刊では38面で報道している。しかも26日の社説と34面の記事以外は、すべて各面トップの扱いなのだ。いかに熱狂した報道ぶりであるかが、分かるだろう。
 自衛隊殉職隊員と安田さん、同じ命の問題であるのに、あまりにも極端な“差別”ではないのか。
 安田さんに家族がいるなら、殉職した自衛隊員にも多くの家族が存在する。朝日新聞の報道姿勢は、殉職自衛隊員とその家族に対して、あまりにも冷酷・非情であると言わざるを得ない。
 もっとも、自衛隊員が戦闘に巻き込まれて殉職した場合は、朝日新聞は安田さんの解放・帰国報道とは比較にならないほどの、大報道を展開することだろう。
2018.12.5
 今年は明治維新から150年にあたり、10月23日には政府による記念式典が開催された。朝日新聞もこの維新150年に注目して、多くの記事を掲載していた。
 まず、同月21日には社説「明治150年 議論を重んじた先人たち」。22、23日には文化・文芸面で「開戦150年」。23、24日には記念式典の記事。そして、23日から29日まで夕刊に5回連載で、刀祢館正明記者による「戊辰の敗者をたどって」が掲載された。
 維新150年をめぐる朝日新聞の記事の特徴は、維新そのものより、戊辰戦争に注目していることであり、特に、戦争で負けた側に立って報道していることである。従って「開戦150年」であり、「敗者をたどって」というわけである。
 では、なぜ朝日新聞は、このような報道を行ったのか。
 それは、連載「戊辰の敗者をたどって」の第3回「長州と仲直り『まだ早い』」を読んで、納得がいった。
 刀祢館記者は、日本記者クラブが9月、戊辰戦争150年にちなむプレスツアーに参加し、福島県会津若松市を訪ねた。会津藩藩校を復元した「日新館」を訪れ、宗像精館長の話を聞いたという。
 この際、「長州といまだに『和解』していないと言われるが」という問いに対し、宗像館長は「そろそろどうかというが、その手には乗らない。黙って、静かに、仲良くしていく。でも仲直りはできない。歴史は消すべきではない」と答えているのだ。
 さらに、宗像館長は「虚言を言うことはならぬ」などで知られる、会津藩士の子弟が学ぶ「什の掟」を挙げて、「これを文部科学省は教科書に載せてほしい。安倍晋三首相も本当のことを言えばいいんだな」と言って、記者たちを笑わせたという。
 また、会津藩・斗南藩に関する著作のある作家の星亮一さんは昨年、「一方的に会津に賊軍のイメージを植え付けた明治政府は間違っていたと、今の政府が認めたらいい。それも長州の首相がいる間に」と、刀祢館記者に提案したという。
 これで得心したのは、朝日新聞による戊辰戦の敗者に対する熱心な報道は、会津への同情というより、長州への批判なのだろうということだ。要するに「安倍政治を許さない」という、安倍バッシングの方針に立脚するのではないかと。
 それは前述した10月21日の社説にある、「新しい時代を切り開こうと苦闘した先人の営みは、議論を避け、仲間内の言葉に酔い、独善がまかり通る『いま』に、警告を発しているように見える」というフレーズと、照応しているわけである。
 なお、戊辰戦争に対する、「勝てば官軍」史観の訂正を主張するのであれば、朝日新聞は「アジア太平洋戦争」に対する東京裁判史観にも、同じ見方を適用しても良いのではないのか。
2018.12.4
 韓国の男性音楽グループ「BTS」による、原爆Tシャツ問題が発覚して、11月9日に予定されていた、テレビ朝日系「ミュージックステーション」への出演が、急遽中止になった。それに続いて、BTSが以前から、ナチス親衛隊のマークがついた帽子をかぶったり、コンサートでナチスを想起させる旗を掲げていた“前科”が明らかになった。
 そこで、米ユダヤ系団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は同月11日、非難声明を発表して謝罪を要求した。
 産経新聞は13日、「同センターのエーブラハム・クーパー副所長は『原爆被害者をあざけるTシャツの着用は、過去をあざけるこのグループの最新の事例にすぎない』と指摘。『BTSは日本の人々とナチスの被害者に謝罪すべきだ』と強調し、BTSの所属会社にも公式な謝罪を求めた」という共同通信の原稿を掲載した。
 産経新聞は翌14日も、「所属事務所は13日、メンバーが過去に原爆のきのこ雲がプリントされたTシャツを着用したり、ナチス親衛隊の記章をあしらった帽子をかぶったりしたことが波紋を広げ、不快感を与えたとして謝罪を表明した」との共同原稿を報じ、サイモン・ウィーゼンタール・センターに、謝罪の書簡を送ったと伝えている。
 一方、朝日新聞の紙面では、11日のサイモン・ウィーゼンタール・センターによる謝罪要求が、他紙と異なって出てこない。BTSの所属事務所による13日の謝罪声明は、14日朝刊にベタ記事として出てくるが、同センターの名前はまったくない。
 ところが、朝日新聞のデジタル版では12日、高田正幸記者が、サイモン・ウィーゼンタール・センターによる謝罪要求を正確に報じているのである。さらにデジタル版は14日、事務所によるセンターへの書簡と同じ内容と思われる、長い謝罪声明の全文を、韓国語から翻訳して報道し、同センターに書簡が送られたことも明記しているのだ。
 私は、これらはBTSを擁護するための、紙面における“隠蔽”ではないのかと感じた。朝日新聞の“BTS擁護”を感じる記事は数々あるが、特に16日の「ニュースQ3」の以下の記事は問題ではないか。
 原爆投下の受け止め方には日本と各国では違いがあるとして、NGO代表の「『原発は絶対悪』という日本の常識は、中韓ではすんなり受け入れられないことがある」という発言や、米ミュージシャンの「尻が長崎のように爆発」という原爆を揶揄する歌詞を紹介。さらに、「米国では、電子レンジで温めることを、『核兵器』という言葉から派生した『nuke』と表現するほどだ」とまで記していた。
 こうまでして、朝日新聞はBTSを弁護したいのだろうか。核兵器はもちろん、原発にまで反対する、朝日新聞の「反核報道路線」が本物なのかと疑わざるを得ない。
2017.9.19
 8月8日、台風の影響で1日遅れで全国高校野球選手権大会が、阪神甲子園球場で開幕した。始球式には、長嶋茂雄氏の次女でスポーツ・キャスターの長嶋三奈さんが登場した。女性が務めるのは24年ぶりとのことであった。
 この始球式は一般の始球式と異なり、使用するボールは朝日新聞のヘリコプターによって、上空から投下されるのが最大の特徴である。このボール投下については、朝日新聞の8月15日付のデジタル版で、動画を含めて紹介されている。
 それによると、1923年の第9回大会における、朝日新聞の飛行機による祝賀飛行からはじまり、戦後しばらくは米軍機が行ったという。52年から朝日新聞機により再開され、56年からヘリコプターが使われるようになった。
 今年は導入されたばかりの「あかつき」号が使われ、「朝日放送のヘリコプターが並んで飛行しながら空撮し、球場の大型スクリーンにその模様が映し出された」とあるから、デジタル版の動画で見られるのが、それなのであろう。
 ボールの投下はボールだけを投下するのではない。ボールには朝日新聞の社旗が結びつけられており、それがひらめきながら落下するわけである。しかも投下の目標として、二塁ベースの後方には、ここにも朝日の社旗が広げられている。なかなか考えられた見事な演出と言えるだろう。
 ただし、ここで疑問を感じざるを得ない。これは果たして高校球児の祭典にふさわしい、セレモニーなのであろうか。
 ボールにも社旗をつけ、地上にも社旗を置く。つまりこれは徹底した朝日の社旗の誇示である。それは朝日新聞という組織の誇示であり、つまり宣伝である。いくら主催者といえども新聞社という一私企業であり、高校生のスポーツイベントの精神に合致しているとは、とても思えない。
 また甲子園の大観衆の上空を、ヘリコプターが飛行することは、万一の場合を考えると、その安全性に危惧を抱かないわけにゆかない。しかも朝日放送のヘリコプターと並行飛行している。
 別に一般的な始球式のやり方で良いではないか。それとも、朝日新聞のヘリコプターは、オスプレイと違って、絶対に墜落しないのであろうか。
 なお、大会が終了した翌8月24日の社説「『甲子園』閉幕 歴史の重みを受け継いで」は、実に興味深い。優勝した花咲徳栄高校が大阪府吹田市の平和祈念資料館を訪れたこと、準優勝の広陵高校の選手は原爆投下の時刻に黙祷したこと、横浜高校の増田珠選手は長崎出身で祖母は広島で被爆したことなど、戦争に絡めた話題に終始している。
 高校野球まで、反戦に利用したいらしい。

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