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 私は看護師の愛子.最近ようやくこの診療所にも患者さんが多く訪れるようになり,今日の診療も外が暗くなるまでかかった.先生も先に帰り,私は片付けと戸締りを任されて,一人で奥の待合室と手前の受付とを行き来していた
 午後八時頃だろうか.私は待合室のソファーでつい居眠りをしてしまった.翌朝眩しい太陽の光で目が覚め,私は飛び起きた.急いで片付けを済ませて家に帰ろうと扉をガラッと開けると,思わず落っこちそうになった.目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ
 診療所は,一晩でどの位流されたのだろうか? 
 いや,町が大きな海へと姿を変えてしまったのかもしれない.助けを呼ぼうとしたが,電話もつながらない.私は途方に暮れてしまった
 あくる朝,私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました.扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽,今にも潮に流されてしまいそうになって浮かんでいた.私はカモメを一生懸命に手当てした.その甲斐あってか,カモメは翌日元気に,真っ青な大空へ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立って行ったのであった
 それから怪我をした海の生き物たちが,次々と愛子の診療所へやって来るようになった
 私は獣医の資格は持っていないながらも,やって来た動物たちに精一杯の看護をし,時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした
 愛子の名は海中に知れ渡り,私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである.そう.愛子の診療所は,正に海の上の診療所となったのだ
 今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し,沢山の勇気と希望を与えていることだろう
 出典:学習院女子中等科・高等科『生徒作品集』(平成26年度版)
宮内庁は2017年3月22日,皇太子ご夫妻の長女,敬宮愛子さまが学習院女子中等科を卒業するにあたり,記念文集に書かれた「世界の平和を願って」と題した作文を公表した
 卒業をひかえた冬の朝,急ぎ足で学校の門をくぐり,ふと空を見上げた.雲一つない澄み渡った空がそこにあった.家族に見守られ,毎日学校で学べること,友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう.なんて平和なのだろう.青い空を見て,そんなことを心の中でつぶやいた.このように私の意識が大きく変わったのは,中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである
 原爆ドームを目の前にした私は,突然足が動かなくなった.まるで,七十一年前の八月六日,その日その場に自分がいるように思えた.ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム.写真で見たことはあったが,ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた.平和記念資料館には,焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱,熱線や放射能による人体への被害,後遺症など様々な展示があった.これが実際に起きたことなのか,と私は目を疑った.平常心で見ることはできなかった.そして,何よりも,原爆が何十万人という人の命を奪ったことに,怒りと悲しみを覚えた.命が助かっても,家族を失い,支えてくれる人も失い,生きていく希望も失い,人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか.私には想像もつかなかった
 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは,被害にあった人々の苦しみ,無念さが伝わってきたからに違いない.これは,本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった
 その二週間後,アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され,「共に,平和を広め,核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた.オバマ大統領は,自らの手で折った二羽の折り鶴に,その思いを込めて,平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ.私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた.私たちの千羽鶴の他,この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴,世界中から届けられた千羽鶴,沢山の折り鶴を見たときに,皆の思いは一つであることに改めて気づかされた
 平和記念公園の中で,ずっと燃え続けている「平和の灯」.これには,核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている.この灯は,平和のシンボルとして様々な行事で採火されている.原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき,平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた.間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って,皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ,原爆ドームが守られているように思われた.「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった
 平和を願わない人はいない.だから,私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う.しかし,世界の平和の実現は容易ではない.今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる.では,どうやって平和を実現したらよいだろうか
 何気なく見た青い空.しかし,空が青いのは当たり前ではない.毎日不自由なく生活ができること,争いごとなく安心して暮らせることも,当たり前だと思ってはいけない.なぜなら,戦時中の人々は,それが当たり前にできなかったのだから.日常の生活の一つひとつ,他の人からの親切一つひとつに感謝し,他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか
 そして,唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は,自分の目で見て,感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う.「平和」は,人任せにするのではなく,一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから
 「平和」についてさらに考えを深めたいときは,また広島を訪れたい.きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう.そして,いつか,そう遠くない将来に,核兵器のない世の中が実現し,広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている
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