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ノーベル文学賞“3年連続的中!”話題本の著者に直撃 村上春樹さんの受賞は? 2019.10.8
毎年、村上春樹さんの受賞があるかどうかで 日本中の 関心が集まるノーベル文学賞。誰が受賞するのか予測が難しいことでも知られますが、その文学賞の受賞者を“3年連続で的中させた”と話題になっている本があります。「え!あの人がノーベル文学賞?」と多くの人が驚いたボブ・ディランさんも“的中”させた1人。どうして“的中”させることができたのか。ことし、村上さんの受賞はあるのか?中心となった著者に直撃しました。
ことしは2年分! 注目集まる文学賞
日本人では、昭和43年に川端康成さん、平成6年に大江健三郎さんが受賞していますが、去年は、選考を行うスウェーデン・アカデミーのセクハラなどのスキャンダルで発表が見送られました。
このため、賞が復活することしは、2年分の受賞者が発表されます。
その発表を前にひそかに話題になっているのが、2014年に出版された本。日本人の研究者などが世界中にいる作家の中から選んだ27か国の38人を「ノーベル文学賞にもっとも近い」作家として紹介しています。出版された年の受賞者は外したものの、翌年から3年連続で本で紹介された38人の中の作家が実際の受賞者に選ばれ、関係者を驚かせました。
まず2015年は、旧ソビエトの実態を描いたベラルーシの女性作家、スベトラーナ・アレクシェービッチさん。
続いて2016年は、ベトナム戦争に反対する歌が人気を集めたボブ・ディランさん。「え!ボブ・ディランが文学賞?」と驚いた方も多かったですよね。そして2017年、長崎生まれのカズオ・イシグロさん。イシグロさんは、世界的な人気作家で納得という声もある一方、62歳という若さでの受賞に少し予想外という声もあったそうです。
このように次々と受賞者を“的中”させていったこの本。いったいどのようにして“的中”させることができたのか。ノーベル賞の取材を担当する記者としては気になります。そこで、その中心的役割を担った早稲田大学文学学術院の都甲幸治教授に直撃してきました。すると返ってきたのは意外な答え。「作家選びでは、メディアが報道する受賞者予想は参考にしましたけど、受賞者を当てるための特別な作業はしませんでしたよ」というのです。
では、なぜこれだけ受賞者を当てることができたんですか?、とその理由を尋ねると「最も重視したのは研究者たちの思い」なんだそうです。38人の作家を選んで紹介しているのは、都甲さんたちが声をかけて集まった日本各地の研究者ら23人。都甲さんは「アレクシェービッチさんにせよ、ディランさんにせよ、当時は当たると思っていませんでした。でも皆、とにかくいい書き手を紹介したいという思いで取り上げたんです。何の計算もせずアメリカ文学からアフリカ文学まで世界各地の文学を網羅する研究者が『心から日本の人たちに紹介したい』と思っている作家を選ぶという方針が受賞者の“的中”につながったのかなと思います」と話してくれました。
そして「海外の文学作品はその国に生きている人たちの感覚を凝縮したもので、外国を深く体験させてくれます。ノーベル賞だからといって苦手意識を持たずに、ぜひ多くの人に読んでもらえるとうれしい」と文学への思いを熱く語ってくれました。
そんな都甲さんの思いを受け止めつつ、でも記者として気になるのは、毎年期待が高まる村上春樹さんの受賞があるのかどうか。都甲たちが選んだ38人の作家の中には、村上さんも含まれています。ではことしの受賞は?とズバリ、尋ねてみました。
都甲さんによりますと、2年分の受賞者が発表されることしは、ヨーロッパやアジアなど異なる地域の2人が受賞する可能性があるのだそうです。
「去年のスキャンダルはとてもひどいものだったので、汚名返上のため誰もが知っている有名な作家を選ぶのではないでしょうか。その意味で、村上春樹さんが受賞する可能性はあると個人的には思っています」と都甲さん。
では、その可能性とはどのくらい?と思い、「何%ぐらい可能性はありますか」と再び尋ねてみると・・・。「10%ぐらい」(都甲さん)なんだそう。 あれ、意外に低いなと思ったのですが、都甲さんいわく「10人に1人の可能性であたるということなので、かなり高いですよ」ということでした。
多くの人が注目する村上さんですが、都甲さんによると、もうひとり注目しておくべき日本の作家がいるそうなんです。実は、この本が出版されたのは5年前の2014年で、その後に急速に期待が高まってきた方だそうです。
その作家とは、多和田葉子さん。1993年に芥川賞を受賞し、去年は、アメリカで最も権威のある文学賞「全米図書賞」も受賞しました。いま世界的に知名度が高まっているそうです。
川端康成さん、大江健三郎さんに続く3人目の受賞となるか、ことしもノーベル文学賞から目が離せません。

村上春樹「日本は周辺国にきちんと謝るべき」 2015-04-17
敗戦70周年「安倍談話」控え、謝罪・反省を促す(侵略したという大筋は事実…謝罪は恥ずかしいことではない)
 日本の著名な作家である村上春樹氏(66)が、日本が変化した国際情勢の中で周辺国と調和を作り出して生きていくためには、周辺国が納得するまで謝るという歴史意識を持たなければならないと見解を明らかにした。
 村上氏は17日付の東京新聞とのインタビューで、韓中日3カ国間が現在尖鋭に対立している歴史認識に関する質問を受けて、「今、東アジアには大きな地殻変動が起きています。日本が経済大国で、中国も韓国も途上国という時には、その関係の中でいろんな問題が抑え込まれていました。ところが中国、韓国の国力があがって、その構造が崩れ、封印されていた問題が噴出してきている。相対的に力が低下してきた日本には自信喪失みたいなものがあって、なかなかそういう展開を率直に受け入れることができない」と答えた。
 彼は続けて「(3国が新しい均衡を見出す時まで)落ち着くまでにはかなりの波乱があるのでしょうね。中国経済がこのまま成長していくかどうかもわかりません。ただ歴史認識の問題はすごく大事なことで、ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけれど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから」と自身の見解を明らかにした。
 村上氏の今回のインタビューは、安倍晋三日本首相が敗戦70周年を迎えて発表する予定の「安倍談話」に植民支配と侵略に対する痛切な謝罪と反省という字句を事実上除く方向でまとまりつつある中で出てきたもので注目を集めている。
 彼はこの日、原発に対しても「核が核爆弾を連想させ、原子力が平和利用を連想させるので原子力発電所と言いかえているのでしょう」として、原子力発電所を核発電所と呼ぶことも提案した。
 村上氏は以前にも日本が過去の過ちときちんと向き合わなければならないという信念を繰り返し明らかにしている。彼は昨年11月、毎日新聞とのインタビューでも「私は日本が抱いている問題に共通して“自己責任の回避”という要素があると感じる。1945年の終戦(敗戦)に対しても、2011年の福島第1原発事故に対しても、誰も責任を負おうとしない」と話したことがある。
東京/キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 2018年のノーsana10akilaベル賞が次々に発表されている。
 例年、各分野の受賞者に大いに関心をもっているが、文学賞については、今年初めに選考機関のスウェーデン・アカデミーで、女性選考委員とその夫にまつわる不祥事から該当者選びどころではなくなり、今年分は来年に発表されることになった。
 このため、例年喧噪を極める村上春樹氏の名前が聞かれないことで、ある種の安堵感を感じている。
 いかなる分野にしろ、ノーベル賞受賞者が出ることを待ち望むが、こと文学賞に関しては大江健三郎氏の受賞に辟易した記憶から、村上氏が噂になるだけで同様の感じを抱いてきたからである。
 村上氏は「等身大の文学を拓いた」と評する人もいるが、筆者が嫌悪感を抱く理由は、検証されていない歴史認識・・・ざっくり言えば中国の政治的誇大宣伝・・・を大衆迎合的に取り上げる姿勢に疑問をもつからである。
 もう一つ追加するとすればあまりに軽すぎるセックス描写である。
 『日本にノーベル賞が来る理由』の著書もある作曲家で指揮者の伊東乾氏によると、アルフレッド・ノーベルの遺言の趣旨からするノーベル賞の設置意図は「人類全体に対して、最大の公益をもたらした人を顕彰する」ものだという。
 また、文学賞は「literatureのfieldにおいて、理想を指し示す方向で最も際立った仕事/作品を生み出した人物に与えられる」と規定され、作品の売り上げや作家の人気度には一切関係ないという。
 「literature」は「小説」ではなく詩、戯曲、はたまたジャーナリズム、社会評論、哲学、ノンフィクションでも構わず、ともかく「文筆という領域」であればいいらしい。
 日本では川端康成などの作家が受賞してきたが、サルトル(哲学者・受賞辞退)やチャーチル(政治家・自伝作家)、スヴェートラーナ・アレクシエーヴィッチ(チェルノブイリを告発したノンフィクション作家)、ボブ・ディラン(シンガー・ソング・ライター)など、小説家でない人も受賞している。
 「混乱の時代に、皆が進むべき道を見出せなくなり、踏み迷っている。そんななかで『これだ!』という明かりを見せる、希望の光を明確に示すような貢献をした人を、アルフレッド・ノーベル記念財団は、ノーベル文学賞の授与対象として選ぶのです」と伊東氏は語る。
 そして、次のように明言する。
 「アカデミーが刷新して 頭がおかしくなってしまわない限り、この作家がノーベル文学賞を受けることはないと認識しています」
 「別段、罵詈雑言でもなければ批判ですらありません。大衆小説作家が芥川賞にノミネートされないというのと同じくらい、根拠のはっきりした『お門違い』だからです」
 「文学賞の選考に関わるまともな人で、村上氏を候補と考えている人はいないと思います」
 村上氏のノーベル文学賞受賞を願ってやまないハルキストたちにとっては死刑宣告にも等しい謂いであろうが、要はノーベル文学賞の本質が分かっていないということであろう。
 伊東氏はオウム真理教事犯で13人が死刑執行されたことに関連して、「この種のタイミングで、必ずと言っていいほどピントのボケた文を発表する村上春樹氏」と批判し、
 「事件後にデータマンやスタッフがおんぶにだっこで作ったインタビュー集を既成事実のごとく前提として、一般読者がなるほど、と思うような、本質と無関係なファンタジーを書き連ねる点」を指摘する。
 その一つが海外向けと国内向けの二重基準である。
 「英語やスウェーデン語で国際社会の歓心を買いそうなヒューマニズムのポーズを取る際には、トレンドどおり『死刑制度そのものに反対』と宣伝してみせ、返す刃で、こちらは必ず日本語だけですが、死刑存置の世論が高い国内読者向けには、『「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる』と、時と場所によって見解を使い分けていることを自ら露骨に記してしまいました」という。
 そして、「現状を追認し、およそ理想的な方向に国内外世論を導かないのみならず、こうした現実を自己PRに利用する姿勢そのものに、倫理の観点から強い疑問を抱かざるを得ません」と締めくくる。
 ネット検索すると、作家・評論家で元東大総長の蓮實重彦氏や評論家の柄谷行人氏などからも「厳しい言葉を浴びてきた」ようだ。
 ストックホルムで活躍するジャーナリストで「ノルウェイの森」など7冊の村上作品を共訳しているデューク雪子(50)氏は「アカデミーから漏れ聞こえてくる声は『才能は十分認めるが......』なんです。『......』をはっきりは言わないんですが、何かが望まれている。深みというのか......。軽すぎると思われているんじゃないですかね」と語っている。
 村上氏が米国の敏腕の出版代理人と組んで声価を上げ、ベストセラーを連発していったことから、「商業主義的な作家」とみなされ、アカデミーの「重厚好み」とはズレがあるかもしれないという批判もある。
 当然ながら、肯定的な評価もある。
 日本の近現代文学を研究し、イタリア文化会館東京館長を務めるジョルジョ・アミトラーノ氏は、「村上は世界のどの作家の追従も許さないほど、現代という時代の本質をつかみ取っている」と断言している。
 不安な時代をどう生きるか――。ポップな文体で重いテーマを語り、ドストエフスキーを敬愛していることでも知られると評価される村上氏でもある。
 しかし、「重いテーマ」を語っている割にはセックスや歴史認識などでは能天気に軽い記述としか思えない部分がある。
 最近のノーベル文学賞の受賞者の経歴や受賞理由は、「重い」方に傾いているとされる。
 2014年受賞のパトリック・モディアノ(仏)は、ナチス・ドイツ占領下のパリで、ユダヤ系イタリア人の父と、ベルギー人女優の間に生まれた作家で、「最も捉え難い人々の運命を召喚し、占領下の生活世界を明らかにした記憶の芸術」で授与された。
 2015年受賞の女性作家スヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ(ベラルーシ)はベラルーシ人の父とウクライナ人の母の間に生まれ、『チェルノブイリの祈り』で「我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述」が授与理由であるが、自国(ベラルーシ)では出版できなかったという。
 こうした授与理由から、日本人作家では村上氏よりも、むしろ「水俣」をテーマとする石牟礼道子氏の方が有力ではないかと思う人さえいるようだ。
 ハルキストたちはカズオ・イシグロが受賞した時は一瞬がっかりもしたようであるが、同時に両者には類似性が見られるらしくイシグロの受賞に納得したとも言われる。
 イシグロの作風はリアリズム小説あり、SF仕立て、あるいはファンタジーの趣のものなど、多岐にわたる。
 しかし、どの作品にも共通して、人間の生が抱える原理的な不自由、すなわち「運命の囚われ人」を描いていることだといわれる。そのテイストはカフカに近いという人もいる。
 スウェーデン・アカデミーがイシグロへの授与で挙げた理由は、「偉大な感情の力をもつ小説で、われわれの世界とのつながりの感覚が不確かなものでしかないという、底知れない淵を明らかにした」であった。
 村上作品に登場するのも、多くの場合、疎外意識をもった人物ではあるが、その不自由さはイシグロの登場人物ほど切羽詰まってはいないと評される。
 イシグロの世界では「意のままにできない現実」のただ中に否応なく巻き込まれる人物であるのに対して、村上ワールドの人間は自分を取り巻く「なじめない状況」に距離を保ち、これと批判的に関わるという「重さ」の違いがあるようだ。
 こうしたことから、イシグロの作品が「深刻な印象」を残す点で過去の大文学に近い読後感を与え、真剣に向き合うには相当の覚悟がいるとされる。
 他方で、村上作品は「等身大」で読者にとっては読みやすく、ベストセラーも出やすいといわれる。
 筆者には村上氏の初期作品『風の歌を聴け』の印象が強く残っている。特にセックスについての記述があまりに軽いといったネガティブな印象でである。
 架空の話として「彼女は海岸の避暑地にやってきて、最初から最後までオナニーするんだ。風呂場だとか、林の中だとか、ベッドの上だとか、海の中だとか実にいろんな場所でさ」という記述ある。
 他方で、「僕はこれまでに三人の女の子と寝た」と述べ、順番に述べていく。
 「最初の女の子は高校のクラス・メートだったが、・・・僕たちは朝日新聞の日曜版の上で抱き合った。僕たちは高校を卒業してほんの数カ月してから突然別れた」
 「二人目の相手は…ヒッピーの女の子だった。16歳で一文無し、…一週間ばかり僕のアパートに滞在した。彼女は毎日昼過ぎに目覚め、… 時折僕と気のなさそうなセックスをした」「三人目の相手は…」と続く。
 また別のシーンでは、「私とセックスしたい?」「うん」「御免なさい。今日は駄目なの。…手術したばかりなのよ」…「ねえ、もしどうしてもやりたいんなら、何か別の…」といった会話もある。
 若者の「等身大」の表現かもしれないが、倫理観や道徳が心にのしかかる。紙上などの書評を読む限り、『劇場』(又吉直樹)や『地球星人』(村田沙耶香)などの方が「重い」ように感じてしまう。
 南京事件に関しては『南京戦史』など直接の関係者らの言行などを集めて編纂された浩瀚な資料もある。
 それによると、南京で起きたことは上海戦に続く「掃討戦」で、死者は市民や婦女子ではなく、掃討戦に関わった兵士たち(中国の督戦隊による自国軍殺戮や日本軍による反乱捕虜鎮圧も含む)である。
 日本軍の南京入城に先立ち、ラーベ(独)を委員長に「安全区」が設けられ、城内の中国市民は全員安全区に避難した。
 このため、殺されるような市民はいなかったわけで、当時の駐仏中国大使で国際連盟代表も兼ねていた顧維鈞が国際連盟における会議で、「兵士」2万人が殺されたと提訴している。
 それが、中国の宣伝意図のもとに「市民」2万人となり、次いで最弱者の「婦女子」2万人に変容する。
 東京裁判では「(市民)57418人」と一桁まで数え上げられ、中国人専門家も疑問視したほどである。共産党政権になると一気に「(市民)30万人」に拡大して、南京の記念館にも掲げている。
 戦闘直後の顧維鈞代表の発言を重視する筆者にとっては、その後の拡張数字は、日本を貶めようとする中国独特の三戦(世論戦、心理戦、法律戦)の一種以外の何ものでもない。
 この過程が示すように30万人自体がとんでもないデマゴーグである。
 ところが、村上氏は『騎士団長殺し』で、「一九三七年七月七日に盧溝橋事件が起こり、それをきっかけに日本と中国の戦争が本格化していきます。そしてその年の十二月にはそこから派生した重要な出来事が起こります」
 「(中略)いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占領し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました」と平然と記述する。
 続けて「日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます」と述べる。
 この記述自体はイデオロギーでも40万人の断定でもないが、そんなことにはお構いなしに、「著名人」が書いた「40万人」として、歴史戦に利用価値を見出すのが中国である。
 盧溝橋事件から3週間後に中国軍が日本市民250余人を一晩に虐殺した通州事件が起きた。
 中国が起こした虐殺事件で記者などもほとんどいなかったが、生き延びた僅かな人々による事件の記録が生々しく残された。
 『女人平家』で人気作家の吉屋信子は事件から1か月後に取材する。そして書ききれないほどの事実を現場で発見し記録した。
 中国軍が行った蛮行だから中国側は早急に隠蔽したかったであろうが、至る所に証拠は散在していたのだ。
 他方で、南京での掃討戦は6週間続き、件の数の市民を日本軍が虐殺したと中国側は主張する。
 朝日新聞や毎日新聞、同盟通信社などそれぞれ従軍記者や写真家、画家などを各50人前後、外国の新聞や通信社なども含めると総勢200人を超す記者などが南京にいた。
 石川達三などの小説家もいた。しかし、誰一人として大量虐殺というものものしい報道をしなかったし、記事も書かなかった。
 当時のアサヒグラフなどは路上でにこやかに散髪している写真や、菓子をもらった中国人の子供が喜んでいる写真を掲載している。虐殺の痕跡などどこにも見当たらない。
 女流作家として吉屋と張り合い、従軍記事も好んで書いた『放浪記』の林芙美子も、また虐殺が続いていたとされる年末から正月にかけて取材する。
 日本軍の蛮行となれば何でも誇大宣伝したい中国は好んで証拠を残したであろうが、林は何一つ見つけることができなかった。
 それどころか、『女性の南京一番乗り』で、「玄武湖の元旦の景色はなごやかなものだ。昨日まで馬や支那兵の死骸を見てきた眼には、全く幸福な景色である。立ってゐる歩哨の兵隊さんも生々してゐるし、街には避難民達がバクチクを鳴らしてゐる。バクチクの音は耳を破るやうにすさまじく鳴ってゐて、その音をきいてゐると、わっと笑声を挙げたいほど愉しかった」と記している。
 翌二日も「南京上空には敵機の空爆があったさうだけれども、私は、日当りのいゝ徐堪の宿舎の二階で、故郷の友人達へ宛てゝ年始状を書いてゐる長閑さであった」と書いているではないか。
 批判者は、『ラーベ日記』にある事件などを持ち出して、軍の検閲が厳しく、真実が書けなかったともいうが、ラーベ日記に書いている事件も、虐殺とは程遠い略奪や強姦、放火などで、しかも日本軍とは限らず、また件数も2桁台、人数にして数十人でしかない。
 従来、南京について語る人は、局所的に南京事案だけを取り上げて云々してきた。
 しかし、中国軍の蛮行である通州事件、そして上海戦、続く日本軍の蛮行とされる南京事件を相対的に見て比較検証すれば、実体が火を見るよりも明らかに浮かび上がってくる。
 国民党時代の蒋介石は「タイプライターで戦争している(すなわち宣伝戦)」と、中国軍にも従軍した米人記者が種明ししている。
 共産党政権になってからは「愛国虚言」で、大きな嘘ほど大きな愛国心の証として一層歓迎されるようになる。こうして、「兵士2万人」の戦死は、いつの間にか「市民30万人の虐殺」に拡大されたのだ。
 ちなみに、支那事変で日本軍が与えたとする320万人の死傷(「市民を盾にしないように」という日本の提案を蹴って蒋介石は上海戦で市民を巻き込んだ。その後、黄河決壊作戦を展開して市民100万人を水死させ、日本軍は追撃をやめ10万人を救助する。このように、320万の多くが中国側自身によるものである)も、江沢民政権になると3500万人に拡大した。
 伊東氏が「一般読者がなるほど、と思うような、本質と無関係なファンタジー」と批判したように、南京の「40万人」も「データマンやスタッフにおんぶにだっこ」で、読者の歓心を買おうとしたのであれば、日本の名誉、特に軍人の名誉にかけて許されることではないであろう。
 あまり政治的主張を公にしてこなかった村上氏が、近年は政治的主張を発信するようで、一部では「大江健三郎化」と言われているようだ。それを「ノーベル文学賞」狙いと評する人もいる。
 「エルサレム賞」の受賞で、イスラエルに行き、「壁と卵」と題したスピーチで、「私は常に卵側に立つ」、「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」と、強者より弱者の立場に立つことを強調したことに象徴的に表れたとされる。
 「シオニズムにせよイスラム原理主義にせよオウム真理教にせよ、それが宗教であれイデオロギーであれ、ある種の『原理主義』に魂を委譲してしまう人たちは、『原理原則の命じるままに動くようになる』ために、極めて扱いづらい危険な存在となっていく」という発言などから、ネット上では炎上したようである。
 原発や尖閣諸島問題でも、ネット上では「日本政府の背後から銃弾が炸裂するように、思い切り国益に反する発言を続けざまにしていた」などの批判が見られる。
 当時の南京市民は20万人であったことが確認されており、そもそも40万人虐殺などファンタジーでしかあり得ない話である。
 それとも、文芸評論家の田中和生氏が「混沌化が増す村上春樹の世界」(『WiLL』2017年5月号所収)で書いたように、日本(軍)による「自明の悪」としたかったのだろうか。
 たとえ伝聞の形をとった小説でも、歴史に無神経に向き合えば、日中間の政治問題に発展しないとも限らない

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