毎日十里余り歩いて、毎朝腰が上がらない。
南京が近くなったので毎日、遊軍機は飛び、攻略戦に早く参加すべく兵の士気があがった。 道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、泥んこで休憩する場所もなく立ちっ放し。 体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった。 南京南方六里の秣陵関に到着した。 南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。 秣陵関を出発すると、野戦病院が仮設されており、多くの将兵が収容されていた。 第三大隊だけで三百名が戦死傷した。 西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、猛進を続け、吾々のいた壕にも敵弾が盛んに飛んでくる。 ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米、城壁の高さは二十米あり、千二百発の砲弾で城壁を崩し、西山隊も十二日夜城壁をよじ登って突入した。 残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。 夜中になって銃声も止み、民家で休憩する。 南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる。 支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、死体も数十ありたり。 17日午前九時半集合、正午南門を発する予定…十時には早くも出発。 南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を大分見つけた者もあるやうです。 残幣を何万円も見つけた者があって、将校はいちいち取り締まらなければならないので、困ったことだ。 |