憲法の型枠に押し込められ国際標準外で彷徨う自衛隊
 南スーダンのPKO(国連平和維持活動)に派遣されている自衛隊に、新たに付与された《駆け付け警護》任務が間もなく適用される。
 日本政府は国際社会の協力要請がある度に、自衛隊の任務を、空文に覆い尽くされる日本国憲法のいびつな型枠に無理やり押し込め、体裁を取り繕った上で派遣してきた。国家による武力行使は国連憲章が禁止するが、国連自らが主導するPKOで認められた武器使用まで禁じる道理がない。
 ところが、憲法は、国連が集団安全保障の傘をかぶせたPKOで許可する国連の武器使用基準の大半を禁じる。安倍晋三政権が唱える「積極的平和主義」の下、世界平和に向け自衛隊が海外で活躍する場が増えるよう、小欄は願う。
 ただ、国際スタンダードで運用できる環境の確保が不可欠だ。確保できない現下の環境では、自衛隊を日本軍だと認識する国連や、PKOで連携する外国国軍に「何でもできる」との誤認識をもたらし、悲惨な結末を生みかねない。いや、駆け付け警護に関しては、既に誤解が…。
 書いている最中に恥ずかしくて冷や汗が吹き出たが、憲法が奨励する日本の国際貢献と実行動が、あきれるほどかけ離れている実態を実証すべく、まずは憲法前文のおさらいを。
 《平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない》
憲法前文無視の護憲サヨク
 「国家・国民は憲法を守るために存在する」と倒錯する左傾の政治家やメディア。駆け付け警護で高まる「自衛官へのリスク=命」を心配するフリをし、政争の道具として悪用するほど憲法前文の精神とのかい離が際立っていく。あら、不思議。護憲の政治家やメディアに突出して「憲法前文無視」が多い。
 国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)のマンデート(委任された権限)は2013年12月の政府分裂に伴う騒じょうを受け、設立当初の《国づくり支援》が《文民の保護》へと変更された。北部を中心に、人道上の危機的情勢に収束の見通しが立たない上、民族対立にも歯止めがかからなくなっているのだ。
 わが国も《全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認》したからこそ、PKOに自衛隊を派遣し続けている。
 《専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会》の一員として活動する国連や非政府組織(NGO)の職員らが危難に陥ったとき、救いの手を差し伸べる任務が駆け付け警護である。しかし、左傾の政治家やメディアはかかる人道措置に反対の大合唱。《自国のことのみに専念して他国を無視してはならない》とする、憲法の精神を徹底的に踏みにじる。
 信仰の対象でもある憲法の軽さをサヨクが体現している奇観だが、南スーダンに派遣される自衛隊もまた《自国のことのみに専念して他国を無視》する苦境に立たされるやもしれない。国際スタンダードを逸脱した憲法の異常性が淵源だ。
 わが国は2012年以降、南スーダンに自衛隊を送り出し、現在派遣中の部隊が11次隊となる。編成は施設科主体の350人。施設科とは、国際的には工兵を指す。国軍保有を禁じる憲法との整合性を図る政治努力の産物だ。
 南スーダンへの自衛隊派遣部隊は主に、国連施設や道路・橋梁・排水溝などを整備・建設している。技術力はもちろん、工期に間に合わせる律義さや、現地の人々に惜しみなく技術を伝えるやさしさは、どの国でも畏敬の念をもたれる。
 一方、歩兵は普通科と称されるが、先述の施設科と同じ理由で付けられた「珍名」だ。小欄は講演後、聴衆の主婦に「普通科の他に商業科もあるのか?」と質され、うなった経験を持つ。主婦の認識が常識的で、憲法が非常識なのだ。
 別に横道にそれたのではない。国内的に職種(これも軍隊では兵科と呼ぶ)名を糊塗したところで、能力も英語名も同じ。国連やPKOで連携する外国国軍は憲法や国内法の自虐的制約も知らない。練度や規律の高さ、秀でた装備を目の当たりにすればなおのこと、日本軍だと認識する。
 従って、自衛隊との連携はミリ・ミリ(軍と軍)関係だと信じて疑わぬ。
 ここより先は、PKOの直接派遣元・陸上自衛隊中央即応集団の前司令官、川又弘道・退役陸将の論文や川又氏への取材を基にして、筆をすすめる。川又氏はモザンビークやルワンダ、ハイチへの自衛隊派遣に深く関わり、東ティモール派遣部隊の現地指揮官を経験。中央即応集団司令官時代は南スーダン派遣の総指揮を執った。
 PKOには人種/宗教/文化/イデオロギー…などを異にする国軍が集結する。多国籍の国連平和維持軍(PKF)を効果的かつ効率的に運用すべく、様々な教範や訓練基準、作戦規定を定め、部隊供給国にそれらに準拠した訓練を積んだ部隊を送るよう求めている。現地で活動するPKFは師団のように機能が分化され、各国部隊は歯車として決められた役割を果たし、各国部隊の力を結集して任務が完遂される。
工兵は他国の歩兵に守られるのが原則
 駆け付け警護任務は、国連事務局PKO局発刊の《歩兵大隊マニュアル》の中で割り当てられる。マニュアルによると、歩兵部隊の《主たる任務》は工兵といった歩兵以外の各国の部隊・宿営地、文民に向けた警備・警護の提供だ。駆け付け警護は《救出・撤退》という名称でマニュアルに記載されるが《その他の任務》に属する。
 つまり、駆け付け警護は歩兵部隊の任務ということ。ひるがえって、自衛隊が派遣しているのは施設(工兵)部隊を核とする350人。内、駆け付け警護は普通科(歩兵)で編成した警備部隊60人が担う。
 英軍や韓国軍、バングラデシュ軍も南スーダンに工兵部隊を派遣中だが、《工兵マニュアル》に沿い、随行する歩兵は10人程度で、本部直轄で班を構成する。自衛隊ほど多数で半ば独立した警備部隊を抱える工兵部隊は皆無。繰り返すが、歩兵大隊マニュアルで、工兵部隊や宿営地、文民は他国の歩兵部隊に守られる分担方式が定められているためだ。
 自衛隊の編成は以前と変わらぬが、今回は国連の反応・対応に違いが生じた恐れがある。日本はこれまで、国連に提出する計画書類に、歩兵部隊任務を書き入れたことはなかった。国連では、自衛隊が工兵部隊にしては多めの歩兵部隊を連れてきている点は把握していた。が、日本がPKOに参加する上での自衛上の留保条件だと理解した。けれども、今回は駆け付け警護を計画書に「付加」した。
 「付加」は憲法がタレ流す毒性を象徴した。自衛隊の活動計画は全て、できる項目を羅列する《ポジティブ・リスト》で策定される。自衛隊がクーデターをくわだてるとの妄想がこうじ、法律・規則条文で洗いざらいを書かせる悪習が慣習化した。即断・即決して行動に移さねばならぬ軍隊では、やってはいけないことのみを網羅する《ネガティブ・リスト》が常識なのに、だ。習い性とは恐ろしいもので、わざわざ駆け付け警護を国連に説明してしまったのだった。
 折しも今年7月、南スーダン政府軍と前第1副大統領派の間で紛争が起き、300人が死亡。国連安全保障理事会は歩兵部隊を中心に4千人の増派を決議した。南スーダン各地に散らばる各国文民の救出に、自衛隊が「やる気」を起こしたと、国連が認識したかもしれぬのだ。
 自衛隊の練度・装備・規律に申し分はないが、憲法の改正や解釈のダイナミックな変更、国内法の規制を撤廃し、国連標準の武器使用ができるように日本が目覚めぬのなら、事実上丸腰に近い自衛官を死地に追いやるに等しい。では、断れるのか? 国連の外国人救出要請を断りながら、自衛隊が邦人限定の駆け付け警護を実施すれば、いかに批判されるか。そもそもPKFでは、国籍・人種にかかわらず文民保護を成し遂げよ、という大原則が存在する。
サヨクが聞いたら卒倒する国連武器使用基準
 南スーダンでの国連武器使用標準は、サヨクが聞いたら卒倒する。
 北部の国連民間人保護キャンプが今年2月に襲撃され、住民やNGO《国境なき医師団》のメンバーが殺害された件で国連安保理事会は、南スーダン政府軍がキャンプ内に侵入し攻撃・略奪・放火したと断定。PKO担当国連事務次長は「今後、文民保護を確実にするべくROE(交戦規定)の徹底を図る」と明言した。国連は各国部隊に、相手が南スーダン政府軍であろうと「文民を何が何でも守り切れ」と要求したのである。
 既に、人質を射殺している現場などでは、警告なしの《致命射撃》を認めてもいる。
 国連キャンプのケースで、自衛隊は邦人を保護できない懸念がある。「国連公認の戦闘」までダメ出しする憲法との整合性を苦し紛れに採る《PKO参加5原則》では、紛争当事国(組織)間の停戦合意が成立しなければPKOを離脱せざるを得ない。南スーダンはまごう事なき紛争当事国だ。
 もともと「軍隊ではない自衛隊」は駆け付け警護なる新任務を与えられても武器使用は相変わらずお巡りさんの手順。(1)粘り強く交渉し→(2)武器で威嚇し→(3)空などに向け警告射撃し→(4)それでも発砲してくるのなら、やっと応射が可能になる。
 驚くべきことに、自衛隊のPKO初陣となった、国政選挙で選挙監視を行うカンボジアで活動した1993年時代と比べ、武器使用基準は進歩していない。
 カンボジアでのPKOで、国連ボランティアと警察官の2邦人が殺された。自衛隊は当時、情報収集活動時に自衛官を邦人関係者の活動地点に立ち寄らせ、襲撃に遭遇した際には、邦人の盾となり正当防衛・緊急避難=警察権上の応射条件を創り出す、捨て身の武器使用を覚悟した。
 憲法は条文も解釈も放置されたまま。結果、「見捨てられない」といった熱情が支える「自然権」と正当防衛・緊急避難しか発砲権限を持たぬ自衛隊は、駆け付け警護を「任務=命令」として抱え、むしろ、過去より悲惨な立場に陥った。
 サヨクが自衛官の命を心底心配するのなら、憲法改正が筋ではないか。惨劇を見て見ぬフリをしての撤退は最悪だ。悲しい前例(1994年)がある。
 ルワンダ首相を警護していたベルギー軍将兵10人が殺害され、ベルギー政府は撤収を命じた。命令を受けツチ族2千人が避難中の公立技術学校を守っていたベルギー軍が、対立するフツ族過激派の包囲を知りながら撤収。フツ族過激派は学校内に突入し、児童ら2千人を皆殺しにした。
 ベルギーはいまだにこの歴史の汚点を引きずる。
 憲法前文にもある通り、《国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ》のなら、国連標準にのっとり国際平和に貢献しなければならぬ。川又氏も小欄に同意した上で、憲法の解釈変更/改正前の暫定措置として、現行憲法下で実施可能な以下の「秘策」を提案する。
 (1)国連の工兵マニュアル通り、完全な工兵部隊編成を貫き、他国歩兵部隊の警護支援を受諾。自衛隊部隊の近くで起きた救出事態に、自衛隊自らが対処する機会を減らす。
 (2)完全な工兵部隊編成ならば、駆け付け警護(救出)の任務への追加を国連に報告する必要はなく、無用の誤解や過度の期待を与えない。
政治・外交問題まで扱う指揮官
 小欄同様、提案者の川又氏も「秘策」に納得しはしない。「マニュアルなど、国連との関係とは別に、自国民保護が国家の絶対義務という重大側面を絶対忘れてはならない」からだ。川又氏は「絶対義務」にも「秘策」を練る。
 「邦人の所在地域を担任する他国の歩兵部隊と自衛隊の駆け付け警護部隊との日常的な連絡調整を密にし、訓練も積んでおく。相互の能力・装備に理解を深め、実効性を確保するためだ」
 「自衛隊駆け付け警護部隊の編成には2つの選択肢がある。国連マニュアル通り、完全な施設(工兵)部隊編成にして、本部直轄の10人に高度な能力を有する特殊作戦部隊員を充てる。もしくは、施設部隊に相当数の普通科(歩兵)の自衛官を混成しておく」
 「人質救出といった最も厳しい危機に備えるのが眼目だ。厳しい状況下で、他国の歩兵部隊に邦人の生命を委ねるリスクや国辱を回避し、PKF司令官の指図を待って行うものの、邦人救出には自衛隊駆け付け警護部隊が突入する。他国の歩兵部隊は援護に回ってもらう」
 いずれにしても、締まりのない現行憲法に違反して邦人を助けるか、憲法を堅持して邦人を見捨てるか…。現場指揮官は政治・外交的決断まで強いられている。
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