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1939年、満州国西部国境で日本の関東軍がソ連軍と衝突したノモンハン事件について、黒宮広昭・米インディアナ大教授が日本とロシアの公文書などを基に、関東軍第23師団の小松原道太郎師団長がソ連のスパイだった可能性が高く、関東軍はスターリンの巧妙な罠に陥れられたとの新説を唱えている。
小松原師団長は陸軍大学校卒で、満州国が建国された32年から約2年間、ハルビン特務機関長を務めるなど主に情報畑を歩んだ。
1938年、第23師団長に任命され、満州北西部ハイラルに駐屯。1939年5月にノモンハン付近で発生した小競り合いに独断で部隊を出動させ、大規模紛争のきっかけをつくった。ソ連は周到な準備で機械化部隊を投入、同師団に壊滅的打撃を与えた。
黒宮教授が米誌「スラブ軍事研究」12月号に発表した論文によると、小松原師団長は在モスクワ日本大使館付武官だった1927年、ソ連情報機関による「ハニートラップ」に引っ掛かり、ソ連の対日情報工作に協力するようになった。
ハルビン特務機関長時代には多くの機密情報がソ連側に漏えいした形跡があり、ロシア国立軍事公文書館などにそれを裏付けるファイルが保管されている。
小松原師団長に対するハニートラップ説はロシアの研究者が唱えていたが、黒宮教授は最近、この研究者にインタビューし、ソ連の元防ちょう機関員が情報源だったことを確かめた。
ノモンハン事件は、日本が北進策を放棄して南進に転じ、米英と対立して太平洋戦争に突入する分水嶺の一つになった。だが、戦略的価値のない草原地帯での小競り合いが大規模軍事衝突に発展した原因については、関東軍辻政信参謀らによる暴走に帰するのが通説だった。
それとは別に、現地での動きについて、黒宮教授は「第23師団は国境守備とソ連情報の収集が主任務の新設部隊で、関東軍の中で最も弱かった。なぜ無謀な攻勢に出たのか。小松原師団長の指揮が部下から酷評されるほどまずかったのはなぜか。師団長がソ連側と内通していたとの見方に立てば多くの謎が解ける」と指摘している。ソ連軍から勇敢な日本軍指揮官として称えられた井置中佐に対し無断撤退を咎めて自決を強要したのが小松原中将である。
死後昇進もさせない不名誉な形で終わらせているのは、ソ連軍への頑強な抵抗が余程気に食わなかったのだろう。
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