索引
日華条約~米中和解
 1941年の 太平洋戦争 の開始直後から中国大陸では 国共内戦 が本格的に再開されたが,最終的に 中国共産党 傘下の 人民解放軍 が勝利
 1949年10月に 毛沢東 中華人民共和国 の建国を宣言した.一方, 蔣介石 のグループは 台湾 中華民国政府 を移す
  朝鮮戦争 により険悪化した 米中関係 の影響で,日本国政府は1951年の 対日講和 に際して 中華民国との平和条約 を決断し( 吉田書簡 の項を参照), 日中戦争 の終結が決まり 日本に対する戦争賠償の請求 も放棄された 米国の介入 もあり, 中台両岸関係 台湾海峡を挟んで軍事的に緊張した状態 が続くことになる 日本の政治 自由民主党 日本社会党 による 55年体制 によって保守化していく
 1956年, フルシチョフ の対米 平和共存 路線で 中ソ対立 が沸き起こる 大躍進政策 に失敗した毛沢東は失脚して,実権派の 劉少奇 に権力が委譲された中共とは政経分離の積み上げ方式で経済交流が行われることになった
 1958年の 長崎国旗事件 で一時的に交流が断絶する
 1960年の 友好商社 に限った貿易と,1962年に 廖承志 高碕達之助 の間で取り交わされた LT貿易 により非公式な交流が再開される
 1964年, 中国は核実験を成功 させた
 1966年に 文化大革命 が始まると, 安保闘争 沖縄返還 など 本土復帰 に絡んで日中両国は険悪な仲となった.劉少奇の失脚と 林彪事件 を切り抜けた 毛沢東 は復権を果たす
 1971年に アルバニア決議 によって 国連 中国 代表権が国府から中共に移行, ニクソン訪中の電撃発表 で米中和解が明るみに出ると, 佐藤内閣 は中国との国交正常化を目指す意向を表明して水面下で中国と交渉を行った
日中国交正常化~改革開放
 1972年9月, 周恩来 総理 の招待で, 田中角栄 が日本の総理大臣として初めて中国を訪問し,歴史的な日中首脳会談が実現した.両首脳は数日の協議の末 日中共同声明 を発表した.これを以って「 中国 」との「不正常な状態」が終結,日中友好のために 日本に対する戦争賠償の請求 は放棄され,「 一つの中国 」を十分理解・尊重, 日華条約 も同時に無効となった
  日中国交正常化 後,両国は声明の中で示された日中条約締結へ向けて動き出すことになるが,反 ソ連 を想定した「反 覇権 条項」を巡って交渉は難航,また1976年に 毛沢東 ・周恩来が相次いで死去し, 華国鋒 への権力引き継ぎや 文革 を推進した「 四人組 」の逮捕で 中国 の内政は揺れていた.しかし, 福田赳夫内閣 の時に 日中平和友好条約 が結ばれた
 1978年10月に中国の 鄧小平 副総理が 批准 書を携えて来日して中国の指導者では史上初めて 昭和天皇 と会見した
 1980年に中国の首相として初めて 国賓 として 華国鋒 が訪日した.華国鋒の失脚で鄧小平が実権を掌握すると, 中国 を現代化するための「 四つの基本原則 」を打ち出して 改革開放 路線への「大転換」を行う.日本政府はこれを高く評価し, 政府開発援助 の名目で中国に大規模な 円借款 を行って中国経済に大きく貢献した.特に 胡耀邦 中曽根康弘 首相は個人的にも親睦を深め,円高や沿海部の経済特区指定も重なって日本の対中直接投資は本格化
 1980年代の日中両国は相互補完的な「蜜月期」を迎えるが,その一方で 歴史教科書の記述を巡る問題 靖国神社公式参拝の問題 が沸き起こる 台湾 との関連では, 光華寮訴訟 尖閣諸島問題 が起きる
天安門事件~「戦略的互恵関係」
  中国 北京 六四天安門事件 による 戒厳令 が解かれ,日本も 平成 時代を迎えると 天皇 皇后 が日中国交樹立20周年の1992年に歴代天皇初の中国行幸啓を行った
 1995年8月, 村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」 が発表された
 1996年, 台湾 では 初の中華民国総統直接選挙 が実施され 本省人 李登輝 が有力候補になると再び 台湾海峡危機 が懸念され,「 台湾有事 」も想定した 日米防衛協力のための指針 の策定を巡って日中関係がこじれたりもした.日中条約20周年を機に, 江沢民 総書記 国家主席 )が1998年11月に中国の 国家元首 として初めて日本を公式訪問し, 日中共同宣言 が発表された.また, 歴史認識 を巡る問題が大きくクローズアップされ, 反中 嫌中 といった現象の再発と伴って中国の急速な経済発展が 中国脅威論 を喚起させることになった
  小泉内閣 の時には再び 靖国神社参拝問題 などを巡って日中政治関係は険悪化して「 政冷経熱 」の時期を迎える.その一方で, 愛国主義教育 への反動として 対日新思考 を主張する動きが 中国 側で見られたが, 2005年には大規模な反日デモ が発生して新たな ナショナリズム が芽生えている.日本は 常任理事国改革 常任理事国 入りを目指しているが,中国は同じ BRICS のインドの常任理事国入りには賛成しているのに対して日本に対しては 拒否権 を発動し,親中化した アフリカ連合 諸国も反対の姿勢を見せた
 しかし,小泉の後任に就いた 安倍晋三 首相は初外遊先に中国を選んで大歓迎され,「第4の外交文書」として 戦略的互恵関係 を謳った共同プレスを発表して日中両国は関係改善し,中国の 温家宝 首相も訪日した.また, 胡錦濤 総書記 国家主席 )が来日し, 福田康夫 首相とともに「 戦略的互恵関係 の包括的推進に関する日中共同声明」を発表した.同年の 北京オリンピックの開会式 には福田首相だけでなく,かつて日中国交正常化に反対する 青嵐会 を結成して反中・嫌中の代表格ともされた 石原慎太郎 東京都知事 も出席して ヨーロッパ に対抗した日中協力を呼びかけた
 2009年には 麻生太郎 首相は リーマン・ショック が発生した 世界金融危機 を受け,「日中韓の経済は ドイツ イギリス フランス の合計も上回る」として中韓との経済協力強化を打ち出し, 日中韓首脳会談 を日本で開催した
 2010年の 上海万国博覧会 では復元された遣唐使船がかつての遣唐使と同一の航路で 大阪港 から上海に入港するまで関係は友好的であった
 自民党から 民主党 に政権交代
 2011年の 野田内閣 発足後は 尖閣諸島問題 が再燃して関係は一気に冷え込んだ.中国と日本は小さくない貿易相手国同士であり,経済的には密接に結びついていることに変わりはないものの,お互いの国民感情の面などからも政治的な日中関係は過去最悪の状態となった
 2014年9月9日に公表された, 特定非営利活動法人 言論NPO と,中国国営の中国日報社が共同で行った世論調査では,中国の印象を「良くない」「どちらかといえば良くない」と答えた日本人は93%に上り,日本の印象を「良くない」「どちらかといえば良くない」と答えた中国人は86.8%であった
  チャイナプラスワン としてASEAN等への投資も増えている.折しも,長年進めてきた中国の軍備増強が一定水準に達したこともあり,中国側も日本に対しては強い態度で臨むことが増え,摩擦が拡大した
 2012年に民主党から政権を奪還した自民党の 第2次安倍内閣 第1次安倍内閣 と同様に戦略的互恵関係を日中関係の基礎と位置付けて関係改善を図りつつ,尖閣諸島を「 核心的利益 」とする中国に対して領土問題で妥協しない姿勢を保って日中双方が時に牽制しあった.しかし, アメリカ合衆国 で日中の対米貿易黒字を問題視する ドナルド・トランプ 政権が誕生した2017年から 日米貿易摩擦 の再燃と 米中貿易戦争 が起きたことにより日中は歩み寄りを見せ始めた
 2018年5月には 習近平 総書記 国家主席 と史上初の電話会談を行い,日中韓首脳会談に出席するために中国首相( 国務院総理 )では8年ぶりに訪日した 李克強 総理と安倍首相は 東シナ海ガス田問題 の共同開発で合意した2008年から交渉されてきた日中防衛当局間の ホットライン 「海空連絡メカニズム」の運用開始で一致し,他にも複数の合意文書を交わして同時に訪れた 韓国 文在寅 大統領との対応の差が目立ち,その歓待ぶりから「 政熱経熱 」とも評され,同年10月には日本の首相では7年ぶりに単独訪中した安倍首相への中国の厚遇が報じられ,安倍首相は「競争から協調へ」「お互いパートナーとして脅威にならない」「自由で公正な貿易体制の発展」の日中新時代3原則を打ち出して中国の習近平総書記や李克強首相と様々な日中協力で合意した
 2019年10月には 中国人民解放軍 の軍艦が 横須賀 に親善入港し,8年ぶりかつ日本近海では初の共同訓練を 自衛隊 と行った
 2020年4月には習近平主席が国賓として日本を訪問する予定であったが,こちらは COVID-19 対応のため延期されている
首相 中共TOP
1949年 10月 吉田茂 毛沢東
1954年 12月 鳩山一郎
1956年 12月 石橋湛山
1957年 2月 岸信介
1960年 7月 池田勇人
1964年 11月 佐藤栄作
1972年 7月 田中角栄
1974年 12月 三木武夫
1975年 4月
1976年 12月 福田赳夫 華国鋒
1978年 5月
12月 大平正芳 鄧小平
1980年 7月 鈴木善幸
1982年 11月 中曽根康弘
1987年 11月 竹下登
1988年 1月
1989年 1月
6月 宇野宗佑
8月 海部俊樹 江沢民
1991年 11月 宮澤喜一
1993年 8月 細川護熙
1994年 4月 羽田孜
6月 村山富市
1996年 1月 橋本龍太郎
1998年 7月 小渕恵三
2000年 4月 森喜朗
5月
2001年 4月 小泉純一郎
2006年 9月 安倍晋三 胡錦濤
2007年 9月 福田康夫
2008年 5月
9月 麻生太郎
2009年 9月 鳩山由紀夫
2010年 6月 菅直人
2011年 9月 野田佳彦
2012年 12月 安倍晋三
2016年 5月 習近平
2019年 5月
2020年 9月 菅義偉
2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2010年 2012年

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