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 2015年の夏から1年間、私(山口真由)はハーバード大学ロースクール(法科大学院)に留学していた。トランプが米大統領選への出馬を電撃表明したのは、私が渡米する直前の2015年6月16日のこと。
 当初は泡沫候補と思われた彼が共和党の候補者に指名され、ついにはヒラリー・クリントンとの本選に臨むまでになったプロセスを、偶然にも現地で体験したのである。
 今回は私自身の経験を踏まえ、ハーバードにおけるトランプ支持者の実態に触れながら、この現象について考えてみたい。
 粗野で無教養、差別意識を隠そうともしない南部の白人男性たち。これがアメリカ人の抱く、トランプ支持者の典型的なイメージだろう。ハーバード大学のイメージは、その真逆を行く。なにしろ、「ハーバード・コミュニティ」は世界中の知性が集まる場所なのだ。
 実際、ハーバードでのトランプ人気は著しく低い。そもそも、アメリカの「リベラルの牙城」として知られるこの大学の学生のうち、共和党支持者はわずか13パーセントに過ぎない。洗練されたハーバードのインテリたちにとって、移民や女性に対する差別意識を隠そうともしないトランプは、私生活でも一線を画したい存在に違いない。
 だが、それはトランプを大統領候補に推した、共和党の教養ある支持者にとっても同じだ。なぜなら、彼らこそ、「共和党=差別主義者」というイメージと長らく戦ってきたのだから。
・共和党インテリ層からも批判
 ハーバードには共和党支持者たちで組織された「ハーバード・リパブリカン・クラブ」がある。しかし、このクラブは今年8月4日、トランプに三下り半を叩きつけたのだ。
 言っておくが、ハーバード・リパブリカン・クラブが、共和党の大統領候補に不支持を表明したのは128年に及ぶ歴史上、初めてのことだ。これは異例中の異例の事態と呼べる。クラブの公式フェイスブックにはこう綴られている。 〈トランプはコンサバ(保守)ではない〉〈共和党が、いやアメリカ人が共有してきた価値観は人間の尊厳である。それを踏みにじるトランプを、我々は恥じる〉
 格調高くかつ激烈な言葉でトランプを批判するクラブの宣言から伝わってくるのは、共和党のインテリ層の怒りと悲鳴だ。
 無論、その矛先は、ポリティカル・コレクトネス(直訳すると「政治的公正さ」、全てのマイノリティを差別しないという意味)に欠けるというイメージを払拭するための共和党の努力を水の泡にした、トランプに向けられている。
 ところが、そんな四面楚歌のトランプを支持する学生が、実はハーバード内には存在しているのだ。
 しかも、彼らは一般的なトランプ支持者のイメージとはかけ離れた、極めて知的な思惑を持っていた。
・最高裁判事の方が大事
 共和党を支持する上品な男子学生は、トランプの俗っぽさに眉をひそめながらもこう明かした。 「大統領は所詮、4年間の我慢だ。でも、連邦最高裁の判事は死ぬまで続く。それこそ40年の我慢になるかもしれない。トランプに耐える方がよっぽどマシだよ」
 彼の発言には少々、説明が必要だろう。
 まず、アメリカの連邦最高裁は日本の最高裁よりも影響力が大きい。なにしろ、アメリカでは最高裁の下した判決が、そのまま法律としての効力を有するのだ。連邦最高裁の判事は9人で、一度任命されれば基本的にはその人が亡くなるまでの終身制である。任命権を持つのは、大統領その人だ。
 連邦最高裁の判事は、長らく共和党の任命した保守系判事が5人、民主党の任命したリベラル系判事が4人という構成だった。
 ところが、である。
 共和党に任命されたアンソニー・ケネディ判事は、徐々にリベラル側に寄っていき、特にLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字。いわゆる性的マイノリティを指す)の権利にはとても同情的だ。
 それが、昨年6月の同性婚を認める連邦最高裁判決に繫がった。宗教的な理由に基づき、同性婚には絶対反対を貫いてきた共和党支持者にすれば、腸(はらわた)が煮えくり返るような裏切りだろう。
 さらに、共和党支持者を絶望させたのは今年2月、保守派の大論客であるアントニン・スカリア判事が79歳で息を引き取ったこと。
 つまり、最高裁判事には現在、空席がひとつあり、次の大統領が任命権を握っているのである。ヒラリーが大統領になれば、民主党系のリベラルな判事を任命するのは間違いない。となれば、ケネディ判事を計算に入れなくても、リベラル系判事が最高裁で多数派を形成することになる。
 1950~60年代のアメリカでは、アール・ウォーレンというカリスマ判事に率いられたリベラル優位の最高裁が、アメリカの舵を大きく左に切った時代があった。
 黒人と白人の学区を分けるのは違憲、女性の避妊を認めないのも違憲……。ウォーレン判事率いる最高裁による立て続けのリベラルな判決に、保守派は泡を食った。伝統的に保守派はキリスト教の教えを固く信じる白人で、彼らは黒人と同じ学校に子弟を通わせたいとは思わず、避妊なんてキリスト教の教えに反する不道徳な行為だと考えていた。
 共和党支持の保守派からすれば悪夢のような時代。その再来を避けるためには、トランプに耐える方がよっぽどマシなのだ。
 続いて、熱烈なキリスト教徒の男子学生がトランプを支持する理由を語る。 「我々の主張をすべて支持してくれる大統領が誕生するチャンスなんだ」
 しかし、彼が期待を寄せるのはトランプではない。副大統領候補のマイク・ペンスの方である。
 トランプの陰に隠れがちだが、この副大統領候補も相当に強烈な人物。トランプのように人格的な問題を抱えているわけではないが、思想的には右中の右だ。
 宗教・同性婚・中絶・銃――。これらはアメリカのイデオロギー対立が最も色濃く表れるトピックである。
 アメリカの保守層の中でも社会問題について最も右寄りなのは、狂信的なまでにキリスト教を信じる一派。その教えに反するという理由で同性婚は禁止、中絶も禁止、そして、銃を持つのは憲法で保障された権利だと主張している(つまり、〇宗教、×同性婚、×中絶、〇銃)。しかし、こんなごりごりのラディカル・ライトが大統領候補となるのは難しくなった。近年では最も宗教色を強く打ち出したジョージ・W・ブッシュも、「思いやりのある保守」を旗印にしてラディカル・ライトを失望させている。
 そうしたなか、トランプ政権の副大統領候補はラディカル・ライトを地でいく。
・ラディカル・ライトの理想的な政治家
 まず、彼のキリスト教への傾倒ぶりは半端ではなく、ダーウィンの進化論を否定するほど。インディアナ州知事時代には、LGBTへの差別を容認する法律や、アメリカで最も厳しく中絶を禁止する法律を成立させた。さらに、銃メーカーを訴えることを禁止する法律も成立させている。銃規制派から、銃の製造によって利益を得ている業界も、銃犯罪の責任があるという声が上がったためだ。
 ペンス副大統領候補は、ラディカル・ライトが望むものをすべて提示する理想的な政治家なのである。
 翻って、トランプはどうだろうか。移民や女性に対する差別的な言動から、彼をラディカルなと誤解する人は多い。だが、予想に反して、トランプはイデオロギー的に最もリベラルな共和党候補だ。
 そもそも、キリスト教に熱心ではない。LGBTにもフレンドリーで、かつては中絶を容認する発言や、銃規制に賛成する発言をしいていた。
 ポリティカル・コレクトネスが重視される世の中では、ペンスのような人物に支持が集まっても、敵はその数倍に膨れ上がる。たとえ共和党でも、そんな人物を大統領候補として容認するのは不可能に近い。
 先ほどの男子学生の話に戻ろう。聡明な彼はもちろん、この状況を理解している。その上でこう言うのだ。 「これこそ、最大のチャンスだよ。トランプが大統領になった場合、遅かれ早かれ彼は弾劾されて大統領を辞めざるを得なくなるだろう。そのときに大統領に昇格するのは、そう、副大統領のペンス。我々は歴史上、最も右寄りの大統領を手にすることになるんだ」
 なるほど、さすがはハーバードの頭脳、である。
 さて、ここまでハーバードにおけるトランプ支持者の思惑に触れてきた。だが、トランプを支持していたのは彼らのような熱心な共和党支持者や、キリスト教徒だけなのだろうか。
 私は思い出していた。ハーバード・ロースクールの友人であるケヴィンが、 「ヒラリーは信用できない。トランプの方がまだ信用できるよ」
 と、酔った勢いで呟いていたことを。 「表現の自由」について学ぶクラスで、リベラルな教授は言う。 「共和党の指名争いは、歴史上稀に見る恥ずべき状態になっている」
 トランプを「差別する人」、マイノリティを「差別される人」と表現した教授に対し、授業後の立ち話でケヴィンは不快感を隠そうとしなかった。
 その決めつけこそが、ステレオタイプな差別だというのだ。 「すべての人がすべての人を差別していると言った偉人がいるけど、僕も同感だ。マイノリティだってある意味でトランプを差別しているんだと思う」
 と説く彼の言葉は、ハーバード生だけあって説得力がある。そこで私が、 「なぜ、授業中に教授に反論しなかったの?」
 と聞くと、 「一度、授業で同性婚に反対したことがある。授業が終わるとLGBT団体が僕の机まで来て、泣きながら抗議した。あなたは私たちのことを嫌いなのね。だから、差別するのねって。もううんざりだよ」
・「差別主義者」のレッテル
 ハーバードを卒業した白人男性は、「僕らは自分の意見を自由に表明することができない」という。ポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた現在のアメリカでは、白人男性であることはむしろ「原罪」なのだ。努力して好成績を修めても、「優遇されてるからでしょ」と批判されることもあるという。下手に反論すれば「差別主義者」のレッテルを貼られてしまう。
 私の留学中に、人種差別に抗議した黒人学生がロースクールのロビーを何カ月も占拠する事件があった。学校側は黒人学生たちに「どきなさい」とは言わないし、彼らが大量に貼り付けたポスターもそのままだ。にもかかわらず、ロビー占拠に抗議した白人至上主義の学生が、トランプのポスターを貼ると学校側によって瞬時に撤去された。
 親しくなったハーバードの学生たちも「ロビーを自由に使いたい。占拠はやり過ぎだ」と口を揃えていた。
 だが、どうして学校側に抗議しないのか尋ねると、 「自分が矢面に立って人種差別主義者のレッテルを貼られたら、この国ではまともに就職できないよ」
 とあきらめ顔。
 ケヴィンも酔った席での戯言を除いてオフィシャルにトランプ支持を表明することはない。
 ポリティカル・コレクトネスが何より重んじられるアメリカ。インテリ層がこれを間違うと大変なことになる。信用を失い、名誉を失い、将来を失う。
 トランプ支持を堂々と表明できる、粗野で素朴な南部の白人男性たちはよい。それを公表できない白人インテリ層のなかにこそ、ふつふつと不満が堆積していたのかもしれない。そして、溜りに溜まった鬱憤が、トランプ旋風に一役買ったのではないか。
・アメリカが抱える闇
 そう考えると、突然の大失速にも説明がつく。
 皆さんはトランプが批判の集中砲火を浴びたビデオについて、少し疑問に思われなかっただろうか。
 確かに、下品極まりない内容だ。放送禁止用語の連発である。しかし、11年前の「ロッカールーム・トーク」が、これまで散々、暴言を吐いてきたトランプをここまで追い込むものだろうか。「輪姦は元気な証拠」、「女性は産む機械」等々、日本の政治家だって失言を繰り返してきたではないか。
 このトランプのロッカールーム・トークに関する、ハーバードの男子学生たちの見解は興味深い。
 トランプが移民を差別し、中国人を敵視しようと、コアなトランプ支持層(主に白人男性)にとって、それは「他者」に対する攻撃だ。どこかの知らない誰かが、トランプの餌食にされているくらいのことだった。
 だが、今回は違った。
 既婚女性を誘惑したことを、実名を出して告げ、その直後、ブロンドの美しい白人女性にエスコートされる。彼女の肩に手を置くトランプの締まりのない顔を見た時、彼らは一様に生々しさを覚えたらしい。
 ギラギラとしたトランプの視線の先にいる白人女性が、自分の恋人や妹、妻や娘と重なった。その瞬間、トランプのむき出しの欲望が自分の愛する家族に向けられたような気持ちになった。彼らはそれに生理的嫌悪感を禁じ得なかったと言うのである。
 トランプの「他者」に対する攻撃は、ポリティカル・コレクトネスに疲れ切った人々にとって、ある意味で爽快だったのかもしれない。しかし、「自分の守るべき家族」がトランプの欲望の射程に入っていると知ったとき、共和党のインテリ層の知的な思惑は、「気持ち悪っ……」という感情的な反発の前に、脆くも崩れ去ったのである。
 トランプ現象の爆発的な広がりと、あからさまな失速はこう説明できる。
 アメリカの行き過ぎたポリティカル・コレクトネスに反発したインテリ層は、自分たちが決して口にできない言葉を連発するトランプに喝采を送った。しかし、結局は、著しくポリティカル・コレクトネスに欠けるトランプの俗物性に耐えられなかった。
 トランプを支持した、ハーバードのインテリ層の思惑は、彼らの人間としての感情に勝てなかったとも言える。
 移民や女性への差別、格差問題に加え、インテリ層の抱える苦悩まで炙り出したトランプ旋風。
 果たして、アメリカが抱える闇を余すところなく暴いたのだろうか。
週刊新潮 2016年11月10日神帰月増大号掲載
山口真由(やまぐち・まゆ)1983年生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験と国家公務員Ⅰ種に合格。首席卒業し、財務官僚を経て2015年夏からハーバード大学ロースクールに留学し、2016年8月に帰国。著書に『いいエリート、わるいエリート』など。
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