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革命思想の沿革

16世紀の宗教改革で多様化した各宗派は、政府の迫害を避けようと、アメリカ大陸に移住した。移住者達は、平和な生活を重視し協力し合ったので、150年間は抗争の少ない時代が続いた。
しかし、18世紀後半、西欧本国間の争いが植民地に及んだ。
植民地内戦争終結後、財政危機に陥ったイギリス本国は、新たな税を次々と創設、植民地に課し、植民地の不穏な空気は高まっていった。
1775年4月19日、イギリス軍による植民地民兵部隊のボストン武器庫接収を契機に、アメリカ独立戦争が始まった。
1776年7月4日、アメリカ大陸会議は独立宣言を採択した。
アメリカは、ベンジャミン・フランクリンらの働きで、フランスの協力・参戦と他の諸国の中立を得、1783年9月3日、パリ条約締結によって独立を果たした。
独立宣言の理念は、アメリカの独立実現により、欧米人の思想に大きな影響を与え、フランス革命の原動力となった。
フランスでは、革命後、共和制、ナポレオン帝政、王政と目まぐるしく変遷を繰り返した。ドイツでは、1848年2月に「共産党宣言」が、1867年に「資本論」が刊行された。そして、1870年9月4日に、フランス第三共和制が成立した。
民衆の絶望的貧困問題を解決したいと切望する人々は、解決のキーワード「 革命 」に希望を託すようになった。
フランス革命成功の鍵が対英戦争による国力の消耗にあったという実感が「敗戦革命論」を産んだ。
日露戦争による国力の消耗という機会をとらえることで、ロシア革命が成就した。
ソビエト政権の誕生は、民衆の絶望的貧困問題を解決したいと切望する日本人達に勇気を与えた。
河上肇は「貧乏物語」を執筆した。河上肇に心酔した近衛文麿を始め朝日新聞記者らは、日本に 砕氷船 の役割を果たさせるべく努力した。
1924年東京放送局(NHKの前身)発足時の初代総裁も、彼らの同志だった。
1929年10月24日の世界恐慌(Black Thursday)は、マルクス理論の正しさを世界中の人々に実感させた。米国共和党の支持率は低下し、米国大統領職を民主党が奪う契機となった。
1945年、日本は敗戦し、ウォーギルトプログラムの下に管理されることとなった。しかし、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー将軍は共和党的思想をもった人物だったので、日本の敗戦革命論者達は面従腹背するしかなく、日本は赤化されなかった。
1949年、アメリカ国民が共産主義国家の恐怖に慄く事件が起きた。
ソ連による原爆技術盗用が発覚したのだ。
フランクフルト学派は、共産主義者であることを隠す為に、革命のために働く主力を「労働者階級」から「マイノリティ」に代えた。
そして、「ポリコレティカルコレクトネス」を標語にして、信奉者達を増やし続けた。
第二次世界大戦後、アメリカでは、民主党と共和党が、約8年ごとに、大統領職を奪い合ってきている。
因みに、米国民主党は資本主義国に対して厳しく、米国共和党は共産主義国に対して厳しいという傾向がある。

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