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20180322
マスコミが知らな過ぎる官僚のシステム、仕事の仕方
森友、加計問題に限らず、官僚と政治家の話になった時、テレビに出ているコメンテーターや評論家などは、よく「政治の圧力がなければ、データや文書の改ざんなど起きませんよ」という。
一方で、中央省庁のキャリア官僚を十年以上勤めて、今は学者や評論家などになっている人達は異口同音に、「マスコミの人はあまりにも官僚の仕組み、仕事の仕方を知りませんね」とコメントする。
先日、テレビでかつて宮崎県知事を務めた東国原氏が「あんな改ざんがあるなんて、政治の圧力があったはずだ」と言った途端に、一緒に出ていた中央官庁OBの人が、「財務省が政治家の圧力で文書の書き換えなどする訳がないでしょう」と笑いながら言い切った。
筆者は、現役の記者時代、長年、中央省庁の担当記者として、毎日、官僚を取材した。
当時も今もそうだが、中央官庁の担当記者は、その役所の中にある記者クラブの部屋に朝から夕方までいて、役人を取材し、発表される話を原稿にし、大臣や次官、局長などの会見に臨んだりする。
当時も今もそうだが、記者と言っても、熱心な人もいれば、そうでない人もいる。
不真面目な記者は何かデスクから問い合わせがあった時くらいに、役所の担当者に話を聞きに行くくらいで、普段は配られる資料を読んだり、記者会見に臨んだりして、原稿を書くだけである。
これに対して、熱心な記者は日中、頻繁に役所の中を回り、役人の仕事の仕方を眺め、取材をする。そして、不熱心な記者が帰ってしまう夕方から夜にかけても、役所の中を回り、役人を取材する。
勤務時間が長い中央官庁のキャリア官僚は、夜遅くまで仕事をするのは当たり前で、定時にほとんどが帰ってしまう地方公務員とは全く勤務の仕方が違う。だから、県知事を何年務めたから、自分は官僚を知っていると、東国原氏が思っているようだとすると、それは違う。
勤務時間が長い中央官庁の役人は、夕方から夜になると、息抜きで、少しアルコールを入れて、おつまみなどつまみながら、局長や局次長などを囲んで議論などという事も珍しくない。熱心な記者にとっては、このアルコールが入っての役人同士の議論の輪に入って話を聞くのが、絶好の取材チャンスなのだ。
輪に入れば、本音の議論は聞けるし、意見を求められる事も少なくない。アルコールが入っているので、互いに遠慮なく、真剣な議論をした事も数多くある。
中央官庁の役人は記者達をAランク、Bランクというような位置付けをして、Aランクの記者には、結構、本音を言い、自分が今、している仕事についての悩みや迷いなどについて、質問をしたりする。
このアルコールが入った時の議論などでは、今、している仕事の問題点、悩みなどについて、記者に聞いて来たりする。だから、今、何が問題で、どこで話が揉めているかなどが良くわかる。
そこに、官僚とそれ程親しくなく、食い込んでいない他社の記者が来合わせる事があっても、厳しい局長などは、その記者を議論の輪に入れたりはしない。
後から記者が歓迎されないと、議論の輪を解いて、仕事に戻ったりしてしまう。
どの記者クラブでもそうだが、取材対象からAランクと認識される記者はクラブに2、3人で、そう多くはない。だから、担当記者だからと言って、その役所で議論されている事の問題点について、全ての記者が知っている訳ではないし、官僚から本音が聞けている訳でもない。
担当記者は何でも知っているように思うかも知れないが、仕事の仕方、今、問題になっている事の中心の問題などを良く知っている人は本の一握りだと言っても過言ではない。
筆者は、現役の記者時代、当時の大蔵省、通産省、運輸省、厚生省などの数多くの官僚の仕事の仕方を見て来たし、彼らと議論もし、重要案件がどう作られ、法案になっていくかもつぶさに見て来た。
幸か不幸か仕事に恵まれ、その記者クラブ担当になると、重大な事が起きた。
消費税を初めて導入しようと真剣な議論をしている時に、財務省、当時の大蔵省を担当したし、多額の債務を背負う国鉄が何十という路線を廃止することを決めた時、国土交通省、当時の運輸省を担当した。
こうした時などは最後の詰めの時は、毎日のように役人が徹夜に近い状態で仕事をしていたし、筆者も嫌でも付き合った。
でも、そうした時でも、ここぞと思えるタイミングで取材に来る記者は、クラブ全体で2、3人である。こういう時に、それまで信頼関係を築いた官僚の所に行くと、かなり本音の微妙な話をしてくれるものである。
また、薬害で大騒ぎとなったスモン問題やカネミ油症事件などで厚生省の役人の仕事の仕方、発想を理解した。何十年ぶりとなった電力料金の値上げでは、通産省の考えや対応の仕方がよくわかった。
大手マスコミを退社した時、当時はバブル時代で、日本がジャパンアズナンバーワンと言われる位、日本が強かった時代で、欧米の人達は日本の強さの秘密を知りたがっていた。
そんな時期に、編集責任者として経済雑誌の創刊に関わり、創刊号のメイン記事で、海外から強い日本の秘密の1つとして、官僚の仕事の仕方、仕組みなどを書いて欲しいという要望があったので、改めて、通産省や財務省の官僚の仕事の仕方、発想を取材し直した。
そうした経験からすると、今、テレビや新聞で行われている議論は、全く中央官庁、中でも、財務省や経済産業省の官僚の発想、システム、官僚の仕事の仕方を知らない人の議論だと思えてならない。
企業で仕事をしている人、した事がある人は、企業で働いた経験から、官僚を考えるが、企業と官僚、中でも財務省や経済産業省などとでは仕事の仕方が全く違う。
企業では所属する部課の部長、課長の命令、指示は絶対で、例え、間違っていると思えることでも、部課長の指示と異なった事をしてはいけないし、した事が分かれば、部課長の怒りの程度で低い査定で済めば良い方で、左遷、解雇もあり得る。
だから、企業では社長、役員に下から報告が上がっていない事はあっても、部課長が知らないという事はまずない。最近、多発する企業のデータ改ざんの不祥事は、トップや役員はともかく、現場の部課長は知っていた事がほとんどである。これが企業なのである。
企業では部課長の指示を無視して自分勝手をする程、仕事の仕方は任されていないし、部課長の大きな任務は部下に指示し、その仕事を監視・監督する事なのである。
そして、出来る部課長は上司の役員などの会社の幹部に、必要な内容をきちんと報告する。
だから、まともな企業では、重要な案件は社長、担当役員、担当部長、担当課長、担当者で情報は共有している。
そこで、取材する記者としては、それぞれのレベルの人と付き合い、基本は現場の担当者レベルから、重要事項についてのヒントをもらい、それをより責任の重い人に少しづつぶつけて確認していくという作業をして行き、最後の段階で、社長に確認をしに行くのである。
下の取材できちんと話を詰めた上で、社長に確認をしに行く。この時は、確認であるとともに、社長に「原稿を書きますよ」という挨拶でもあるのだ。
社長の方も記者の取材がそこまで進んで、事実を知っている場合、嘘はつかないで、「そこまで知っているなら」と事実を答えてくれる。
そして、せいぜい、「今日、この話が記事になったら、話が壊れる。関係者に詰めをするので、数日待って欲しい」と言うくらいである。勿論、出来る記者は、この時に社長との良い関係を保ちたいので、この依頼を受けて、原稿を書く事を待つ。
企業のこうした仕事の仕方は、地方公務員でも基本は同じである。
しかし、これが中央官庁となると、話がガラッと変わって来る。
財務省や経済産業省のような役所になると、している仕事がとてつもなく多い。企業のように重層状態で仕事をしていたら、人数がいくらいても足りない。
そこで、組織を縦割りにして、出来る若手担当者に仕事を任せるのである。
財務省も経済産業省も、キャリア官僚は入省して十年前後、つまり、30歳前後で課長補佐になる。課長補佐はかなり重要な仕事を担当させられ、それについて起案し、まとめ、きちんと文書にし、立法の筋道まで作る作業をほとんど一人でする。
勿論、先輩や課課長のような先輩、通産省では企画官というような名前だが、こうした人に意見を聞く事はあっても、基本は作業は自分一人でする。
そして、そのまとめた原案を課長や企画官などと議論をして、修正をした後、その文書、趣旨の修正作業も全て自分が行い、課長の了解を得ると、それが課としての案になるのだ。
課の案になると、各局ごとの局議にかけられる。この局議で、30歳前後の課長補佐が考え、課長などが意見を言って修正して作った課の案が、他の幹部の意見で修正されることは稀で、ほとんどがそのまま承認され、局の案となる。
それは、局長はいくつも部課を持ち、多くの案件を抱えているから、詳細な実務まで口出しをし、修正にまで関与していたら、時間がいくらあっても足りないからである。
というよりも、官僚たちの考え方は以下の通りである。「キャリア官僚というのは東大を優秀な成績で卒業した人間で、課長補佐になった時点では、十年位の経験を積んでいる。旧大蔵省なら、部下が数百人いる地方の税務署の所長、警察官なら、県警の捜査二課長として、自分の父親位の年齢の人間を部下にして、大きな詐欺事件などを指示してきている。そんな人間が重要案件を一人でまとめれなくてどうする」。局の案となったものは省庁の各局長と審議官などに次官が加わって行われる省議にかけられるが、この省議でも、局議と同様に、その段階で修正されることはまずない。理由は局議の時と同じである。
省議にかけられ、省の案となったものは、今度は各省庁の次官が集まる次官会議にかけられる。ここでも、他の省庁から横やりが入る事は滅多にない。絶無に近いと言える。他の省庁の案件に下手に意見を言えば、今度は自分の省庁の案について、意見を言われる。それは嫌だし、他の省庁が議論して決めた事には口を出さない。これが官僚の論理なのである。
次官会議で了承された案は次には閣議にかけられ、そのまま国の案となり、政権与党が安定多数を持っていれば、修正されることなく、国の案となり、国の方針や法律が決まって行くのである。
政治小説や経済小説なでは小説家は面白おかしく書くが、日本で政策や法律が決まる過程はこうである。省庁で一番大切な予算ですら、財務省主計局の課長補佐の主査と、各省庁の課長補佐の間のやりとりで、95%は決まってしまう。
残りの5%は局長、次官、大臣達の顔を立てるために、セレモニー用に大臣折衝用などの予算枠を作っておき、それを充てるだけである。
課長補佐は同じ部課に何人かいるが、それぞれの課長補佐は自分の担当の仕事があるので、隣の課長補佐がやっている仕事の内容は良く知らないし、口を挟んだりしない。まさに縦割りなのである。
筆者はここに日本の官僚組織の怖さがあると思っている。
30歳前後の1人の官僚の考えた事が、ほとんどそのまま国の案となり、実行されていくのである。
彼らが正しい認識、問題意識、最適な解決方法を考え付くなら良いが、人間、それも1人の人間などそんなに万能な訳がない。本来なら、多くの英知を集めて最適な案を作っていかないといけないのに、日本の官僚制度はそうなっていないのである。
日本の官僚制度では、1課長補佐が間違えたら、誰にも変えようがないのである。
戦争中に、現場の事情を全く知らない軍部の事務官僚が誤った判断で、日本を敗戦に導いて行ったのは歴史的に多くの資料が語っている。
また、旧満州と蒙古に、満蒙開拓団として何十万人もの日本人を送り込む計画も、軍部の1課長レベルの人が考えた事が、ほとんど議論される事無く、国の案となって実行に移されたのである。その結果、多くの日本人が塗炭の苦しみを味わったのだ。
最近の話でも、バブル崩壊は日銀官僚の間違った政策で起こされたものであり、財務省の誤った判断で消費税が引き上げられ、折角立ち直りかけた景気が腰折れをしたのである。
官僚は一人一人が優秀で、縦割りでその優秀な若手官僚に任せておけば良いという発想、誤った認識が、20年以上に及び不況が続いた原因なのである。
縦割りというと、企業のイメージで、社長までつながっているように普通の民間企業に勤めている人は考えがちだが、中央官庁は全く違う。
課長補佐…課長…局長の上は事務次官であって、大臣ではない。官僚の意識として、トップは事務次官であり、大臣ではないのである。
理由は簡単だ。予算と人事権を持っているのは次官であって、大臣ではないからだ。
もっと言えば、日本の省庁の各省では、次官が余程大物でない限り、多くは次官と主要局長、官房長の実力者で、重要案件や人事などは協議して決めていく、合議制なのである。その協議には大臣は入っていない。
そして、次及び次の次の次官、局長は入省時点で、東大法学部の成績でほぼ決まっていて、ゼロから議論して決めていくという性格のものではないのだ。
事務次官は省内の重要案件について、局長や各局の筆頭課長、審議官などとは意見交換、議論をする事はあっても、大臣と活発に議論をする事はまずない。
日本では、大臣は概ね、1、2年で代わる。そして、新任の大臣は省庁に着任すると、今、その省庁が抱えている案件のレクチャーを受け、進行具合はこのくらいと説明される。
大臣はそのレクチャーされた案件を一通り覚えて、国会での質問に答えられるようになった段階で、交代という感じであり、自分から意見を言って、次官や官僚の考えや意見を変えてまで、自説を通そうとする余裕などないのである。
大臣が入って次官、局長が揃って会議をする時は、事務方で案が既に決まってしまった後で、「こうなりましたから」という説明を受けた大臣が、それを了解するというのが普通である。
人事についても、かつて、通産省出身の政治家が通産大臣になった時、自分の先輩が局長から昇格して、次官になる予定だった。この政治家は役人時代に、次期次官候補の人とそりが合わなかった上、大臣は人事権を持っていると考え、この局長の次官昇任案に反対して、これを潰した事があった。
本来の民主主義国家なら、大臣が人事権を持つのは当然の事だが、この時、通産省は大揺れに揺れ、次官就任を断念せざるを得なかった局長は、マスコミにその「政治介入」がいかに不当かを話し、マスコミも局長の話が理ありとして、大臣の方を責める原稿を書いたのである。
官僚主導で物事が全て決まり、選挙で選ばれた政治家がほとんど関与できないのはおかしいという発想から、国会議員も自分が興味を持つ分野の勉強をして、その省庁の政策に詳しくなって来た議員も結構いる。
しかし、大臣は各派閥の当選回数による順送りで来たので、専門知識がある議員が大臣になる訳ではないし、その専門知識を持ち出した国会議員を、日本のマスコミは族議員と呼んで、まるで、利権集団のような言い方をして、批判をして来た。
族議員の誕生は官僚独裁国家の崩壊であり、官僚としては族議員が強くなるのを避けたい。その思いが、官僚の族議員批判だったのだが、マスコミは官僚のその思惑にうまうま載せられ、族議員を批判した原稿を書き続けたのである。
以上、見て来たように、中央省庁のキャリア官僚は大臣や首相を見て仕事はしていない。
まして、官庁の中でも一番の力を持つ財務省には、「首相に言われた、圧力を受けたから、データや文書を改ざんする」という発想など微塵もない。
あるのは、自分の上司、次官や局長などに対する忠誠心であり、対政治家ではないのだ。
官庁の中でも財務省が最も強い権限を持っている理由は、予算という金を握っている事に加えて、逮捕権を持つ税務署、国税庁を組織に持っている事が大きい。
多くの政治家、企業経営者と話をした経験を持つが、本音で話をした時、「逮捕権を持つ警察、税務署・国税庁とは喧嘩はしたくない」という言葉を何回も聞いた。
犯罪をしないと捕まらないから、自分は関係ないとは言えない。誤認逮捕もあるし、身に覚えがない痴漢行為で拘束され、会社も解雇された人もいる。
税務署に至っては、税務解釈がその年で結構変わる。前年度まで経費で認められていたものが、今年は認められず、ある処理について、これは利益の過少申告であるとして、追徴などをされる事もある。
筆者の知人で、財務省、古くは大蔵省の事を本や雑誌の記事で批判したために、税務署の査察・調査に入られ、ひどい目にあった人は何人もいる。財務省は自分に盾突く人間、組織は許さないのだ。
後で裁判で勝つ事はあっても、追徴などされた時点で、マスコミに大きく報道されるので、その影響は計り知れない。だから、様々な活動をし、選挙民の依頼で行動する政治家には、身に覚えがない事で、逮捕されたり、訴追されたら、大変だという不安感はある。
こうした理由で、政治家は逮捕権がある組織を持つ、警察や財務省とは喧嘩はしないし、圧力などかけたりしないのだ。
また、財務省は首相、官房長官など多くの重要部署に秘書官、補佐官を送り出していて、その情報量は少しくらいの自民党の実力政治家とは比べ物にならないくらい膨大、詳細なものである。
首相や大臣の圧力で財務省、大蔵省が屈したという事まず記憶にない。それよりも、様々な言動、陰の工作で、結果的に、意にそまない首相や大臣の首を飛ばした事の方が事例としては遥かに多い。
財務省、大蔵省がいかに強大な力をもっているかという例を最後に1つ書く。
大分以前の事だが、筆者が大蔵省担当の記者の時、当時は後に首相となる竹下登氏が大臣で、大臣歴も4、5年と長く、省内事情にも詳しくなっていた。
当時、今の消費税をいかに導入するかが大蔵省の大きなテーマだった。
この時代はまだ社会党が国会に3分の1くらいの議席を持ち、政策決定に社会党はかなり強い発言力があった。勿論、当時の社会党は今の立憲改進党やその前身の民主党などと違って、庶民のために、消費税の導入には猛反対だったのである。
そこで、竹下大蔵大臣と、当時、社会党の副委員長で政審会長をしていた堀氏とが話し合いをして、消費税という名前ではなく、福祉目的税という名称にして導入し、その税収は全て福祉のために使うというアイデアを出し、双方が意見の合意を見た。
福祉のために使うという事で、反対する社会党党内をまとめ、国民にも説明するという事で、当時、竹下大蔵大臣から、密かにこの話を聞いて、これで特ダネが書けると喜んだものである。
「書いて良い時期になったら、ゴーのサインを出すから、少し待ってくれ」。竹下氏にそう言われて待ったが、1週間くらいして、竹下氏に呼ばれて行くと、「あの話は壊れた。忘れてくれ」と言われた。
事情を聞くと、自民党と社会党の実力者の間で合意し、成立間違いないと思える事に大蔵省幹部が猛反対をしたので、止めになったと言うのだ。
理由は歳出先を縛られるのは困ると、大蔵省の幹部が言い、大蔵省の反対に次期首相が決まっていた実力者竹下氏も逆らえなかったのだという。
これは古い話だが、最近の財務省の話を聞いても、実態は何も変わっていない。財務省は政治家などなにするものかという意識の役所であり、政治家の指示、命令で文書の書き換えなどする役所ではない。
日経新聞の良心は死んだ。3日連続で新興宗教教祖関連の大広告
昨日、日本経済新聞が新興宗教の教祖、深見東州の広告を2日連続で大きく掲載した事を書いたが、本日、3月21日にも深見東州関連の広告が全4段で彼の顔写真入りで大きく掲載しており、広告は3日連続となった。
21日付けの広告は深見東州が経営する時計販売店が大阪心斎橋にオープンするという広告で、深見は宗教の教祖としての名前ではなく、本名の半田晴久の名前で顔写真が出ている。
しかし、その新聞広告の中には、深見東州として行うコンサートの告知の記述もあり、少し注意してみれば、新興宗教の教祖の広告である事はわかる。
新興宗教の教祖関連の広告が本人の顔写真入りで、日本経済新聞社に3日連続で大々的に掲載されることは極めて異例で、60年以上続けて読み続ている筆者にとって、初めて見る光景である。
少し調べてみると、深見東州に関連する広告は、2013年から2015年にかけて主要紙5紙(日経、朝日、毎日、読売、産経の5紙にかなり大々的に掲載された。しかし、その後、深見東州に対する批判もあったためか、大々的な広告はあまり大手新聞には掲載されなかった。
それが、今回日経新聞に3日連続で大々的に広告が掲載されたのである。
筆者は以前は主要紙は並行して読んでいたが、今は活発に経済活動をしている訳ではないし、最近の新聞のひどさにあきれて、日経新聞以外はとっていない。だから、今回も日経以外の4紙にも掲載されているのかもしれない。残念ながら、確認していない。
もし、今回の広告が主要5紙に同時に掲載されているとしたら、それこそ、オールマスコミの死そのものの象徴的な出来事であると言える。
新聞といえども、私的な活動をする経営企業体なので、少しどうかなと思う広告が載る事はままある。しかし、これだけあからさまに、新興宗教の教祖関連の広告を大々的に3日連続絵掲載すると、公的な使命を持つ大手新聞社としては、完全に一線を越えていて、あってはならない事だと考える。
特に日経は経済新聞という事もあり、他の新聞に比べて、一般的に格が上と見られて来た。その日経の今回の広告は筆者には信じられない事である。
筆者はあえて言う。
「日本経済新聞社は越えてはいけない一線を完全に越えた。日経新聞の良心は死んだ」
深見東州を知らない人のために彼について少し書くと、宗教活動や芸術活動を行う際には、深見東州の名前を使い、ビジネスやスポーツ活動をする時には、本名の半田晴久を使う。そして、劇団活動や文芸活動をする時は、戸渡阿見(とと あみ)というペンネームを使う。
また、ラジオ番組をもっていて、そこではレオナルドTOSHUという名前を使うこともある。過去には深見青山や、ブツダン・ピエールなどいくつもの名前を使っていた。
みすず学苑という受験塾を経営し、自ら教壇に立つ事もあるという。その他、いくつも会社を経営しているが、公称の信者は数万人という新興宗教ワールドメイトの教祖で、たちばな出版という出版社を経営し、そこから自らの本を多数出している。神道系の宗教団体の教祖である。
評伝によると、彼は母親が熱心な世界救世教の信者であったこともあって、高校入学前に自身も信者となり、大学時代には熱心に勧誘活動をしていたという。
その後、母の病気が治らない事もあって、別の宗教、大本教に転じ、教祖の本などを熱心に読む。そして、宗教活動で霊能力を持つ女性と出会ったことから、その女性と共同生活を始め、彼女と一緒に今のワールドメイトの前身の新興宗教を立ち上げたという。
彼の特徴は英語が得意で、塾で英語も教えられる力を持ち、英語で冗談が言えるレベルであるということと、いくつも企業を経営するやり手だという事である。また、信者を中心だと思うが、オペラやジャズのコンサートも行い、観客を動員していることである。
深見東州と日経新聞の話だけでなく、ここ数年の日本の新聞社、テレビ局の姿勢は長年、大手マスコミに所属し、活動をした筆者からすると、極めて異常である。
事実で政権を批判するのはマスコミの使命で、当然の事だが、事実でない事をでっち上げたり、事実を極端に捻じ曲げて報道する姿勢が目立った来た。また、同じような事が起きた時、政権与党は痛烈に批判するが、野党については、ほとんど問題視せず、無視に近い形で見逃すダブルスタンダードの姿勢。
自ら左翼思想を持つのは自由だが、それを官房長官の毎回の会見に出て、自分の主義主張をとうとうと述べる記者がいても、それをたしなめたり、配置転換をしたりしない新聞社。
日本や日本政府に批判的な一方で、特定の国には甘いだけではなく、基本姿勢は反日で、それらの国の立場に立った報道をし、更には、日本が主語ではなく、相手の国を主語にして原稿を書く新聞社や、放送するテレビ局が存在する。
そうした事が特定に1社、2社なら、まあ、色々な会社があると言えることだが、ほとんどのマスコミに共通して起きるようになった来た。国民から視聴料を集めて運営しているNHKが日本を主語でなく、特定の外国を主語に放送するようになったら、もう、それは公共放送とは言わない。
誰かが、ネットで書いていたが、「今な真実はネット報道で知り、嘘を新聞やテレビで見る」と一般国民から言われるようになってしまった。
個人的に話をすると、情弱(情報弱者)な年配層の人までが、今の新聞、テレビはひどいと言うようになり、そうした人が筆者の周りでも増えて来た。
マスコミの異常な傾向は少し前からあったが、ここに来て、それが一気に進み、顕著になって来た。
後世の歴史家は多分「マスコミが本来の使命を忘れ、自分の主義主張、自己利益で行動し、大衆から信頼を失い、マスコミが事実上死んだエポックメーキングな年、2018年」と評する年になるだろうと筆者は考える。
森友学園問題はそう遠くなく騒ぎが終わると、ある有力筋が言っているという。
朝日新聞などが望む安倍内閣の倒閣ではなく、ある出来事をきっかけにオールマスコミ、特に主要新聞社が驚いて、記事を書くのを止めるというのだ。
実際にそうなるかどうかはわからないが、筆者の経験からすると、充分あり得ることである。
それは大手マスコミが長年、タブーとして、報道して来なかった戦後日本のタブーと言われて来た事で、森友学園問題の本質は、安倍問題ではなく、その問題だったというのである。
この話が本当かどうかはわからないが、もしそうなった時に、散々、騒いだ新聞社、テレビ局、野党はどう収束させるのであろうか。
そして、そうなった時に、ネット情報を見ずに、新聞、テレビで煽られて憤った年配者、女性たちを中心とする人達はどう反応するのだろうか。今から楽しみである。
20190420
消費税論争でわかる、政府とマスコミと国民皮膚感覚の差
今年10月の消費税の十%への引き上げについて、自民党の萩生田幹事長代行が言及した事で、政府当局者やマスコミがここ数日、この問題を取り上げている。
まず、日本商工会議所の三村会頭が「延期なんてとんでもない」と発言し、この発言を報じるネットの記事に対して、色々な人が書き込みをしているが、その中で、大手通信社の時事通信の解説委員が、この会頭の話を全面支持し、「財政赤字の解消や福祉の充実には消費税の引き上げ絶対必要であり、延期などしたら、大変な事になる」と、肩書、名前入りで書いた。
これに対して、一般の多くの人が、「今、消費税を引き上げたら、日本経済は大変な事になる」と消費税引き上げの延期、更には現在の8%の引き下げを主張するコメントを書き、その発言に対して、8割、9割の人が「いいね」を押している。
一方、大手新聞やテレビの報道の仕方を見ると、昼のワイドショーなどで、政治評論家やレギュラーのコメンテーターと称する人は「今更、消費税の引き上げは止められない。萩生田氏の発言は、選挙を睨んでの思惑発言」というトーンがほとんどである。
後で少し詳しく述べるが、大手新聞社は消費税の軽減税率適用のために、消費税の引き上げに賛成しているし、三村氏の所属する新日鉄など大手企業は消費税と引き換えで、法人税が減税になっているので、消費税の引き上げに賛成なのである。
つまり、悲しい事に、オピニオンリーダーの人達が国を考えての発言ではなく、私益の視点で意見を言っているのである。
法律で決まっている事だからとか、準備が進んでいるのだから、今更止められないと言う人は、極端な言い方をすれば、「間違っていたと思う事でも、決まった事は実行しないといけない」という発想の人達で、臨機応変や柔軟な対応と無縁の人達である。
戦前、日本海軍はアメリカ軍と戦う積りは全くなかったが、財政難の中、予算を獲得するために、米軍を仮想敵国にして、何年も予算を獲得して来た。だから、アメリカと戦うかも知れないとなった時に、今更、「あれは口実でした」と言えず、無謀な戦争に突入した論理構造と同じである。
いや、かつて、大蔵省、今の財務省を記者として担当して、財務省の体質、やり方を知っている人間からすると、「評論家やコメンテーターにまで、財務省のレクチャーが行き届いているのだ」と感じる。
財務省は自分達の主張と違う事をいう評論家、学者、コメンテーターなどを見つけると、連絡をとって、「一度お会いしたい」と言い、説明に出向いてくる。そして、彼らの論理を自分達に都合の良いように作った資料を基に説明し、反対論を封じるというのを得意としている。
民主党政権で首相となった野田氏が、財務省の説得にころりと丸め込まれ、それまでの消費税反対論から、積極的賛成論に代わり、今の十%までの消費税増税路線を作ったのはその好例である。
日本のマスコミはほとんど報じないが、アメリカの日経とも言えるウオールストリートジャーナルが「近づく不況に備えて、多くの国で減税をし始めている中、消費税増税をしようとする不思議な国、日本」と最大級の皮肉たっぷりで、日本政府の方針を批判している。
また、かつては、日本の財政再建を強く言っていたIMF(国際通貨基金)が最近のコメントで、「日本には財政問題は存在しない」、つまり、「日本は財政が危機だから、増税で国債を返還し、財政再建を早くしろ」と言って来た、かつての論調を大きく変えている。
こうした海外の専門家の意見の変化の背景には、日本国内で、データーを元に消費税増税は必要ない、増税したら、日本は大変な事になると言い続けて来た一部の学者や評論家、元大蔵省官僚達の活動があるのは知られていない。
かつて、大蔵官僚時代に、世界の主要国の中で、一番最初に「国のバランスシート(貸借対照表)」を作り、世界の主要国がそれを真似して同じものを作るようになった、きっかけを作った高橋洋一氏の主張は明確で、日本政府は1千兆円を越える借金があるが、ほぼ同額の資産があり、財政問題など存在しないというのだ。
わかりやすい解説をすれば、年収3百万円の人が数千万円の借金があったら大変だが、年収数千万円の人が1千万円の借金があっても、必要なら直ぐに返せるし、どうということないという話である。
こうしたデータ的な裏付けだけでなく、過去何年も、通貨の常識の嘘を言い続けて来た経済評論家の三橋貴明氏達の言っている事と、日本の現状を見るなどした結果、欧米の学者が最近、MMT(現在通貨理論)という考えを言い出した。
これは国は通貨発行権を持っているのだから、個人の家計や企業の会計と同じに論じてはいけないという考えである。
そして、従来の経済学は金本位制を止めたにもかかわらず、金本位制時代の発想のままで議論しており、財政当局はインフレにならないように注意しないといけないという発想が強すぎ、今の時代に合わなくなっているという考え方である。
そして、その考えが強い国、日本とドイツが、過去十年単位で考えると、世界の主要国で経済成長が最低だというのである。一方で、無謀ともいえる程、人民元を刷りまくり、投資を続けて来た中国が世界で一番成長したのである。
(中国は共産党政権はやがて瓦解し、国が分裂するかもしれないが、経済大国が消える訳ではない) 国として世界最大の金持ちである純資産国の日本で、しかも、政府の借金の国債が全部、自国通貨建てなのだから、極端に言えば、政府がお札を刷って国債を償還すれば良いだけで、従来の財政再建の話は、今の時代に合わないという事である。
わかりやすい例え話をすれば、江戸時代の旧藩では、その藩の中だけで通用していた藩札というのがあった。純資産が300兆円ある今の日本なら、今の円を藩札と考え、増刷して子供手当などの名目で、各家庭に配って、国民の所得を上げれば消費も増え、デフレはあっという間に脱却するという話である。
また、世界の主要国の中で最低水準、世界の主要国の7割程度となった日本の最低賃金を、毎年5%づつ6年間上げ、世界水準にまで持っていけば、国民の所得も増え、消費が増える。そうすると、企業の売り上げが上がり、日本は30年止まったままの経済発展を再度、再開できるというのである。
勿論、MMTは従来の経済理論を批判しているので、欧米でも従来の経済学の大家は反対していて、論争になっているが、日本では、一部のネットなどの紹介を除いて、大手マスコミでは、このMMTを紹介もしていない。マスコミの記者の不勉強と、この理論が広まる事を恐れる財務省が黙殺しているからである。
つい数日前にも、ある新聞で自民党の主要政治家が「福祉の充実のために消費税引き上げは必要」という意見を言っていたが、これは事実と違う。
平成30年度の予算で、消費税収は17兆5千億円である。そして、国債の債務償還が14兆2700億円である。つまり、消費税収のほとんどが福祉の充実ではなく、国債の償還に充てられたのである。
また、平成元年に法人税収は19兆円あった。それが今は12兆円と大きく減っている。企業の利益は史上空前と言いながら、法人税収は大きく減っているのである。
法人税の減税は、企業は世界の企業と競争するために、必要と企業経営者は良く言う。しかし、これも嘘である。
日本のGDPに占める輸出の割合は十数%で先進国中で最低である。我々が子供の頃、日本は輸出立国だと学校で教わったが、これも嘘だったのだ。
この嘘の気付いたのが三橋氏で、政府が発表しているデータを基に「日本は輸出立国ではない」と言い、その指摘で、通産省、今の経産省がそれまでの説明を改めたのである。
にもかかわらず、輸出競争のために、法人税を減税しないといけないという話だけは残り、法人税が減り続けているのである。
わかりやすい説明をすれば、消費税収は国債の償還と、法人税の減税に充てられ消えているのである。
今の日本では、トヨタなど自動車産業を除くと、大きく輸出で稼いでいる業界、企業は極めて少ない。だから、海外企業と競争のために、法人税を下げないといけない、また、従業員の給料の下げて、コストカットをしないといけないという話は嘘なのである。
従業員の給料を上げたくない経営者が賃上げを渋り続けた結果、日本人の所得は減って来ている。そして、当然、消費に回る金は減るので、ものが売れない。売れないから、企業はまた、コストカットをして、非正規を増やすなどして、労働者の給料を下げるから、更にものが売れなくなるという悪循環に陥っているのである。
30年間、経済成長がゼロだった日本をまた、豊かな国にするのは簡単である。減らし続けて来た国民への配分を増やす事である。
所得が増えれば、当然、購買は増える。そうすれば、企業は売り上げが増えて来て、また、従業員に還元が出来るようになる。
「最低賃金の引き上げなど無理」と零細企業の経営者は良く言う。
でも、零細企業が多いから、前向きの投資も教育もできず、中国の下請けのような仕事をする日本企業が増えているのである。
これから、ますます労働者不足になるから、そうした零細企業は統廃合して体質を強化しないと、そう遠くなく、人が集まらなくなり、企業が存在できなくなって来るのは間違いない。
非正規労働者をなくすような法律を作る事こそ、野党の役割だと思うが、大手企業の労働組合は非正規の待遇改善など考えず、正規労働者の権利確保しか頭にないから、野党も非正規をなんとかしようという発想がない。だから、野党第一党が一桁台の支持率しかないのである。
平成の30年の日本の停滞の原因と対策がわかっているのに、政府はそう動こうとしない。そして、逆に、もっと悪くなる方向に動いている。その代表が消費税の増税である。
消費税の増税は、減り続けている国民の所得をまた、奪うものである。ますますデフレにはまって行くのは必至である。
安倍首相は外交などで頑張っていると言われる。
だが、もの今年の10月消費税を引き上げたら、首相在任中に二度消費税の引き上げをして、日本経済を破壊した最悪の首相という歴史的な評価になるのはほぼ間違いないだろう。移民法やアイヌ新法などで、これも歴史に大きな悪影響を残した首相と後世から批判されるだろう。
歴代の首相は間違った事も多く行って来たが、歴史に残る事もして来た。
日本を独立させた吉田茂、日ソ国交正常化をした鳩山一郎、大きく不平等だった日米安保を改定した岸信介、日本の経済成長を成し遂げた池田勇人、沖縄返還をした佐藤栄作、日中国交回復をした田中角栄、赤字だった国鉄を民営化して、黒字体質にした中曽根康弘、北朝鮮から拉致家族を一部取り返した小泉純一郎などなど。
一方で、功績ゼロで、後世に多くのマイナスを残した宮澤喜一、鈴木善幸、竹下登、そして、民主党の3人の元首相。今のままで行くと、安倍首相はこの功績ゼロのどうしようもない首相達の仲間入りは必至である。
20190407
覆った誤った常識を流しまくるマスコミ、役所
3年前、5年前に常識として定着していた事が、その後の調査や事実などで違っていた事は少なくない。その代表的な話が原油の埋蔵量である。
筆者が学生時代から20代の頃、「世界の原油の埋蔵量は後50年か、百年で枯渇する」と言われていた。そういう流れにそって、原子力発電所などの建設が相次いだ。
しかし、その後の調査、探査や、掘削技術の進歩、そして、原油価格の上昇などで、商業ベースで採算が取れる石油やガスの埋蔵量は増えて、今は採掘可能な埋蔵量は1万年を越えていると言われ、見渡す限りの将来において、原油や天然ガスが枯渇する心配はなくなったと、専門家は断言する。
だが、原油や天然ガスを巡るマスコミ報道や、日本の役所の発表などとみても、アメリカのシェールガスの話は何度も取り上げられているものの、「今後1万年くらいは原油、ガスが枯渇する心配はなくなった」という話は出て来ない。
この基本認識次第で、原発を含むエネルギー問題の議論の出発点が大いに異なって来るのに、こうした報道や役所のコメントがないから、議論が不透明のままである。
エネルギー問題で言えば、再生可能なエネルギーという事で、太陽光や風力などによる発電の必要性が少し前に大々的に報道されたが、今は、世界ではブームは終わり、多少の補完という役割はあるものの、主力にはなりえないというのが、専門家の常識になりつつあるが、これもマスコミも役所も言わない。
一般に流布されている常識が全く違っているもう1つの例が温暖化である。
つい数年前まで、いや、今でも、炭酸ガスの排出で地球は温暖化していて、南極や北極の氷がどんどんとけていて、炭酸ガスの排出抑制が緊急の課題であると、マスコミなどで大きく取り上げられてきたし、今でも報道されている。
しかし、もう何年も前から、地球問題の専門家の間では、地球の危機は「温暖化ではなく、寒冷化である」というのは常識で、「数万年後には地球は氷に覆われ、人類を含み、現在、地球上にいる生物のほとんどが絶滅する」と言われている。
だが、マスコミや役所が発する情報やコメントでは、いまだに、「温暖化を止めないといけない。そのためには、炭酸ガスの排出量を減らすのが緊急の課題である」という話が相変わらず罷り通っている。
だから、日本が議長国を務める予定の次回の世界の首脳会議で、日本は炭酸ガス排出量ゼロを目指す事を宣言する」という信じられない事を役所が公表し、それをマスコミがそのまま報道している。
そもそも、地球温暖化対策を大々的にアピールしたのは、アメリカのゴア元副大統領である。
彼が何故、そういう事をしたのかという疑問にある専門家は、以下のような解説をする。
「アメリカ議会では、温暖化防止のための炭酸ガス排出抑制には反対の方が多数派で、国際的な会議でたとえ、議決されても、アメリカはその条約に批准する恐れはない。一方で、炭酸ガス排出抑制が世界の大きな流れになれば、欧州や日本、中国などはその対策に多くの資金負担を強いられ、それは企業競争の上で、アメリカに有利に働くからだ」。この解説が正しいかどうかは別として、誰かが何かを大々的に言い出す時には、何か裏があるというのが常識である。
だが、戦後の日本では、憲法から始まって、戦後教育で「人類は皆良い人で、話し合いをすれがわかりあえる。だから、話し合いで何でも解決する」という教えが徹底しているので、嘘や思惑を考え、見抜くという発想が極めて乏しいのである。
中国出身で、今は日本に帰化し、日本の歴史にも詳しく、日本と中国を比較して、文化論を展開している評論家の石平氏の話は面白い。彼は以下のように解説をする。
「中国は何千年にわたって、くるくると王朝が変わって来た。新しい王朝が出来ると、支配者は自己の正当性を主張するために、前の王朝を否定し、自分の王朝がいかに正当な王朝であるかをアピールするために、歴史を捏造し、前の歴史を否定してきた。
王朝が変わる度に、それまで正しかった考え方が、翌日から正しくなくなる。だから、一般国民にとっても、大切なのは事実ではなく、変わる世の中にどう対応して、生き抜くかである。
中国では嘘も百回言えば、本当になるという喩がある。そして、嘘をつく事を誰も責めない。生存のため、嘘をつく事は必要だったからである。
嘘はつく方が悪いのではなく、嘘の騙される方が悪いというのが、中国人の考え方である。だから、中国人は短期だけでなく、十年、二十年かけて、相手を騙すなどという事は珍しくなくいう。
良し悪しではなく、日本人は隣の国がそういう歴史と伝統を持った国だと認識しないと、とんでもない事になる」。商売人の間では、中国人華僑はビジネスがうまく、平気で他人を騙す事もすると言われるが、ビジネスの上での常識では、華僑よりもユダヤ商人の方がえげつないと言われる。そして、ユダヤ商人の上手を行くのがインド商人、そのインド商人が恐れるのがシリア、レバノン商人だという。
世の中には上手はいくらでもいる。嘘、騙しは常套手段なのである。
「人類、皆兄弟、話せばわかる。話し合いで何でも解決する」を信じるのは、戦後の日本人だけである。世界でも珍しいお目出たい人達が日本人なのである。
平成の30年間、日本、および日本人をずっと苦しめて来た間違った常識の最たるものは、「日本にはGDPの2倍以上の巨額な借金があり、これを解決しないと、大変な事になる」という嘘である。
この常識を長年、財務省がずっとPRし、それをマスコミ、大学教授、評論家、官僚、政治家が信じて来て、一般にも正しいと信じられてきた。しかし、最近、それが真っ赤な嘘であることが次第に明らかになって来つつある。
最近は、何人もの専門家が具体的にデータや資料を基に、この財務省が広めた常識が嘘である事をネットを中心に説明し始め、そうした事に関心がある少し意識がある人の間では、財務省がいかに日本人を騙して来たかが話題になっている。
そして、以前は財務省のPRで騙されていたIMFなど世界の金融関係の機関までもの、「日本の財政問題は心配しなくてよいレベルになった」と言い始めた。
この話は何人もの専門家がネット上で詳しく説明しているので、ここでは簡単に財務省の嘘を説明するにとどめるが、ポイントは以下の通りである。
財務省は「国、または国民の借金」という嘘をついているが、借金をしているのは、国や国民ではなく、政府である。国民一人当たり1千万円の借金というのは全くの嘘である。この政府の借金の貸主は国民であり、国民は赤ん坊から大人にいたるまで、一人当たり1千万円の債権をもっているのである。
では、政府は大変かと言えば、これも嘘である。
日本政府には、膨大な借り入れ金がある一方で、膨大な資産、債権がある。日本という国は世界一の債権国、つまり、世界一の金持ち国家なのである。どんな会社でもそうだが、多くの資産があれば、多少借金があっても、問題はない。
そして、もう1つの重要なポイントは、政府には通貨発行権があるという事である。
かつてのロシアやアルゼンチン、ギリシャが財政破綻したり、しかかったのは、借金が外貨建て、つまり、海外からの借金だった事が原因である。外貨建ての借金はなんとしても、その外貨を集めて、返さないといけない。それができないと、国が破綻する。
しかし、日本政府の借金は全額、円建てである。ということは、政府がお札を刷りまくって、借金を返せば済む話なのだ。「日銀が国債を買いまくって何百兆円も持っているから、大変だ」という事を言う人がよくいるが、政府が紙幣を発行して、この国債を償却すれば、それで問題は終わりなのだ。
財務省は「日本には巨額の借金があるので、これを返さないといけない」という事で、この30年間、緊縮財政をとって来て、教育費も公共事業費も、全ての予算を削りまくって来た。そして、消費税を増税して来た。
この結果、国民には金が行かなくなり、この30年で他の国が何十倍、何倍と経済規模を拡大している中で、日本だけが横ばいとなり、今では中国の半分のGDPになってしまい、世界的に発言力がどんどん低下してしまったのである。
うがった見方をする人の間では、財務省、日銀、政治家の幹部たちは、中国など外国から賄賂をもらい、または、ハニートラップなどのかかり、そうした外国に逆らえず、日本を裏切る事を続けて来たと解説する人までいるくらいだ。
それはともかく、国民をみても、収入が減って来たので、車を買わなくなり、結婚しなくなり、そして、少子化が進み、考え方がどんどん内向きになり、貧しくなって来たのである。
第二次安倍政権になって、アベノミクスで、金融緩和をし続けているが、物価は一向に上がらず、2%のインフレ目標が達成できないどころか、また、マイナス成長になり出している。
原因は簡単である。財務省が緊縮予算を組んで、予算を削りまくり、増税をして、国民の少なくなった年収を更に減らしているのだから、インフレになど絶対になるはずがないのである。
日銀が銀行など金融機関が持つ国債を買いまくっているが、売った金融機関は、それで手に入った金を市場に流さずに、日銀の当座預金に預けたままなので、国民には金が行かない。これでは、国債を買いまくる意味がないのである。
では、「失われた平成の30年をどう取り戻したら良いか」。これも簡単である。
日本は高度成長時代からバブル時代に稼いで、300兆円の黒字、つまり、貯金がある。ロシアやアルゼンチン、ギリシャと異なり、世界一の金持ちで、財政破綻の心配はない。だから、紙幣を増刷して、企業や国民に直接渡るようにするのである。
今の国家予算は百兆円程だが、税収はこの半分で、残りは国債などで賄っている。この50兆円分を国債に頼らず、今後5年計画で、合計250兆円分、紙幣の増刷で予算を増やして行くのである。
そして、この政策を今後、5年間続けて行くと宣言して行うのだ。こうすると、企業に設備投資の意欲が出て来る。これで企業に蓄えられたままの金も生きて来る。
また、緊縮財政の下で、大幅に削られた公共事業や教育費を元に戻すとともに、国民にも1世帯あたり、50万円くらいデフレ対策費として、無償で配るのである。
また、先進国の7割水準まで落ち込んでいる最低賃金を毎年5%、6年連続で上げて行く事を宣言し、先進国水準まで戻す事である。
工事をすれば、働く人や県連業界に金が行くようになり、1世帯50万円もらえば、何割かは使おうと思う。そうすれば、購買が増え、金は回り出すのである。
最低賃金を上げると、中小企業が倒産すると言われるが、日本企業の最大の問題は、企業の淘汰が進まず、零細企業が多く存在する事である。最低賃金の上昇は、中小企業の淘汰を勧め、その給料を払ってもな成り立つ強い体質の企業を作りあげる結果になるのである。
また、この30年の産業政策の失敗の最たるものは、企業のコストを削って、安いアジアの製品と競争して来た事である。
コスト削減は賃金の減少につながる。企業に利益は出ても、働く人はどんどん貧しくなっていくのだ。
こんなバカな政策は止めて、安い製品は中国をはじめアジア諸国に任せ、付加価値の高い、値段が高い商品にシフトして、世界で売る事である。
また、中国がしているように、将来を担う産業、製品に政府が補助金を出して、今やかつての栄光はどこへ行ったと言えるように、競争力を失った日本の電機産業などの最先端技術に資金を投与していくのである。
また、欧米でホテルに泊まれば、安心な宿だと、1泊2万から4万円は当然である。
日本はサービスが良いのだから、欧米並みにしっかり、料金をもらうのである。国民の年収が増えていけば、そうした価格でも、お客はついてくる。
教育は国の金で無償化するのではなく、労働者の給料を上げて、子弟を大学に行かせる事ができる賃金にする事こそが重要なのである。
ダイソーのような百円ショップは個人としては、便利だが、こうした店が繁盛するのは、日本がデフレだからである。百円ショップが半減するようになる事が日本の経済復興の反映なのだである。
紙幣の刷りまくりは、インフレ率をみていて、それが4%5%という数字になった時に、印刷を絞れば良いだけで、ハイパーインフレなど起きる訳がない。
テレビの番組を見ると、あいも変わらず、池上彰に解説される番組がいくつも流されている。
前にも書いた事があるが、彼の解説は益よりも害の方が遥かに大きい。
彼はNHKで社会部の記者をしていて独立した人で、経済や政治は直接取材などしていない。では、どうして解説をしているかと言えば、何人もいるスタッフが市場に出回っている本などを元に、メモを作って、池上彰に上げて、彼はそれを読むという事をしているのである。
筆者自身、長年、経済記者をして来たし、コンサルタントとして、多くの企業の経営改革に携わって来たが、世の中の出来事は、一般に言われている事と、事実は違うという事が多い。
だが、池上彰の番組では、通常言われている常識が書いてある本などの常識で解説するので、その問題に直接関わった人間や取材をした記者から言えば、「その解説は間違い」という話が少なくない。
ネットが普及し、世の中で言われている事は実は違うという書き込みや説明も増えて来たが、テレビの番組は何十万、何百万人の人が見るので、その影響はかなり大きい。ここで、間違った解説をすると、覆った嘘の常識を、また、繰り返して、国民に刷り込む事になる。
ネットの発達で、世の中が変わり始めて来た中で、池上彰のような番組は、百害あって一利なしとさえ言える。
20190127
2ちゃんで見る、嫁姑、夫婦のトラブルの対処の甘さ
ご存知の方も多いと思うが、ネットの2チャンネルには、夫婦間や嫁姑などのトラブルを書き込み、他の人のアドバイスを求めるサイトがいくつもある。
そして、その書き込みを編集したものがユーチューブにアップされているので、筆者は興味半分で、そうしたやりとりを時々見るのだが、読んでみていつも感じるのは、「これが今の日本の話?」という事である。
書き込みで多いのが、嫁姑のトラブルで、嫁が姑や小姑にいびられたという話は頻繁に登場する。
嫁が夫の実家に行ったら、掃除、洗濯、料理などの用事を多く言いつけられ、疲れ果てたとか、嫁だけの食事がなかったとか、「家事がお粗末」と散々文句を言われたというような話である。
そして、ドラマ性を持たせるためなのか、そうした苛めを何年、何十年と耐えたが、ついに耐え切れずに、切れて、復讐をしたり、離婚したりするというのが多くのストーリーである。
だが、読んでいて、いつも不思議に思うのだが、理不尽な苛めや嫌がらせにどうして、何年も時には、何十年も耐えるのか、筆者には全く理解出来ない。
別に1回、2回で切れろとは言わないが、少なくても数週間、まあ、1,2か月経って、苛めや嫌がらせが続くようなら、何故反論しないのかと思う。
書き込みを見ると、被害者の立場の嫁などが「相手にしても仕方がないので、スルーしていた」という表現が良く出て来る。
だが、学校や職場での苛めやパワハラも同じだが、こちらが反論、反撃しないと、相手にどんどん図に乗って、エスカレートして来るのである。
反論しないで、スルーしている事が、相手をより過激にさせているのである。何で、そんな簡単な事がわからないのか、不思議でならない。
筆者はもう70歳代だが、中学の時に転校して、苛めに遭った体験を持っている。苛めの内容はクラス全員が口を利かないという無視であった。
後でわかったのだが、それまでのクラスのリーダー格の生徒が、筆者が転校して行ったことで自分の地位が脅かされる事を恐れて、他の生徒に無視を命令し、全員がぞれに従ったのである。
筆者はどうしたかというと、「他の生徒が口を利かなくても、別に支障はない」という発想で、無視を無視したのである。
苛める側は、無視される側が、それで悩み苦しむから、苛める意味があるのであって、無視を無視されると、苛める意味がなくなる。
そして、幸いに筆者は勉強ができたので、2,3か月も経たない内に、一部の生徒が筆者に勉強の質問をするようになり、それがきっかけで、他の生徒も口を利き出し、最終的には無視を指示した生徒だけが、逆に1人孤立する事となった。
職場でのパワハラでも一緒で、パワハラに耐えて、我慢するから、する側の上司が図に乗るのである。苛めもパワハラもそうだが、きちんと準備し、根回しをし、こちらがおどおどせずに、反撃すれば、相手は攻撃を止めるのである。
筆者が50歳代の頃の話だが、小学生の子供が苛めにあっている親から相談を受けた事がある。
その時の筆者のアドバイスは、子供に、ズボンのポケットに数個の石ころを入れておかせ、苛められそうになったら、それを両手に数個持ち、相手の目を見て、「やるなら、これを投げて、お前を大怪我させるぞ」と反撃するのだと言った。
親は教師や学校にも相談したが、埒が明かないので、筆者に相談して来たのだが、筆者は過激な対応策を指導した。そして、この子は筆者のアドバイスに従い、その通り行動して、その反撃1回で、苛めは終わったという。
苛める側は自分に被害が及ばないから、苛めるのである。自分が大怪我をしてまで、苛めはしないのである。苛める相手は誰でも良いので、自分が反撃で怪我をしそうな相手には苛めはしなくて、苛める側は別の標的を探すのである。
だから、反撃、それも早い内の反撃が必須なのである。
エスカレートした後だと、相手も引っ込みがつかなくなって来て、泥沼になりかねないのだ。
大手広告代理店やテレビ局で、多大な残業をさせられた社員がそれに耐えられずに、自殺をしたという話があり、親が「子供は殺された」とか訴えているが、これも筆者には理解できない。
死ぬまでに思いつめたのなら、準備をし、根回しをして反撃したら良いだけの事である。
上司の更に上司に訴える方法もあるし、大手企業なら、社内にそうした事を取り締まるコンプライアンス委員会のような組織もある。
死ぬ気にまでなったのなら、そうした所に訴える方法もあるし、それで、埒が明かなかったら、外部の労基や弁護士などを味方につける方法だってある。
それでも解決できなければ、転職をすれば、良いだけである。死ぬ気になれば、転職などどうという事はないはずである。
でも、そうした考えられる、ありとあらゆる事をせずに、自殺などしたりする人を見ると、失礼かも知れないが、そうした組織に入る資質に欠けていたか、親の育て方が悪かったとしか、筆者には思い得ない。
嫁姑の話に戻すと、わかり切った話だが、姑は年寄りである。だから、体力勝負になったら、ほとんどのケースで若い嫁が勝つのである。
にもかかわらず、年寄りの姑のいびりに遭い続けるのは、嫁が抵抗しないからである。
上の小石を持って抵抗する小学生ではないが、「こいつを攻撃したら、自分が危ない。怪我しそうだ」と思ったら、誰も害などして来ないのだ。
また、こういう書き込みを読んでいて、本当に不思議な話なのだが、「〇〇家の嫁になったのだから、〇〇家の習慣、しきたりに従ってもらう」という話が頻繁に出て来るし、嫁が親の遺産などを相続した時など、「嫁に来たのだから、その金は〇〇家のもの」というような話が出て来る事である。
また、長男教の話も良く出て来る。親が長男だけを特別扱いし、相続でも、長男以外の者に相続放棄を迫るというような話が頻繁に出て来る。
そうした話をしている姑などは筆者より年下の年齢の人達である。ネットで面白おかしくネタのために書いている話としか、理解できない話のオンパレードである。
こんな話が出てきたら、「いつの時代の話ですか?」と反撃、理不尽な話を拒否すれば良いだけである。
それが、そうした話が罷り通るのは、姑側ではなく、嫁の側が「結婚とは〇〇家の嫁になる事」とか、「長男が相続して当たり前」という感覚を持っているから、こうなるのだとしか言いようがない。
筆者は東京で育ったが、サラリーマン時代、仕事で東京から遥かに離れた地方に十年以上勤務した経験を持っている。
そして、勤務地で土地の嫁姑の話も多く見聞きしたが、今、2チャンネルで書かれているようなひどい例はほとんど知らない。
嫁は一歩引いていても、芯は強く、府理不尽な事はノーとはっきり言っていた。
今、2ちゃんで書かれている話は余程の山奥の話かと思うと、東京や大都会であったりする。どうも理解できない。
筆者は長男で、自分の母親が年を取り、病気になった時、引き取り、今の言葉で言えば、同敷地内の別々の建物での「敷地内別居」で、筆者の妻と母親が付き合ったが、付き合いは隣で見ていても、本当に対等だったし、母親は決して、筆者の住まいの方に上がろうとはしなかった。
妻が勧めても、母は断っていた。用がある時は、母は当方の玄関で話をして、用を済ませていた。
筆者だけでなく、周辺の嫁姑のケースも多く見たが、むしろ、嫁の方が強い家庭の方が多かったし、姑が強い家庭でも、嫁が一方的にやられているという家はほとんどなかった。
学校の苛めの話ではないが、姑や小姑の苛め、嫌がらせがひどくなるのは、嫁が曖昧にスルーし苛める姑や小姑の、「この相手は攻撃しても、自分に反撃して来ないから大丈夫」と感じさせているケースが多いのではないかと思う。
攻撃は最大の防御なのである。人生ややられたら、やり返すのみである。それも何年も待つのではなく、1、2か月でである。
嫁、姑の話ではなく、夫婦間の話の相談や愚痴も多く書かれているが、読むと、配偶者が家事を全くしないで困っているとか、料理がまずいとか、更にはどちらかの親との同居で揉めるという話が良く出て来る。
これらも読んでいて感じるのは、愚痴っている人の多くが、結婚前、交際中に、きちんとそうした大切な話を詰めていない事である。
同居の話などは、結婚前に詰めておいて、極端に言えば、合意書を作るくらいの準備が必要なのにそうした事もしていない。
相手が一人っ子とか、長男だったりしたら、同居や介護の話はやがて出て来るものであるのに、そうした事を考えずに結婚しているのだ。同居や介護が嫌なら、長男や一人っ子とは結婚しなければ、良いのにそうした警戒感もない。
料理の話も、付き合っている時に、相手に料理を作ってもらい、どれくらい出来て、味はどうかというのは、きちんと把握するのは当然の作業である。
これは嫁の料理の腕だけでなく、夫になる人間の料理、洗濯、掃除などの能力、習慣をしっかりチェックし、出来ないなら、付き合っている間に習慣をつけさせるくらいの周到さが必要なのに、結婚して、何もしない夫を嘆いたりしているのを見ると、「何もしないように夫を甘やかしたあなたが悪いのでしょう」と言いたくなる。
何十年も結婚生活をする上では、家事がどれだけできるかというのは、顔や体の良しあしよりも遥かに最重要課題なのに、「結婚して、メシマズを知った」とか、「夫は何も手伝ったくれない」などと書いているのを読むと、何のために付き合い期間を設けたのか理解できない。
「付き合っている時はやさしかったが、結婚したら、豹変した」。これも良く書かれている言葉だが、嘘である。嘘で隠した本質を見抜けなかっただけである。少し注意してみていれば、ふっとした時に、サインは出ているのだ。
書き込みでは義理の親の介護をした妻が、費用負担や遺産相続の話になって、取り分が少なく文句を言っているケースが結構あるが、これも事前に詰めをしなかった自分悪いように筆者には思える。
例えば、実子が3人いて、その内の1人の実子の嫁が姑の介護をするというような話が出て来て引き受けざるを得なくなりそうだったら、少なくても、「介護をする自分は働けなくなり、減収になるのだから、その分を他の兄弟が負担して欲しい」と言って、条件をつけてから、引き受けないといけない。
更に「遺産相続の時に、介護した者、それが誰であれ、その者が余分のもらえるように契約書を作って欲しい」などを言って、介護に入るくらいの交渉をする準備が必要である。
そんな事を言うと、「兄弟、親子で契約書を作るのか」と文句を言う人がいるが、「口約束を破る人が多く、多くの家庭で揉めているから、揉めないために書類を作るので、それが嫌なら、一切協力はしません」と言えば、良いだけである。
筆者が実際の見聞きした例でも、兄弟同士の遺産相続でも、大きな喧嘩になる事が少なくない。まして、配偶者という第三者が加わって来るのだから、揉めて当たり前だと思い、詰める事をしないといけないのである。
外交交渉ではないが、人同士の話でも、「話しても、分かり合えない人、価値観が違う人は山ほどいる」のである。
外国のモノマネが恒常化して来た日本テレビ業界、店舗
2年位前から日本のテレビ局で、アメリカで大ヒットしたテレビドラマのモノマネドラマが盛んに放送されている。テレビ業界用語では「リメイク版」というが、内容はパクリそのものである。
2016年から2018年に2シリーズ放送された「SUIS/スーツ」に始まり、その後2018年に放送された「コールドケース」、そして、2019年1月からTBSで始まった「グッドワイフ」である。
文句が出ないように、アメリカの製造元には、なにがしの金を払って番組を制作しているらしいが、ストーリーや展開は元のドラマとほとんど同じで、モノマネ以外の何物でもない。
外国でヒットした商品のパクリをするのは、中国や韓国で、ディズニーやキティーちゃんのキャラクターが無断使用されたとか言って、日本では非難じみて報道して来た経緯があるが、最近のアメリカTVドラマのモノマネ大流行の事について、何故か、ほとんど誰もコメントしていない。
リメイク版でもパクリでも、モノマネでも良いが、何故、日本のテレビ業界でこんなにアメリカでヒットした作品の焼き直しが多発するようになったのだろうか。
筆者が中学、高校くらいのテレビがやっと日本人の家庭に普及し出した頃は、日本人がしっかりしたドラマを作る力がまで余りなく、アメリカのTVドラマが、日本のテレビのゴールデンアワーに放送されていた。
「ララミー牧場」「弁護士ペリー・メイスン」「ルート66」「名犬ラッシー」などであり、多くの日本人のファンを獲得した。
しかし、その後、日本のテレビ業界も力をつけ、良いドラマをいくつも作り、流行を生みだしたり、世相を反映した、考えさせられるものも登場した。
だが、ここ数年は、日本のテレビで放送されるドラマで見たいと思うものは、非常に少なく、見たら、時間がもったいないと思うようなものがほとんどになって来た(少なくても筆者には)。
だから、筆者は今はドラマについて言えば、CS放送で外国製のものを見るか、BSで日本で何十年も前に作られ、放送されたものの再放送を見るくらいである。
見ればわかるが、日本のテレビドラマでも二、三十年前に作られたものは、一定の金をかけて作っている。
例えば、時代劇で縁日の店が並んでいる中で、1つの店で客と店側でトラブルが起きるというような設定の話なら、昔作ったものは、揉める店以外の店を背景として、きちんと色々な店と商品を並べて見せていた。
無駄と言えば無駄だが、ドラマや映画はこうした無駄がとても重要で、それが作品に奥行きを持たせているのだが、今のドラマ作りはそうした事をカットしている。だから、絵に奥行、深みがないのである。
日本の時代劇ドラマの「鬼平犯科帳」や「剣客商売」などが何十回と再放送されながら今でも再放送され、一定の人が見ているのは、筋の面白さ、主演の俳優の人気もさる事ながら、この奥行、深みがあるからである。
そして、今のテレビ業界で働く人にとっては、何十年も前の作品が何十回も放送されているということは、とても恥辱的な事だと筆者などは考えるが、業界からはそうした声は出て来ない。
何故、こうなってしまったかと言えば、テレビ局が制作費をけちり、しっかりした作品を新しく作る事が難しくなって来たからである。
韓流ドラマが多く放送されている理由も同じ事で、安い料金で輸入できるので、日本のテレビ局が韓国ドラマを買って、BSの登場で入れ物が大きくなった日本の各テレビ局の放送時間をなんとか埋める事に苦労している事から生まれた事である。
筆者は歴史的に全く事実と異なる事を描いている韓国ドラマを見ようとは思わないのでほとんど見た事はないし、最近のアメリカドラマのモノマネドラマも、がっちり作られている原作を見ているだけに、モノマネの日本物は見ようとも思わない。
筆者の周辺にいる人達と話をしても、面白いものがないので、テレビ、特に地上波はほとんど見なくなったという人が、年代に関係なく多い。
でも、彼らと話をすると、「良いものがあったら、見たい」という人は少なくない。今のテレビ業界は自ら考え、努力する事無く、存在する潜在的なファンをどんどん減らしているとしか言いようがないのである。
テレビのアメリカ作品のモノマネの事を考えている時に、全く違う食品の販売店舗の業界だが、東京の表参道に、シンガポールの有名ティラミス店の商標をパクった日本企業の店が今月オープンし、話題になっている事を知った。
問題が表面化したのは、シンガポールのティラミスの店「ティラミスヒーロー」が、そのサイトで「日本企業に商標を登録されたので、日本での販売が出来なくなった」と告知した事からである。
この店のティラミスは日本人にもファンが多く、日本から注文しても、届くまで4か月待ちという店なので、ファンの間で結構な騒動になっている。
これに対して、表参道に店をオープンしたgramという会社は、「パクリではなく、独自の商品」と言い訳をしているが、名前も商品のデザインも、シンガポールに店のものそっくりで、どうみても、パクリ以外の何物でもない。
しかも、このgram社はティラミスだけでなく、コンビニのローソンの「プレミアムロールケーキ」など、日本で人気のいくつかの商品の商標登録をしていて、パクリ体質が鮮明になったが、会社は公式にきちんとした説明などをしないままである。
全く関係のないテレビドラマのアメリカ物のモノマネと、ティラミスのパクリを見て、筆者には根は同じような感じられる。
明治維新の時も、戦後の復興期もそうだが、進んだ欧米に追い付き追い越せと国民やリーダーが懸命な時は、まずは欧米の進んだ技術のモノマネから入り、やがて、それを習得し、日本人や日本企業がより良いものに進化させた。
レコードなどのCDは元々はオランダのフィリップスが考えた技術だが、実用化技術を考え、今のように便利に使えるようにして、世界に普及させたのは、日本人であり、日本企業だった。
新幹線などの高速鉄道は元々はフランスやドイツなどが先行していたが、日本は技術を身に着け、そうした国の技術を追い抜く、独自の技術を作り、世界的に評価されるようになったのである。
戦国時代にポルトガル人が種子島に銃を持ち込んだ時、日本はその3丁の銃を研究して製品を再生するノウハウを身に着け、数年後にポルトガル人が更に多くの銃を持って売りに来た時、日本にはヨーロッパ全体の合計よりも多い銃が普及していた。
こうした事が日本人であり、日本だった。
でも、今の日本人にはそうした発想がどんどん失われているように感じられる。
モノマネはより良いものを作るための過程だという発想などないし、もっと言えば、パクリをパクリと認めず、却って居直っているティラミスの店の経営者のような人間が増えて来たのである。
なぜ、そうなってしまったのか。
それは「失われた30年」が大きいのだと筆者は思う。
1990年頃にバブルが破裂して、もう約30年である。バブルやそれ以前を知らない若い世代にとって、日本が光輝いた事は全く他の国の話にしか過ぎないのである。
光輝いた事を知らない世代に、自国や自国民に誇りなど持てと言っても、無理なのかも知れない。
だから、外国の少し良いものをモノマネでもパクリでも良いが、持ってきて真似て何ら恥じる事がないのである。
今の日本は自動車業界を除くと、世界で日本が一番という産業をほとんどなくなって来た。かつて、世界を席巻した電機業界は今では、中国やアメリカの下請け、部品メーカーに成り下がってしまっている。
下請け、部品企業として、それなりに儲かっているが、世界をリードする訳ではないし、元受けの言う通りに行動しないといけない。だから、企業は儲かっても、従業員がハッピーではないのだ。
今の日本は、高度成長時代やバブル時代にため込んだ金融資産は結構あるが、産業の足腰がこれだけ弱くなり、そして、日本人が良い良いものを考え、作ろうという発想からどんどん遠ざかっている。
日本の再生は本当に大変だと改めて感じさせたのが、テレビドラマのモノマネであり、ティラミスのパクリである。
20181219
札幌爆発事故に関連して…知識が点のままで、線や面にならない今の教育
北海道の札幌で、不動産会社の従業員がスプレー缶を室内で戸を閉め切ったまま、ガス抜きをしていた上に、湯沸かし器に火をつけて、爆発させたという話は、現代教育の大きな欠陥を露呈した典型的な事例と言えるだろう。
現代教育の最大の問題点は、点は多く教えるが、ものごとのつながり、俯瞰的な見方、歴史から学ぶというような点がすっぽりと抜け落ちている事である。
スプレー缶や冷蔵庫のガスが、環境対策から、フロンガスからプロパンなどのガスに変わった事は結構知られている。また、スプレー缶を処分する時、管に残っているガスを抜いてゴミに出す事も常識化しつつある。プロパンガスが重く、滞留する事も結構知られている。
だが、百本を越えるスプレー缶のガスを放出させ、そのガスが貯まった状態で、湯沸かし器に引火したら、爆発が起きるという関連付けて物事を考える発想が現代人にはないのだ。
大手チェーン店の不動産屋なので、店には数人の従業員がいたはずである。他の人間がスプレー缶のガス抜きをしていたら、危ないと言って止めさせる人間がいてもおかしくないのに、誰もそれをしなかったのである。
筆者が企業の採用を担当している頃、何回かの選考に勝ち抜いた学生を集めて、グループディスカッションをする事をしていた。
筆者が採用を担当していた企業だと、グループディスカッションに参加する頃には、学生はほとんどが早慶の商法経、旧帝大、首都圏の国公立大レベルになっていた。関西だと、国立大と同志社、関学の商法経の学生達である。
この時に、30~40人くらいの学生にディスカッションをしてもらう前に、少し緊張ほぐしで、いくつかの問いかけをした。
例えば、「大化の改新で、日本は何がどう変わったか」というような質問をしただが、このクラスの学生で、この質問にまともに答えれる学生はほとんどいない。
大化の改新は中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺して、蘇我氏を滅亡させた事はほとんど全員が知っている。しかし、それで政治はどう変わったか、日本はどう変わったかという質問になると、サッと答えが出て来ないのだ。
それまで豪族が所有していた土地や民を天皇に返し、土地も民も天皇、国のものであるとした「公地公民」や、恣意的に裁いていた事を改めて、法律で処罰するという「律令国家」とした事、租庸調などの「税制の確立」などが出て来ないのである。
これは大化の改新に限らない。
日本の幕末にアメリカや欧州はどういう状態だったか、そして、それが日本の幕末にどういう影響を与えたかという質問になると、明確な答えが出て来ないのである。
最近の研究で、アメリカの政府が南北戦争で使い、戦争の終了とともに、不要になった武器を大量に日本の官軍側に売って資金を回収していた事がわかって来たが、幕末とアメリカの南北戦争が同じ時期という事を知らないと、これが理解出来ないし、関連付けて考えるという発想が出て来ない。
江戸後期から幕末にかけて、日本は世界と異なり、銀が優位となる金銀の交換比率を採用していたのを知った欧米人が、銀を持ってきて、日本にある大量の金と交換して持ち出し、彼らはこれで大儲けをしたという話は結構知られている。
しかし、日本から持ち去られた金がアメリカの時の政府を豊かにさせ、北軍が勝利する一因になっていたという話や、日本から小判が大量になくなり、徳川幕府が崩壊する原因の一つだったという話になると、今の学校教育で育った学生や若者は思いもつかないのである。
東京湾のお台場は、地名としては有名だが、アメリカのペリー提督が黒船で日本に来て、また、1年後に来ると言った事に備えるために、幕府が大砲を大急ぎで作り、それを設置するために作ったものだという話になると、今の人のほとんどが知らない。
物事には、何でも因果関係があり、複数の事が絡み合っている。だが、そうした事を考える訓練がほとんどされていないのである。
戦後の日本では、GHQの指示でそれまでの教育が大きく変えられたが、それでも、戦後十年位までの間は、戦前の教育の部分が残っていた。また、戦前からの本などが多く存在し、興味がある生徒は色々なものを読んで、知る事が出来た。
だから、終戦間もない頃から学校教育を受けた筆者でも、毛利軍と戦った尼子軍の武将、山中鹿之助が自分を鍛えるために、天に祈ったという「我に七難八苦を与えたまえ」という話も本から知った。
また、江戸時代に江戸の堀が外国につながっているので、外国の侵略に備えないといけないと警告した林子平が牢屋に入れられて、詠んだ「親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し」という歌も本で読んで、小学生で知っていた。
そして、小学生の時、読んだこうした話は、七十年近く経った今も鮮明に覚えている。
それはエピソードだからである。
エピソードは長期記憶に保存される。だから、忘れないのだ。
しかし、日本が高度成長に入る頃になると、産業界の要請もあって、暗記詰め込み教育が全盛となり、「自分で考える」「疑問に思って調べる」「意見の違う同士が議論を戦わす」という教育は姿を消し、教師が「この通り覚えろ」という丸暗記型の教育となった。
そして、教科書からエピソードをどんどん消して行き、無味乾燥な公式や数字の羅列の暗記になった。
今は学校で、真珠の御木本幸吉、十和田湖の和井内貞行などの話は教えない。学校の二宮金次郎の銅像はわざわざ破壊している。
エピソードが重要な教育だという事を理解出来ない人間が教科書を作ったいるからだ。そして、その教育が問題が起きた時にどう対応するかという考える力を奪っているのである。
以降、60年におよぶ日本教育は、言われた事をそのまま覚え、その通りと信じる暗記型秀才を大量に生みだし、そうした教育を受けた最初の世代がもう60歳くらいになっている。この教育を受けた子供が教師になり、既に校長になっているのである。
十数年、採用面接をして来た経験から言うと、今の一流大学の学生は話をしていて頭の回転は速い。しかし、知識が点で線につながっていないし、面になっている学生は極めて少ない。
知識に至っては、受験に必要な事は覚えているが、受験に関係ない事となると、それこそ、崖を削り取ったように、全く知らない。受験に関係ない事は全く興味がないのだ。
世の中、受験以外の事がいくらでもあり、受験に関係ない知識も後々役に立つという発想などない。
勿論、筆者が若い頃競争しても、まず勝てないなと思う学生も時にはいる。でも、こうした学生は1年に1人から2人くらいしか出会わない。
戦後の教師から「この通り覚えろ」というように教えられて来た学生の最大の欠点は、上司の命令は絶対であり、現状のルールが大前提で、そのルールがおかしかったら変えようという発想が出て来ない事である。
だから、困るとごまかして、辻褄合わせをするのだ。
色々な企業で多発しているデータ改ざんや偽装問題は、こうした戦後教育を受けた者が当然、辿り着く決着なのである。だが、これだけ色々な企業で問題が噴出しているのに、そうした分析が全く行われていない。
使わないといけない除菌スプレー缶が大量の残っている。そのままだと怒られる。それなら、廃棄しよう。廃棄するにはガスは抜かないといけないから、抜いた。そして、ガスが貯まっている所に湯沸かし器に着火して爆発をした。それが今回の事故のようである。
この事故について、新聞やテレビは何回も扱うが、そうした事が起きた教育背景まで語る議論は皆無である。
今、日本で空き家が大きな問題になっている。
何故、空き家か。簡単で、空き家を放置した方が家を壊して更地にするよりも税金が安いからである。
空き家がこれだけ問題になったら、この税制を変えれば良いのに、役人はそれをしない。
役人は自分に利益が来る事しかしない。空き家が多かろうが少なかろうが、国土交通省や財務省の役人には関係ないから、手を付けないのだ。そして、国会議員も何も動こうとしない。
東名高速で煽り運転から男女2人が死ぬという事故があり、最近、裁判で判決が言い渡されたが、この時の専門家と称する人達の議論を聞いていると、丸暗記型で教育をされて育った人達に典型的な話が多かった。
煽り運転そのものを取り締まる法律はない。車間距離をとっていなかったとかいうような事で軽微な罪に問える法律はあるが、煽り運転そのものを罰する規定がないのである。
だから、2人が死んだ事故で、それが危険運転に相当するかという不毛の議論になったのだ。
これが外国なら、間違いなく議員立法で、「煽り運転禁止法」というような法律が提案され、与野党一致で新法が出来て、少なくても煽り運転をするドライバーは「免許停止」「免許はく奪」というような罰に問われるようになるだろうが、日本ではこれが起きない。
別に刑務所に長く入れてなくても良い。免許をはく奪すれば良いだけなのに、それが行われない。
法律が全てで、「今の法律で罰する事が出来ない」という論理が堂々とまかり通るのだ。
法律で人間の生活のすべてを規定する事など不可能である。想像もしないような事が起きるのが人間であり、生きているという事である。
では、どうするかと言えば、普通は法律の解釈を変えて、現実の生活に合わせるようにするか、それが難しければ、新しい法律を作れは済む事である。
でも、今の日本ではそれが行われない。「今の法律、ルールが全て」と考えている暗記型秀才が世の中心にいるからである。
間違った戦後教育の罪を大きい。
20181210
記者が素人、読者がプロで、大人の時代
プロ野球の広島から丸選手が巨人に移籍した事について、スポーツ紙の記者が、丸を擁護する原稿を書いて、大人の読者の反論を食らっている。
この記者は「丸は出来たら、広島に残りたいと考え、広島球団の条件の上乗せを待ったが、球団からは良い条件を出ず、丸は仕方なく巨人を選んだ」と書いたのだ。
これに対して、読者の反応はと言うと、ある読者は「出来たら残りたい。条件の上乗せを待ったという姿勢そのものが問題」と書いている。
何故なら、地方球団の広島には金がなく、納得する条件の上乗せなど、最初から無理だという事は、球団も丸選手もわかっていたはずで、「上乗せを待つという姿勢そのものが、良い恰好しいの、ポーズにしか過ぎなかったのだ」というのだ。
また、別の読者は「所詮、条件の良い球団を選ぶのなら、最初から、かつての落合のように、『自分は条件が一番良い球団に移籍する』と公言する方が余程すっきりしていた」と書いている。
記者が書いた原稿よりも遥かに説得力があり、明確である。
筆者はもう一言言いたい。「他球団から巨人に金の好条件で移籍して、大活躍した選手はほとんどいないし、ハッピーになった選手はほとんどいない」と。
他球団から巨人に移って、条件に見合う活躍をしたのは、ずっと以前の張本くらいで、落合も、清原も、最近の杉内も、村田も他球団でかなり活躍した選手は、巨人に入って思ったような活躍が出来なかったり、そこそこ活躍しても、その後、冷遇され、大半の選手が失意の内に、巨人を去っている。
そして、巨人を辞めて引退した後の状況を見ても、「所詮、金に転んだ男」というイメージが付きまとい、ハッピーだった人は極めて少ない。
筆者は更にもう一言丸に言いたい。「育ててくれた広島を愛していると言うなら、広島と直接対決するセリーグの球団ではなく、パリーグを選ぶのが、広島愛の証明だ」と。
現に、パリーグの球団でかなり好条件を提示していた球団はあったからである。
人の心の内まではわからないない。だから、言動で判断するしかない。
広島時代の丸選手は、筆者にも、結構好印象のプレーヤーだった。しかし、巨人移籍という決断を聞いて、筆者は所詮、その程度の人間だったと、筆者は考える。
プロだから、好条件の所に行くのは問題ない。でも、条件が優先なら、落合のように、「一番良い条件の球団に行く」と公言する方が余程、すっきりしていた。
そして何よりも、「他球団の有名選手を採っては、潰して来た巨人の歴史くらい勉強しろよ」と言いたし、そんな事も理解出来ないなら、所詮、その程度の選手だったのだと。
丸を擁護する記者の原稿よりも、読者のその記事に対する反論、批判の方が余程、大人であり、プロで冷静な判断をして、文章を書いている。
そして、記者が擁護している丸選手が歴史を勉強せず、これから茨の道を歩くであろうことを感じた。野球とは別の話だが、何日か前に、帝国データバンクが公表した分析記事として、「歯科医院の倒産が多い」というのがあった。しかし、その記事を読んで、絶句してしまった。
なぜなら、「倒産が多い理由は特になく、わからないというのが関係者の話だ」という趣旨の原稿を書いていたからである。
長年、マスコミにいた筆者からすると、こんな分析をする人間もお粗末だし、そんなひどい原稿を通して、公表を許すデスクなどの責任者もお粗末の極みである。この分析をした人間も、原稿を書いた人間も、取材のイロハが全くわかっていないとしか言いようがない。
今の記者や、帝国データバンクのように、情報を集めて、分析する所の担当者も、記者も、一次情報を得たら、それを読んで、考え、そして、自分の足や取材で補って、理由を考え、少なくても自分の中で納得してから、外に出すという習慣がないのだ。
何年か前に、筆者の知っている歯科医院を経営する歯科医師と話をした事がある。
その時から、歯科医院の経営は大変だと言う事は関係者の共通認識だったからである。
その時に、知人の歯科医師は倒産が多い理由として、3つを挙げた。
1つ、そして、最大の理由は、子供の虫歯が大きく減った事である。
これは、母親の子供の歯の管理が厳しくなって、子供に歯磨きの習慣が身に付いた事に加えて、甘いものを食べさす事を母親がしなくなり、子供の虫歯が激減したのだ。つまり、最大のお客がいなくなったのである。
2つは、文科省が歯科医師を育てる大学の定員を増やし過ぎ、虫歯の子供が激減して、需要が減っているところに、供給が増えたので、歯科医師が過剰になり、競争が激化した事である。
3つは、歯科医師の施術に対する報酬が、他の医師に比べて低く、収入が低い事である。
この3つで、歯科医師の収入は大幅に減り、全国で平均年収が二、三百万円になっているという分析が何年か前に出て、ネットにも載った事がある。
苦労して歯科医師を育てる大学に行き、資格を取って、医院を開業しても、年収が二、三百万円なら、それは元は取れないし、倒産が増えても仕方がない。
歯科医師業界の専門家でも何でもない筆者でも、こんな事くらいは知っている。
それを何日か前に出た原稿では、「歯科医院の倒産が多い事に、理由は特にない」と書いているのだ。
ものを考え、自分で調べてみるという姿勢、習慣がなくなっていて、そうした人間が原稿を書き、そして、そうした姿勢で来て管理職になった上司が、その原稿をパスさせて、おかしいとも何とも思わずに、公表される時代になったのである。
1、2週間前に、大手マスコミに数年前に入社したという若い記者と会って、話をする機会があった。その彼は関西の有名私大を卒業して、大手新聞社に入社したと言った。
筆者が現役の頃は、大手新聞社が東京、大阪で分けて採用をしていた時代は別として、全国統一採用になってからは、記者の出身大学は、東大など旧帝大、一橋、そして、早慶がほとんどで、それ以外の大学出身者は余程、成績が学年トップとか、英語が凄く出来るなど者を除くと、ほとんどいなかった。
なので、少し驚いて、何日か前に調べてみた。
すると、朝日も読売も大手の新聞社に、関西の同志社、関学と、東京なら、MARCHから数人づつを採用している。そして、どこも、東大生が大きく減っている事がわかった。
かつて、東大生が大好きで、東大生を多く採用して来た朝日新聞など東大生の採用が大きく減っている。また、かつて、朝日と同じくらい東大生が採れるようになったと役員が喜んでいた読売も東大生の採用は本当に少ない。
この関西の私大を出て、大手新聞社に入社して数年という記者を少し話をしたが、頭そのものは決して悪くはない。礼儀もきちんとしている。しかし、記者に一番大切な、ものを疑ってみる、本質を見るという姿勢がほとんどない事に気が付いた。
公表された事を理解する知識レベルはある。しかし、そのまま受取り、疑ってみようとか、自分で独実に少し考えてみようという姿勢がほとんどないのだ。
筆者が中年以降になり、取材される側に立って、記者と接する機会が増えて来た時、取材に来た記者をに対応してみて、記者らしくない記者が増えている事は感じていた。
ある記者は取材の方針を決めて来ていて、その論理に合わない話は一切聞こうとしないし、メモも取ろうともしなかった。
少数の記者との出会いで、全体を判断しようとは思わないが、記者に向かない人が記者として採用されている事を感じ、最近のマスコミ報道のおかしさの理由の一端が見えてように感じた。
筆者は東大生の多くは記者に向かないと思うし、大手マスコミが東大生を多く採るのには反対だが、東大生がどの業界、会社に入っていっているかは、時代をみる大きな指標にはなる。
そこで、東大、京大の学生の就職希望企業を調べてみて、驚いた。
2018年の東大、京大学生の就職人気ランキングベスト十に、日本企業は3社しか入っていない。入っていたのは、三菱商事、伊藤忠商事、そして、野村総研だけで、他は全て外資系企業である。
かつて、東大生から大きな人気を得ていた財務省などの官庁も、ベストテンには入っていない。
中央官庁が東大生から人気がなくなっているということは、大分前から聞いていた。
何年か前に、上級公務員試験、Ⅰ種試験に受かった京大生と話をした事がある。その彼は民間企業と役所の双方を受けていて、役所を回る霞が関ツアーに参加した。
参加後の話を聞くと、「役所に行くのは止めて、民間企業に行く事にした」という。
理由は、現役の役人と話をしていて、面白くないし、仕事もつまらなさそうだというのだ。そして、ツアーに参加して、自分が出来ると思った学生の多くが、官庁への就職を止めたと言っていたという。
更に、その彼は、「入省しても、優秀者程、短期間で役所を辞めて行く」という話を現役の若手官僚から聞いたという。
役人の質が劣化し、データがおかしいとか、不祥事が多発しているが、優秀な学生に見限られる存在になれば、役所全体の質が劣化するのは仕方がない事である。質が低下しているマスコミと同じ事が役所にも起きたいるのである。
役所や大手マスコミが力を持ち過ぎるのは大いに問題だし、人気が落ちてくる事は良い事だと思う。しかし、依然、世の中で力を持ち、活動している所に、入って行く学生の質が落ちて来ているのは問題で、質の改善はしないといけないのではないかと考える。
20180427
津波が来た事がない場所なのに、津波を予見できたというおかしな石巻の小学校裁判の判決
2018年4月26日、仙台高等裁判所は、東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童23人の遺族が市と県を相手に損害賠償を求めた裁判で、「小学校は北上川近くにあり、津波の危険性があり充分に予見できた」として、14億円の損害賠償の支払いを命じる判決を出した。
後で詳しく述べるが、筆者は極めて不思議な判決だと考える。
この判決について、新聞の報道の仕方は「遺族の心が届いた」と、これまた、極めて情緒的な報道の仕方をしている。裁判は情緒ではなく、論理で考えるものなのに、新聞はいつもこうした報道をする。
筆者は若い頃には警察、司法担当として、多くの裁判を担当し、裁判を傍聴し、多くの裁判官とも話す機会があったし、経済記者になった後も、世の中で話題になった事件、事故の裁判をウオッチして来た。
その経験を通して感じるのは、日本の今の裁判所、裁判官というのは、世論受けするような判決を良く出す。論理、事実で考え、判断しないといけないのに、そうした事とは無縁な、おかしな判決を裁判官が出すのを多く見て来た。個人的に接しても、人間としておかしな裁判官に何人となく会って来た。
筆者が実際に取材した、ある有名な冤罪事件で、被告に無罪判決を出した裁判官は、判決の直ぐ後に裁判官を退官して弁護士になった。
事件発生が古い案件なので、この事件では物的な証拠が多く残っていなかった。それでも、この事件では、少ないが、有罪を裏付ける物証もあり、有罪か無罪か微妙で、関係者の間では、7割有罪と思われていた。それに無罪判決が出たのある。
後で裁判所の書記官や弁護士と話をしたら、「彼は無罪判決を出す事で名前を売り、弁護士としての商売がうまく行く事を考えての判決だったんですね」と話していた。
そもそも、昔の警察は自白第一主義で、容疑者が自白すれば、それを裏付ける物的な証拠を必死になって集めるという発想がなかった。良いとは思わないが、そういう習慣だったのである。冤罪事件と戦う弁護士は、ここを突いて来るのである。
だが、筆者が見聞きした冤罪無罪事件について、個人的に裁判官や警察官、事件関係者と話をすると、冤罪として無罪となった容疑者の9割は、ほぼ犯人に間違いないと、皆、口を揃えて言う。
数少ない犯罪をしていない例でも、逮捕された被疑者は、そのほとんどが多くの人が知っている地元では評判の悪で、「彼ならやるわな」と言われる人で、普通に生活している一般人が冤罪に巻き込まれる例はほとんどない。
筆者が小中学生の頃、これも有名な別の冤罪事件で、裁判官は無罪判決を出した。
この事件に興味を持っていたので、筆者はその記事をずっと読んでいた。当時、テレビはまだそれほど普及したいなかったので、新聞中心のフォローだった。
この事件は3人の犯人が強盗に入り、その家の夫婦2人を殺して、金を奪ったというものである。
死刑判決を受けて、これを不当として争ったA被告について、新聞は当初、正直な事実を書いていた。それは3人で強盗に入ったが、警察に捕まった後、他の2人が口裏を合わせて、Aが主犯で、殺人をしたのもAだと自供し、他の2人は懲役刑になる一方で、Aは死刑判決を受けたというものだった。
つまり、Aの訴えは、自分は強盗殺人の犯人グループだが、自分は殺人はしていないので、死刑判決はおかしいという訴えだったのである。
ところが、Aが主犯でない事がわかった後の判決では、Aは減刑ではなく無罪となった。そして、最終判決では、Aが従犯であった話がなくなり、強盗殺人事件と無関係であり、大きな冤罪事件であるとの判決となり、新聞も従犯だったという記述は一切なくなり、冤罪で無罪と報道した。
更に、極めつけは判決の後、裁判官はAの手を取って、「冤罪事件で大きな迷惑をおかけした。裁判官としてお詫びする」と頭を下げたのだ。
このAについて、ある有名女性作家は(年をとった今でも、よくマスコミに出るが)、マスコミで何回も、「Aさんの目は澄んでいて、彼が強盗殺人など出来る人でない事はわかります」と語っていた。筆者は経緯を知っていたので、この女性作家をバカじゃないかと、子供心にいつも思っていた。
そして、事実関係を全く調べもせずに、こうした発言を堂々とする人を、マスコミが大々的に取り上げる姿勢をずっと疑問に思って来た。
つい最近の裁判でも、滋賀県の裁判所が福井県の原発に稼働差し止めを命じる判決をしている。
地元の裁判所であったり、別の県でも地形的に直ぐ近くの場所ならわかるが、かなり距離が離れた県の裁判所が稼働差し止めの判決を出すのは、明らかにやり過ぎである。
更に、多くの専門家が滋賀県での被害の可能性は極めて低いという話をしているにもかかわらず、「被害は否定できない」として、稼働差し止めをしたのだ。否定できないというのでダメというなら、1%でも、2%でも成り立ってしまう。ひどい論理構造である。
話を大川小学校に戻すと、被害があった宮城県石巻市の大川小学校の建っている場所は、歴史的に過去の津波で被害に遭っていない所だったので、津波浸水予想区域に入っていなかったし、そもそも大川小学校自体が津波の避難場所に指定されていたのである。
それにもかかわらず、「大きな川があり、津波の被害は充分に予見できたので、津波が来た時の避難マニュアルなどの整備が不備など避難対策が充分に取られておらず、市の教育委員会は適切な指導をしていなかった」として、賠償を命じているのだ。
川があるから、対策をしてないと駄目というなら、日本全土のかなりの地区がダメになってしまう。
東日本大震災は、地元の県の行政関係者や住民に多くの教訓を残した。
まず、住民が建設された巨大な防波堤を過大に信用して、津波が来ても大丈夫だとして、津波警報が出た後も、9割の住民が避難しなかったので、多くの被害者が出たのだ。
ある幼稚園の園長が、定期的に津波の避難訓練をしていたのを見て、周辺の住民は、バカにして笑っていたという有名な話まである程、多くの住民が津波を過小評価し、防波堤を過大評価していた。
筆者はこの大地震の大分前に、吉村昭氏が書いた「三陸海岸大津波」という本を読んでいた。
この本は明治29年、昭和8年、昭和35年と、過去の3回の大きな津波が来た時の事を、過去の記録を下に丹念に調べるとともに、津波を体験した人に話を聞いて、それを書いて、今後も来襲が予想される津波に対する対策を取るように書いた警告の書であり、昭和45年(1970年)に発売されている。
その本では、大津波が来ると、水に浸かって被害が出る地区はほとんど同じで、その被害が出る事が予想される地区には、工場や会社などの建物を建てるのは良いが、住居は建てない事や、工場や会社を置く場合には、避難をどうするかきちんと対策を取るべきというような事が書かれていたと記憶している。
明治から昭和35年まで3回も大きな被害があり、それを下に教訓を書いた本が出版されていたにもかかわらず、地元の自治体も住民もその警告を無視したのである。
それどころか真面目に避難訓練をしていた幼稚園を笑っていたのである。
こうした状況下で被害に遭った小学校に対して、「津波は充分の予見できたので、正しい避難誘導をしなかった学校や市、県が悪い」という判決は、明らかに行き過ぎであると筆者は考える。
というのは、こういう判決が出ると、どういう事が起きるかを考えるからである。
地方公務員であれ、国家公務員であれ、役人は自分に職務怠慢とか、きちんと対策をとらなかったので、事件・事故が起きたと批判されることを極度に嫌がる。
その結果、判決を受けて、過剰な対策を取るようになるのだ。
新しく対策を取るような法律が作られ、細かな指導マニュアルが作られ、行政の指導はより細かくなって行くのである。
つまり、事件、事故の時に、充分対応が出来ていなかった事を詫びながら、役人は自分の仕事・業務を拡大し、権限を強化していくのである。
普段、行政の締め付け、管理を少なくしろと言っているマスコミが、対策が不十分を言う事で、役人は「これはしめしめ」と考えて、権限を強化し、岩盤規制と言われる権限をより強化していくのである。
法律が出来、行政指導やマニュアルが出来るという事は、今の人員では不十分だという事で、人の増員になり、予算が増えて来るのである。「役人の焼け太り」と言われる現象が起きるのである。
上に書いた冤罪事件などは、被告に賠償という事で、多額の一時金が払われ、多くの税金が使われるが、一過性の事で行政への波及は少ない。しかし、行政の責任を問う裁判では、役人の権限が大きくなり、細かな指導がつけ加わり、人員増や予算増になりやすいのだ。
そうした意味で、行政の責任を問う裁判では、そうした事も配慮して、判決をしないといけないのだが、裁判官は「賠償金と言っても、どうせ税金から払うのだから、被告が個人的に腹が痛くなるわけではない」とばかりに、多額の賠償金の支払いを命ずる傾向がある。
筆者に言わせれば、裁判官本人が勘違い気味に、弱者救済の「大岡裁き」の発想に陥るのだ。
過去の行政の責任を問う裁判で、筆者が最もおかしな判決と考えるのは、2001年に兵庫県明石市で起きた、花火見物の群衆が将棋倒しになって死者が出た事件である。
この事件は、例年、明石の海岸で夏祭りの花火大会があり、近くの歩道橋からは花火が良く見えるという事で、異常に多くの人が歩道橋の上に乗って、身動きが取れなくなって将棋倒しになり、子供9人、年寄り2人の計11人が亡くなったというものである。
そして遺族が、警察や市、警備会社を相手に、きちんと警備をしていなかったとして、賠償を求めた民事訴訟を起こし、事件の4年後、裁判所は市や警察に5億6800万円の賠償を命じる判決を出した。
また、刑事事件でも、警察、市、警備会社の担当者が起訴され、警察、警備会社の担当者2人に2年6カ月の実刑判決、市当局の担当者3人に執行猶予付きながら、同じ期間の有罪判決を出している。
この事件では、事故当時、歩道橋の上に1平方メートルに13~15人が乗るという鮨詰め状態で、そんな所に、幼い子供を連れて行った親が問題という論調もあったが、裁判になると、何故か親の責任論はどこかに飛んでなくなり、ひたすら警察や市の警備責任が問われる事になった。
裁判で遺族側の弁護士は、警察が暴走族対策に290人の警察官を出しながら、花火見物の警備には36人しか出していないと主張したり、警備会社と警察の警備に対する打ち合わせや対応が不十分、杜撰だったと問題点を指摘した。また、警備会社が事件後、事実と異なる報告書を書いていた事などが裁判官の心証を悪くした。
事件後、警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務に雑踏警備が新設され、上に書いたように、警察の仕事、権限が増えたのである。
そして、この事件をきっかけに、花火大会は中止され、以降、開催されていない。
明石市だけでなく、近くの神戸市の垂水区の神社でも奉納花火大会が行われていたが、この事件をきっかけに中止されるなど、多くの地区で、花火大会が中止となった。
和歌山のカレー事件の時も、あの事件をきっかけに、多くの地区で夏祭りが中止になったり、祭りで食物を出す事を止める地区が相次いだ。
これは市や警察が警備がきちんと出来ないと言えば、祭りや花火は出来なくなるし、命令はしないが、警察が自粛要請に動いたりする。そして、警察は実質的に権限を拡大し、祭りや花火を楽しみにしていた多くの人が楽しみを奪われたのである。
和歌山県だったと思うが、何年か前に山間部に大雨が降り、土砂崩れが起きた時、危険なのに避難しない住民がいた。何故、避難しないのかと聞かれたその人は、「町役場から避難指示が来ていないので」とテレビの取材に答えていたのを見た事がある。
筆者はそれを見て、「自分の安全や避難を役場など他人に任せるのか」と信じられない思いになった。
戦後の日本は国の防衛をアメリカに依存して、70年が経ったこともあるのか、危険な事、災害や被害に遭いそうな時に、自分で考え自分で被害に遭わないように行動するという心構えが極めて薄くなった。
明石の歩道橋の話は、警察の警備の話と、1平方メートルに13~15人が押し寄せるという歩道橋に幼い子供や老人が行くかどうかという個人の判断は別問題である。
危険な場所には自分は行かないし、ましてや、自分の幼い子供を連れて行かないという判断をして行動するというのは、親としての当然の義務だし、動物の生存本能として当然の事なのに、「警察が止めなかったから歩道橋にのぼった」。「歩道橋の交通規制を警察がするのは当然」。そして、「子供が犠牲になったから、行政に賠償を求める」というのは、違うのではないかと、筆者は思う。
人間が自己防衛をきちんと考えて行動するという意識を打ち砕くのが、この明石歩道橋事件の裁判の判決ではないだろうか。判決というのは大きく報道されるので、その後に与える影響が大きいのである。
石巻の大川小学校の話は、周辺住民の過半が自主的に高地に避難していた中、学校が適切な誘導をしなかったのなら、責められても仕方がない。しかし、住民の9割が避難しなかった中、学校にきちんと避難誘導しなかったから、子供の死に対して、賠償を寄越せというのムシが良すぎると思う。
自分の子供のしつけや、教育訓練をほとんどしないでいて、学校で子供に何かあると、「学校はどうして何もしてくれなかったのか」と文句を言う図式と同じように、筆者には感じられる。
筆者がまだ若い1970年に、台風で東京多摩川の水かさが増水し、川沿いに建っていた家19戸が押し流されるという事があった。この時、筆者とテレビ中継で、家が次々に倒れて流されて行くのを見ていた筆者の明治生まれの母が、「川べりはこうした危険があるから安いので、流されたのは気の毒だけど、そんな場所に家を建てた人の自己責任よ」と言ったのを覚えている。
この家倒壊も裁判になり、住民は河川の管理をしっかりしていないのは国の責任だと訴えた。一審は住民が勝ち、高裁は住民が負けで、最高裁で住民が勝ったが、補償額は家の建て直しには程遠い金額だった。筆者の母が言うように、川沿いに家を建てた住民側の責任が何割かあったという解釈なのだろう。
そして、その後、2000年に名古屋で、同じく堤防が決壊して水害に遭った住民が国相手に訴訟を起こしているが、この時は住民側が敗訴している。
台風の多い日本では、水の被害は百パーセント阻止など出来ない。
東京でも、筆者が子供の時は、台風の度に、東京の下町地区は水浸しになって、家の屋根に避難している人を消防署の人が救助するという図は何回も見ている。
それが、今東京で、広い地域が水浸しになる事は滅多にない。それだけ行政は災害対策に力を入れているのであり、百パーセント対応は無理なので、ある程度は我慢しろという事なのだろう。
今、東京では、下町地区と呼ばれる区部では、大きな地震があった時、津波で、かなりの部分が浸水すると報道されている。それにも関わらず、そうした地区を歩くと、堤防よりも低い地面にかなりの数の家が建っていたり、堤防沿いに次々にマンションが建っている。
こうした地区こそ、浸水が充分に予見できるのに、どうして家を建てたり、マンションを買ったりするのか筆者には理解できない。
こうした人達は被害に遭った時に、河川の管理が悪いと言って、国を訴えるのだろう。
こうした時、裁判所は多摩川の判決になるのか、名古屋の判決になるのか、どちらなのであろうか。
20180419
信じられない事務次官と女性記者との夜1対1での会食
週刊新潮が報道した財務省の福田事務次官の女性記者へのセクハラ発言は、福田次官の辞任と、テレビ朝日がその女性記者は自社の記者と公表した事で、とりあえず概ねの様子が明らかになった。
福田次官の言動は信じられない内容のもので、前にも書いたように、中央省庁のトップの位置にいる財務省の、更にそのトップである事務次官、つまり、全現役官僚の中で頂点にいる福田氏が、この低レベルの話をしていた事自体、財務省や中央省庁の官僚の著しい劣化を示すものとして、バブル期のノーパンしゃぶしゃぶ事件とともに、後世に語り継がれる出来事と言える。
ノーパンしゃぶしゃぶ事件で逮捕され、辞職した大蔵省や日銀の幹部の何人もの人について、筆者は取材対象として、何回も話をし、個人的には親しくさせてもらっていて、好印象の人もいたので、あの事件が表ざたになった時に、あの人がと、とても信じられない思いだった。
それでも、あの時は、バブル期で日本国民全体が浮かれていた時だし、摘発されたのがほんの一部の人で、他の官僚は「自分達は違う」という姿勢だったので、筆者としても少しは理解できた。
今の若い人には理解出来ないと思うが、筆者自身の体験で言えば、筆者が所有して住んでいた自宅が、バブル期にそれまでの評価額の3倍になったのである。そして、地元の不動産屋が自宅を訪ねて来て、「1億円で譲っていただけるなら、即金で払いますよ」と言った事があった。
それを機会に、筆者も1億円が手に入るなら、どうしようと結構考えたものである。バブル時代は日本全体が熱狂の渦の中にいた時代だったのであり、バブルだから冷めるのも早かった。
しかし、今回の福田次官の話は、話の内容と言い、彼が言った言葉遣いと言い、品性の何もあったものではない、ひどいものだった。こんな人が財務省の事務次官になるのだと驚いた。
更に、筆者が驚いたのが福田氏の人相である。
筆者は歴代の何人もの次官と付き合い、取材もしたので、多くの事務次官経験者を知っている。一部には本当に嫌で、どうしようもない人も1人いたが、少なくてもほとんどの人が見識があり、品があって、官僚としてでなく人間としても尊敬できる人達だった。
それが、福田氏の顔には、品も見識の高さも何も感じられないのだ。
筆者は別に人相見をする訳ではないが、何十年に及ぶ取材記者歴と、13年間の大卒採用面接を通して、人の顔はその人の内面、人柄を映し出す鏡だと痛感して来た。
だから、経営者であれ、官僚であれ、政治家であれ、普通の民間人であれ、芸能人であれ、初めて会った時に、その人の顔を見て5分以上話をすれば、学生なら採用して良いかどうかわかるし、経営者や官僚なら、その人の人柄や普段の生活態度が概ね推測できる。
会った事もない人でも、テレビに出て、話をしている様子を見れば、90%その人がどんな人で、今の生活状況がどんなレベルかが類推できる。
良くテレビに出る芸能人の表情が、最近、何か良くないなと感じていたら、まもなく、その人が離婚したとか、スキャンダルを起こしたという例はいくつもある。
テレビを見ていて、筆者が家族には、「あの人、最近何かあるな」と言って、時間を経ずに、離婚や問題を起こして、家族から、「どうしてわかったの」と言われる事がよくある。
福田氏には会った事はないが、テレビを通しての表情、言動に品性のかけらも感じられず、今では死語となっている表現だが、顔に「さもしさ」が出ているのだ。こうした人が財務省のトップになる時代になったのだと、とても驚いた。
福田氏の人相の話はともかくとして、新潮の記事やその後のマスコミの報道を見ていて、どうしても腑に落ちない事が結構ある。
その第一は、夜、福田次官から女性記者に電話があり、夜食の誘いがあったという話である。
筆者が官庁を取材したのはもう大分前の話で、今の現場のどうなっているか、実際に体験している訳ではなく伝聞程度だが、「財務省の次官から一介の記者個人に電話があり、会食の誘いがあった」というのは、筆者の知っている常識では理解できないのだ。
中央省庁の幹部は情報と権力は持っているが、金はない。
次官ともなれば、そう低い金額の年収ではないが、同じく東大を出て、企業で役員をしている同期生と比べれば、年収は半分以下であり、金には余裕がない。局長、次官となる年齢には、子供が大学受験や塾代、高校、大学の授業料で金がかかる時期で、筆者の知っている官僚は質素な生活をしていた。
だから、多くの官庁を取材した経験があるが、事務次官と夜1対1で会食という経験などまずない。役所の幹部への取材は昼であれ、夜であれ、役所か、その幹部の自宅と相場が決まっていた。
企業だと会社に接待費という支出項目があり、社長や専務クラスになれば、一定の接待費を使っていたので、社長とだと、夜、1対1の会食はいくらでもあったが、官僚は全く別世界である。
筆者はある大きな問題を抱えていた官庁の担当局長に、取材でとてもお世話になった。
だから、彼が局長から次官に昇進した時、夜会食をした事がある。でも、それは筆者が誘い、費用も筆者が少ない給料から出しての「次官昇進を祝う会食」だった。
官庁の幹部に支出項目として、接待費などある事はないはずである。公費で会食などしていたら、それこそ、朝日新聞が大々的に書いて、大事になるはずである。
それなのに、この女性記者は何回も、夜に次官と1対1で会食をしていたというのだ。それも、そんなに安くなさそうな店での食事である。
また、筆者の経験では、次官や局長と会う時は、役所なら、秘書の人から電話がかかって来て、本人から電話がある事はまずない。夜の自宅だと、こちらが夜回りで押し掛けるのであり、アポイントなどなしである。
本人が用があって、まだ帰っていないと、その幹部の奥さんが相手をしてくれて、帰宅を待ったが、出るのはお茶くらいで、本人が帰って来た後、酒が少し出る事はあっても、食事は出ない。そも夜食が済んでいる時間での訪問だからである。
2つ目の疑問は、電話があった時、この女性記者はパジャマを着て、布団と入っているという話だ。
中央省庁や企業、政治家を担当する政治部や経済部の記者は、夜食を取るような時間に家に帰ったりしていない。しているとしたら、余程の怠け者である。
筆者は現役の経済部記者時代、ウイークデーに午前零時より前に自宅に帰った事は、まず記憶にない。妻は「記者の妻は未亡人と一緒」と常々言って、家事などで筆者に何も期待していなかった。
ウイークデーに夜家にいるとすれば、余程体調がすぐれず、夜回りが出来ない時位である。
それなのに、この女性記者は自宅に帰り、パジャマに着替え、ベッドに入っていたというのだ。テレビ朝日の記者はどんな生活の時間割のかと不思議に感じる。
筆者が現役の記者時代、政治部や経済部に女性記者はほとんどいなかった。
例外的にいた朝日新聞の女性記者は、その後、記者を辞めて、今は国会議員になっている。
だが、その女性記者は「男女同権よ」が口癖で、酒もたばこもどんどんしていたし、麻雀もしていた。話をすると、とても、友達になりたい人ではなく、多くの記者から嫌われていた。記者としての取材力がある訳でもなく、多くの同僚記者が口を聞くのをいやがり無視をしていた。
だから、彼女が国会議員になったと聞いた時、「あのレベルの人で国会議員になれるのだ」と評判になり、その政党に失望したのを覚えている。彼女の唯一の自慢が東大を出ているという事だった。
今の時代は、取材現場に女性を多く出すというのを新聞社もテレビ局もしている。
話を聞くと、女性の方から、色仕掛けで取材対象に迫り、ネタを得る人も少なくないという。
取材現場にリポーターとして出ている女子アナが、取材対象のプロスポーツの選手や芸能人、そして、企業の幹部と付き合い、果ては結婚という話が珍しくなくなって来た時代である。
高校時代に甲子園のヒーローになり、プロ野球に入ってからも活躍し、アメリカでも一定の成績を残したある選手は、高校一年の時から、ある民放の女子アナが密着して離れず、彼の送り迎えも彼女が自分の車でしていて、マスコミも書くような付き合いをしていた。
そして、彼がプロ野球の選手になると、2人は直ぐに結婚した。何歳も年上だった、その女子アナは体を使って、金のなる木を手に入れたのである。
男はそう男前でもなく、女性は美人アナとして知られていた。野球しか知らない高校一年生を何歳も年上の美人アナが篭絡するのは簡単だったのだ。
この例はともかく、新聞社もテレビ局もそうした事を半ば認め、そうした事がある事も充分予想して、女性を取材現場に出しているというのが、現在のマスコミのありようなのである。
そして、女性記者と取材対象が男女関係で揉めて、表面化する時は、互いに期待したものと違う結果が出て来て、不満が表面化するのだという。
男には付き合い方、別れ方がスマートで多くの女性と付き合って、つまみ食いをしても、揉めない人もいれば、初めてつまんだ女に食いつかれて離れなくなって、結婚までもっていかれた人もいる。別れようとして、その仕方が下手で揉める人もいる。
筆者が現役記者の時、ある大手企業の社員が、ホテルで女性に乱暴をしたとして逮捕され、その会社は対策に追われた事があった。
その時、筆者は警察の責任者に取材をした。「こうした事件は、ほとんどが双方が納得してホテルに行くのです。そして、行為が終わった後、金を要求する女性と、そんな事は想定していなかった男性との間で、金銭の額で揉めて、女性が乱暴されたと騒ぐのです」。警察の現場責任者はそう話をしてくれた。「それなら、事件にならないはずでしょう。どうして、男性が逮捕になるのですか」。筆者がそう聞くと、警察幹部は次のように答えた。「女性が乱暴されたと主張すると、合意か無理やりかは証明のしようがないのです。そして、多くの男は会社に知れるのを恐れて、要求されると金を出すのです。だから、女は味をしめ、揉めると警察に訴えると言い出すのです。女性は自分が結構一流の企業に勤めている人もいます。でも、彼女たちは問題が表面化したら、転職すれば良いと考えているので、永久就職の考えの男性とは違うのです」。生命保険の営業の女性が体を使って、契約を取るという話も珍しくない。
筆者の体験で、筆者の事務所に良く営業に来ていた保険のセールスレディーがある時、血相を変えて事務所に駆け込んで来た。
どうしたのか聞くと、ある中小企業の経営者の所に営業に行ったら、部屋に鍵をかけられ、のしかかって来られたという。彼女が必死に抵抗すると、その経営者は「皆、相手をしてくれているよ。君も了解したら、従業員何人分の契約が取れるんだよ」と言われたという。
その女性は、そうした事は嫌いな性分で、大声を出して抵抗をし、何とか逃げ出して来たという。
中堅・中小企業では従業員に会社が保険料を払って、生命保険に入らせているケースがある。これは本人が病気や事故で亡くなったりした時、家族にその生命保険金を弔慰金として渡せるようにするためだ。
会社は支払保険料は経費で処理できるし、亡くなった時、数千万円という多額を会社が持ち出さなくて済む。だから、そういう従業員保険を勧める保険会社が結構あるのだ。
こうしたことから、変な経営者には、その保険獲得を餌に女性セールスレディーの体を求める人もいるのである。
今回のテレ朝の女性記者と財務省の事務次官のケースはどういうやりとりだったのかは、やがて、明らかになるだろうが、今のところは不明で、推測の域を出ない。
新聞社やテレビ局が女性がそういう体を張って取材をする人もいるという事を織り込んで、取材現場に女性を出しているのは事実である。
現に、女性リポーターや女子アナで、プロスポーツの選手に、自分のブログやマスコミの取材で、「私は○○のファンです。一度お会いしたいと思っています」などと堂々と宣言する人も結構いる。
そして、女性側が積極的に押しまくって結婚した例は少なくないし、要領の良い芸能人に遊ばれ、捨てられる女性もいる。
公共放送のある人気女子アナは惚れっぽく、知り合った芸能人と付き合い、短期に男女の仲になるという。しかし、少し付き合うと、面白くないので、捨てられるという事を何回も繰り返し、何人もの男と付き合った末、気が付いたら、子供が埋める年齢を過ぎていたという話もある。
逞しいある女子アナは、あるプロ野球の選手と半同棲していたが、男に結婚の意思がないとわかると、別のもっとずっと格上のプロ野球選手に乗り換え、押しまくって、その男と結婚した。
そのプロ野球選手は稼ぎは良いので、彼の稼ぎを元に資産運用して額を増やし、更に店も出して成功し、彼女は今ではとてもリッチな生活をしている。
そうした例が多くあるにもかかわらず、テレ朝の女性記者はなぜ、騒いだのだろうか。
推測で考えられるいくつかのケースがある。
1つは、彼女に全くそうした思考がなく、セクハラに憤り、週刊誌に垂れ込んだという事だ。
悩んだ上、テレ朝の上司に報告したら、上司が揉め事を嫌い、なかった事にしようとしたことを怒って、週刊誌に録音を持って行ったのだから、そういう可能性は充分あり得る。
少しマスコミの実態を取材すれば、そんな事は常識なのに、女性で取材現場に行けば、そうした事は充分あり得るという事を見ようともしないのだ。
こうした人は採用選考の時に、人事担当が言うきれい事の建前を信じて疑わない人で、筆者が面接した学生でも少なくなかった。筆者が学生が第一志望の業界について、その実態を説明しても、「違います。人事担当者はそんな事は言っていません」と真面目に反論して来るのだ。
筆者が「その業界に実際に働いている大学の先輩に会いに行って、聞いたら、実態を言ってくれるよ」と言っても、そういうタイプの人は実行しようとしない。
自分で考え、調べ、実態を知ろうとする発想がないのである。
言われた事を疑わずに、その通り暗記して来た、いわゆる今の優等生タイプの頭が、現実を理解せずに、現場に出て、聞いていた事と現実のギャップに悩むのである。
こういうタイプの人は大人の対応や、どうやって体をかわすかという事も知らないし、理解しようとしないのである。
死んだ人を冒涜する積りは全くないが、過労死で自殺する人には、こうしたタイプの人が少なくない。
死ぬ事まで考えるなら、転職もあり得るし、辞める事を覚悟して上司に直談判をする事もできる。他の選択肢はいくらでもあったはずだ。親しい人に悩み相談をして、解決策を見つける事も出来るたはずだ。
でも、受験優等生は、こうした選択肢が多くあるという発想に立たないのだ。それは、受験では答えは常に1つで、それ以外は不正解という勉強を20年して来ているからである。
少し頭が回る人は、全然違う対応をする。
筆者が知っているある女性は、有名企業の経営者から取引をネタに体の関係を何回も迫られた。応じないと取引が切られそうになると感じた時、その女性はこう言った。「わかりました。では男女の仲になりましょう。でも、私は裏でこそこそするのは性格的に嫌なので、公然とした関係にしてください。あなたの奥さんとお嬢さんに、求められている事について、これから電話して説明の連絡をしますので、私が話した後、あなたもそれを裏付けた話をしてください」。この話を聞いて、関係を迫っていた男性経営者は、それ以降、その話はしなくなったという。
テレ朝の女性記者が告発に至った事で考えられる2つ目の事は、その女性も、そうした対応をある程度覚悟していたが、福田次官のやり方があまりにひどく、我慢できずに、プッツンしたという事である。
週刊誌で書かれたり、録音に出て来る話はお話にならないくらいバカな言いようである。
初めは、客の接待を仕事とする女性相手の話ではないかという事が言われたが、もし、そうだとしても、普通の人はそういう仕事をしている女性相手でも、あんな発言はしない。それくらいひどい内容の話だったので、キレたという事は考えられる。
女性が何を考え、告発したかは、これから次第に明らかになるだろうから、それくらいにして、話を福田次官に戻す。
財務省の事務次官は、東大法学部で1番を取らないと基本的になれないポストである。
東大法学部は日本の大学の文系で、仮にも一番難しい学部である。その大学・学部で1番というのは、簡単に取れる栄冠ではない。だが、その言動を見ると、首を傾げざるを得ない位あまりにお粗末なのだ。東大出身者がいつからそんなにバカになったのかと思う位である。
だが、この福田次官のセクハラ事件と、同時に話題になった新潟県の米山知事の買春騒動を聞いて、筆者は、ある意味、納得できた。
米山氏は東大の医学部の卒業で、大学時代に法学部の学生が偉そうにしている事に腹が立ち、それならと思って、司法試験も受けて合格したと自ら語っている。つまり、日本の世の中で最も難しいと言われる資格2つを、それも理系と文系のそれぞれの頂点の資格を獲得したのだ。
そういう意味では、現在の受験での超エリートであり、一般的には、超優秀と言われる人である。
だが、彼の言動や顔を見ると、こんな人が合格してしまう医師免許も、司法試験制度も何なのだと思わずにはいられないくらい、お粗末な言動である。
週刊誌に買春を書かれたという事で、知事を辞めるという意向を固めて、記者会見に臨んだが、頭も心も全く整理されておらず、何を決め、何を言っているのか全くわからない、本当にお粗末な会見だった。
彼は50歳で独身で、結婚したくて、婚活のパーティーに何回も参加しているという。
ある時、参加者で30組カップルが出来たが、この時、女性が好みの男性を挙げる時、彼を言う人は一人もいなかったという。
彼は医者で弁護士であり、実家は3千頭の豚を飼っている大きな畜産農家である。それでいて、誰一人、彼が良いという人がいなかったという事がどういう事か、彼には理解出来ないのだ。
簡単で、話をしていて、面白くなかったり、逆に、相手の心を読まず、自己本位に喋りまくるというようなタイプでないと、これだけの資格、肩書を持つ人なら、少しの欠点なら我慢して付き合ってみようという人はいるはずである。
自由恋愛が出来ず、婚活も上手く行かない。そこで、米山氏は出会い系サイトで女性を探し、デートしてセックスしていたというのだ。
出会い系サイトは自由恋愛を謳い文句にしているが、自然のままに自由恋愛にすると、相手が全く捕まえられない人が少なくない。そこで桜を仕込み、男性の相手をするようにしている所が結構あり、管理売春の温床と言われている。
米山氏はここで1回3万円支払って、女性達とデートし、セックスをしていたというのだ。
ここまで聞くと、誰かを思い出す。そう出会い系バーで自由恋愛をしていたという建前で、買春をしていた文科省の前川前事務次官である。米山氏と全く同じ発想、行動なのである。
1人だけなら、あの人は例外と言えるが、文科省の前川前次官の淫行事件と言い、今回の福田次官、新潟県の米山知事の事件と言い、現在の受験戦争は、勝ち組、東大出の優等生という肩書の、とんでもない人をいくつも作り上げていたという事になる。
本来、医師や司法試験、公務員上級職など非常に難しい試験を合格して、その仕事に就く人は、日本社会でかなり重要な仕事をする人達である。だから、単に暗記秀才でなく、見識、常識、倫理など人間としての格の高さを問う試験があって良いはずである。
そうした事をせずに、単に暗記で優秀な人が合格してしまう事に大きな問題があるのだと思う。
そして、こうした人は、子供の頃から秀才で親も教師もちやほやし、自分の幼い頃からエリートだと思って育っている。だから、他の人はバカに見え、上から見下す習慣がついて、大きくなっていくのだ。
戦後の教育内容、試験制度のあり方そのものを抜本的に見直す時期に来ているのだと思う
最後に、一連の森友・加計問題、福田次官の問題などを捉えて、内閣が力を持ち過ぎたので、官僚が劣化しているのだとか、萎縮しているのだというような、訳がわからないような解説をし、そして、内閣が介入せず、官僚に人事権を戻せというような愚かな事を言っている人が少なくない。
何回も言っているが、日本では明治以来、事実上の官僚独裁国家の状態がずっと続き、今もそのままなのである。戦争に負けたのも官僚が暴走したからであり、今の不況も官僚が作りだしたものである。
加計学園の学部新設の話が話題になっているが、高度成長時代を含め、50年間も獣医学部の新設を認めなかった文科省の姿勢を厳しく攻撃しないといけないのが、野党やマスコミの立場のはずなのに、新設を推進しようとする安倍首相を攻撃しているのだ。
文科省官僚は天下りするために、どうでも良い大学はどんどん新設させていく一方で、力を持ち、献金力を持つ業界団体に慮って、獣医学部の新設を50年間、凍結をして来たのである。
官庁が強い力を持っていて、政治家の言う事を聞かないのは、政治家が人事権も予算権も持っていないからである。一方で、会社で社長が強い力を持っているのは、予算と人事権を握っているからである。
官邸が強い力を持ち過ぎると不安という人がいるが、現代の日本では衆議院議員選挙は2年半に1度行われている。政権が5年も6年も続くのは、国民がその政権とその政党を支持しているからである。
政治家は間違えば、選挙で負けるのだ。2年半で滅んだ民主党政権のように。
官僚が問題を起こした時に、野党やマスコミは政府の任命責任を直ぐに問うが、官僚の人事は事務次官などの幹部が話し合って決めるもので、大臣や首相の意向はほとんど関係ない。
それではいけないと、内閣に人事を扱う官僚OBを配置して、首相など官邸の意向を少し繁栄させようとしているのが現状である。まだまだ不十分なのに、野党、マスコミ、官庁の意向を受けた学者が「官邸が不当に介入」というトーンで政府を攻撃しようとしているのだ。
民主主義とは、国民に選挙で選ばれた政治家が国民のために政治を行う事である。
東大法学部を優秀な成績で卒業したという事で、出世が約束されているという民意が全く反映しない制度は民主主義国家にあってはいけないのだ。
かつて、中国に科挙という制度があった。難しい試験に合格した人を優秀と認め、その優秀な人達を官僚にして、統治をさせようというシステムである。
だが、この制度は民意から遠のき、官僚の腐敗、好き勝手を生んだとして、中国ではとっくの昔に廃止されている。それを後生大事に守っているのが、今の日本であり韓国なのである。
安倍政権の経済政策が進まないとマスコミや学者は批判するが、思うような改革が出来ないのは、官僚が岩盤規制を守るために猛抵抗しているから、経済政策が進まないのである。
官僚の発想は全国一律である。
しかし、南北に縦長の日本では、九州と北海道・東北では気象条件も異なる。だから、例えば、家の建築・設計にあたっては、異なるルールがあってしかるべきである。
また、古い建築物でも地震対策をするようにして、旅館などには耐震補強工事を義務付けた。その結果、古い老舗旅館の多くが、そんな費用は出せないと旅館の閉鎖を決めている。
確かに、多くの人が集まる施設での耐震補強は大切である。でも、地域や場所などで強弱は会って当然である。地震国日本でも、地震で死者が出ていない県が3つある。地区によって、岩盤の固さなどは異なるのだ。それを全国一律で通し、多くの廃業を生んでいるのである。
官僚は地区ごという発想は基本的に認めない。全国で同じルールは彼らが統治をするのに都合がよく、理解しやすい制度だからである。それで国民がいかに不便を被ろうと、それを是正しようという発想は官僚にはない。
子供の時から、エリートでできない普通の子が何を考え、何を希望しているのかなど、秀才児には興味はなく、育っているのだ。
いくつも役所で不祥事が噴出している。これを政府、内閣の責任としてではなく、官僚を改革して、岩盤規制を打破する絶好の機会ととらえて、野党もマスコミも協力しないといけないのだが、日本はそうなっていない。
日本を良くしようという発想ではなく、元々反日の思想なので、求める事が無理なのかもしれない。
20180417
官僚独裁を終焉させる千載一遇の機会を失しようとする野党、マスコミ
先週の週刊新潮が財務省の福田次官のセクハラ問題を掲載した。
記事の内容を見るとともに、週刊新潮がネット上にアップしている音声を聞けば、直ぐに事実とわかる内容である。
もし、この声が偽物から、それこそ新潮社は倒産が避けられない位重大な話であり、過去に嘘の報道を繰り返した朝日新聞とは異なり、これまでの新潮社の歴史を考えれば、偽造はあり得ないだろう。
出会い系バーに週に3、4回通っていたという文科省の前川前事務次官の話もひどかったが、文科省のような二流官庁と異なり、官僚機構の中のトップである財務省の、更にその官僚トップの事務次官がここまでひどい状態になっているのかと唖然とするもので、財務省の前身の大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件以上の信じられない話であり、即辞任は当然のものである。
かつて、大蔵省を担当し、多くの大蔵官僚と付き合って来た筆者には信じられないくらいの凄まじい官僚の劣化である。
それにも関わらず、財務省は否定の談話を出し、被害者がいるなら出て来いという姿勢を示した。録音があるから、声紋分析をすれば、声が福田氏かどうかは直ぐにわかるものなのに、この態度である。
財務省が何故、子供でもわかる事にこうした態度に出たのか。
それは「新聞やテレビ局は強大な権力を持つ財務省には逆らえない。新聞、テレビ局は財務省の後からの仕返しを恐れて、週刊誌に話した記者を表に出せないだろう」と高を括った態度でいるのだ。
セクハラ行為だけでも許せない行為なのに、恥を上乗せして、二重に国民、マスコミを公然とバカにし、傲慢さを表している。「どうせ、国民はバカだし、マスコミもその程度のもの」。そう傲然と言っている福田氏、財務省幹部の姿が想像できる対応である。
こんなひどい話なのに、更迭必死の案件で、政府は福田氏の首を切れない煮え切らない態度である。
理由は簡単である。福田次官を更迭したら、野党、マスコミは麻生財務大臣の責任を追及し、更に安倍首相の責任を追及するからである。
政権へのダメージを少なくするために、絶対しないといけない更迭が宙に浮いているのである。
こうした展開になるのは、野党、マスコミが攻撃する相手を間違え、本来の敵をかばって、違う相手を攻撃しているからである。
野党、マスコミの信じられない勘違いの典型が、淫行問題で辞任した文科省の前川前次官を、まるで英雄のように扱って、講演会などに駆り出して、安倍政権批判をさせている事である。
文科省は日教組と裏で手を結んで、戦後の教育を破壊して来た。日本の教育がおかしくなった最大の原因は文科省になるのというのは、教育問題に少し詳しい人の常識で、文科省解体は絶対やらないといけない事だと言われている。
前川氏は天下り問題で辞任したのではない。天下り問題での処罰は辞任以降に再度行われている。
辞任は警視庁が管理売春の疑いで捜査していた出会い系バーに、前川氏が頻繁に出入りしていて、事務次官が逮捕という事になると大事になるので、天下り問題で辞任したように見せて、辞めさせたのである。その単に助べえ親父を英雄のように扱っているのが、今のマスコミ、野党なのである。
前川氏と言い、福田氏と言い、敵は首相、大臣ではなく、中央省庁の官僚そのものなのだ。
筆者がずっと書いているように、日本は明治維新以来、官庁、役人が強大な権限を持って、やりたい放題をして来た官僚独裁国家である。国民にも、お上意識があり、それが官僚を増長させてきた。今でも、東大信仰を多くの人が持っていて、東大出というだけに尊敬してしまう人が少なくない。だから、彼らはより傲慢になるのだ。
でも、その官僚の暴走が日本を悲惨な敗戦に追い込んだのだし、現在、多くの国民が苦しんでいる20年以上にわたるデフレ不況も財務省、日銀の高級官僚が対応を間違えた起きている事なのである。
若い人は知らないだろうが、戦後、GHQの追放令で多くの政治家が追放になってる中、首相になった吉田氏が、人がいないので、官僚の次官、局長クラスの人に政治家になって、自分を手助けして欲しいと言い、池田勇人、佐藤栄作など何人もの高級官僚が政治家に転身した。
この時、後に首相になる、ある高級官僚が「官僚から政治家に転身する事で、自分の身分は二階級降格ですな」と語ったという有名な話がある。
この話でわかるように、日本ではずっと、国会議員よりも高級官僚の方が身分が高く、もらう勲章も上だったのである。今では、勲章で官僚が上という事はなくなったが、官僚の意識としては、国会議員よりも自分達の方が上という強い思いがあるのである。特に財務省はそうした意識が強いのだ。
何故、中央省庁の官僚がこれほど強く、傲慢なのか。理由は簡単である。戦後、GHQが作った三権分立という制度が日本の歴史、伝統に合わないのから、きちんと機能していないのである。
アメリカでは、国会が法律を作る。そのために、国会の事務局に膨大な数の法律作りの専門家というスタッフがいる。
中央省庁の役人は部長クラス以上の人間は、大統領など政治家が任命するもので、政権交代が起きると、幹部官僚は大幅に入れ替わる。そして、官僚は国会が作った法律に則って、仕事をするのである。政治家と官僚の力関係、仕事の区分が明確なのである。
これに対して、日本では古代から高級官僚は天皇が任命して来た。官僚は国会に従うのではなく、任命者である天皇に従い、責任を負っていたのである。
そして、別の機会に詳しく書くが、明治維新の時に、時の孝明天皇と、後に明治天皇になるはずだった睦仁親王を岩倉具視や伊藤博文などが暗殺し、それまで続いた北朝の天皇の代わりに、南朝の血筋の天皇を据えた。それが明治天皇である。
これは学校の教科書では教えないが、今では歴史家の間では、ほぼ常識になっている事実である。
この結果、明治天皇は明治の元勲と言われる人達に天皇にしてもらった上、年齢も14歳と若く、明治の元勲は自分の父親、祖父の年齢なので、頭が上がらなくなり、明治維新を自ら行った維新の志士達であった元勲達が、思うように政治を動かして行ったのである。
それでも、大分年上の元勲達が死んだり、引退して行った上、次第に国会が機能するようになって、政治家が選挙で選ばれるようになって来たので、明治天皇は次第に力を持つようになり、明治の後半では政治にかなり発言するようになって来た。
しかし、明治になって次代の元勲候補を作るために、帝大が作られると、激烈な闘争から政権を奪った明治維新の元勲とは異なり、勉強だけの秀才が高級官僚となって、力を持つようになって行くのである。
そして、明治天皇の次の大正天皇は病弱で、まともに政務が行えず、昭和天皇が若くして摂政になるなどしたため、また、次の元勲達や高級官僚達が力を持つようになり、次第に天皇はお飾りになって行くのである。
だから、戦前の御前会議というは、記録にも残っているが、そこで重要案件を天皇が決めるのではなく、報告了承の場になっていたのである。昭和天皇はおかしいと思う事には質問をしたが、それでも、首脳に大丈夫ですと言われると、それ以上口出しが出来ない状態だったのである。
戦後、アメリカの作った憲法、法律で、日本は建前上、アメリカのような三権分立になった。
しかし、国会、議会事務局に法律作りの専門家、スタッフはいない。
だから、建前は国会が法律を作る事になっているが、実際は官僚が法律を作っているのである。
ほとんどの法律は官僚が考え、彼らが自分達の発想で考え出して行く。国民のためとか、国家のためでなく、自分の統治に都合の良い法律を量産しているのである。
時として、政治家主導で法律の骨子を作っても、法律に書くのは官僚で、その段階で官僚に都合の良いように書き換えを行われ、官僚が事実上、日本を好き勝手にする事ができる状態が続いて来たのである。
重大な案件の時に、政治家が決断しているように見えても、ほとんど中央省庁の高級官僚が案を作って、首相や大臣に進講し、政治家は強烈な個性と実力を持ったほんの一部の人を除くと、その進講に沿って、行動して来たに過ぎないのである。
今でも日本を貶め、間違いだったと言われる河野談話や宮沢談話などは、政治家が自分で決めたのではなく、中央省庁の官僚が案を作り、それを政治家が話したに過ぎない。
日本航空のよど号乗っ取り事件の時、時の福田首相が「人の命は地球より重い」と言って、連合赤軍の過激派である乗っ取り犯を億単位の金を持たせて逃がし、その連中が後にイスラエルのテルアビブ空港で銃を乱射して多くの人が死んだ事件も、皇太子妃の父親が首相秘書官として、外務省から出向していて、進言して起きた事である。
戦後の歴代の首相の中で、例外的に官僚をコントロールして政治を行い、成功した人に池田勇人元首相がいる。彼は所得倍増計画を実現し、日本を経済復興させた。
池田氏は大蔵官僚上がりの上、大蔵省の事務次官を辞めて直ぐに国会議員になり、初当選で大蔵大臣になっているのだ。つい昨日まで事務次官をしていた人が大臣になるのだから、官僚の事はよくわかっているし、官僚も言う事は聞く。
そして、やがて首相になっている。だから、官僚の事はよくわかるし、官僚も彼の言う事は聞く。その上、彼には国家ビジョンがあった。日本をこうしたいという思いがあった。だから、今の日本の発展の基礎を作る事が出来たのだ。
今の政治家に最も欠けている面はこのビジョン、グランドデザインなのだ。
戦後まもなく官僚から政治家になった人は池田氏のように、官僚を辞めて直ぐに政府の要職の大臣についている。
戦争で失った領土は返って来ないという世界の常識を覆して、色々問題はありながら、沖縄返還を実現した佐藤栄作元首相は、運輸省の事務次官から、議席を持たずに官房長官になっているのだ。
一方、今は官僚から政治家になる人は、若くして辞めて、政治家に転身し、何回か当選してから、大臣になる。官庁でトップになった訳でもないし、官庁を辞めてから大分時間が経つ。だから、やがて大臣になっても、官僚機構をコントロールなど出来ないのだ。
前にも書いたが、戦後の復興期には、官僚も熱心に仕事をして、日本の急速な復興に力があった。
後にロッキード事件で逮捕された全日空の若狭得治元社長、会長は運輸省の局長、事務次官として、海運業界の再編に剛腕を発揮し、強い日本の海運業界の形を作った。財閥を越えての合併は多くの反対、障害があったが、それぞれのメインバンクのトップとも直々の交渉をして、再編を実現した。
だが、こうした戦後の復興に官僚が力を発揮し、日本の役に立ったのは、バブル経済の前までである。
戦後の経済復興がなると、官僚は国家のため、国民のためという意識がなくなり、自分の省庁のため、自分のためという発想になって仕事をし、日本経済、日本社会を壊して行ったのである。
バブル不況はやる必要のない急激な金融引き締めを行った日銀の間違いで起きたものである。それなのみ、実態を見ないマスコミは時の日銀総裁三重野氏を「平成の鬼平」と持ち上げたのである。
官僚独裁国家でも、それがきちんと仕事をしてくれて、それが理にかなっているなら、それでも良い。
しかし、今の官僚はバブル期のノーパンしゃぶしゃぶ事件の時の大蔵省や日銀幹部や、今回の前川文科省前事務次官や財務省の福田事務次官のように、国のため、国民のために仕事をしないだけでなく、自らの欲望に沿って行動をしているのである。
財務省が消費税の引き上げに執念を燃やすのは、財政再建が目的ではない。自分達の利権の確保が第一命題なのだ。
GDPの6割を個人消費が占める日本で、これ以上の消費税の引き上げは大不況の到来必至なのに、彼らにとって、国家、国民がどうなっても構わないのだ。
あるのは、自分の省庁、自己の利益だけである。そして、そして、今回の前川、福田の両事務次官のように、問題が表面化しても、全く恥じる事もせず、堂々と人前に出て、自己弁護をしている。
今こそ、国民挙げて、事実上、独裁権限を持つ官僚を打破し、大改革をしないといけないのだ。そして、福田次官の話など、その官僚打破をする千載一隅のチャンスなのである。
だから、今回の財務省の福田事務次官を政府攻撃に使うのではなく、官僚独裁を打ち砕き、岩盤と言われる官僚が作り上げた規制、規則を打ち破る時なのである。
それなのに、安倍憎し丸出しで、敵は官僚なのに、首相、大臣攻撃をしている野党、マスコミも日本のためという発想がない。
本当に絶望的な状態としか言いようがない。
改革は簡単である。三権分立を言うなら、アメリカのように、部長以上の中央省庁の官僚の人事権は時の政権、首相が持ち、予算の編成も政治家の指示の下に行うようにするのだ。
こうすれば、政権が任命した高級官僚が問題を起こした時に、政府は攻撃されて当然である。しかし、今の官僚は東大を出て、試験で入って来て、しかも、役所の中の論理で局長になり、次官になっているのだ。それで政府に責任をとれというのは、おかしな話である。
予算については、アメリカのように予算庁のような組織を作り、内閣府の下に置く。税務署、国税は歳入庁を作り、社会保険庁と一緒にして、国民から金を集める組織は一本化するのである。
そう政治家を屁とも思わないで傲慢な行動をし続ける財務省を解体し、官僚独裁を打破するのである。財務省の解体が行われれば、次は文科省である。この日本をダメにしている二大官庁を解体するのだ。
簡単な事であるが、政治家は数年に一回、国民の審判を仰ぐ。政治がおかしければ、政権の座から転落する。それに対して、官僚はノーチェックで仕事をし、自分達の利権の拡大のための行動をしている。
規制をし、コントロールをしないといけないのは政治家ではなく、官僚なのだ。
こんな簡単な事を何故、野党もマスコミもわからないのだろうか。
野党が政権を取れば、自分が考える政策が今以上に出来るようになる。野党にとっても悪い話ではない。でも、政権を取る意思も能力もないから、政権批判だけをしている。
そして、マスコミはただ、安倍首相が憎く、とにかく彼を政権の座から引きずり下ろす事しか考えていない。今のマスコミに天下、国家などという発想はないのだ。
20180415
右派系の人に広がる皇太子廃嫡、皇室無用論
皇室については、共産党や、社会党の流れを汲む社民党などは、「国民は平等だというのに、国民の上に天皇を置くという身分差別をするのはおかしい。天皇制は要らない」と言っているのは有名な話だ。
戦争中に亡国の活動集団として逮捕され、獄中にあった日本共産党のナンバーツーの実力者、徳田球一はGHQのお蔭で刑務所から釈放された時、出迎えた人達(その多くは在日の人だったが)に、「さあ、これから天皇を殺しに行こう。皇后は犯しに行こう」と言ったという話が伝わっているくらいだ。
これは冗談で出た話ではない。徳田はその足で、アメリカ占領軍、GHQが入っている第一生命ビルに行き、ビルの前で、「GHQ万歳」を大声で叫んでいる。
戦時中、外国を利し、日本を滅ぼす活動をしていて、日本政府から取り締まりの対象だった共産党を、GHQは刑務所から釈放し、その活動を支援する事を積極的に行った。在日の人の犯罪者で、極悪な犯罪をしたとして刑務所に入れられていた人も一斉に解放した。だから、GHQ様々だという訳なのである。
でも、ほとんどの国民が敗戦で、失意の状態になり、明日の生活をどうしようか途方に暮れている時に、大人数でGHQ万歳を大きな声で叫んだのは、異様な光景だったのだ。
現在、天皇制度を廃止するのは憲法を改正しないといけない。だから、「憲法を一字一句いじってはいけない」という共産党や社民党の主張は大きく矛盾する。
この矛盾について指摘されると、日本共産党は「国民の間に、まだ、天皇制度が不要だという認識が高まっていない。しかし、将来、国民の意識が高まって来るので、その時には、天皇制を廃止する」という、「国民の意識が低くてね」という上から目線の発言を、そうと意識せずに平気で話している。
左派系の人が天皇制度を廃止しようというのは、天皇中心で2千数百年来た日本そのものを否定し、抜本から変えて、共産主義、社会主義国家にしようというスタンスなので、彼らの脳の構造からすれば、皇室廃止はわからなくもない。
しかし、近年、普通は天皇制を支持し、もっと強固なものにしようと考えていると見られる右派系の人の間で、皇太子廃嫡の声が強くなっている。
そして、もっと過激な人は「昭和天皇まではともかく、それ以降の今上天皇からの皇族を見ていると、今の状態なら、天皇制は不要だ。もし、存続させるなら、抜本的に改革しないといけない」という認識が広がっている。
ネットなどのそうした書き込みへのアクセス数はどんどん増えていて、そうした声は日に日に強くなっているように筆者には感じられる。
そして、それが単に感情的な廃止論ではなく、具体的な問題点などを克明に指摘しての批判なので、かなりの説得力があり、その説得力故に、廃止論は徐々に広がって来ていて、侮れない動きになって来ているように思える。
なお、余分な事だが、世間では、保守、革新という言い方をするが、筆者はこの言葉を使わない。
何故なら、この言葉には、保守は古い伝統を守って、物事の改革をしようとしない人達、逆に革新というのは、新しい動きに対応して、世の中を変えようという、現実とは真逆の響きが入っているからだ。
今の日本ではいわゆる革新系の人達は、「憲法を一字一句変えさせない」という事に代表されるように、旧守派そのもので、時代に合わせて、考えや法律を変えて行こうなどという考えはほとんどない。古い、カビの生えたような思想、理論を後生大事に守っているのが革新系である。
逆に、ピッチは遅いが、時代に合わせて、日本を何とか変えようとしているのが保守の人達である。
だから、保守、革新は実態に合っていないので、使わない。やむを得ず、響きに少し違和感があるかも知れないが、右派、左派で書く事にする。
アメリカは戦争に勝って、日本を占領した。
ソ連を初め多くの連合国から、日本の天皇を裁判にかけて、処刑しろという要求があったが、GHQの責任者マッカーサーはこれを拒否した。
最後の戦いで、圧倒的に不利な中で日本軍は頑強に抵抗し、アメリカ軍は手を焼いたが、それが天皇の終戦の詔で、軍隊は一斉に武装蜂起をした。これを見て、天皇を処刑したら、日本人は全力で歯向かって来る恐れがあると感じたのだ。
そこでマッカーサーがしたのは、天皇制度は維持しつつ、日本も皇室も内部から、二度とアメリカに逆らえないようにする仕組みを作ったのである。
法律的には憲法で、戦争放棄を明記した。
これは日本を永久占領し、アメリカ軍が永久に駐在するという宣言である。
憲法9条が日本を70年も戦争から守ったと左派の人は言うが、真っ赤な嘘だ。彼らはそれが嘘と知りつつ、平気で嘘を言っているだけなのだ。
日本共産党はコミンテルン日本支部として発足した。
日本をアメリカと戦わせ、混乱の廃墟の中で、日本の支配階級が滅んだ時、ソ連の援助で日本で共産革命をする。これが日本共産党にソ連から与えられた使命であり、彼らはそれを忠実に実行しているだけにしか過ぎない。彼らにとって、日本の弱体化は自分達の使命が進んでいる事なのである。
GHQは憲法制定だけでなく、日本の強さの源泉だった家族制度を崩壊させ、地域の集落を破壊させ、その中心的な役割だった神社をどんどん潰して行った。
20190714
真の日韓関係正常化のために、今回、日本は絶対妥協してはいけない
日本の韓国への輸出で、半導体の製造に不可欠なフッ化水素などの輸出管理の厳格化と輸出手続きを厳格に行い、優遇を止めるというホワイト国から韓国を外すという日本の方針が話題になっているが、今回は何があっても、打ち出した方針を引っ込めたり、妥協するという愚かな行為をしないように、日本人全員が政府や国会議員、官僚を監視しないといけない。
というのは、外務省には事を荒立てないように、何でも妥協しようとする官僚が多くいるし、自民党は、二階幹事長など親韓、親中議員が多数を占めていて、参議院選挙が終わったら、強い態度を改め、韓国に妥協してしまう可能性が結構あるからだ。
今の官僚や国会議員は、これだけデフレの中での消費税の引き上げなど、信じられなくくらい、国民の心理や感情を理解していない人が多い。
野党が余りにもだらしないので、近付く参議院選挙でも、消費税の引き上げや年金の2千万円問題があり、自民党が大負けしてもおかしくないのに、どのマスコミの予想でも、与党で過半数は確実という結果が出ている。
だから、何もしても大丈夫とばかりに、「韓国を慌てさせた事でお灸をすえられた」とか、「隣国とは仲良くしないといけない」、「アメリカから妥協しろと言われた」などという変な理屈で、政府は選挙が済んだら、政府は今回の輸出管理の厳格化を緩和しかねないと筆者は考える。
そもそも、日本と韓国の関係がおかしくなり、韓国が一方的に日本を責め立て、謝罪や賠償を要求するようになった背景には、絶対、妥協してはいけない部分で、日本側が安易な妥協を繰り返して来て、韓国側に「日本はいくら無理な要求をしても、やがてそれを飲んでくる」という事を学習させてしまったことがある。
日本が日韓併合時代に、従軍慰安婦や徴用工問題など、韓国人にひどい事をしたとしてそれを謝罪した河野談話や村山談話などは、国家として絶対してはいけない行為であるにもかかわらず、安易に行われ、この談話はまだ生きたままである。
そして、日本が認めて謝罪した事を韓国がうまく世界に宣伝した結果、従軍慰安婦などは英語で「sex slave」として、国連などの場で定着してしまったのである。
また、日本の教科書を作るにあたって、訳のわからない「近隣条項」という原則を取り入れ、韓国や中国の事について、それが事実であっても、悪く言う内容は書かないという、信じがたい事を、日本は飲んでしまっている。
つまり、日本の教科書の編集権を中国や韓国に売り渡したのである。
こうした事に大きくかかわったのは宮沢元首相であり、竹下元首相である。目先のトラブルをやり過ごすため、また、自分の利権のために、将来に大きな禍根を残し、消し去る事が出来ない決定を、これらの人達がして来たのである。
日本を貶めたのは、政治家や外務省などの官僚だけではない。
徴用工問題も、従軍慰安婦問題も、今、韓国で教科書などで教えている嘘の話は、いずれも、日本の大手新聞が嘘の記事を書いた事が発端であり、なおかつ、それを韓国に行って、広めた日本人が何人もいるのである。
更に、1965年の日韓基本条約で、韓国が日本統治下時代の事について、賠償などの問題は全て解決したと謳っている事に対して、「個人の請求権は失われていない」という変な理屈を考えだして、それを韓国人に伝えたのは、日本人の大学教授である。
日本には、日本を嫌い、反日行動をする学者、記者、弁護士、左翼活動家が少なからずいる。個人的に嫌日でも反日でも結構だが、それを嘘の事実で海外に日本を貶めるような宣伝活動をするのだから、始末が悪い。
外国人から見れば、明確な「反逆罪」に相当する行為をする人はいないと思うから、「彼らがそうした行動をするのだから、何か明確な日本に都合が悪い事実があるはず」という理解になってしまうのである。
最近、ネットで、李栄薫・ソウル大学名誉教授らのグループが、十数回にわたって、徴用工問題や従軍慰安婦問題などについて、詳しく調べた事実を元に、韓国で教科書などで教えている内容は、事実と大きく異なるという話を、十数回にわたって、テーマ毎に話し、説明している。
また、同じ立場にいる韓国の経済研究所の研究員が国連の欧州本部で、今月、韓国が徴用工問題で韓国が教科書で教えている内容は事実と違うと発表した。
李名誉教授の話はネットで見る事が出来るし、日本語の翻訳がついているので、興味のある人は是非見て欲しい。
徴用工はご存知の方も多いと思うが、日本国内で工場で働く人たちが兵士として、戦場に行った結果、工場や炭鉱などで働く人がいなくなり、日本の企業が働く人を募集をした事に対して、良い金になるので、韓国人がこれに応募して、1年に十万、20万人という朝鮮人が海を渡って日本企業に就職したというものである。
給料が高く、しっかり金を貯めて、辞めて行く人も少なくなかった。未払いの給料は戦争終結の混乱期の時に発生したもので、未払いの給料があっても、1、2か月分にしか過ぎない。
そして、その問題について、日本は1965年の日韓基本条約でまとめて支払ったし、その後も、韓国内でこの問題が再燃した時、2回にわたって、韓国が金を支払っている。
従軍慰安婦の話も、李名誉教授は朝鮮戦争時の韓国軍や米軍に対する従軍慰安婦と日本兵に対する慰安婦を比べて、データを基に淡々と説明している。
関係者の証言や書き残された資料から、日本軍に対する従軍慰安婦には、高給が支払われていて、一財産を築いた人もいるし、衛生管理・病気管理、避妊対策なども、韓国軍に対する慰安婦よりも、遥かにきちんと行われていた。そして、決して、「sex slave」ではなかったと説明している。
もう何年も前の話だが、戦後の韓国で、事実と違う反日教育で育った若者が、日本統治時代のひどさを主張したのに対して、統治時代を知っている年寄りが「日本統治時代はそんなにひどい時代ではなかった」と言ったところ、その年寄りを「日本の肩を持つ裏切り者」とばかりに、若者が何人もで袋叩きにして、殴り殺したという事件があった。
そして、韓国では日本統治時代に、日本に協力した人間の子や孫からも、対日協力の家族というだけで、財産を没収できるというひどい法律ができた事もあり、日本を良く言ったり、日本を援護するような人は、社会的に抹殺されるような風潮が出来上がっている。
そうした中で、李名誉教授達が、正しい歴史的な事実を伝えようとしている事はとても勇気のいる事で、命がけの行為であるとも言える。
にもかかわらず、情報を発信し続ける理由について、李名誉教授達は次のように言っている。「自分は別に日本を弁護しようとしているのではない。歴史的な事実をきちんと調べて、正しい歴史を理解するという近代国家では当然の事をしないと、韓国は近代国家になれない。事実を捻じ曲げてでも、とにかく反日を通し、日本に文句を言うい続けるという反日種族主義を打破する事が必要である」。そして、李名誉教授も経済研究所の研究員も続けて言う。「日本国内で、日本人が韓国人を惑わす嘘を発信するのを止めて欲しい。その嘘の情報に振り回される。そんな嘘の情報は日韓双方にとって、邪魔なのだ」。ネットだけでなく、彼らの事実を調べた事を基に繰り広げる話は、本にもなり、韓国内で、反響を呼んでいるという。
韓国内で、折角、こうした動きが出て来ている時に、もし、日本が妥協をして、今回の輸出優遇策の撤廃の決定を緩和したりしたら、それは、李名誉教授が言うように、韓国の近代化の足を引っ張る行為になるのである。
個人の家でもそうだが、隣人は選べない。例え、嫌な奴でも、何らかの付き合いをしていかないといけない。付き合わないといけない以上、正しい知識を元に対等の立場でやりとりしないといけない。
毅然とした立場で対等の話をする。これを韓国との間で実行し続けていくためにも、また、韓国人を甘やかし、誤解を与えるような行為である、措置の緩和などは決してしてはいけないのである。
ちなみに、日本の新聞は今回の輸出管理の強化で、「日本企業にも悪影響」とか、「世界の半導体市場の支障が出る」というような原稿を書いているが、専門家の話では、これは的外れだという。
その理由は、元々、最近、韓国のサムソンなど2社が主に作るメモリーを中心とする半導体は世界的にだぶつき気味で、サムソンなどが今回の事をきっかけに半導体市場に大きな影響が出る事はほとんどないという。
また、サムソンなど韓国企業が減産しても、その分、アメリカのマイクロンや台湾メーカーが補って増産するので、それらの企業に向けたフッ化水素などの需要増が出て来て、日本のガス提供会社にトータルとしての悪影響はないと言っても良いという。
韓国は面倒くさい隣人である。隣人である以上、付き合わない訳にはいかない。しかし、これまでのように、日本が事実を押し殺しての妥協を繰り返すのではなく、きちんと主張すべき事はするという姿勢こそが、日本だけでなく、韓国のためにもなるという事をしっかり理解すべきである。
そして、今回は、世間で良く言われている、韓国企業への金融面でのバックアップや、教科書の「近隣条項」なども、停止する事を表明すべきであると筆者は考える。実際に実行するかどうかは別として、日本には何枚もカードがあるという事を示す事が大切である。
国際交渉では、3が欲しい時は、十を要求するのが常識である。最初から、3を言ったら、最終的には1しか手に入らないのだ。
20190709
日本の韓国への輸出規制の深慮遠謀、仕掛け人は米国との説
日本が韓国へフッ化水素など3品目の輸出の審査を厳格にするという事を決めた事が大きな話題になっているが、新聞、テレビなどの報道を見ていて、今一つ内容がわからない。
そのわからない内容をそのままにして、朝日新聞や毎日新聞は「輸出規制を撤回しろ」と社説で書いている。両新聞はきちんと取材をせず、今回の決定の裏事情も理解せずに、ただ、観念論で、「韓国にやさしくしろ。報復の連鎖は避けろ」とだけ言っていて、話にならない。
だが、今のネット時代は、うれしい事に様々な専門家が詳細に解説していてくれている。
この規制を仕掛けたと自認する自民党の青山繁晴議員は、自慢も交えて、虎ノ門ニュースなどで、事の経緯を説明している。
また、法律の条文を丹念に読んで本質を説明する事に得意であり、かつ、アメリカ議会の動きなどに詳しい評論家の渡邉 哲也氏は、ネットで今回、日本が決めた内容を詳細に解説している。
更に、IT問題に詳しい深田萌絵氏はITの現場で見聞きする話と、自身のITの世界の深い知識を下に裏事情を解説している。
この3人以外にも、事情通と言われる専門家が色々解説していて、それらを見て総合すると、とても納得できるし、全容が見えて来る。そして、その内容はマスコミが伝える内容とは大きく異なるものである。
今回、日本が決めた事は2つあって、1つはフッ化水素など3品目の韓国への輸出の審査の厳格化で、これは発表とともに、既に実行されている。
この3品目は半導体の製造には欠かせないもので、日本が世界的に圧倒的なシェアを持っている。
この3品目は半導体製造に欠かせないだけでなく、液晶パネルの製造にも不可欠であり、かつ、核兵器の製造や、化学兵器の製造に転用できるもので、軍事的な意味が大きい。
そして、韓国は今の文在寅政権になって、この3品目の日本からの輸入が異常に増えている。
つまり、韓国半導体への輸出だけでなく、北朝鮮、中国など、第三国へ転売されているという疑いが出ていて、それを日本政府が何回も問い合わせても、韓国政府からは、まともに答えが返って来ていないという経緯がある。
信頼できるコミュニケーションができないから、優遇を止め、厳格化しましたというだけの話である。
2つ目は韓国について、「ホワイト国」(相手国は信頼できるので、輸出の際に製品個別の審査はせずに、信頼して輸出手続きを簡素化する国)の適用を止めて、3品目以外の製品の輸出についても、1つづつ厳格に審査するというものである。
つまり、輸出規制ではなく、優遇を止めるというものである。
このホワイト国か、それ以外の国、ブラック国という言葉はないが、まさにブラック国かという識別は、かつての対共産圏への輸出規制の時代からの流れを受けたもので、今では北朝鮮やイラン、シリアなどへの輸出で、軍事転用される恐れがあるものは、厳しく規制するというものである。
ちなみに、先進国のほとんどが韓国にホワイト国の適用をしていない。
韓国をホワイト国に指定した日本が、親韓派議員などの影響もあって、韓国にゆるゆるだけだったのを、西欧並みに厳格化しただけなのである。
ホワイト国の適用から外れると、フッ化水素などだけでなく、軍事に転用しやすい精密機械とか、炭素繊維などの輸出審査も厳格になる。
つまり、一言で言えば、今回の日本政府の決定は、「韓国は北朝鮮や中国に日本から輸入した製品を転売している疑いがあり、問い合わせにもまともな回答をしないので、輸出審査の優遇を止めて、厳格に審査する事にしました」という事なのである。
そして、今回の日本政府の決定がなされたのが、G30直後であるという事に大きな意味がある。これだけの決定を日本が単独で出来る訳がない。アメリカ、欧州の主要国と協議の上、決定したと見るのが妥当である。
ネットで解説しているある人は、「これは日本発の考えではなく、アイデアはアメリカのトランプ大統領から出たのではないか」とさえ言っている。
どういう意味かというと、中国は自国で良い半導体の製造ができないで、米国から大量に買っている。そして、力をつけて来て、自前での半導体生産を増やしているが、製造整備装置や部品は自前ではできず、日本などから輸入している。
その中国が国の支援もあり、華為技術(ファーウェイ)が半導体やスマホで世界的に大きくシェアを伸ばしていて、かつ、軍事利用の恐れがあるとして、アメリカから制裁を受けている。
だが、今回のG20での米中首脳会談で、アメリカはファーウェイへのアメリカの半導体メーカーからの輸出禁止を、軍事を除いてという事で、緩める事にした。これは、アメリカの半導体製造会社からの圧力もあったとされる。
でも、単純に緩める訳にもいかない。
そこで、韓国経由で中国に入っていると思われるフッ化水素などの製品の輸出を絞り、自前での製造が進むのを抑えるとともに、自国の製品は中国に輸出する事で、業者の利益になるようにしたというのだ。
韓国は今の文在寅の前の朴槿恵政権の時に、迎撃ミサイル配備問題で、中国に脅されて、中国の言いなりの国になり、更に今の政権になって、それが加速したと言われる。
この韓国経由で、中国や北朝鮮への軍事的な意味がある製品が流れる事を止める事を考えたのはアメリカであり、G20の場で、主要国の間の根回しも済んでいるというのだ。(日本製品不買運動で動き出す親韓派議員に注意)
だから、韓国が今回の日本政府の決定について、WTOへの提訴を検討しているとしている事も、日本は何も怖くないのである。
国際の場で議論されれば、韓国が国連の決議に違反して、北朝鮮に色々なものを横流している事が明らかになるだけだからである。
先の日本の自衛隊機への韓国艦船のレーダー照射問題も、韓国の艦船が北朝鮮へ物資を不当に渡しているところを見られたという意識からの行動であると言われている。国際の場で議論になれば、こうした瀬取りと言われる行為も明らかになるだろう。
そもそも、トランプ大統領は韓国の文在寅を信用していない。人間として、信用できないと判断しているのだ。
こうした背景があるにもかかわらず、韓国では、日本製品の不買運動が始まっており、ネットでも、日本批判が多いという。
そもそも、自国を北に売ろうとしている大統領を50%以上の国民が支持しているのだから、何をかいわんやである。
でも、この不買運動が続くと、日本の国会の親韓派議員が制裁の解除を求めて動き出すのは目に見えている。本当に情けないが。
日本の企業や評論家の間では、米中貿易戦争は早晩終わり、元に戻るという話が多い。しかし、アメリカは中国共産党を徹底的に戦うべき敵とみなして、様々な対抗策を取り始めた。
アメリカのある高官は「日本との戦争を開始した1941年以来の重大な決意」と対中国貿易戦争を評している。
現実にアメリカの議会では、与野党に関係なく、中国警戒論が強くなっていて、厳しい事を言っているのはトランプ大統領だけではないことが伝えられている。
そうした中で、日本企業はと言えば、トヨタが中国企業との合弁で、電気自動車の燃料になる水素の開発を行うと発表したり、伊藤忠が数千億円を出資して、中国企業への投資ファンドを作ったりしていて、時代の変化に鈍感である。
こうした事が起きるのは、戦後、自国の防衛を他人任せにしておいて、経済だけを考えれば良いという吉田元首相以来の考えが、今も変わっていないからである。
防衛も経済も、国同士の過酷な争いである。そこには深慮遠謀があり、権謀術数があり、駆け引き、騙し合いは当然の事である。
でも、今の憲法で、「人類、皆兄弟。話し合えば、紛争もすべて解決できる」という教育を戦後、受けて来た日本人には、深慮遠謀とか権謀術数とかを考える発想すらないのである。
だから、米国から厳しい対応をされて苦しくなった中国が、日本にすり寄って来ると、直ぐに甘い顔をして、「日中関係の正常化」などというバカな事を言って、中国首脳を日本に招くなどという愚行をするのである。
中国の国家主席を日本に招けば、次は間違いなく、中国は日本の天皇の訪中を言い出して来る。そして、そうなったら、日本は断る事が出来ない。そして、中国は日本をアメリカとの戦いに大いに利用するのは目に見えている。
天安門事件の時に、世界が中国に制裁を課し、中国共産党が崩壊する危機にあった。その時に、世界で一番先に中国に手を貸し、天皇を訪中させて、中国の手助けをして、共産党の崩壊をなくしたのは日本である。
中国人は日本に助けられながら、同時に、反日教育をより徹底して行ったのである。そして、中国を助けた日本人を「甘ちゃん」「バカ」と心の中で笑っているのだ。
日本の政治家も官僚も、30年前の誤りを反省せずに、また、繰り返そうとしている。本当に悲しい話である。
中国語には、「嘘をつく」という動詞はあるが、「嘘つき」という名刺はない。
3千年にわたって、帝国が何回も変わり、価値観も変わり、新帝国では、前の帝国時代のものは全て否定され、歴史は捏造され、史跡も多く破壊されてきた中国では、自分や家族が生きるために、「嘘をつく」事は許される事であり、だから、非難の言葉である「嘘つき」という名詞はないのだという。
こうした中国と、その中国に千年単位で属国であり、服従と、たまの反抗をしてその度の叩きのめされ、よりひどい従属を余儀なくされて、国民の9割近くが奴隷状態で長く過ごして来て、心が歪み、自己正当化のために、歴史を平気で改竄する国、Korea。
この2つの国が近くにいるという事を強く認識し、警戒して付き合わないといけないのに、日本人にはその発想がなく、韓流ドラマや韓国人歌手の歌が好きな人が多い国、日本。
今回の参議院選挙などは、様々な問題が噴出しているのに、重大問題について政党間のまとまの議論もなく、関心も高まっていないという。本当に悲しい国、日本である。
20190707
庶民感覚と大きくずれている官僚、政治家、マスコミ、そして裁判官
テニスの全英で大阪なおみが1回戦でストレート負けをした。この敗戦を報道したマスコミの見出しは「まさかな1回戦敗退」である。
しかし、少しテニスに興味がある人なら、この敗戦は「予定通り」であり、「まさかの敗戦」では全くない。
理由は簡単で、大阪は全英の前の大会で、この対戦相手にストレート負けをしているし、過去の対戦成績でも、2戦2敗の上、サーシャ・コーチと決別した後の大阪は自己コントロールが出来ないし、自分がどうすれば勝てるかという事に迷いが出て、戦う前に負けていたからである。
そんな事を感じていたら、昨日、女子レスリングで五輪4連覇の伊調馨が世界選手権出場のためのプレーオフの試合で負けた。この記事の報道を見ると、新聞もテレビも、日本人の多くが伊調の東京五輪出場を望んでいると前提で、どうしたら、五輪に出場できるかというトーンで報じている。
伊調馨は五輪で4連覇をしていたが、そのキャラもあり、
吉田
沙保里のように、特に熱心なファンがいて、多くの国民が応援をしていた訳ではない。
そこに来て、本来、女子選手を指導する立場にない男子コーチと、伊調との異常な関係を指摘された事に反発した伊調が、全日本監督へのパワハラを告発する出来事があった。
このパワハラ問題は、監督にも問題があるが、伊調も伊調というように、多くの人が受け止め、「伊調を何としても東京五輪に」というムードはない中での敗戦で、「負けるべくして負けた」と冷静に受け止める人が多いのでないか。
試合の中継を見ていても、点数はともかく、試合内容は伊調が一方的に負けていたのはわかる話である。
老後の2千万円不足問題でも、産経新聞の世論調査で、「8割の国民が老後は年金だけではな足りないと思っている」という結果が出ている。
年金世代となっている筆者の周囲の誰に聞いても、産経新聞の調査と同じ感覚で、「2割近くも、年金だけで生活していけると思っていた人がいた事の方がショック」と言っている人ばかりである。
だから、少しでも貯金をしているし、年金生活になったら、支出を抑える生活は当然なのである。
それなのに、金融庁が作ったあきれた報告書は、年金生活になっても、子や孫に援助をし、今まで通りに泊りがけ旅行をするという生活で、2千万円足りないとしているのに、そのおかしさを追求せずに、「年金だけで生活できない日本がおかしい」というトーンで報道し、野党も同様の考えで、政府に文句を言っている。
本来、年金は自分が積み立てたものを老後に受け取るという積み立て方式があるべき姿だが、日本は積立金が不足して来たので、現役世代の年金拠出金を定年世代が受け取るという賦課方式に変えて現在に至っている。
賦課方式になったので、わかりにくくなったが、問題を簡単にするには、政府が国債を発行するなどして、不足分を補い、積み立て方式に戻せば良いだけである。
そうすれば、今の現役世代は自分のために積み立てる事がはっきりする。そして多くを受取りたい人は多く積み立てるというようにすれば良いし、アメリカのように、積み立てた年金の運用を自分で選択できるようにすれば、国民の意識は大きく変わって来る。
2千万円問題が起きた後、老人を中心に、「年金を返せ」というデモが国会周辺で行われた。この人達は年金問題理解を根本的に誤解している。
今の年金世代は自分が出したものの何倍の金を受け取っているのである。「年金を返せ」ではなく、「年金は返します」というデモでないと本来はおかしいのだ。
北欧が福祉大国で、教育費は無料で老後の生活の心配もないと、よく例に出されて来たが、スェーデンでは、税金と社会保険料で収入の7割を徴収される。それを示して、日本でも同じようにしますかと言ったら、大半の国民は反対するのは必至である。
年金問題は政争の具にするのではなく、国会の委員会で緻密な議論を積み重ね、3つか4つの案を作って、それを国民投票にかけて、国民に決定してもらうというのがあるべき姿なのである。
不況の中での消費税増税の強引な財務省の押切りは、官僚の意識が庶民感覚と大きくずれている典型例である。
数年前までは、財務省の「日本は国の借金が1千兆円以上あり、このままで行ったら財政破綻をするから、消費税の増税は不可欠」という説明を多くの国民が信じていた。
しかし、十数年前から、「消費税増税、緊縮財政こそが、日本のデフレの元凶で、この20年間の財務省のやり方が、日本人を大いなる不幸にして来た」と、データを駆使して、ネットを中心に説明する三橋貴明らの話が、ここ数年、庶民の間に広がり始め、財務省、マスコミ、大企業、労働組合などがこぞって、消費税の増税に賛成しても、庶民は騙されなくなって来た。
三橋の説明を待つまでもなく、消費税の20兆円の税収は、企業の法人税の減税と、高額所得者への所得税の減税、合わせて20兆円と一致していて、財政破綻をなくすためではなく、振り替わっただけというのは数字が証明している。
だから、本来、消費税の増税に反対する立場にあるはずの企業、財界が消費税増税に賛成しているのである。
加えて、輸出品には消費税がかからないために、トヨタなど輸出大企業が、下請けなどが支払って来た消費税を丸々懐に入れている事がアメリカのトランプ大統領の「消費税は日本輸出企業への援助金」発言で露呈し、大企業の消費税賛成の意味を多くの国民が理解したのである。
財務省に限らず、役所の庶民感覚とのずれは覆い難いものがある。
例えば、土地の所有者が死亡した時に、相続した人間は登記する義務はない。だから、持ち主不明の土地の処分というような事になった時は、土地の権利を持つ人間を、自治体が探すのが大変だという事が報道されるようになって来た。
でも、この話を報道するマスコミの記者に庶民感覚があれば、「所有者不明という事は固定資産税を支払っていないのだから、税金の未払いで自治体が没収できるはず」という考えに辿りつくはずだが、そうした疑問すら出て来ない。
所有者が家に住んでいない時には、固定資産税が6分の1に減額されるという法律も、庶民感覚から大きくかけ離れたものである。
所有する家に住んでいないという事は、別に住む家かマンションを持っているという事である。そうした人間に何故、税金を6分の1に減額しないといけないのか。
本来なら、不在地主に対しては、税金を2倍にして、売却などを促進する事が必要な対策なのに、そうした事には一切手をつけないでいる。
だから、全国で何軒に1軒が空き家という話になるのである。
深刻化する空き家対策とか言うが、空き家に2倍の税をかけて、販売を促進し、所有者が税金を支払えない時は、地方自治体が没収して、再利用するという規則にすれば、空き家問題など1、2年で解決してしまうのだ。
役人は自分達にとって有利になる話は放っておいても直ぐやるが、自分にとってメリットがない話はいつまでも放置したままである。
ゴミ屋敷問題はよくテレビで報道されるが、これなど、迷惑防止法を作って、一定のルールを守れない人には行政が強制的に処理する権限を与え、その処理費を所有者が払えない時は、行政が不動産を処分して、費用を徴収できるようにすれば、問題など直ぐに解決してしまうのだ。
面倒くさいもの、揉めそうなものは手をつけない。これも官僚が考える事である。
参議院選挙で、野党は消費増税の凍結を謳っている。でも、これも欺瞞である。
そもそも、5%から8%、そして、8%から十%への増税の値上げと、日程を定めた法律は、民主党の野田首相の時に成立したものである。
民主党政権は菅首相も野田首相も、財務省の嘘の説明にころりに騙されて、「消費税を何が何でも上げないと、日本は財政破綻をする」と信じ込み、増税の日程まで決めてしまったのである。
これに抵抗したのが安倍首相で、2回も延期したが、2回目の増税延期の時に、「景気次第で延期があり得る」という条項が、財務省の陰謀で削られたのである。
心ある議員が増税延期を主張する中、安倍首相が3回目の延長が出来なかった最大の理由は、そこにある。
そして、このデフレで国民が苦しんでいる時、与野党ともに大半の議員が本気で消費税の延期または、中止を叫ばなかった理由は、国会議員の感覚が庶民のそれと大きくずれているからである。
ひと昔前は、官僚やマスコミが何と言おうと、選挙民と日々接していて、庶民感覚に一番近いものを持っているのが政治家と言われていた。しかし、今はほとんどの議員のそのかけらも感じない。
どうしてそうなったか。理由は簡単で、小選挙区制度のためである。
マスコミと学者たちの大合唱で、中選挙区から小選挙区に切り替わった。これを機に、国会議員の質が大きく変化した。
中選挙区だと、1つの選挙区で、同じ党の議員同士が争う事になる。
これが派閥の温床だとマスコミは叩いて、小選挙区制度へとなったのだが、同じ党で複数の議員が当選できるという事だと、政治家はより選挙民と接し、その民意を吸い上げる事が、当選につながるから、ほとんど全員が金曜日の夜から月曜日の朝まで地元の選挙区に帰っていた。
しかし、小選挙区になると、1つの党からは1人しか当選できない。そうなると、公認者を決める党の首脳や幹事長がより強い権限を持つようになり、議員は党の首脳に逆らえなくなった。
一方で、首脳に認めれれば、当選はできるようになったので、今の国会議員で毎週末選挙区に帰る者が大幅に減った。その結果、党の首脳に盲従的に従い、選挙民の意向を知らない、イエスマン政治家の大量生産となったのである。
それが、国民の過半が反対する消費税増税がすんなり決まった大きな理由だ。
かつて、首相を務めた小渕恵三氏は、同じく元首相の福田赳夫と中曽根康弘と同じ選挙区で、苦労してどうにか当選して、議席を確保した。その苦労が小渕氏を成長させ、総理の座まで辿り着かせたのである。
中選挙区制度は野党にもメリットがある。
1つの選挙区から4人が当選できるなら、当選ラインが下がるから、野党も1つの議席くらいは頑張れば取れる。少し元気が良い優良候補者がいれば、4人中2人を野党が取る事もそれ程難しくない、少なくても、与党が大勝ちとはならない制度なのだ。
そして、選挙戦では、党対党の論戦ではなく、個人の魅力の戦いにもなるので、党の方針の建前論に終始するのではなく、どれだけ自分をアピール出来るかが勝負なので、議員が磨かれるのである。
一刻も早く、中選挙区に戻すべきだと思う。
庶民感覚と全く異なる判決が多く出された事への反省から、裁判員裁判が生まれた。判決に庶民感覚を取り入れようという趣旨である。
でも、それが崩壊しようとしている。裁判員に指名された人の半数が辞退しているという。何故か。理由は2つある。
1つは、裁判の期間が長すぎ、拘束時間が長くて、仕事に支障が出る事である。2つは、裁判員が苦労して出した判決を控訴審や最高裁で覆す例が多く出て、裁判員から、「自分達の努力は無駄」という意見が多く出て来た事である。
だが、この裁判員制度が崩壊しようとしている事に一番喜んでいるのが裁判所である。何故なら、裁判所、裁判官が裁判員制度そのものが自分達の権利を侵害していると思っているからである。
だから、裁判所は事あるごとに、裁判員制度の問題点を話し、それをマスコミが意図も理解しないで、そのまま報道している。
壊れかかっている裁判員制度を元に戻すのは簡単である。
1つは裁判の期間の短縮である。アメリカの裁判などは1日は何時間も審理をするが、日本は1日で済む話を何日にも分けるから、日にちがかかるのである。
裁判は一般の人が考える以上に金がかかる。コストカットの意味からも、1日に6時間、7時間と審理を行い、裁判の日数を短くする事は簡単なのである。
2つ目の裁判員制度を定着する方法は、控訴審や最高裁で裁判員が下した判決を覆す場合、全会一致にする事である。こうすれば、一審の判決が覆るケースは大幅に減る。庶民感覚を覆すのには、それだけの事が必要であると裁判官に感じさせる事が重要なのである。
裁判の判決を庶民感覚に近づけるという趣旨で始まった裁判員制度を壊してはならないのだ。
裁判官や裁判所のものの考え方が庶民感覚から、ずれまくっている例は枚挙の暇がない。
最近、控訴審で有罪が確定した被告が呼び出しに応じないので、連れに行ったら、逃げられたという話が大きく報道された。一報段階では、連行しに行った人の中に警察官が2人いて、総勢6人で行って、逃げられたので、警察は何をしているのだというトーンだったが、良く事情を聞くと全く異なる話だった。
ここにも、裁判所の非常識、庶民感覚と大きく異なる話があったのだ。
アメリカでは一審が事実上の最終判決で、高裁、最高裁に行くのは、手続きのミスや法解釈の誤りなどと言う理由がある時に限られ、一審判決の重さが日本とは比べ物にならない。そして、その一審は陪審員だけで有罪、無罪を決めるのである。
そして、高裁、最高裁は事件の事実関係は基本的に審理しない。
手続きのミス、法解釈の間違いという観点で、検事と弁護士が高裁や最高裁の判事の前で意見を言い、それを聞いた裁判官たちがどちらの言っている事が理にかなっているか判断するのである。
ところが、日本は全く違う。多くのケースで高裁、最高裁に行き、上級審でまた、事実関係をいちから審理するのだ。
そして、一審で有罪になっても、控訴すると、被告は保釈され、有罪判決を受けた者でも、自由に普通の生活を送れる。そして、控訴審には被告は出廷の義務はなく、裁判は弁護士が対応するので、裁判の間も自由に自宅で生活できるのである。
更に驚いた事に、控訴審で敗訴し、有罪が確定した後の手続きだが、検察が被告に出頭するように手紙を送り、応じない場合は再度、催促の手紙を送り、それでも応じない時は電話するなどして、催促し、それでも、応じない場合に今回のように、収監のために身柄を確保しに行くというルールを裁判所が決めているのである。
収監のために確保しに行くのは、検察庁の事務官で、武術の心得などない。だから、念のために、警察官についてもらったのである。
今回の被告は強カン、覚せい剤などで有罪判決を受けた人間である。こんな人間を保釈するのも異常だし、加えて、控訴審が終わるまで野放しという裁判所が作ったルールそのものが、より庶民感覚と大きくづれている。
怖い事は、今回の逃亡劇が起きて、そうした庶民感覚と大きくかけ離れた事が裁判所の指示のもとに、ごく普通に行われていたという事である。
日本では、本来は法律は国会で作る事になっているが、実際は官僚が作っている。そして、その官僚が作る法律が庶民感覚から大きくかけ離れているのである。
公職選挙法などその最たるもので、事細かく規則を作っているので、議員や候補者が少し何かしようとすると、直ぐに公職選挙法に違反するという事になる。
議員や首長は年賀状は出しては駄目、選挙期間中を除いて、集会などで議員が自分への投票呼びかけをしても違反。庶民感覚からすれば、おかしな規則ばかりである。
こんなバカげた規則を作ったのは官僚なのである。
一流大学を卒業した官僚は本来は優秀で、庶民の事も理解していて当然である。でも、今は全くそうではない。
理由は簡単だ。
子供の時から、遊びもしないで、先生の言う事を無批判に、その通り覚えてそれをペーパーに書ける人間がす、一流中高から一流大学に進み、官僚になったり、大企業に就職出来たりするのだ。
本来、人間として一番大切は皮膚感覚を養う時期や機会がほとんどないのである。一般庶民と自分は違う事が誇りなのだから、庶民の感覚がわかる訳がないのである。
そして、上司の言う事を無批判に実行する人間が官庁でも企業でも出世する。だから、一流企業や役所で偽装や改竄事件が相次ぐのだ。政権が悪いのではなく、そうした体質の人間が教育で大量に製造されているのである。
この受験優等生は目上の人間に逆らい、睨まれる事を極端に嫌う。だから、おかしいと思う事でも、上司の命令はそのまま実行するのである。
こうしたロボット優等生が官僚や企業、マスコミの中核を占めているのだから、行政や裁判所、企業、マスコミがおかしくなって当然である。
でも、筆者はネットにより、時代は大きく変わり始めていると考えている。
数年前までは考えられない事だったが、大手週刊誌までもが、「消費税の増税は必要ない。日本には財政再建問題は存在しない」という事を書きだしたのだ。
かつて言われた事があるが、正に「山が動き出した」のだ。
「緊縮財政」「規制緩和」「自由化」はずっと、善であると考えられて来た。今回の参議院選挙でも、議員の公務員の定数削減や、行政改革を公約に掲げる政党がある。でも、時代は変わったのだ。
「緊縮財政」「規制緩和」「自由化」はいずれも、政府の力をできるだけ小さくして、自由に競争させるという事である。これは力を持つ強い人や企業、国家が勝ち、貧しい人はより貧しくなるという事につながるのだ。
そして、その事を世界の庶民がわかり始めて来た。
「自由な資本主義が正義」と長年思って来たが、それは実は一部の特権階級の人達が勝つ、「強欲資本主義」である事に多くの人がわかって来たのだ。
だから、一流大学を卒業したEU官僚が、加盟国の庶民の感覚と大きく異なる規則をどんどん作り、それを加盟国に押し付けている事への反発が強くなり、反対する政党が各国で議席を伸ばして来ているし、イギリスはEU離脱を掲げたのだ。
アメリカでトランプが当選したのは、ヒラリー・クリントンに代表されるような、従来の利権まみれの政治家に国民がノーを突き付けたのである。
欧州では、どこの国でも、マスコミが「極右」とも「ポピュリズム政党」とも呼ぶ政党が議席を伸ばしている。
マスコミが何故、「極右」や「ポピュリズム政党」と呼ぶか。理由は簡単である。
マスコミは日本だけでなく、欧州もアメリカも左翼が基本である。かなり左に寄っている。その左翼から見えれば、中道の庶民感覚は「極右」になるのだ。
イタリアの五つ星運動は1人のコメディアンが提唱しだして、今では大きな勢力になって来た。日本でも、今回の選挙で、そうした動きが出て来た。れいわ新撰組や、NHKから国民を守る党である。
正直、今回の参議院選挙だけでは、こうした政党は大して議席はとれず、1から多くて2、3議席であろう。しかし、来年には衆議院選挙がある。参議院選挙を足掛かりに、次の衆議院選挙では、他にもこうした考えの政党が出て来て、数年後には政界は様変わりになると筆者は予測する。
そして、ロボット受験優等生が中心の官僚支配国家日本が大きく変わる事は間違いないと思う。もし、それがなければ、日本はただ沈没し、数年後にはウイグルやチベットのように、中国の属国になっているだろう。
多くの国民の意識が変わり、行動する時期が近付きつつあると言える。
20190627
眞子様婚約問題の解決は簡単
秋篠宮家の眞子様が婚約を前提とした会見をした後、相手の男性とその母親のスキャンダルが表面化し、婚約・結婚問題が宙ぶらりんになっている件について、今週発売の週刊文春、新潮ともに、色々書きたてている。
あまりにも下らないので、新聞の広告で見出しを見るだけで、記事を読む気にもならないが、この2誌の秋篠宮家に対する最近のバッシングや批判は異常とも言える。
多くの人が指摘しているように、ここ1、2年のこの両誌の記事の記事の質の低下は目を覆うものがあり、筆者がそうであるように、かつて、何年も両誌を愛読していた人間の多くが、ここ1、2年は買う事はおろか、書店で手にとる事さえしないようになっていて、発行部数の急落は凄いと聞く。
眞子様騒動については、秋篠宮自体、半分匙を投げた格好で、週刊誌でも、ネットでも、秋篠宮と紀子妃に対するバッシングはかなりのもので、それが強いては、次の天皇について、秋篠宮家の長男ではなく、天皇の娘である愛子様にすべきであるという主張が野党や新聞などで多く出されていて、野党は選挙公約にもしている。
野党や朝日新聞などは、男性一系の天皇制度を崩壊させる事自体が目的で、表面的には「男女平等」を謳い、眞子様騒動での秋篠宮の管理能力のなさもあって、「女性天皇を容認する世論は大勢」という事を言いまくっている。
しかし、産経新聞の世論調査にあるように、7割以上の日本人が、「女系天皇」と「女性天皇」の意味の違いさえ理解しておらず、単純に天皇は別に女性でも良いのではないかと考えているという話で、女性天皇に賛成しているに過ぎない。
最近は教えなくなったので、若い世代の人は知らないと思うが、天皇は日本の風土、文化から出た宗教とも、風習、文化とも言える神道の総帥として、神々に祈り、対話をして、日本と国民の安寧を祈願するというのが最大の仕事で、年に1、2回、24時間以上、部屋に籠って、不眠不休で神に祈るという事を今でもしている。
平成天皇が天皇の位を退いた最大の理由は、この祈りの行事を続けるのが無理になったという事にあると言われている。
つまり、日本の天皇は神事を行う人なのである。だから、「一般の国民と同じように、男女同権で良いのではないか」という話にはならないのである。
欧州の王族は武力が優れた者が王となって、民を支配する事から始まっている。これに対して、日本では、天皇は国民は神からの預かりものであり、国と民を幸せを祈るという発想からスタートしている。武力での支配者ではないのである。
これも今の日本人が知らない事だが、世界の皇族が集まると、イギリスの女王を初め世界の皇族の誰よりも、日本の天皇が上座に座る習慣になっているし、日本の天皇とローマ法王は同等の位置づけなのである。
男性一系が2千年以上続いて来た事に加えて、この神からの預かりものの国民の幸せを祈るという伝統が、日本の天皇が世界的に尊敬され、上位に置かれる意味なのである。
天皇について、男女同権を主張する人や政党、新聞社には、是非言って頂きたい。「ローマ法王にも女性がなれないのはおかしい」と。
眞子様の婚約騒動の最大の問題は、決断しないといけない当事者が毅然として態度を示さずに、放置していることである。
少なくても、国民の幸せを神に祈る事に意味がある日本の天皇の家族は、その役割故に国民から尊敬されるであり、税金で生活していても、誰も文句を言わないのである。
その分、皇族は、その身分として、して良い事としてはならない事のけじめが重要であり、国民に対する責任があると思うが、秋篠宮も妻も、当事者の眞子様自体もそうした気配が見えないのは残念である。
最大の間違いは、先の皇后である美智子妃が、本来は乳母や侍従が行う皇族教育に反対して、今の天皇を含めて、自分の手元に置いて育てて、皇族教育を蔑ろにした事にあると言える。
民間出身の美智子妃は、当然の事ながら、皇室の常識は知らないし、皇族のあるべき像などという発想は持ち合わせていない状態で、民間のままに子供の教育をした。手助けをしようとする侍従たちの助言や援助を、全て拒否したと言われている。
だから、秋篠宮自体の結婚も皇族の伝統や格式から逸脱していたし、当然、秋篠宮の子育ても、皇族の常識の徹底など行わなかったのである。今日の眞子様騒動は起きるべくして起きたとも言えるのである。
まして、皇族の女性を国際基督教大学に入学させるなどという無謀な事を許した時点で、今回の騒動は予想された事である。
筆者は高校、大学時代に国際基督教大学の近くに住んでいたし、興味があったので、大学の構内にも入り、色々調べた事がある。
今から50年以上前のことだと、その時点で、バンガロータイプの学生宿舎が構内にいくつもあったが、話を聞くと、男女の学生がその学生宿舎で同棲しているのは珍しくないという話を聞き、また、実際にその様子を見て、驚いたのを覚えている。
50年前には結婚前に男女の同棲などはまずあり得ない時代であり、そうした中でそれが堂々と行われていたのである。
そんな古い話ではなく、十年位前まで企業の人事採用をしていて、多くの学生と接した経験から言えば、国際基督教大学の学生は頭は良いが、本当に変わった人が多かった。日本人の普通の常識がほとんど通じない人達である。
だから、日本の普通の企業に就職せずに、国連など国際機関などの就職する人が多い。
世間知らずの皇族の女性をそんな中に入れておけば、何が起きるか十分に予想できたのである。
まあ、起きた事をあれこれ言っても仕方がない。
だが、この問題の解決方法は実は簡単なのである。
平成天皇も今の天皇も、秋篠宮夫妻も眞子様の小室氏との結婚を認めれば良いのだけである。
但し、皇族としての自覚のなさは歴然としているのだから、皇族と絶縁して、民間に降下し、通常の女性皇族が結婚して、民間に降下する時に出される御下賜金、1億6千万円と言われる金は一切支払わず、そして、皇族故に得ている仕事や肩書をすべて剥奪する事が前提である。
世界の皇族にとって、それは当然の事なのである。
エリザベス女王の前に英国の王位を継ぐ立場にいた皇太子は、アメリカ人の離婚経験があるシンプソン夫人という女性と恋愛し、王位を取るか、女性を取るかと聞かれて、女性をとって、王位を捨てた。
「王冠をかけた恋」と言われた話である。
当然、英国王室は彼と絶縁し、この男性は生活にも不自由し、晩年はギリシャの造船王と言われたオナシスの援助で、細々と生活したと言われている。
更に、王位を振ってまで結婚したシンプソン夫人は、実はナチスのスパイで、英国王室に近づき、篭絡した事が後に明らかになっている。
英国王室の例を取るまでもなく、今の日本でも、大企業の経営者、高級官僚、医者、弁護士などの、今流行りの言葉で言えば、「上級国民」の家では、結婚は家と家の結びつきで、その結合で、両家がより以上に繁栄するためのものという位置づけで、子供の時から、子供にそういう教育をしている人が少なくない。
勿論、恋愛は自由で、親が勧める人以外の人と結婚するのは構わない。
だが、それは親や家との絶縁を意味するのである。どんなに困ろうと、家族や親は手を差し伸べたりしない。
日本の上流階級と言われる人達の多くが今でも実行している事を、その上の存在である皇族ができない訳はない。
秋篠宮がこう宣言し、娘を絶縁すれば、女性宮家の問題も沈静化するだろう。
そして、何よりも、もし、そうなったら、多分、小室氏は眞子様との結婚には、何の魅力もなくなったとして、結婚を取りやめると言い出すと予想される。
それで目が覚めたとして、眞子様の絶縁は取りやめてはいけない。今後の皇室のためにも、前例ははっきり示さないといけないと、筆者は考える。
20190620
新しい事実を無視して、嘘の話を更に嘘で塗り固めようとする古代史の学者
1週間位前に、ある新聞に国立民族博物館が30数年ぶりに大幅リニューアルしたという記事が掲載された。リニューアルを担当した教授の話を聞いて原稿を書いた記者の記事を読んで、唖然とした。
その記事に「弥生時代はこれまで言われていたよりも、500年遡ってスタートしたいたというのが、最近の学界の常識になっている」とあったのである。
こんな嘘を平気で言う教授も教授だが、少し知識がある記者なら、おかしいと気付くこんな話を、そのまま原稿にする記者の態度も全く理解できなかった。
この教授が言おうとした事は、最近、縄文遺跡から、これまでの常識を覆す素晴しい遺物が次々発見され、従来、学者が言った来た事が事実と全く違っていた事をを何とか隠蔽して、辻褄を合わせようとして、「縄文遺跡から見つかったものは、縄文時代ではなく、弥生時代のもの」という説明をするために、弥生時代を500年遡らせようという話と取れるのだ。
また、昨日のある新聞で、東大の教授の縄文時代についての研究が載っていたが、この記事で教授は「縄文時代の末期に寒さのせいか、人口が激減している」と言っているのだが、その後で、「激減した縄文人と弥生人との結合についても、詳しく調べたい」という趣旨の話が紹介されていて、こちらも、何を言っているのかという話である。
東大を中心とする古代史の研究学者は、日本列島には縄文人がいたところに、今の中国、朝鮮半島から、進んだ技術も持つ渡来人がやって来て、多くの縄文人が淘汰され、残った縄文人と渡来人との混血で、弥生人が生まれたと言い続け、いまだに教科書や参考書ではそのまま書かれていて、学校でも、そう教えられている。
そして、渡来人は鉄の技術と稲作を日本列島に伝えたと説明し、学校では今でもその通り教えている。
だが、ここ十数年の研究で、そうした古代史の定説が全く嘘であり、事実は全く違う事がわかって来た。
まず、中国や朝鮮半島から渡来人が日本列島に来て、多くの縄文人が殺害され、残った人間との間との混血から弥生人が生まれたと言う話だが、最近のDNA検査による研究で、日本人のDNAは中国や朝鮮半島の人とは全く異なり、渡来人と縄文人の間で混血で弥生人ができ、それが日本人の先祖だという話は、全く嘘である事がわかって来た。
更に、いくつも縄文遺跡から稲の化石が見つかり、弥生時代に稲作が大陸や朝鮮半島から伝わったという話も全くの嘘である事が明らかになって来ている。
そして、日本の縄文遺跡から発見された稲と、古代の朝鮮半島の稲を比べると、日本のものの方が遺伝子的に先祖で、稲は朝鮮半島から日本に伝わったのではなく、日本から朝鮮半島に伝わったという事もわかって来た。
これは日本人の研究だけでなく、中国人の学者の研究でも明らかになっている。
日本の古代史の研究学者の話から、我々は長く縄文人は、狩猟の生活をしていて、衣類は毛皮中心で、洞穴に住んでいたと教えられ、民族博物館でもそうした展示がずっと行われて来た。
しかし、最近の研究で、縄文人はきちんと服を着ていたし、アクセサリーなどもつけ、化粧もしていた事がわかって来た。
更に、縄文人は高さが十メートル以上もある立派な建物を作っていたし、集落の周囲に他の集落から攻撃されないように、堀を巡らしていたこともわかって来ている。洞穴生活が中心ではなかったのである。
また、縄文遺跡のいくつかから、硯とものを書く書台が見つかっている。硯や書台が見つかったという事は、当然、何かを書いたという事である。
これまでの学者の定説では、日本人は文字を持たず、漢字の導入で初めて文字を持ったという事になっているが、硯と書台の発見は、漢字以前に日本人は文字を持っていた事が明らかになったのである。
日本には古代文字があった証拠として、日本各地で岩などに刻まれたものが見つかっているが、古代史学者は、「古代日本には文字はなく、これらのものは江戸時代に捏造されたもの」と言い続けて来た。
最近は外国の学者から、「日本の縄文時代は世界最古の文明ではないか」という説が出て来るようになるなど、興味が持たれているが、日本人の古代史の研究学者は「日本の縄文時代はそんな立派なものではない」と必死になって否定している。
沖縄の与那国島の海底に巨大な岩石の城跡のようなものが見つかり、古代文明ではないかと、話題になった事がある。
先日もCS放送を見ていたら、ヒストリーチャンネルか何かで、アメリカ人の探検家がこの与那国島の遺跡を調べ、関係者の話を聞いた様子が放送されていた。
海中の遺跡については、映像で見せてくれたので、かなり詳しく見る事ができた。そして、沖縄の大学の教授は「3千年前の遺跡」と言っていたが、この米人の探検家の取材に対して、京大の教授などは、「海底の波で岩が削れたもので、人口もものではない」と否定し、探検家もそうなのかという感じで番組を終えていた。
最近の研究で、打製石器、磨製石器ともに、世界最古のものは日本の縄文時代のものである事が、科学的な検査で明らかになっているが、日本の古代史の研究家は、これだけ素晴しい話をPRしようとしない。
与那国島の海底遺跡もそうだが、「日本はそんな凄い国ではないのです」という前提で、次々と出て来る新しい事実を全否定しようとしているとしか思えない態度である。
彼らの態度を見ると、「日本が世界に誇れる古代文明があった」という事が嫌で嫌で仕方ないようにさえ思えて来る。
今の国会で、アイヌ新法が成立し、「アイヌ民族は先住民」として、その文化を大切に保存しようとして、予算もつく事になったが、これも、最近の研究で、アイヌ民族は日本の先住民族でない事がわかって来た。
これなどは、明らかになった事実で、従来言われてきた事が嘘であり、歴史を訂正しないといけないのに、それを日本史の研究学者がしないために、間違った法律が出来たというひどい話である。
東北地方や北海道には、アイヌ以前に、縄文人が住んでいたという証拠が遺跡から明らかになっている。
アイヌ民族はユーラシア大陸にいたツングース系の民族が、他の民族に追われるようにして、日本列島に渡って来たもので、その時期は、鎌倉時代だという事もわかっている。
つまり、従来から日本列島にいた縄文人と戦って勝ったアイヌ民族が東北、北海道に住みつき、それを関東以西にいた日本人が征服し直したというのが歴史的な事実なのである。
古代史など日本の歴史研究は、以前は東大など有名大学の教授を中心に行われて来た。
しかし、ここ十数年の出来事として、大学を卒業して、会社勤めをした人が、元々興味を持っていた日本の歴史について、中年以降になって研究を始め、科学的な知識を駆使し、資料を丹念に調べ、従来の常識に捕らわれない自由な発想で、新しい発見をし、本に書いたり、ネットで自説を説明したりしている。
例えば、いまだに専門学者の間では、何に使われたか定説がない銅鐸について静岡の元英語の教師は日時計であり、太陰暦のカレンダーであると解き明かし、ネットで詳しく説明している。極めて説得力のある話である。
また、設計事務所で技術屋の仕事を長年してきたある人は、DNA検査などから朝鮮半島には、古代には人が住んでいたが、理由はわからないが、その後、いなくなり、半島はほとんど人がいない地域だった事、そして、その半島に日本人、当時の倭人が渡って行って住み着き、それが後に百済や新羅になったという説を立てた。
この説はDNA検査だけでなく、中国の古文書などの記載にも、この説を裏付ける内容がある。
百済は新羅と唐の連合軍に敗れて、国が滅んだ時、王族などが多く日本に渡って来たが、従来の説では、今の朝鮮人の祖先の百済の人が渡来して来たとなっていたが、この研究家は、「元々倭人だった百済の人が日本列島に、いわば帰って来たので、混乱も起きずに、日本列島にいた人との融合が進んだ」としている。
百済や新羅では、古代の日本語が通じていたという事が古文書にも書かれており、百済から来た人たちが融合するのは面倒ではなかったのである。
邪馬台国論争は、東大、京大が九州説、近畿説を唱え、いまだに、学界的には決着がついていないが、民間の研究家の間では、とっくに答えが出ている。
答えは簡単で、当時の日本列島にはいくつもの国があり、有力な国として、九州の邪馬台国と、近畿の国があった。
卑弥呼がいた邪馬台国は九州にあって、中国の王朝と付き合いがあったために、魏志倭人伝などに書かれたというのである。
九州説の理由はいくつもあるが、最大の決め手は、邪馬台国の倭人は顔に入れ墨をしていると書かれている点である。当時の九州に住んでいた人達にはそうした風習があったが、近畿にいた人にはそうした風習はない。
日本の有名大学の歴史研究家は、自分に都合が悪い資料については、「あれは信用できない」と退け、自分に都合の良い資料を基に自説を主張してやまないという人が多い。
邪馬台国論争で驚いた事がある。
それは日本人の古代史の研究学者が、魏志倭人伝について、中国人の古代史の研究家の意見を全く聞いていない事である。
中国語で書かれた古代資料を中国人の古代史研究家に意見を聞くというのは研究者としてイロハのイだと思うが、日本の研究学者はそれすらしていないのだ。
倭人の事だけでなく、魏志倭人伝が書かれた書物の他の記述から、書いてある事の信憑性や、書き方の特徴などを調べれば、色々得ることがあると思うが、日本の学者はそれすら調べていないのである。
少し前に、ある日本のテレビ局が、中国人の古代史の研究の大家3人に魏志倭人伝が書かれている書物を読んでもらい、邪馬台国の部分について意見を聞くという事をして、その内容を放送した。
彼らは、この書類の信用できる部分と、あいまいな部分を明確にした上で、3人が3人とも、「邪馬台国は九州に存在した」と断定した。
日本の学者は歴史研究家だけでなく、憲法学者であれ、経済学者であれ、平気で嘘をつく。そして、新証拠などで自分の説が否定されても、頑強に自説を訂正しようとしない。
嘘を嘘で言い訳をし、屁理屈を通そうとするのだ。
以前だと、東大や京大という有名大学の教授などという肩書などで、多くの人を騙す事は出来たが、ネットが普及した今の時代、色々な人が資料やデータを元に、学者がいう事と全く違う説をいくつも展開している。
そして、その内のいくつかは、極めて説得力がある内容になっている。
政治家、官僚にも言える事だが、時代が大きく変わったのだという事を日本の歴史研究をしている学者に、一刻も早く理解して欲しいと思う。
20190616
10月の消費増税強行は、官僚支配国家日本の終わりの始まり
多くの国民が反対し、財政的にも論理的も必要のない、10月に消費税の増税が強行されるのは必至の情勢になって来た。
消費税の増税は数年前までは、財務省やその前身の大蔵省のマスコミ、学者を総動員したPR大作戦で、大半の国民が仕方がないと考えて来た。
しかし、この1、2年、ネットで論理的、データ的に消費税の増税は不必要であり、逆に減税をしろという意見が多く書かれるようになり、「増税やむなし」と思っていた多くの国民が、財務省に騙されて来ていたことに気が付きて来て、最近の調査では消費税の増税には、過半の人が反対するようになるなど様変わりになって来た。
更に、以前は消費税増税を支援していたIMF(国際通貨基金)が、今は「日本には財政問題はない」、つまり「日本は増税をして赤字を埋めないといけない状態ではない」とまで言い出したのである。
また、日本のマスコミは余り報じないが、長期間景気が良く、そろそろ景気後退期と言われるアメリカで景気が続いているのは、トランプ大統領が減税と、財政出動をして景気をプッシュしている事が大きいのである。
そうである。今は増税ではなく、減税の時であり、緊縮財政ではなく、財政出動の時期なのである。
安倍首相も消費税の増税には反対で、これまでにも2回も延期した来た。
しかし、日本というのは本当に不思議な国家で、時の総理大臣が強く反対しているし、論理的にも、数値的にも必要がなく、IMFも問題ないと言い、強行すれば、日本のデフレが一層ひどくなるのがわかっているのに、官僚、特に財務省の官僚が何かを強行しようとすると、誰も止められず、消費税増税が実施されようとしているのだ。(年金2000万円問題も消費税への最後のプッシュ)
そして、1週間ほど前から「年金の2000万円不足問題」がマスコミを賑わしているが、筆者には、この報告書が出て来たタイミングが、財務省の消費税増税の最後のプッシュとして登場したとしか思えない。
何故かと言えば、まず、老後の生活は年金だけでは間に合わないのは常識であり、だから、皆、貯金をして、老後に備えているのであり、2000万円不足を今更言い出す必要など全くないのに、この時期に敢えて言った事に意味があるのである。
こういうと、若い人から、「給料が安く、貯金などほとんどない」という話が良く出て来るが、それは今の60歳以上の人でも同じだったのである。筆者もそうだが、ほとんどの人が20歳代はカツカツで、貯金などほとんどできない。
それが、中年になり、年収も増え、子供の教育にもそれ程金がかならなくなって来て、貯金が出来て来て、定年を迎える前の十年程の間に貯金が貯まって行くのが普通なのである。
そして、中堅以上の企業を定年退職すれば、退職金は1千万、2千万単位でもらえるので、一定の貯金が貯まるのである。
それにあの報告書の異常なところは、定年になり、老夫婦2人の生活で、月額20万円の年金では、5.5万円足りないとしている点である。
真面目に定年まで働けば、家のローンも払い終わっているので、マンション住まいなら、月額の管理費などは1、2万円である。老夫婦2人での食費や光熱費は普通に暮らせば、十万円余りあれば足りるもので、普通の生活をすれば、足など出ないのである。
報告書の説明を読むと、支出に子供や孫への支援などが入っているし、贅沢な旅行も入っている。本当に馬鹿げた内容である。
そもそも、年金は自分が支払って来た金以上のものがもらえる仕組みになっている。当然の権利ではなく、恩恵であるのだ。それなのに、そんな年金生活者が子や孫の支援をしたり、贅沢な旅行などをすることが前提なのがおかしいのだ。
では、このタイミングで、何故、2000万円不足を敢えて言ったかと言えば、まだ安倍首相は何とか消費税の増税は延期できないかと考えている面があり、増税をしないと、福祉などの金が足りませんよという、財務省のPRの意味が色濃いのである。
加えて、決して国民から積極的に支持されている訳ではなく、野党がどうしようもないので、消去法的に自民党を支持している有権者に、政権にマイナスの話をあえて出し、安倍政権を揺さぶろうという思惑があるようの思えてならない。
筆者も審議会の委員を務めた経験があるが、政府の審議会やなんとか委員会などというものは、有識者を呼んで議論をするというのは形だけで、報告書や答申は基本的に官僚が書いている。つまり、官僚、省庁の思惑通りのものが出て来るのである。
更に今回の報告書は「老後の金が足りないから、若い内から投資をしましょう」という論法で書かれており、証券会社、投信会社のPRの面が色濃い話なのである。
年金の2000万円問題はともかくとして、消費税の増税は、ここまで来たら、多分、誰にも止めれれないから、実施するようになるだろうし、逆に実施すべきであるとも言える。
それは前回の5%から8%に上げた時も、「景気に与える影響は軽微で、消費は直ぐ戻る」と言った財務省の説明は全く外れたのであり、今回も増税と、東京五輪による公共工事の終焉で、来年は間違いなく、大不況になるのはかなりの確率である。
そうなると、何が起きるか。
これまで、政府の言う事に黙って従って来た国民に、政府、官僚に対する大きな不信感が出て来て、イタリアの五つ星運動やイギリスのEU離脱などのような、国を根幹から揺さぶる出来事が起きて来るように筆者には思えてならない。
これまでの日本では、東大出の官僚に任せておけば大丈夫という心理がかなり強くあった。
しかし、文科省の次官の勤務時間中に風俗店に頻繁ば行って、淫行を繰り返していた事や、財務省の次官の女性記者へのセクハラ騒動、そして、最近の統計のミスなどで、「東大出の官僚に任せておいて大丈夫か」という声が出ている中での、消費税の増税強行は、「東大出の官僚はおかしい。国民から遊離し過ぎている」という声が次第に強くなって来る事が予想される。
来年から始まるであろう、大不況はその不況が深ければ深いだけ、官僚への批判と不信という事につながり、場合によっては、かつての右翼青年による社会党の浅沼委員長殺傷するというような事件が、財務省の高級官僚や日銀幹部に対して起きるような事態さえ起きないとか言えないとさえ言える状況になると筆者は考える。
消費税の増税の実施がほぼ決まった今、財務省官僚幹部はほくそ笑んでいるかも知れない。しかし、時代の大きなネジが動き出した時、国民の価値観は大きく変わり、やがて、財務省の解体というような話につながっていくように筆者には思える。
そう、東大出の官僚が支配している国、日本が大きく変わる時が迫っているように思えてならないのである。
そうした意味では、官僚支配国家日本が大きく変わるようになって行くようになり、財務省は歴史に悪名を残すようになるだろう。
20190613
中年引きこもり問題、最大の対策は親の意識改革
登戸での通学バス待ちの小学生の列を襲った中年引きこもり男性に次いで、農水省の元次官による、中年引きこもりの長男殺しがあり、この2つの事件をきっかけに、60万人いると言われる中年引きこもりニート問題が大きくクローズアップされ、マスコミで様々な議論が行われている。
ただ、その議論を見ると、ほとんどが引きこもりニートの人にどう対応するかというもので、「行政が対策をもっとしっかりしろ」とか、「無理して引きこもりを引っ張り出そうとするな」、「親だけで解決しようとするな、周囲、行政にもっと相談しろ」という話がほとんどである。
議論で一番欠けている話は、「引きこもりニートはどうして起きるか」という視点であり、「万一起きた初期の時、どう対処して、それが長引かないようにするか」という考え方である。
ある人が言っていたが、「貧しい家で、中年引きこもりニート問題は起きていない。起きているのは豊かな家がほとんどである」のである。
つまり、中年引きこもりニート問題の原因は、基本的に豊かな親の甘やかしである。筆者に言わせれば、中年引きこもりニートの原因の95%は、親にあるのである。
よく言われる事で、就職氷河期で就職できなかった事が中年引きこもりニートの大きな原因であり、政府も就職氷河期できちんと就職できなかった中年対策をするという方針を決めた。
この話は1980年代末にバブルが破裂して、企業の採用数が収縮し、更に、金融危機、IT不況の時に企業が新卒採用を大幅に絞り込み、当時、大学生だった人の3人に1人が就職できなかったという発想から、中年になったこれらの人達を支援して、就職してもらおうというものである。
だが、筆者はこの話に違和感も覚える。
金融危機、IT不況の時、筆者は企業の採用業務を担当していた。
その時の、大企業の採用の絞り込みは凄まじく、大手製薬会社が営業担当であるMRの採用を中止したような事まで起きた。
しかし、いつもそうだが、大手企業が採用を中止したり、大幅縮小した時、元気の良い中堅企業は「良い学生が採用できるチャンス」として、採用を積極的に行う。この時も、将来、大企業になる可能性がある中堅企業が採用を活発に行った。
筆者は就職活動をしている多くの学生に、その話をして、「中堅企業にもっと目を向けろ」と勧めた。筆者の話を聞いた学生もその気になり、中堅企業の面接を受けて内定を得た。
ところが、中堅企業に就職する積りになった大学生にストップをかけたのが親だった。
「親が中堅企業に就職するのに猛反対なのです。一流企業に就職できないなら、就職しなくて良い。しばらくの間の小遣いくらい自分が面倒みてやる」。親にこう言われたと言って、中堅企業の内定を辞退したという学生の話を何人もから聞いた。
就職氷河期に3人に1人は就職できなかったとよく言われるが、採用を15年程担当した筆者に言わせれば、この話は数字だけが独り歩きをしている。
そもそも、大卒の学生の就職率は好況期には70%台になるが、平均では60%台である。何故、6割かと言えば、2割は大学院や専門学校に進むし、2割は大学で満足に勉強もせず、最初から就職する積りがなく、就活すらほとんどしない人達である。
超氷河期の就職率は、最悪の時でも55%くらいであり、平均的な数字よりも、5%程低い位にしか過ぎない。つまり、少し考える人は、大企業が採用をしないなら、仕方がないと割り切って、中堅企業に就職したのである。
その現実対応をしようとした子供を止めて、引きこもりニートを作ったのは親なのである。
多くの親が就職戦線の現実を知らない。
日本のシステムでは、大学を卒業する時、中堅企業でもよいから、きちんとした企業に就職しないと、その後、まともな企業に就職する事は99%不可能になる。つまり、新卒時に就活の結果は、一生ついて回るのである。
企業の人事担当の発想では、新卒時にどこに就職し、そこに何年いたかが、中途採用をする時でも極めて重要なのだ。職歴にブランクがある人は、まともな企業は中途でも採用しない。
「会社を辞める時には、次の会社を決めてからするのが当然で、それが出来ない人は考えずに行動する人だ。ほとんどの人が就職する新卒時に、きちんと就職しなかった人は落ちこぼれ」。これが、人事担当の発想である。
就活時にうまくいかなかったので、就職浪人をして、翌年に再度トライをするという話もあるが、一流企業は余程の特集事情がない限り、就職浪人は書類で落とし、説明会にも呼ばない。つまり、就職浪人はすること自体が意味がないのである。
だから、「一流企業に就職できないなら、就職しなくても良いから、数年後に就職戦線が改善した時に就職すればよい」という親の発想は、日本では間違いなのである。
人が引きこもりになる大きな原因の1つが、小中学校での苛めであり、中学、高校、大学の受験に失敗した事で引きこもりになったという人も少なくない。
だが、良い悪いは別として、学校の苛めは、どんなに対策をとっても、なくならない。遥か昔だが、筆者も中学3年の時に、家が引越しをして転校した。この時に、苛めに遭った。
当時だから、1クラスに50人位の生徒がいたが、その全員が転校して来た筆者に誰一人として口を利かないという集団苛めをしたのである。理由は転校して来た筆者が成績で一番となり、それまで一番でボスのような存在だった生徒が、筆者に口を利かないように命令したのである。
中学生にとって、クラスの全員が口を利かないという事は結構、きつい事だが、筆者は、他の生徒がそうなら、別に良いと割り切って、筆者の方からも話しかける事をせずに、淡々と授業を受けた。
3か月くらい経つ頃になると、1人、2人と生徒が勉強のわからないところを聞いて来るようになり、筆者がそれに対応すると、勉強を聞いて来たり、話かけて来る生徒が増え、半年位経つ頃には、筆者に苛めを命じた生徒だけが、1人だけ孤立するようになった。
テレビで番組の司会をする、ある女性タレントは子供が苛めにあった時の対応を話した。
彼女の小学生の子供が苛めに遭った。服が汚れていたり、綻んでいたりした苛めに遭っているのはほぼ間違いなかったが、子供に聞いても否定する。
そこで、仕事で休みをとって、子供の後を数日つけた。そして、子供が同級生に苛められているのを目撃した。彼女はその場は我慢して、ずっと様子を見極めて上、いじめっ子が一人になった時に、そのいじめっ子の手首をぎゅっと掴んで、「今度、また苛めをしたら、おばさんが手首をへし折るからね」と、目を睨めつけて言った。
彼女は結構、怖い顔をしているので、迫力もあったのか、これを機会に苛めは止まった。子供のためなら、女性でもこれくらいに事はできるのである。そして、少し気を使っていれば、子供が苛めに遭っている事などわかるものなのである。
苛めれた子供自殺して、初めて苛めを知ったという親が良くいるが、きついようだが、これは親失格である。
受験に失敗して、引きこもりになる話だが、元農水次官のケースもそうだったらしいが、親が子供の人生や人格に口を出し過ぎなのである。
親が一流高校、一流大学を出て、一流企業や役所に就職し、出世したとしても、子供がその通りになる保証はないし、ましては、親がそれを強要したり、期待する事はナンセンスなのだが、特に、母親がそれを口にして、子供の尻を叩く事が少なくない。
秋葉原で車を暴走させて、多くの人を殺した男性も、母親が子供に県内一番に高校に入る事に必死になり、異常な育て方をしたために、精神が歪んでしまい、事件につながったのである。
筆者は採用面接で、一流高校、一流大学に進んだ学生の苦悩を多く聞いた。
超一流の中高一貫校に入った時、同級生は皆、小学校で学年で1番だった者ばかりで、昨日まで学校で1番だった生徒が、中学に入った途端、ビリになる可能性があるのだ。
また、東大に入って、同級生と話をし、勉強を一緒にすると、それまで高校で1番を争っていた学生が、絶対勝てないと思うくらい凄い学生何人もいて、精神的に落ちこぼれたという話も何人もから聞いた。
「自分が3日かかった宿題を3時間くらいで終えてしまう同級生を見ると、絶望的になる」。筆者も有数の進学校に進んだので、この話は良く理解できる。
こうした事は自分で体験した人はわかるが、体験しない母親には理解できないのである。
親は子供に分以上の期待をかけてはいけないし、少し離れたところから、見守り、子供が困った事があった時は、話を聞き、一緒に対応するという姿勢があれば、引きこもりニートなどは起きないのである。
そして、成人した後は、親は金を渡さない事である。
ネットの使用料も、携帯電話の料金も自分に払わすのである。払わないなら、契約を解除するだけである。これひとつで引きこもりニートの多くは防げるのである。
金がなくなれば、自分で働いて稼ぐしかない。大学生でも、今は99%の学生がアルバイトをしていて、ほとんどの学生が自分で小遣いを稼いでいる。子供が学生だからと言って、小遣いを与える必要はない。
「大学に入ったのだから、授業料は払ってあげるけど、小遣いは自分で稼いでね」。大学に入る前から、ずっとそう言い続けていれば良いだけである。
筆者の子供にもそうした。だから、大学に入学と同時に、何も言わなくても、アルバイト先を直ぐに探し始めた。
働けば、金の重さは理解できるようになるし、仕事をすれば、嫌でも、他人と付き合わざるを得なくなり、最低限の社会性は出て来る。
そして、25歳を過ぎたら、同居を止めて、独立する事をさせる事である。
今、成人で働いている人の3人に1人は親の家に同居し、独身だという、パラサイトシングルである。住む所と食事が確保できていると、どうしても、厳しさがなくなり、甘えが出て来る。
会社で少し嫌な事があると、辞めて来たりする事にもつながる。そうした事が起きないようにするためにも、独立する事を言い、同居するなら、家賃分を家に入れさせ、食事をするなら、食費も徴収するのである。
親のこうした毅然とした態度1つで、中年引きこもりニートの多くは起きないのである。
20190519
丸山議員の戦争発言で露呈された日本人の occupied Japan 根性
「occupied Japan 」と言っても、今の若い人は知らない言葉だと思う。
日本が戦争に負けて、GHQという名の米軍に支配された植民地状態の日本を、当時、occupiedJapanと呼んだ。occupied とは「占領された」という意味であり、独立していない植民地状態を指す言葉である。
当時、日本製の製品を輸出する時、「made in Japan 」でなく、「made in occupied Japan」と書かなければいけなかった。つまり、恥辱の言葉であり、当時の日本人は一日も早く植民地状態から脱却したいと考えていて、その事に尽力したのが当時の吉田茂首相である。
この「occupied Japan」という言葉を久しぶりに思い出したのは、維新の会の丸山議員の戦争発言と、この発言に対する日本丸がかりとも言える丸山議員総バッシング騒動を見て、筆者は「日本はGHQの占領支配が終わって、60年以上経つのに、日本人の心の中は、occupied Japanのままで、植民地状態が続いている」と感じたからである。
維新の会の丸山議員の戦争発言については、国会議員、識者、マスコミ、ネットも含めて、「絶対言ってはいけない言葉」「戦後の戦争放棄の日本の国是を否定する発言」などと、否定の見解で発言していて、批判が百パーセントで、ネットを含めて、異なった見解を見る事はまずない。
だが、筆者はこうした風潮、傾向を本当におかしいと感じる。
何故なら、「戦争で奪われた領地は戦争でしか取り返せない」というのが世界の常識であり、そもそも交渉で、北方4島を取り戻そうとする方が、世界的に見て、非常識だからである。
交渉で北方4島の内、2島でも返って来るかもしれないという見方は、自民党政権や外務省、学者が誤った情報を国民に発信し続けた事による誤解であると断言しても良いくらい、ロシアは島を返す積りは全くないと考えるのが、世界標準の見方である。
理由は簡単である。
戦争で勝ったて、領土を獲得した国は、隣接するいくつも国の領土を獲得している。この内、1つの国に領土を返すと、それ以外の国にも領土を返さないといけなくなり、収拾がつかなくなるからである。
だから、世界標準に立てば、丸山議員の発言は、これほど叩かれる筋のものではないのだ。
断っておくが、筆者は丸山議員を擁護する積りは全くない。
彼はまだ、橋下元大阪市長が維新の代表だった頃にも、当時の代表の橋下氏に噛みつき、大喧嘩をして経歴を持つし、酒癖が悪く、過去に酔った上で、色々問題発言をしている事は何人もの人が証言している。
政治家や高級官僚などは、同じ事を言うのでも、言い方に気をつけないといけない。
言いたい事に問題がなくても、言い方でマスコミが騒ぎ出し、それが日本の世論になってしまいかねないのである。
少し前に「希望の党」が作られて、ブームになりかかった時、小池東京都知事の「排除」発言で、小池知事はバッシングの対象となり、希望の党ブームはあっと言う間に消えてしまった。
筆者は小池知事は正直嫌いだし、政治家として全く評価しない。それでも、彼女の排除発言は当たり前の事を言ったに過ぎないと、今でも思っている。
あの発言は、小池氏が旧民主党の国会議員から入党希望者が殺到した時、憲法改正や自衛隊の存在を認める事などという踏み絵を了解して、同意のサインをする事を求めた事に対して、左系のジャーナリストが記者会見で「同意しない議員は排除するのですか?」と訊いた事から始まる。
この質問に小池知事がうっかり質問にあった言葉「排除」を使って「はい、排除します」と言ったので、その言葉だけが独り歩きして、総バッシングとなったのである。
政党は重要政策について、意見が異なる人が参加したら、党としての意思決定ができなくなり、統一行動がとれなくなる。それで何も必要な事が出来ずに、党としての意味がなくなって来る。
自民党右派から共産党よりも左の人が集まった旧民主党政権は、その政策に対する不一致から何も重要な事が決められず、立ち往生している時に起きた東日本大震災に対して、間違った対応をして、被害をより大きくして、日本に大きな禍根を残した。
そして、財務省に間違ったレクチャーを受けて洗脳された民主党の野田首相は、従来の民主党の方針と異なる消費税引き上げの方針を決め、当時、野党だった自民党、公明党まで巻き込んで、消費税十%までの引き上げと、その日程を法律で決めてしまった。
政策についてきちんとした党内のコンセンサスができずに、政権を取った政党がいかにひどい事になるかを民主党政権は見せてくれたのである。
だから、小池氏が憲法改正など重要施策について、同意する人だけ新党に参加して欲しいと考え、それを要求するのは当然の話なのだ。
問題だったのは、引っかけとも言える「排除するんですか?」という質問に、小池氏が「ええ排除します」と答えてしまった事である。
質問者の排除という単語があったとしても、「政党は重要政策で意見が一致した人が作るもので、意見の異なる人は、希望に参加せずに、他の政党を作ってください」と言えば、何も問題はなかったのである。
丸山議員の発言も、「戦争で失った領土は戦争でないと取り戻せないのは、世界の常識です。でも、日本は戦争放棄を憲法で謳っているので、領土は返る事はないでしょう」という言い方にすれば良いのに、酒に酔って、違った言い方をしたというだけの事に筆者には思える。
戦後、70年以上経つ今の日本を見ていると、そこここに、GHQに支配されていたoccupiedJapan根性が根強く残っているのを感じる。
その1つが中国、韓国からどれだけ理不尽な事をされても、「遺憾だ」という発言をするだけで、対抗策を取ろうとしない戦後の日本政府や外務省の姿勢であり、それはまさにoccupied Japanそのものである。
GHQが押し付けた大嘘、「戦前の日本は、中国、韓国を侵略し、略奪の限りを尽くし、両国民に多大の苦しみを与えた」を今でも信じているために、どんなに殴られても、それこそ略奪されても、ヘラヘラ笑って、相手の不当な要求を飲む、それが今の日本である。
正にoccupied Japan 根性そのものである。
そして、必要なら嘘は平気でつき、歴史的な事実も自分の都合の良いように勝手に書き換えてしまう、中国、韓国に対して、「世界の人々は皆、善人で、話せばわかるし、理解し合える」という実際とは真逆の価値観を今の憲法で、多くの国民が徹底期に叩き込まれ、今も多くの人がそれを信じているのである。
occupied Japan の根性が根強く残っていると感じる2つ目は、今の日本では話をする時に、何でも損得、経済的な観点から考え、論じる事である。
最近の米中の経済戦争についても、多くの学者、評論家、エコノミスト、マスコミ、経営者、議員、官僚から出て来る言葉は、「米中互いに争うと、互いに損だし、日本にも経済的に大きな支障が出る恐れがあるので、トラブルが長く続かず、良い所で妥協してほしい」というトーンばかりである。
世の中の事は、時として、自分に損であっても、筋を通さないといけない事はあるし、妥協してはいけない最低線がある。アメリカのトランプ大統領が今、何をしようとしているか。今の日本人には、それが理解できないのだ。
戦後のoccupied Japan の価値観に未だにどっぷりつかった日本では、プライドなどはどこへ行ったのかというように、いつもそろばん勘定でもの事を考えているのである。
そして、譲ってはいけない事を譲り、相手に更に付け込まれているのである。
物事を損得、そろばん勘定で考えるから、後世に大きな禍根を残す可能性が大である移民法やアイヌ新法が、今の日本では簡単に成立してしまうのである。
日本国内は人手不足で、コンビニや中小の工場では、慢性的な人不足で困っている。一方で、少子化で学校は人が集まらなくなり、倒産の危機状態の所が少なくなく、自らの利権の縮小を恐れた文科省が外人に補助金を出して集めてでも、学校を潰させないようにしている。
こうした2つの事情が合致して出来たのが、外人がもっと簡単に、日本に来るようにして欲しいという考えの下に出来たのが移民法である。
文科省は大学、専門学校、高校が潰れないようにするために、「国際化」の美名の下に、外国人留学生を大量に日本に招いている。留学の名の下に日本に来る多くの外国人の最大の狙いは日本で働いて金を稼ぐ事であり、勉強する事ではない。
そんな事は百も承知の上で、文科省は大量の外国人留学生を入れているのだ。留学生は授業料を免除され、滞在費にも多額の補助金が文科省から出ている。
これは大問題だが、この留学生増加策が、企業の人手不足解消の助けになるという事で、この愚策の留学生大量生産が罷り通っているのである。
そこには、異常な形で外国人留学生を大量に入れる事は、将来に禍根を残す事になるという発想などなく、文科省は自分達の利権や天下りの先の学校を潰さずに、留学生受け入れと言う美名の下に、多額の予算を獲得し、ばらまいている。
海外から大量の留学生を受け入れようとすると、そうした候補生を探し、日本に渡航するようにもっていかないといけない。そこで、外国に行って、日本に来ないか勧誘し、日本に来るようにし向ける事が大きなビジネスになり、そのための集団がいくつも出来て来て、留学生受け入れビジネスで、金儲けができる人が多くなって来た。
馬鹿にならない金が集まるようになると、そのやり方を続けさせようと、業者は国会議員に接触するようになり、議員に献金もするようになる。常時、金欠病の議員にとって、献金者は大歓迎なので、移民推進となり、移民促進は政治家にも重要な利権になって来るのだ。
だから、国民の間に問題点を懸念する声がかなりあったのに、法案は簡単に通ってしまった。
アイヌ新法も同様で、アイヌ振興のための法律は今までもあった。
また、アイヌの人と普通の日本人の混血が進み、アメリカのインディアン居留地のような所を作る必要も日本にはない。先住民と言っても、アメリカン・インディアンや豪州のアボリジニーとは全く違うのである。
にもかかわらず、強い反対が一部にある中で、アイヌン新法が簡単に出来たしまったのは、新法でアイヌと称する人達(実際にアイヌの血を引く人はほんの僅かで、他の利権団体の人が主導していると噂されている)に多額に金が渡るようになり、そこに利権が発生し、政治家にも金が還流する制度になってしまっているのである。
現在の日本は制空権をいまだに在日米軍が握っているなど、名目はともかく、実質的には occupied Japan のままである。
筆者の住んでいる東京郊外の地区は、米軍の厚木基地へ帰る米軍の飛行機の通り道という事もあって日常的に米軍機を見る事が出来るし、騒音もかなりひどい。
米軍機の飛行状況を見ると、訓練で基地を飛び立って、帰るというだけではなく、住宅地を米軍機がかなりの低空で何回も旋回する事が珍しくない。
何故、単に帰還するだけでなく、住宅地を何回も低空で旋回するのか理由を訊くと、日本の家屋を攻撃目標に爆弾を落として、急上昇するイメージトレーニングをしているのだという。
つまり、日本を守るのではなく、日本の家屋を攻撃する訓練をしているのである。
こうした実態は、その地区に住んだ者しかわからないが、実態は米軍のし放題である。
戦後の日本では、名目だけでなく、実質的にoccupied Japan から独立した日本国になる機会は3、4回あったと言われている。
その1つが戦後5年目から始まった朝鮮戦争であり、1960年代のベトナム戦争である。
朝鮮戦争が起きた時、アメリカの大統領や軍の指揮官は、在日米軍の指揮者、マッカーサーに日本人を駆り出して、朝鮮で戦わせろと命令した。
それを当時の吉田首相にマッカーサーが伝えた時、吉田は「あなた達が日本に押し付けた今の憲法で、日本は戦争放棄を謳っているので、戦争には行けません」と言って、断り、朝鮮戦争で日本人は戦う事はなかった。
この話は、長く吉田の懸命の知恵として、称えられて来た。
しかし、もし、吉田が米軍の命令を受け入れて、日本人が朝鮮で戦い、その条件として、マッカーサーが押し付けた憲法の改正を迫り、日本の独立を要求したら、どうなっていたであろうか。
何万かの日本人が死んだと思うが、それでも、日本は occupied Japan を脱し、完全独立国になっていた事はほぼ間違いないであろう。
ベトナム戦争も同様で、当時の首相は憲法を盾に、日本人の派兵を拒否した。一方で、韓国はアメリカの要請でベトナムに軍隊を送り、米軍と一緒に戦い、犠牲者も出している。
同盟国や友人が本当に困った時、手助けをするのが、真の友であり、それを理屈をつけて断る人や国は相手から信用されない。日本は戦後、この信用されない道をずっと歩んで来たのである。occupied Japan から真の独立国になる次の大きな機会が、ニクソンの電撃訪中による米中の国交樹立の直前にあった。
ソ連封じ込めのために、ニクソンは当時の佐藤首相に、在日米軍の核の管理を日本に任せ、日本を事実上の核保有国にするから、対ソ連の封じ込めに協力して欲しいと要請した。一度でなく、二度にわたって要請したと、当時の外交関係者が証言している。
だが、当時の佐藤首相は「日本が核保有国になる事は、日本人の核アレルギーから言って無理です」と断り、ニクソンを激怒させた。そして、その直後、アメリカは「日本は頼りにならない」と言って、対ソ冷戦のパートナーに中国を選んだのである。
現時点で、過去を振り返って、朝鮮戦争やベトナム戦争へ派兵を拒否した吉田茂など当時の首相の判断を評価し、日本が戦争に巻き込まれなかった事を良しとする人は少なくないと思う。
だが、筆者に言わせると、その考えが、正に occupied Japan 根性が染みついている結果だという事である。
中国が虎視眈々と狙う尖閣列島や沖縄について、日本の首相や政府要人がアメリカの政府や軍の首脳と話をする時、日本人側は「いざという時に、米軍は日本を守ってくれますよね」と聞く。
これに対して、特に米軍のトップから出て来る言葉は「尖閣も沖縄も日本の領土でしょう。日本が必死に守る戦いをするなら、アメリカ、米軍は出来るだけの支援はします。でも、主で守るのは日本の役目ですよ」と苦笑いをしながら言うという。
自分が死に物狂いで、自国を守るための戦いをしない国を誰が助ける行為をするというのか。という事なのだが、この言葉の意味を理解できない日本人があまりにも多いのである。
ソ連が崩壊した直後の、アメリカの政府首脳やシンクタンク、軍などで、ソ連亡きあとの、米国の次の仮想敵はどこかという議論が起きた。
そして、その議論の結果は、ソ連の後の仮想敵は「日本」となったのである。
これは秘密でも何でもなく、アメリカの大手新聞などでも、当時、報道された。残念な事に日本のマスコミで真剣にこれを報じるところはなかったので、日本人の多くが知らなかったが。
そして、そして、軍事費用を極力省き、経済に専念した日本は、1980年代に、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われて、アメリカに迫る勢いを見せた。
この時、アメリカはシナリオの仮想敵の予定通り、プラザ合意で、日本の円を短期間で2倍の円高にして、日本と日本企業の輸出競争力を大きく落とし、徹底的に痛めつけた。
そして、当時、世界の銀行上位十社に日本の銀行が8、9社占めていたのが、BIS規制などで、日本の銀行は徹底的に攻撃され、今では嘘のように、世界の上位に日本の銀行はほとんどいなくなった。
半導体も、コンピューターソフトでも、日本企業はアメリカに迫る勢いだったのが、今では、米国どころか、中国、韓国にも負け、その下請けになってしまったのである。
財務省や経産省の無策というか、亡国の政策もあったが、世界の大きな流れを見ない、日本の態度が今の20年以上続く、日本のデフレ不況の引き金になったのである。
戦後、70年以上経った今でも、憲法改正のアンケート調査をマスコミがすると、改憲論者は半分程度で推移している。つまり、半分の日本人が半植民地状態の occupied Japan に満足し、これで良いと思っているという事である。
だから、丸山議員の戦争発言は、バッシング百パーセントというような事になるのである。
動物園に飼われていて、餌に不自由はしないが、本当の自由はない。野性味も自分で考える力もどんどん失っている日本と、日本人。そして、それに満足している日本人。
筆者は今回の丸山騒動をきっかけに、そんな事を考えた。
中国の毛沢東はその治世時代に、1億人程の自国民を死に至らしたと言われ批判もされる。
その毛沢東が偉大な指導者として、今でも尊敬される理由は、朝鮮戦争の時に言った有名な言葉によって説明される。
米軍中心の国連軍と戦っている時、「中国人の半分が戦争で死んでも、中国にはまだ何億の人間が残ります。米軍が中国に攻め込むなら、国民の半分が死んでも、戦い抜きます」という趣旨の話をし、それが停戦に結び付いたと言われる。
絶対守る線は決して譲ってはいけない。そして、自国民の半分が死んでも、その主義は守る。それが真の政治家、リーダーなのである。
かつて、日本航空のよど号が連合赤軍にハイジャックされ、身代金として数億円を要求された時、当時の福田首相は「人の命は地球よりも重い」と言って、犯人に数億の金を渡して、犯人達を逃した。
そして、逃げた連合赤軍はその後、イスラム過激派と手を組み、イスラエルの空港で乱射事件を起こし、多くのイスラエル人が殺され、日本は世界から顰蹙を買った。
欧米では、ハイジャックされた飛行機が市街地に墜落されそうになると、大統領や首相は飛行機を撃ち落とす命令を出す。乗客数百人には申し訳ないが、何十万、何百万人の命には代えられないという論理からである。
日本および、日本人が早く動物園から出て、自立をする国になって欲しいと思う。
20190501
劣化が進む行政の職員のレベル低下、そして、国民意感覚との乖離
経産省の28歳の課長補佐が麻薬がらみで逮捕された。
主要官庁の20歳代の課長補佐というのは、一流大学を卒業して、将来の幹部候補生として、国の重要案件の立案作業などを行う立場の人で、こうした人が麻薬がらみで逮捕されたという話は、中央官庁で働く職員の劣化がここまで来たという象徴的な出来事と言える。
そして、最近はいつもの事だが、企業の人間が逮捕された時は、出身大学や経歴などが詳細に報じられるのに、中央官庁の幹部や幹部候補生だと、こうした報道が全くない。マスコミの官庁への忖度は年々、ひどくなるばかりである。
中央省庁では、少し前に厚生労働省のデータがお粗末だったという事が話題になった。
その前には、文科省の事務次官が、勤務時間中の日中にセックスをするような場所に頻繁に通っていた事が判明したり、財務省の事務次官が女性記者にセクハラまがいの事をしていたが明らかになり、ともに辞職している。
これらの不祥事は隠しきれなくなって表面化したもので、表面化せずに、官庁がらみで、もみ消された話はもっと多いのではないかと推測される。
かつて、日本には、「官僚が優秀だから、政治家が少しくらい出来が悪くても、大丈夫」という神話が長い間あった。しかし、今の官僚を見ると、ここまで質が落ちたのかと思う位劣化が進んでいる。官僚の劣化はどんどん加速していると思われる。
そして、その劣化は、行政のサービスを受ける国民、住民にとばっちりが行き、被害を受けるのだ。
官僚、行政が劣化が進んでいる話で、筆者が最近、体験した事を少し書く。
2、3か月前に前に、筆者は東京の区部から郊外の市に引越しをした。この時、それまで住んでいた区の役所に手続きをしに行ったら、まず、住民票の担当の課で書類を書かされた。だが、担当者は「この後、健康保険の担当課に行って、手続きをしてください」という。
階段を上がって、上の階の健康保険の担当課に行き、手続きを終えると、次は「介護保険の担当課に行って、手続きをしてください」と言われた。
つまり、転出手続きをするのに、区役所の3つの場所に行かされ、トータルの時間は3時間程かかった。区役所の建物に中には、何をする事もなさそうな職員が多くいて、手持無沙汰な様子であった。
この後、転出先の郊外の市の役所に転入の手続きに行った。
この市役所は住民票の管理をしている課で転入手続きをすると、健康保険、介護保険の手続きも一緒に出来て、少し待つと、健康保険証もその場で交付してくれた。市役所の中には区役所に比べると、職員の数は大分少なく、いる職員はなにかしらの仕事をしている感じで、区役所のように、手持ち無沙汰な人間はいない感じだった。
この郊外の市は住民福祉に力を入れている事で評判の所で、さすがに対応が良いのかと感じた。
ところが1ヶ月程して、年金の事務所から、「氏名の変更があったので、年金の振り込みを受けるためには、銀行に新しい名前の口座を作り、その書類を送ってください」という手紙が来た。
氏名変更などしていないので、おかしいと思って、年金事務所に連絡して話を聞いてみると、転入した郊外の市の担当者が、筆者の名前を漢字はそのままで、読み方のカタカナを間違えて、書類を年金事務所に送ったらしいという事がわかった。
わかりやすい説明をすると、「英雄」で、読みは「ヒデオ」なのに、「ヒテオ」と、濁音がない表記に書き間違えた書類を年金事務所に送ったのだ。筆者は受け取った健康保険証は漢字表記なので、読みが間違っていた事を筆者は知りようがなかったのである。
事情がわかったので、年金事務所の人にどうしたら良いかと聞くと、「市役所に行って、名前を再度訂正し直す作業をしてください」という。しかし、市役所に行って、名前を訂正しても、その書類が年金事務所に届くのには、1ヶ月くらいかかるという。
では、1週間後に迫った年金の振り込みはどうなるかと聞くと、「今回の支払いには間に合わないので、次回、つまり、2か月後の年金支払いの時に、一緒に振り込む」というのである。
入って来る予定の金が2か月も先になっては話にならないので、1週間後に年金を受け取る方法はないかと聞くと、年金事務所の人間は「これまで年金の振り込みをしていた銀行口座の名前を、市役所が間違えた読みに訂正してもらえば、多分、口座に金が入ると思う」というのだ。
そこで筆者は、まずは市役所に行って、氏名を訂正してもらうとともに、市の担当者に年金事務所に連絡をとってもらい、事情を説明してもらい、1週間後の振り込みをしてもらうように交渉してもらった。
しかし、年金事務所の担当者は「口頭の連絡では受け付けられません。正式の書類が届かないと、名前の訂正はできない」の一点張りである。
仕方なく、銀行に行って、事情を話をすると、こうしたケースが他にも結構あるようで、銀行の担当者は1週間後の年金を受け取るまでの間、口座の名前を間違ったように訂正し、年金を受け取った数日後に元の名前に戻すという手続きをしてくれた。
別の話で、免許証の住所変更の届け出をしないといけないので、土曜日に警察署に行くと、「住所変更の手続きはウイークデーの日中だけです」という。土日対応や夜の対応ができないというのだ。
最近は、市役所、区役所では、土日しか役所に行けない人のために、月に2日程、土日に窓口を開けている役所が結構出て来ているが、警察にはそうした発想が全くなく、「ウイークデーの日中に来てください」の一点張りであり、仕方なく、ウイークデーに警察に行って、手続きをした。
そうこうする内に、免許証の更新時期が来た。
筆者は70歳を越えているので、更新は警察への届け出だけでなく、教習所での高齢者講習が必要なのだが、これが信じられないくらい予約が取れないのだ。
教習所の高齢者講習の窓口の番号に電話すると、話し中であったり、テープが回っていて、「今月の講習はもう予約が一杯です」という事を言っている。どの教習所に電話しても、とにかく、担当の人間と話をして、事情を聞くということすらほとんどできないのである。
話にならないので、ある教習所に直接行って話をすると、行った所は「毎月5日の日に、2か月先の1か月間の高齢者講習の予約受付をします。受付は朝の9時から夕方4時まで、電話で予約受付をしている」という。
混み具合を聞くと、2か月の先の予約は予約受付を開始する5日の日、1日で一杯になるという。
直接来て予約するとか、メールや手紙での予約はできないのかと聞くと、予約は電話だけという。
そういうルールであるなら、そうするしかないと思い、次の5日の日が来るのを待って、朝9時から電話するが、何回かけても、ずっと話し中で、つながらない。朝の9時から午後の4時まで10分置き位に電話をしたが、何十回かけても、ずっと話し中のままで、予約どころか、担当者と話をすることすらできない状態だった。
教習所は公安委員会指定、つまり、警察指定の仕事で、教習所の幹部には警察からの天下りが多いと聞く。つまり、教習所は警察関連の施設とも言えるが、全く話にならない、住民、利用者無視、軽視の対応である。
少し前に、名古屋で高齢者講習を受けようとして、予約が取れずに、免許証が失効したという人が出たう話が報道され、それを受けて、警察は「こうした事が起きないように、改善に努めます」とコメントしていたが、筆者の体験では、改善の努力の跡などどこにもない。
最近、免許証を更新した高齢者に話を聞くと、とにかく、講習の予約がとれずに、都内の教習所何ヶ所にも連絡をしたが、埒があかないので、警察署に行って相談したら、比較的予約がとれやすい教習所を教えてくれたという。
しかし、その教習所は住んでいる所から、電車を乗り継いでいき、1時間半かかる程、離れている。でも、生活でどうしても車を運転しないといけない事情なので、その人は遠くまで行って、免許証の更新をしたという。
少し前にやはり苦労して講習の予約と取って、更新した別の高齢者は「高齢者の交通事故が報じられてので、警察は高齢者講習の予約をとりにくくして、自主返上を促しているとしか思えない」と憤りながら話していた。
今はネットの時代で、病院の予約もネットでできる病院が出て来るなど、サービスの改善が進んでいるが、役所、行政のネット対応は全く進まない。
欧州のエストニアは、行政のネット対応が進んでいるので有名な国だが、ネット化が進むことで、手続きが簡素化するだけでなく、役所の職員の数も大幅に減り、行政改革が思い切り進んだという。
日本人女性でエストニア人の男性と結婚して、1年程前にエストニアに行った人の話だと、住むために手続きをしにご主人の住む住所の市役所に行ったら、手続きは5分で終わり、パスワードとIDを渡され、「細かな手続きは、自宅に帰って、ご自分でパソコンでしたください」と言われたという。
この日本人女性の話では、市役所にはほとんど職員がおらず、書類もネットに収まっているので、ほとんどなく、建物も小さく、簡素だったという。
エストニアは選挙もネットを通じて行うので、リアルタイムで結果が出るし、議会は行政側の説明資料はネットに全部アップされているので、議員は事前にそれを読んだ上で、質疑を行うようになっていて、説明、議論の時間が大幅に短縮しているという。
エストニア程でないまでも、日本でも行政のネット化が何年も前から叫ばれているが、公務員のリストラになるという観点から組合が反対して、一向に進まない。
別にネット化が進まなくても良いが、上に書いたように、公務員の劣化と、サービス精神の欠如で、住民は被害にあったり、迷惑を受けたりしている。だが、それが一向に改善されず、むしろ、年々ひどくなるばかりである。
日本人は行政に対してお上意識が強く、役所のやり方やサービスに文句を言って、改善させるという発想の人が少ない。だから、役所がこれで良いと思って、対応、サービスがどんどん劣化して行っている。
そろそろ、国民が怒って、公務員にノーと言う時期に来ているのではないか。
上に書いた日々の行政サービスだけでなく、ここ20年間、産業政策がゼロに近く、日本の産業指導をほとんどして来ないに等しく、日本の産業をガタガタにした経産省、そして、ありもしない財政危機を声高に叫び、マスコミ、政治家、学者を取り込んで、緊縮財政を続けて、日本を貧困化させた財務省など中央省庁も、大改革の時に来ていると言える。
とにかく、国民が怒らないといけないのだ。
天皇制度の意味、歴史を報道しない、新聞、テレビの御代変わりフィーバー
年号が変わるという事で、新聞、テレビは特番や特集記事のオンパレードで、どこも同じトーンで報じている。
中身をみると、平成天皇はこんなに国民の事を考えて行動して来たというような話ばかりで、テレビ番組も新聞の記事も見たい、読みたいと思うものはほとんどないお祭り騒ぎの報道である。筆者の周辺の人達の間では、「テレビで見る番組がなくて困る」という声が多い。
御代代わりのフィーバーは一部にあっても良いと思うが、何故、天皇とは何かとか、天皇制度、皇位継承問題を、事実を元に淡々と分析する番組や記事がどうして出ないのかと筆者は思う。
天皇制度について新聞記事で書いているものをみると、産経新聞のように、「日本は中心に天皇がいるから、素晴しいのだ」という記事で、何がどう素晴しいのかという話がないし、過去のエピソードや歴史的な事実は語っていない。
男系制度がずっと続く意味も、何故、意味があるのかという事を説明しないものだから、2000年以上続いて来た事の意味が、若い人にはわからない。
筆者は、世界で一番長く続いて来た日本の天皇制度は意味があるし、出来るなら、今後も存続して行ければと思う。しかし、何故、維持しないといけないかとか、天皇の役割は何かという事をきちんと教えて来ていないので、若者の間には、皇室無用論の人も少なくないと聞く。
批判を恐れずに言えば、皇室とは何かとか、天皇制度とは何かという事については、皇族の人達の中でも、きちんと教育され、だから、自分はどう行動しないといけないのかという自覚や自己規制が少なくなっているのではないかと思う。
だからこそ、秋篠宮の眞子様の婚約問題のような事が起きるのだとも言える。
女性皇族の身分の意味、自分の役割を自覚していれば、相手選びには、本人も親も慎重になるのは当然だが、親である秋篠宮は「娘の自由にしていた。娘の意思は尊重したい」と言うし、娘である眞子様の方は問題が噴出した時に、一女性としての視点、発想でしか行動していない。
そうした事をきっかけに、ネットや週刊誌などでは、秋篠宮バッシングがかなり起きているが、秋篠宮や眞子様の言動を見ると、こうした批判などどこ吹く風というように感じられ、多くの国民に見られ、時として批判にさらされるという意識、自覚がないように思う。
連休中の新聞記事の中で、ある識者が平成天皇から令和の新天皇、秋篠宮を含め、かつて、皇族をしっかり教育する機関であった学習院に、その体制がなくなり、平成天皇以降、皇族が皇族としての身の律し方を習わずに、成人してしまったための問題を指摘していた。
皇族、天皇制を存続させていくのならば、こうした教育の在り方についても、整備が必要である。
大分前だが、天皇論について詳しい歴史学者に話を聞いた事がある。
彼によると、歴史的に、天皇は神から国民を預かり、国民が安心して幸せな生活を送れるように配慮し、そうなるように、良い政治を行う政治家、古い時代なら、関白や右大臣、左大臣を任命し、自身は国と国民の安寧を神に祈る行為をして来た存在だという。
その歴史は明治以降も生きていて、明治時代の政治は伊藤博文達重臣達が行い、天皇はその報告を受け、了承するという立場だったのである。
戦後の教育では、「明治憲法では天皇主権だったのが、現在の憲法では主権在民になった」と教えているが、これは明らかに間違いである。
明治憲法、正式には帝国憲法だが、この条文に「天皇が統治する」と書いているが、原案では統治ではなく「シラス」となっていた。しかし、明治時代ですら、「シラス」は死語になっていたので、最終的に「統治す」となった。
「シラス」は「知らす」である。対する言葉は「ウシハク」である。漢字で書くと「領く」と書く。
「ウシハク」は力で領民を制圧して権力を握るという意味であり、日本以外の外国の王はまさに、「ウシハク」で王になったのである。
これに対して、「シラス」は神から預かった民をいとおしみ、幸せになるように良い政治家を選び、徳で尊敬され、天皇自らは祈るという事である。
平成天皇が譲位されるのは、公務をこなすには身体的に無理になったためと言われているが、譲位が決まった後も、各地の訪問などは少しも減っていない。
では、どの公務をこなすのが難しくなったかと言えば、天皇は1年に数回、不眠不休、それこそ食事も摂らずに、24時間以上、神に祈る行為をしている。平成天皇もこれをして来た。それが無理になったというのが、譲位の大きな理由なのだと関係者は言う。
歴史的に言えば、ごく一部の時期を除くと、日本では天皇は国民を支配し、政治を行う事はしていない。「権威はあるが、権力はない」というのが、日本の天皇である。
海外の王室、皇帝は「ウシハク」で成り立ち、日本は「シラス」で成り立った。これが日本の天皇の特徴である。だが、今の教育では、この日本の天皇制度の根幹的な考えたである「シラス」と「ウシハク」を教えていない。だから、ほとんどの日本人がこれは知らない。テレビ、新聞の報道がフィーバー、お祭り騒ぎばかりと書いたが、ネットの情報だと、この期間、NHKが特番で、天皇の問題を取り上げる番組を作って、放送したという。
その情報によると、今は亡き、三笠宮が「今のままで行ったら、後継の男性がいなくなり、皇統が絶えるので、女系や女性天皇を認めるべき」と戦後、提案した話を元に、天皇後継を考えるという内容で、結論は「女系、女性天皇を認めろ」という内容となっていたという。
ネットでの内容説明によると、このNHKの番組でもそうだが、女系、女性天皇を論じる時、いつも欠けているのが、「何故、男系男子か」という話である。
万世一系男系天皇が重要なのは、後継争いが起きないための歴史的な知恵であったという事を言う人はほとんどない。
海外の王朝を歴史で勉強すると、「〇〇朝」という言葉が出て来る。これは女系の王様を出すから、先祖を辿ると、日本の天皇と違って、いくつもの先祖が出来た事から出て来た言葉である。
いくつもの先祖が出て来るので、次期の王の候補者が何人も出て来る事になる。そこで王の座を狙う争いが起こり、争いに負けて、処刑された候補者が何人もいた。
日本の歴史的な話を言えば、藤原氏が全盛の時に、天皇に自分の娘を皇后として嫁がせる事をいくらでもした。そして、実質的に国家の権力を握った。更に、藤原氏は天皇の地位さえも狙うようになった。
こうした有力者から天皇の地位を守ったのが「先祖を辿れば、神武天皇に行きつく人でないと天皇になれない」という考えである。これが万世一系男系天皇なのである。
勿論、古い時代には日本でも、皇子同士の跡目争いはあったし、皇子の妻の親が、娘婿の皇子を天皇にして、自分の権勢をより強くしようとする争いもあった。でも、欧州の王族のように、王朝が変わる事がなかった理由が、万世一系男子なのである。
NHKの番組のように、皇族の中に、秋篠宮と、その息子以外に、天皇を跡を継ぐ男性がいないから、女系天皇を認めろという話に対しては、GHQによって廃止された11宮家の子供、孫の中に、男性は十人以上いるから、問題ないという考えもある。
旧宮家を復活させろという話は、かなりの予算増加になるので、現実的ではない。
ではどうしたらよいかと言えば、旧宮家復活ではなく、いまある宮家で男性の後継者がいなくて、まもなく滅びる事が確定的な宮家が3家ある。
この3つの宮家が11宮家の男性の中から、養子を取って、滅びる事が決まっている家を存続するようにすれば良いというの現実的な対策案である。
この案は、費用が余分にかからず、理解を得られやすい話である。
11の旧宮家の人達は、皇族でなくなって70年経っているので、今更、皇族に戻れないだろうという事を言う人もいるが、旧宮家の人の話を聞くと、年に何回か、旧宮家の人が集まる会合があって、情報交換や伝統の維持はしているようである。
そして、何よりも、旧宮家の当主は社会的に高い公務についている人も少なくなく、降下したと言っても、一般の国民とは違うのである。
こうした話は専門家の間では、知られている事だが、一般には知られていない。
筆者は御代代わりの時の今こそ、そうした皇室、天皇に関する事を多くの国民に知らせ、議論しないといけないのではないかと思う。
20190906
NHKが反日になった理由…電通のせいだけではない
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞やテレビのTBS、テレ朝が反日報道をするのは広く知られているが、ここ数年、NHKの反日姿勢が半端ではない。
平昌五輪で、日本と韓国の試合で、日本が勝った時、実況しているアナウンサーは「韓国負けました」を3回くらい連発した。見ていて、本当に信じられなかった。日本のテレビ局なら、当然「日本勝ちました」でないといけないのに、主語が韓国になっていたのだ。
そして、それを誰も注意せず、訂正すらしないという状態で放送を終えた。
先にも書いたが、最近の日韓の騒動に関連する報道でも、竹島の事を報道する時、左派系の新聞ですら、「韓国が占拠している島根県の竹島」と書いているのに、NHKは「日本と韓国が領有権を主張している竹島」と報道した。
表現の不自由展として、議論になったあいちトリエンナーレの件を報道する際も、NHKは昭和天皇の肖像写真が燃やされ、灰を踏みにじるシーンの事はほとんど報道せずに、従軍慰安婦像の話を中心に語った。
朝日新聞の報道姿勢と同じスタンスであった。
どこの国のテレビ局も海外放送を英語でしていて、自国の立場をPRする内容を放送していて、中国や韓国のテレビ局は常時、日本を批判する内容を放送しているが、NHKは日本の主張はほとんどせず、むしろ、中国や韓国の姿勢を紹介するような内容が少なくなく、海外在住者から「どこの国の放送局か」という不満の声が出ている。
NHKの元職員の立花孝志氏がNHKから国民を守る党を立ち上げた理由の1つが、NHKの最近の反日的な姿勢にある事は知られている。そして、その主張に同調する国民が多かったから、立花氏は国会に議席を獲得したのである。
筆者が現役の記者だった時代には、NHKは記者仲間の間では、政府寄りで、むしろ右派系メディアと言われていた。
それがいつから、今のようになってしまったのであろうか。
その1つの理由に、東京代々木のNHKの本部の建物の中に、中国の党の宣伝活動をしているとアメリカに批判されている中国の中央テレビ局や、韓国のテレビ局の日本支社が入っていて、NHKが何かと便宜を図っていて、その影響が大きいという指摘がある。
NHKは日本の国会中継の映像は各委員会の議論も含めて、全ての映像を中国側に渡しているというのは公然の秘密であるし、ちゃんねる桜の水島社長が尖閣列島に船で接近しようとしているのをNHKの報道ヘリが取材をしていて、そのNHKが撮った映像がそのまま中国のテレビ局で流されたという。
水島社長によると、自分達の様子を映像で取材をしていたのはNHKのヘリだけであり、中国の放送局の映像はNHKが渡した以外考えようがないと言っている。
N国党の立花氏はNHKが反日になった理由について、電通がNHKの元会長の海老沢氏との闘争に勝って、海老沢氏がNHKを去った後、韓国びいきで有名な電通がNHKを実質支配したからだと、自身のユーチューブで語っている。
しかし、筆者はそれもあると思うが、NHKの反日、左傾化は電通問題だけが理由ではないと考える。
筆者がまだ30歳位だったもう40年位前から、NHKには、番組のプロヂューサーに明らかな反日、反政府の思想の持ち主の左派系の人間がひと塊りいた。
今はなくなったが、土曜日の朝の奥様番組で、生命保険業界や流通業界の幹部など消費者の日々の生活に関係ある業界の人を呼んで、問題点を指摘して、業界幹部に答えてもらうという番組があった。
この番組では、質問をするのは、司会者ではなく、一般の家庭の主婦という肩書の中年女性5、6人である。
だが、一般家庭の主婦で、スタジオで質問をするという人たちはいずれも、共産党系の主婦団体の筋金入りの幹部であり、知識もかなり持ち合わせており、番組のプロデューサーと事前に入念に打ち合わせをしていたのである。
筆者はこの番組のプロデューサーと知り合いだったので、裏話を聞いた事があり、プロデューサーは得意げにからくりを話してくれた。
また、大分以前だが、「先の戦争の責任は昭和天皇にあり」という考えの基に、「昭和天皇を裁判にかける」という番組がNHKで作られ、「昭和天皇は有罪」という結論で放送され、あまりのひどさに批判を浴び、担当のプロヂューサーはNHKを退職した。
この番組の趣旨を考え、中心になって推進したのは、朝日新聞の松井という女性の編集委員だった事は関係者の間では、周知の事実である。
テレビ局で担当プロデューサーが企画して番組を作る時、企画会議があるし、作った後も、幹部クラスが収録時に立ち会って、内容をチェックするようになっている。それでこうした番組が放送されるという事は、幹部クラスにまで、反日の思想の持主がかなりいるという事の証明である。
ちなみに、この番組のプロデューサーは、今ではある大学の教授という肩書で、大学で反日の講義をしているし、問題になった、あいちトリエンナーレの表現の不自由展で、朝日新聞の記者とともに、委員会の委員を務め、ひどい企画を強力に推進した。
最近では、沖縄の反基地闘で、NHKの現役の番組のプロデューサーが積極的な活動をしていたと指摘されて、問題になっている。
NHKに限らず、朝日、毎日、東京の各新聞と、TBS、テレビ朝日にどうして、こうも反日の活動家が多いのだろうか。
筆者が現役の記者時代にも、反日の記者や番組のプロデューサーは存在した。でも少数派だった。それが、どうして、こんなに増えてしまい、それが多数派になってしまったのだろうか。
筆者は、大きな理由に戦後の日本での教育があると考える。
筆者の一回り下の年代から、日本の教育は高度成長時代の経済戦士を育てるという発想の下、多くの人がそれなりの知識を持ってもらわないといけないという業界からの要請もあり、教育現場では、「詰め込み、丸暗記教育」が徹底して行われるようになった。
教育内容も増えて、教師は生徒の素朴な疑問に答える余裕もなくなり、生徒が質問をしようとすると、「ガタガタ言わずに、この通り覚えろ」と言うようになり、生徒が疑問を挟む事はタブーとなり、教わった事を丸暗記する風潮が強くなった。
自分の頭で考えるという習慣がなくなって行ったのである。
そして、丁度、その頃から、中国や韓国との間で、馬鹿げた「近隣条項」という約束が出来て、彼らに都合の悪い事は教科書から削除したり、彼らの主張する嘘の歴史に日本の教科書を書き換えるという事がどんどん行われるようになった。
例えば、筆者が子供の頃、習った、任那日本府の話は教科書から消え、半島から来た「帰化人」は「渡来人」という表現に改められ、日本では縄文時代から稲作をしていたにもかかわらず、「進んだ技術を持った半島からの渡来人」が稲作を日本にもたらしたという嘘の教育が教えられるようになり、それが今でも続いている。
今の日本の小中学校の社会の教科書を見て驚いたのだが、共産党の独裁国家の中国が「民主主義国家」と表現されているのである。
つまり、嘘の教育で、「日本が悪い事ばかりして、中国や韓国に迷惑をかけて来た」という事を教えられ、それを丸暗記した生徒を日本は60年近く育てて来たのである。
丸暗記教育で教えられた事を無批判に覚えた優等生が、東大、早慶に入り、その人達が一流企業に入り、大手マスコミにも入って来たのである。
彼らの多くは、実際にはなかった、「韓国が日本と戦い、独立を勝ち取った」という嘘を信じているのである。自分の頭で考え、少し調べれば、嘘か本当かわかるのだが、丸暗記優等生はそんな事はしない。
彼らの発想は、先生や上司に逆らう事は、自分にマイナスで、してはいけない事であり、上司の命令や言われた事は絶対なのである。
この疑問を挟まずに、言われた事を丸暗記して優等生となり、一流大学に進み、一流企業に入った人間も、早い年代の人はもう60歳代になっている。
団塊の世代は小学校高学年から中学にかけて、この丸暗記教育に従うようになる。団塊左翼と言われる人が大量に発生した理由はこのためである。
この考え方が、多くの企業で発生した「偽装」の原因である。おかしいと思っても、上司に逆らう事はタブーなのであり、とにかく、辻褄を合わせるという発想しかないのである。
財務省で、国民の多くが反対するす消費税増税に疑問の声が起きずに、省を挙げて増税に突き進んだ理由も同じで、上司の命令は絶対で、それに従うロボット人間が多くいるという事の証明でもある。
少し考えれば、学校で教師が言っている事はおかしなことが多いし、少し市販の本を読んだり、ネットで情報を得れば、幅広い知識が得られる。
有名なユーチューバーの1人、KAZUYAさんは、日教組が強い北海道の学校教育で反日教育を受けて育ったが、高校時代にたまたま目にした本で、教師が教えた内容に嘘が多い事を知り、それから、多くの本を読んで、それまでの考えを改めたと言っている。
だが、丸暗記優等生はそんな事はしない。彼らにとって、折角、苦労して覚えた事を変えるには手間であり、無駄なのである。
何年か前だが、ある国民的な議論がある問題で、法改正を進める話が出ていた時、筆者も当事者の1人として、日弁連の幹部の弁護士と議論をした事がある。
その時に、日弁連の幹部が言った事が今も忘れらない。「この法律を改正すると、いくつも法律を変えないといけないし、我々はそれを覚えないといけないから大変です。だから、司法関係者は改正に反対なのです」。この30年間、日本は経済発展ゼロで、デフレ不況に苦しんでいる。その大きな理由は大蔵省(今の財務省)、日銀の失政が大きいが、それを更にひどくしたのは、日本の企業、官僚、政治家の中核にいる人達が、この優等生ロボットタイプの人達であり、日本を変えようという声が上がらなかったからである。
だが、今のネットの時代で、状況は大きく変わって来ている。
NHKを含めて、大手マスコミがいかにおかしいかを多くの人が知るようになって来た。今やNHKの放送内容を信じる人は、中年以上の女性や団塊左翼くらいになって来た。
今の若者は新聞や読まないし、テレビも見ないという人が増えている。だから、朝日新聞やTBSなどが左派系マスコミがいくら森友、加計問題を取り上げても、政権に大きなダメージは無かったのである。
ネットでは、問題が起きて間もなく、森友、加計問題の本質が直ぐに解説され、それが納得出来たので、ネット社会では、早い時期から解決済みの問題となったのである。
筆者は年寄りだが、特定に1、2の番組を除いては、地上波のテレビ番組を全くと言って良い程、見なくなった。NHKの紅白歌合戦や朝の連ドラを見なくなって、もう20年以上になるし、日曜日の大河ドラマも十年以上見ていない。
今やNHKの放送は、スポーツ中継以外には、ニュースを含めてほとんど見ない。ドキュメンタリー番組ですら、間違いのナレーションが多く、不愉快になるので、見る事は止めた。
NHKだけでなく、民放も見たいと思う番組がほとんどないので、テレビを見る時はCS放送で、外国のドラマかスポーツ中継を見るくらいである。ネットで情報が得られるので、それで生活に何の支障もない。
N国党が国会に議員を送るようになったのも、ネットの時代だからである。
中年から年寄りは、国が決める事には不満があっても、従うのが当然という発想の人が多いが、若者はおかしいものには、おかしいというようになって来たのである。
かつて維新の会に所属していた丸山穂高議員が北方領土について、戦争という言葉を使った事で、国会は全会一致で、議員辞職勧告決議をし、マスコミは丸山氏を叩きまくった。
その丸山氏が今度は竹島問題で、やはり戦争という言葉を使ったとして、マスコミや野党は再度、丸山氏を総攻撃したが、N国党の立花代表は「彼は現実を話しただけだし、選択肢の話をして議論をしようとしただけであり、それで彼に議員を辞めろというのはイジメだ」とネットで反論した。
その上で「共産党の小池書記局長が丸山議員に関連してN国党を批判したので、自分はネットの中継でいつでも議論をするので、出て来てください。
人を批判したり評論するのは簡単だが、国会議員の仕事は実行でしょう。丸山議員の行動がおかしいというなら、辞職勧告決議を2回受けた議員は議員を辞職しないといけないという法律を作ってください。国会は法律を作る所なので、できるでしょう。他人の行動を批判するだけの議員なんていりません」と言った。
その立花氏の発言に対する視聴者の反応は、賛成が多数を占めたので、野党やマスコミの丸山議員攻撃は勢いを失って来た。
左派系の人に少し批判されると、直ぐに謝罪した週刊ポストの幹部と、立花氏の姿勢は大きく異なる。大手出版社はやはり、丸暗記ロボット優等生の集団なのである。
立花氏は高卒でNHKに入り、仕事が出来るので、ローカル採用にもかかわらず、東京本部勤務となり、組織の中枢の経理の仕事をして来た人間である。
れいわ新撰組の山本太郎氏も自ら言うように、高校で2年に進級できずに、中退した、中卒の学歴の人間である。
2人とも、戦後の丸暗記ロボット教育で育たなかったために、逆に、自分の目を持ち、本質を理解しているのである。だから、国民の共感呼ぶのである。
これに対して、丸暗記ロボット教育を受けて一流大学を卒業して、大手マスコミに入ったり、野党議員になった人の多くが時代の変化に鈍感過ぎ、国民の支持を失っているのだ。
だから、嘘ばかり書き、戦前も戦後も日本の足を思い切り引っ張り続けて来た朝日新聞は、発行部数が最盛時の半分近くになって来たのである。
共産党の機関紙、赤旗は、日曜版を含めた発行部数が最盛期の3分の1以下の百万部を切るようになった。共産党の財政の9割が赤旗の売上げで支えられており、共産党の活動は大きく制約されるようになって来た。
共産党は党員が30万人に減少している上、高齢化が進み、若い人の入党が増えなくなって来て、危機的になって来た。
今、若い人で共産党に入り、議員になったりする人は、話を聞いても、幹部の嘘の論理をそのまま話していて、正にロボット優等生そのものである。自分の頭で考え、少し歴史を調べれば、嘘だらけの話を、丸暗記で信じているのである。
政治家、官僚、企業幹部、これから、戦後の間違った丸暗記ロボット優等生を排除し、自分の頭で考え、行動する人中心の社会にしていかないと、日本の再生はないと言える。
20190903
韓国問題の最大の功績…歴史を日本国民に知らせた事、誰が国内の敵か判明した事
半導体の製造に使うガスの韓国への輸出管理の強化から始まった、今回の日本と韓国のトラブルをきっかけに、日本国民も日韓問題に大きな関心を持つようになった。
そして、韓国問題について、様々な角度から詳細を書いた保守系の雑誌、HanadaとWillが書店で品薄の状態になっているという。
日本人の書籍離れから、本や雑誌は売れなくなって久しいが、どちらかと言えば、マイナーな雑誌であるこの2誌が品薄になっている事は、多くの日本人が「テレビや新聞の解説では、日韓問題の本質が何もわからないという不満の表れである」とも言える。
筆者も久しぶりに雑誌を買って読んでみた。歴史的な経緯はほとんど知っている事だったが、今、起きつつある事については、知らなかった事がいくつか書かれていて、参考になった。
その1つは、韓国の前の大統領の朴槿恵氏が、友人の女性に政府の重要な情報を漏らしたとして、逮捕された事件について、その証拠とされるパソコンの書き込みが捏造されたものだったらしいと書いた韓国人ジャーナリストが逮捕された事に関連しての話である。
真実を突き止めて、原稿を書いただけで逮捕される韓国という国はとても恐ろしいが、それだけでなく、刑務所に入ってみて彼が驚いた事は、朴槿恵政権の時の政府の重要幹部30人余りが逮捕されていて、同じ刑務所に収容されているという事だった。
前大統領の他、数人が訴追された事は報道されていたが、30人という規模は驚きである。
韓国の大統領は日本人が考える以上に強い権限を持っている。強いから独裁的な事が出来る。結果として、退任後、恨みを買った反対陣営から旧悪を指摘され、逮捕されるのが通常のパターンである。
韓国の大統領は、最高裁の長官に相当する人間に、自分の好きな人を任命できるし、その長官が最高裁の判事を任命できるシステムになっていて、それを悪用した文在寅大統領は、韓国の司法を完全に牛耳っているのは知っていたが、ここまでひどいとは思わなかった。
日本の雑誌に関して言えば、上記の2つの雑誌の売れ行きに触発されたのか、週刊ポストが同じように韓国特集を書いたところ、何人かの物書きに批判され、発行元の小学館が直ぐに謝罪したという出来事があった。
HanadaやWillは保守系雑誌と知られているし、左の人間からの批判は承知の上で、特集を組んでいる。だから、撃たれ強い。これに対して、週刊ポストの方は、売れそうだからという甘い判断で特集を掲載し、少し批判されたら、謝罪してしまった。
書いてある内容は至極当然な話なのだが、左派系の人には気に入らなかったようである。それにしても、小学館は腹が座っていない。金儲けしか考えていないから、こうなるのである。
それはともかくとして、今回の韓国との騒動がきっかけで、多くの日本人が、日本と韓国の歴史の事実や、過去の経緯を知った。これは日本人にとって、とても大きな事である。
学校で教える事や大学の教授の書いた歴史の本は、嘘が多いが、ネットでは、日韓の歴史についても、現実の歴史はかなり書かれている。
でも、余程興味がある人を除いて、多くの日本人がそうした事に関心がなかった。
韓国は「日本の植民地支配で、ひどい搾取をされ、戦いをして独立を勝ち取った」というように自国民に教えている。そして、歴史を知らない日本人の一部には、その嘘をそのまま信じてしまっている人さえいる。
正しい歴史を教えれば、そんな事は起きないはずだが、戦後の日本では、占領軍のGHQの指導で嘘の歴史を教えるように強要され、それに朝日新聞とNHKが全面協力して、嘘が真実のように罷り通って来た。
それが、今回の一連のやりとりで、韓国がいかに嘘をつくのを平然とする国民である事が日本人に明らかになり、彼らの言う話はどうも違うようだとで、多くの日本人が皮膚感覚で理解し始めた。
そして、日本は譲ってはいけない事さえ譲り、何とか、友好を保とうとしたが、「日本が譲れば譲る程、相手はつけあがって、もっと押してくる」事も明確になった。
更に、韓国のソウル大学の名誉教授らが、「反日種族主義」という本を書き、その内容をネットでも詳細に紹介している。
この内容は淡々と事実や歴史的な記録を掘り起こして、従軍慰安婦の話も、徴用工の話も、韓国で言われている事は嘘だという事をデータで証明している。
日本人が知らない事も多く紹介されているので、是非、多くの日本人にネットで見て欲しい内容である。
日本では、今、あまり言われていないが、竹下、宮澤、村山など歴代の元首相は譲るべきでない事を譲り、謝らなくて良い事を謝り、世界に誤解を広めた事などは万死に値する。
そして、それを推進したのが、愛国心がなく、揉めなければ、自分も苦労しないで済むと考えた外務省官僚達である。彼らは中国や韓国が国際社会で、莫大な金をかけて嘘のプロパガンダを繰り広げているのを、何もせずに、傍観して、情報戦で敗北をしたのである。
学者や識者、そして、マスコミは二言目には、「隣の国だから、喧嘩せずに仲良くしないと」と言うが、世界を見渡せば、隣の国とは仲が良くなく、揉め事を抱えている国が多いのが世界の常識である。
国境を接しているのだから、揉め事があるのは当然である。
元々は1つの国であったインドとパキスタンの間では、武力による戦闘まで行われている。境を接しているからこそ問題なのである。
もっと言えば、個人の家庭を考えれば簡単にわかる事だが、隣やその隣、向かいの家など、周囲の5、6軒の家で、親しく付き合う家はほとんどないのが普通である。
顔を合わせれば、挨拶くらいはするし、喧嘩はしないが、隣人だからと言って、仲良くしないといけないという事は個人ベースでもないのである。まして、利害が対立する隣国はよりそうなのだ。
「隣の国だから、仲良くして」という人は、「相手に譲ってやれ」と言っているのと同義語なのである。そう考えれば、「仲良くしろ」と言っている人の多くが左派や、韓国に利権がある人や団体である事がわかる。
「国同士は喧嘩していても、市民レベルの交流は絶やしてはいけない」という人も結構いるが、これだけ揉めている時に、交流を続けていて、暴力沙汰が起きた時に、責任を取れるのかと言いたい。「揉めている時は、交流を一時中止しましょう」が常識的な大人の判断である。
「トラブルがなくなったら、交流を再開しましょう」で、何も問題はないはずだ。
今回の騒動による副産物で、一番良かった事は、「韓国がいかに嘘をつく国であるか」という事が、日本人にも世界の人にも明らかにした事である。
日本の政府や外務省が良くやったとは思えないが、文在寅政権がいわば、オウンゴールをして、自滅したというのが現状である。
そして、この韓国の滅茶苦茶ぶりの中から、その韓国を擁護する日本人、日本国内の敵、売国奴とも言える人や組織があぶり出され、多くの日本人に明示された事も大きな成果だ。
これまでにも韓国に土下座をして、日本を貶めまくって来た鳩山元首相は論評するのさえ、汚らわしい存在であるが、鳩山は予定通り、今回も「韓国様」の姿勢を貫いた。
元々ソ連共産党の日本支部からスタートし、朝鮮総連を兄弟組織として育てた日本共産党が「日韓の今回の揉め事の責任は日本にある」と言うのは、わかり切った事だが、朝日新聞など大手マスコミも、ずっと日本政府の姿勢を批判し続けて来た。
GSOMIAを韓国が破棄する決定をするに至って、韓国の肩を持つ事は難しくなった朝日新聞は論評を手控えるようになったが、その朝日新聞は英字版では、これまで以上に「原因は日本。日本が悪い」を連発している。
韓国軍の竹島に関連する報道では、NHKは「韓国が占拠している島根県の竹島」と言わないといけないところを、「日本と韓国が互いに領有権を主張している竹島」と報道した。
今更ながら、公共放送の名に値しない放送局になってしまった。スクランブル化の一日も早い実施が待たれる。
かつては、自民党の次の総裁の有力候補だった石破茂氏は「日本が悪い」と発言して、ネットでは、「韓国のハニー・トラップにでもかかったか」と、哀れに思われる有様である。
「韓国は敵ではない」というような言い方で、日本に争う事を止めるように呼び掛けた70人程の知識人は、全員が反日の人間である事を証明する結果となった。
その代表者の和田春樹東大名誉教授は、既に解決済みと韓国政府すら思っていた徴用工問題で、「日韓基本条約は国と国の話であって、個人の請求権は消えていない」という変な理屈を作って、韓国にわざわざ教えた事で、今日のトラブルの原因の1つを作った人間である。
そして、その功績で、韓国から名誉ある賞まで受賞している。国を売って、賞をもらう。どういう神経をしているのだろうか。
元通産官僚の古賀茂明氏も「日本が原因」と言い続けている。通産省を辞めた頃は、結構まともな事を言っていたが、維新の会と袂を分かった頃から、急に左旋回をして、左界隈以外は相手にしない人になっているが、自分の存在感を示すための発言なら、哀れ以外の何物でもない。
現在の韓国の実態を憂い、日本との関係を改善しようとする韓国人は異口同音に「韓国に媚びるような事をいう日本人の発言や存在が、韓国が正常化しようとしている事の足を引っ張っている。余計な事は言わないで欲しい」とさえ、言っている。
国内で争う時は、主義主張が異なり、大激論をするのは構わない。
しかし、国と国の争いとなった時は、対外的には一致団結するのが、国を愛する姿勢であり、それが世界の常識だが、戦後の日本では、そうした考え方が、特に左系の人からは消えてしまい、むしろ、国の足を引っ張る事に熱心が日本人が多すぎる。
世界の常識から言えば、売国奴が多数いる国になってしまったのである。
笑い話は立憲民主党である。
GSOMIA破棄の話が出た時、蓮舫議員は遺憾の意を表し、「破棄を抗議する」とツイッターで書いたが、左系の支持者から「日本が戦後、戦争がなかったのは憲法9条のおかげで、GSOMIAのためではない」とお花畑のようなコメントで厳しく批判されると、今度は汚名挽回とばかりに、党の枝野代表がラジオで「河野外務大臣の韓国に対する態度は非礼で辞任すべき」と語った。
だが今度は、その発言を批判されると、「辞任などを求めたのではない」と苦しい釈明をする始末である。主義主張がなく、風を見て、点数だけを稼ごうとする政治家が、野党の代表的な人物である事は嘆かわしいとさえ言える。
前に書いたが、文在寅大統領は意識して、韓国を破壊している。
彼は信念として、「大韓民国は間違って成立した国であり、金日成の北朝鮮が正当に成立した国家」と考え、その信念の基に、韓国を破壊する行動をしている人なのである。
一部の人がいうように、判断を間違った訳でもないし、焦っている訳でもない。
アメリカや日本との関係も意図して、壊しているのである。韓国を弱体化して、北に吸収合併される事を実行している人だと考えれば、彼の行動はわかりやすいのである。
朝鮮問題に詳しい専門家は何年も前から、「韓国消滅」「米韓同盟終焉」を書いている。文在寅大統領は、左派暴力革命で政権を奪ったと考え、その信念で行動していると何年も前から言っている。そして、その予想通りに文在寅は行動しているだけなのである。
その彼の肩を持とうとする日本人が多数いて、そんな韓国と仲良くしろと言っている人が多くいる事自体、信じれない思いである。
むしろ、韓国崩壊の時には多くの難民が発生するし、経済的な激震も起きる事が必至である。日本としては、1,2年後に起きるであろう、こうした時のために備える準備をしないといけない。時間は多く残されていないのだ。
20190817
韓国滅亡に意図的に邁進する文在寅、対米経済協力を目指す金正恩
日本の韓国向けの輸出管理の強化をきっかけに、マスコミ的に言えば「最悪の日韓関係」となっているが、マスコミの論調も、テレビなどに登場する識者の解説も表面的なものが大半で、見ていてほとんど参考にならない。
日本の大手マスコミや野党議員に至っては、相変わらず、「大人に対応を」とか「日本にも大きな影響が」とかいう言い方で、日本に譲歩を迫っている。この人達は戦後、日本が犯して来た、対韓国外交の間違いを、また、繰り返せと言っているのと同じである。
対韓国問題を考える時、文在寅大統領が何を考え、何をしようとしているか、しっかり把握しなといけない。
一部の人の間では、「文在寅は見境がつかなくなっている」とか、「パニックになっている」と言っている。でも、文在寅大統領を知る人の意見は違う。
彼は確信犯で、韓国を破壊し続けているのである。
韓国の経済の過半を占める財閥を痛めつけているだけでなく、最低賃金を極端に引き上げ、零細企業にも大きな被害を与えているなどして、韓国経済をガタガタにし、経済崩壊の一歩手前にまで追い込んでいる。
また、軍人のトップ層を大幅に入れ替えるだけでなく、対北の情報活動をするKCIAなどを徹底的に骨抜きにして来ているし、政府の幹部には、自分の思想に近い親北の左派系の人を大量に登用している。
更に、日本に喧嘩を売り、それに日本が反発したら、それを更に国民にアピールして、反日を煽るとともに、国内の保守派(北朝鮮としっかり対峙しないといけないという人達)を様々な方法で潰しにかかっている。
これらは政権を取った時からの確信犯で、ある意味では考えた通りの行動をしているにしか過ぎない。
二十歳代の学生時代から、彼の思想は「戦後、大韓民国が成立した事自体が間違い」という事で一貫している。つまり、戦後、70年余り続いた大韓民国を潰さないといけないという信念で生きて来た人なのである。
文在寅がなぜ、そう考えるようになったかは、朝鮮の歴史を知らないとわからない。
韓国は高麗(後、高句麗)と、新羅、百済、そして、任那日本府に分かれていた。
この内、今の中国と国境を接する高麗、高句麗は隋や唐など中国の歴代の王朝と戦って来た。多くの戦いで中国側が勝ち、従属を強いられたが、時々、高麗、高句麗が勝ち、この国と戦う事で中国の王朝側が衰退したという事もある。
2千年にわたって中国の属国だった朝鮮半島の人達にとって、大国、中国と戦い、時には勝ったという高麗、高句麗は、自尊心をくすぐる自慢の王朝なのである。
そして、この高麗、高句麗があったのが、今の北朝鮮なのである。この事が朝鮮半島の人が北の人を何となく尊敬する下地が出来ているのである。
更に、日本が戦争に負けて、朝鮮が独立した時、半島は北朝鮮と韓国に分かれた。
この時、北朝鮮の初代の代表である金日成は、朝鮮の解釈では、戦前、対日戦線で戦った英雄で、朝鮮の歴史では、日本と戦って独立を勝ち取った事になっている。
実際は抗日戦線で戦った人は数は少ないものの、いた事は事実だが、武力で日本軍と大きな戦いをした事実は全くない。更に、北の初代の指導者である金日成は、旧ソ連に長くいた人で、北の指導者として来た時、朝鮮語を満足に話せなかったと言われている。
金日成が対日戦線で戦った英雄というのは、今では嘘である事はわかっている。でも、朝鮮ではそう信じられている。
一方の韓国はというと、誰も日本と戦っていない。日本がいなくなった後、米軍が来て支配した後、米国の支援の下で、アメリカに留学していた李承晩がアメリカの指名で、大統領になって、指導する大韓民国が出来たのである。
韓国は今、8月15日を日本からの独立記念日として祝日にしているが、これは歴史的には嘘で、韓国が独立した日は8月15日ではないし、韓国は日本からではなく、アメリカから独立した国なのである。
元々、両親が北朝鮮の地区の人で、朝鮮戦争で韓国に逃げて来た文在寅は、北に対する思いが強い。だから、日本と戦い独立したという(嘘の歴史だが)北朝鮮は素晴しい国なのである。
その上、学生時代に朴正熙などの軍事政権下で、学生運動をした経験から韓国の政治家、権力者が嫌いなのである。だから、文在寅にとっては、大韓民国はあったはならない国であり、尊敬する北に吸収されるべき存在なのである。
北の金正恩氏は何を考えているか。
日本のマスコミでは、馬鹿な独裁者というイメージだが、実施はかなりしっかり将来を見据え、したたかな計算をしている人間であるという話である。
彼を考える時、トランプ・アメリカ大統領が彼に一定の評価を与えている事を見なくてはならない。トランプ大統領は逆に、韓国の文在寅大統領は全く評価していない。訪米した文在寅との会談を2、3分で済ましたなどがその例である。
それはビジネスマンの直感で、金正恩は話が出来るが、文在寅は話が出来ない、信用出来ない人間だと理解したと思われる。
計3回に及ぶ金正恩とトランプ大統領が何を話したか。
漏れ伝わって来る話では、金正恩は「欧米の制裁があるので、現状では中国の支援がないと、自分の国はやっていけないが、基本的に自分は中国が嫌いで、ミサイルの半分は韓国や日本ではなく、中国に向いている」と、心の内を話し、トランプはそこに、対中国問題策の新しい対応を見たと言われている。
北朝鮮は「自分達は中国べったりではない。アメリカともっと付き合いたい」と言ったのである。トランプ大統領は、それならと、アメリカに届かないミサイルなら容認するという姿勢になったというのだ。
それなら、最近の北朝鮮のミサイルの発射が理解できる。
トランプは最後の会談で、アメリカと北朝鮮が協定を結び、アメリカの支援で民主化を進めるなら、アメリカや日本が北朝鮮の経済自立の援助をするという提案をしたと言うのである。
アメリカ国内では、朝鮮戦争と言い、その後の韓国との付き合いからも、韓国は本当に面倒くさい国で、アメリカはもう付き合いたくないと考える人が結構いる。
だから、金ファミリーを日本の天皇のような扱いにして、きちんと残し、日米の援助で国内は経済開発をするとともに、次第に民主化させ、その代わりに、在韓米軍を撤退させ、信用できない韓国ではなく、話の出来る金正恩と手を握る方が余程、対中国の防波堤になると考えたというのである。
文在寅は北主導で、韓国を北に吸収させようとしている。それなら、そのやりとりは北に任せれば良い。どうせ主体になる北朝鮮とは自分達はやりとりが出来るからだ。
そして、韓国が今のように中国にすり寄って行っても構わない。その代わり、日本から取り上げ韓国に移転させた半導体の生産基盤をそのままにしておく訳にはいかない。生産能力を大きく削がないといけない。その思いが今回の日本の半導体の製造ガスの輸出の厳格化となったというのだ。
IT業界に詳しい人程、日本の今回の輸出管理の厳格化は、日本発ではなく、アメリカ発だと見る。だから、韓国が日本の措置の撤回を求める猛烈な運動をアメリカで展開し、韓国寄りのマスコミが「アメリカが仲裁」と何回も書いたが、実際はそんな事はなかったのである。アメリカ発の輸出管理強化なら、仲裁などあり得ないのは道理である。
トランプ大統領は戦後、アメリカが世界の警察官として、世界の多くの国に駐在している時代は終わり、これからは、経済力がある国は自分で自分の事を守れというように転換する積りでいる。
その流れの中で、日本の防衛力を強化させ、東アジアの防衛は日本が第一義的に行い、アメリカは台湾やガムから、これを支援するという仕組みの転換となり、日本にアメリカ軍に頼りきりの状態を解消させないといけないという思いが、日米安保が偏っているという発言になっているというと言うのだ。
アメリカでは来年に大統領選挙があり、トランプの再選はないという見方もあるので、選挙によっては、事情が変わって来るかも知れないが、少なくても、世界が大きく動いている事は確かで、70年間、アメリカの事実上の植民地状態での、平和が続いて来た日本も、もうそろそろ目を覚まし、新しい時代に対応しないといけない時が来た事だけは確かである。
20190811
気が付けば、中道左派になっていた自民党政権
1週間程前、東京千代田区・飯田橋のオフィスビルの1階に入っているコンビニに昼の時間入ったところ、昼休みで、弁当や飲み物を買う人達で狭い店内は、5つあるレジに長い客の列が出来ていた。
だが、驚いた事に、このコンビニのレジの5人の店員は、全員が中国人だった。
最近の東京では、コンビニに中国人の店員がいる事は珍しくもなくなったが、3人いる内の1人とか、2人とかという感じで、5人の店員の全員が中国人となると、さすがにドキリとして、考えさせられた。
今のマスコミは、新聞、テレビだけでなく、かつては全く異なる視点を教えてくれれて参考になっていた週刊誌ですら、近視眼的で、俯瞰的に物事を見たり、分析する事がほとんどなくなった。
だが、世の中の事を少し引いてみると、今の日本は恐ろしい位、急速に変わって来ている。
東京の銀座を歩くと、聞こえる話声は中国語か朝鮮の言葉であり、この2か国の人の集団が毎日のように押し寄せている。
日本人は銀座を歩く時、大きな声が話をしたりしないから、周り構わずに、大きな声で話をして歩く中国人や韓国人は、嫌でも目に耳に入るのだ。
かつて、銀座は少し高級でお洒落な街で、買う物はなくても、何となくそぞろ歩きがしたい街だったが、今の銀座はとても、少しお洒落で、浮かれた気持で歩こうなどとは思いもしない街になってしまった。
今、東京では飯田橋や銀座に限らず、電車に乗ったり、繁華街に行けば、多くの外人に出くわすし、URの団地に行けば、中国人だけでなく、イスラム文化圏の人も多く見られるようになった。
埼玉県の川口では、URの入居者の過半が中国人となり、地域の店では「日本語お断り」というところも出て来ているという話である。
少し前に、九州の宮崎の高校で、新入生のほとんどが中国人で、校長が中国語で新入生の歓迎の辞を述べたという報道があった。
何故、こういうようになってしまったのか。
理由は2つある。
1つは、日本は人不足で、労働者が足りないからという理由で、労働力のために大量の留学生を受け入れている。
その多くが中国人である。留学生という名前だが、国として、彼らを受け入れる主たる目的は、不足する労働者を補うためである。
そして、上の宮崎の例ではないが、今、日本では少子化で、高校、大学で生徒、学生集めがしにくい所では、生徒、学生が激減し、学校を維持していくのが困難になって来た。
そんな学校は潰したら良いだけの話だが、そうすると、文科省の役人の天下り先が減るので、文科省は税金で、高校、大学に多額の援助をして、外国人留学生を受け入れている。
日本人で貧しい人の子供が高校、大学に行くのに苦労しているのに、文科省はそうした日本人生徒の対策よりは、中国人を中心とする外国人留学生に多額の税金を使っているのである。
朝日新聞やTBSなど日本の反日マスコミはいつも、安倍自民党政権を「日本を再び、戦争に導く行動をしてい超保守の反動政権」と位置付けているが、本当にそうであろうか。
冷静にここ6年の安倍自民党政権がやった事、成立させて来た法案を見てみると、とても、保守政権とは言えない。
「移民法」と言われる外人受け入れの簡素化のための法案、先住民でもないアイヌの人達を先住民と位置付けて、これを支援する「アイヌ新法」の成立、そして、公的な施設の民営化、水道の民政化、種子法の廃止などがどんどん進められている。
アメリカでは刑務所の民営化が進んでいるという話は聞いているし、CS放送などでアメリカのドラマを見ると、民営化された刑務所の問題点を描いたりしているが、アメリカでなく日本で、刑務所の民営化が進んでいるのをほとんどの日本人は知らない。
運営が民間に委託された刑務所に入ったある人が先日、テレビで話をしていたが、「刑務所に入る人の間では、運営が民間に委託された、その刑務所の食事のひどさは有名だそうだが、自分が入ってみて、食事の貧弱さを実感した」と言っていた。
朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、TBS、そして、今では残念ながら、その同列になってしまったNHKも含めて、マスコミ自体の立ち位置がより反日、左翼なので、自分よりも右に位置する安倍自民党政権が「右の保守・反動政権」に見えるだけで、実際の行動を冷静に見れば、今の安倍自民党政権は、保守ではなく、立派に中道左派政権であると断言できる。
アメリカのある新聞が、日本の安倍政権を称して、「先進国で最も安定した、グローバリズムを推進するリベラル政権」と解説した。
リベラル政権とは、「中道左派」という事である。
イギリスのEU離脱、アメリカでトランプが大統領になった事、そして、米中の経済戦争などについて、日本のマスコミや学者は、その意味する事をきちんと解説しないので、多くの日本人が深い意味を理解しないでいるが、世界は今、大きく動いている。
それは何かと言えば、世界は今、グローバリズムからナショナリズムへと、大きな流れの変化が起き始めているという事である。
ここ50年間くらい、グローバリズムは良い事だという理解で、世界のグロバリズム化は凄いピッチで促進された。
グローバリズムとは何かと言えば、国境という壁をできるだけ低くして、人、物、金が世界を自由に移動出来るようにしようというものである。
その代表例がEUで、通貨を共通にし、加盟各国のそれぞれの国の法律よりも、EUが決めた事の方が優先するというルールが出来たのである。
今の日本国憲法のように、「世界の国は皆、良識を持ち、平和を愛し、戦争など考えず、話し合いで何でも解決する事が出来る」という発想ならば、EUのルールは良い事になる。
しかし、今の日本国憲法が考えるようなユートピアなど、世界には存在しない。
グローバリズムは「政府は小さい方が良い。出来るだけ何もしない」という事である。だから、政府や地方自治体がする仕事もどんどん民間に任せましょうという話になる。
EUでは、加盟国、それぞれの国の法律よりも、EUの官僚が決めた事が優先し、加盟国は、国民がどれだけ反対しようと、EUの決定には従わないといけないという事になったのだ。
こうなると、結果はどうなるか。簡単である。
企業の工場は賃金のより安い国に移動する。だから、自国にいくら強い企業があっても、国内に工場がなくなり、国民は職を奪われたのである。
そして、政府の規制が弱くなり、自由競争が進めば、強い者がより強くなり、弱い者、貧しい者は、より貧しく、弱くなったのである。
また、EUが決めたという事で、大量の他国の難民が欧州に流入し、犯罪が多発するようになったのである。
我々が50年余り、正しいと信じれ、促進して来たグローバリズムは、結果として一部の企業や金持をより富ませ、多くの国民を不幸にしたのである。
正に、1%の国民や企業に9割の富が集中したのである。
だから、世界で反グローバリズムの動きが強くなり、ナショナリズム、つまり、国益最優先に考えましょうという事になったのである。
世界でグローバリズムの恩恵を一番受けたのが中国だった。
中国は欧米や日本のような民主主義国家と異なり、共産党独裁なので、一番効率的な戦略的な手を打てる。
そして、世界では、グローバリズムを推進しながら、自国の内部には、グローバリズムを認めず、進出した外国企業は、得た利益を海外に持ち出す事も出来ないし、自国の勝手な事情で、他国から進出した企業の店の閉鎖などを平気でするのである。
これは不公平だと、中国に文句を言ったのがトランプであり、それが米中経済戦争の理由である。
そうした世界の大きな流れに一番無頓着で、衰退しつつあるグローバリズムをここ5、6年懸命に推進して来たのが安倍自民党政権なのである。
何故、そうなのか、日本を実質支配し、コントロールしている官僚が、世界の大きな流れの変化に鈍感であるからである。
朝日新聞など日本のマスコミや野党は、安倍政権が進めた、集団的自衛権を認めた安保法制を「戦争法」と言って非難し、だから、右翼、超保守とか言っている。
しかし、「集団的自衛権は世界の常識で、戦争法でも何でもない」。今まで、集団的自衛権が制限されていた方が世界的に非常識だったのである。
戦後、70年間、憲法9条のお陰で、戦争や紛争としっかり向き合って来なかった日本では、自衛とか、集団的自衛とは何かが全く理解されていない。
わかりやすい話をすると、紛争が起きているアフリカの地域に、国連の要請で、自衛隊が行ったとする。その時、水道敷設や食糧援助などの、いわゆる後方支援であったとしても、ゲリラなどに襲われる事は珍しくない。
だが、日本の自衛隊は相手が銃を向けて来ても、発砲するまで、こちらから撃つ事が出来ない。韓国のレーダー照射はこれから撃つぞというサインだが、これをされても発砲があるまで、日本の自衛隊は撃つ事が出来ないのだ。
銃が発砲されるかどうかというような状態の中では、一瞬の遅れが命取りになるが、日本の法律では、「例え、撃たれて死ぬような事があっては、先に撃ってはいけない」のである。
更に、自衛隊の支援活動では、例えば、オランダの軍隊と共同でしていたとする。
このオランダ軍にゲリラが攻撃をして来た時、今の日本の法律では、自衛隊は援護でゲリラに発砲する事が出来ないのだ。
生きるか死ぬかで懸命に戦っている友軍を助ける事が出来ないのだ。
これでオランダ軍に死傷者が出て、自衛隊がそれを黙ってみていただけとなったら、両国関係はどうなるかなどという発想が、戦後の日本にはなかったのだ。
こんながんじがらめに縛っておいて、支援活動を行えと言っているのが、今の日本の法律、規則なのである。
だから、自衛隊の「消えた日報」問題が起きて来るのだ。
現場では、当然、助け合いの行為をしないといけない。でも、日本の法律や規則では、支援が出来ない。そうなれば、支援活動をした事を書いた日報は隠さざるを得ないのである。
こうした馬鹿げた事を少しでも改善しようとするのが、マスコミや野党が「戦争法」という集団的自衛権の話なのである。
野党やマスコミは二言目には、アメリカに協力して、日本の自衛隊が海外に出て行って、米軍と共同して戦争をする法律と言う。
だが、例えば、アメリカがイランでもどこでも良いが、他国と戦争になった時、日本が共同行動をとって、自衛隊を戦闘のために、海外に出すと言って、日本人が納得すると思っているのだろうか。
そんな事をしたら、間違いなく、政権は潰れる。自民党首脳もバカではないので、それくらい理解している。
集団的自衛権の話はともかく、自民党は元々、超保守から、旧社会党よりも左という人までを包含した政党である。わかりやすく言えば、政権を取るために、多くの政党が集まっている連合体というのが、実態に近いのである。
そもそも、戦後の自民党は、国会の議席の3分の1を持っていた社会党と協議し、妥協し、社会党の福祉政策などを丸のみして、政治を運営して来た。だから、歴史的に「保守ではなく、リベラル色が強い政党」なのである。
かつて、社会党の村山氏を首相にした自社さ政権が出来た時、多くの国民は驚いたが事情を知っている人間からすれば、裏で行われていた事が表に出たに過ぎないという話なのである。
自民党内の保守派の人が何か放言をして、大臣を辞めたりする事も何回もあったが、ほとんどが、中国、韓国絡みの話であり、両国が内政干渉に近い状態で文句を言って来たのを、やりとりするのが面倒だからと、大臣の首を挿げ替えて来たのである。
でも、検証してみれば、ごく当たり前の事を言ったのに、中国や韓国が文句を言ったというのが事実である。
自民党のこの体質、体制の結果、何が起きたかと言えば、野党が存在意義を失ってしまったのである。
だから、社会党が事実上、崩壊した後、日本では、まともな政策を提言し、実行しようとする、自民党以外の政党が育たなかったのである。
それにも拘わらず、マスコミや学者の応援で出来上がった民主党政権は、まともな政策の軸がないまま、政権を担う事になったので、その3年3か月は、今でも多くの後遺症が残る位、無様な政権運営となったのである。
今、日本で本当に必要な政党は、世界の潮流のように、ナショナリズムをきちんと認識し、反グローバリズムを掲げ、ここ6年間、安倍政治が推進して来たグローバリズムを修正し、国民本位の政治をする、保守政党である。
20190806
「息をするように嘘をつく人達」との付き合うには価値観、見方を変えよ
日本政府が韓国をホワイト国から除外した事に対して、韓国は大統領以下、政府首脳や政治家、学者などが日本を激しく批判する声明を発している他、アメリカや国際会議などで、猛烈なロビー活動を繰り広げ、事実に基づかない反日宣伝活動をしている。
これに対して、日本サイドの様子を見ると、野党や大手マスコミは日本政府の姿勢を批判し、どこの国の政党やマスコミであるかわからないくらい、韓国応援団の様相を呈している。
国と言うものは、国内同士では対立し、激しい議論をするのは良いが、他国との間で問題が生じた時には、「国益を守るために一丸となる」のが世界の常識だが、今の日本では、こうした発想はなく、野党やマスコミは猛烈な勢いで、自国の足を引っ張り、国益に猛烈に反する行為を大展開中である。
そして、その内容を韓国の新聞が紹介し、「日本で強行路線なのは安倍首相だけであり、政界もマスコミも安倍首相の姿勢を批判している」というトーンで報道しているので、一般の韓国人はそう信じて、「反安倍」を叫び出している。
更に自民党支持層の人達の中からも、何人かの論客達が「国際世論は韓国に同情的であり、日本が打った手は最悪であった」というような見方が雑誌やネットなどで出て来ている。
肝心な政府はと言えば、「論理的には、日本には間違いはないので、淡々と事情を説明すれば、日本の立場は理解してもらえる」という大甘な態度であり、対外宣伝という意味では、圧倒的な人と金を使って反日の宣伝を繰り広げている韓国に大きく後れを取っている。
戦後の日本では、憲法の前文で、「世界の各国の人々は平和を愛し、公正であり信頼に値する人々であり」、「そうした人達を信頼して、戦争を放棄して、仲良くしよう」という趣旨を宣言していて、それを戦後、70年間、国民を徹底的に洗脳して来たので、多くの日本人がそう信じている。
更に、戦後の日本人は「人類皆兄弟であり、民族や人種による差はないので、話をすれば、互いに理解出来るし、紛争も解決できる」と教育され、そのように信じている日本人が過半である。
しかし、海外の人と一緒に仕事をしたり、話をしたらわかるが、国よって、人のものの考え方、発想は大きく異なるし、話をしても、理解し得ない事は少なくない。
わかりやすい例を言えば、イスラム教徒の人に、きちんと衛生的に処理をすれば豚は何も問題はなく食べられると言ってみても、反発されるだけである。
また、アメリカ人の6割はダーウィンの進化論を信じておらず、人類は猿から進化したものであり、初めの人類は黒人だったと言ったら、大喧嘩になる事が少なくない。
「息をするように嘘をつく」。中国や韓国について、こう表現する人がいる。
「中国には『嘘をつく』という動詞はあるが、『嘘つき』という名詞はない」。中国生まれで、日本に帰化した評論家の石平氏は言う。
「日本やアメリカでは嘘つきは軽蔑の言葉ですが、中国ではそうではないのです」。何故かというと、何回も王朝が変わり、その度に、それまでの価値観や過去の歴史が否定されるので、中国人は他人を信用しない。信用するのは身内だけ。だから、他人と付き合い時は、本音は言わないし、平気で噓もつく。
「中国人は騙されても怒らない。騙された自分が悪いのだと、反省するのです」。石平氏の言葉である。
その中国に千年以上隷属し、属国として服従し、中国が強い時は自分がヘリ下って、嘘をついてでも、胡麻をすり、機嫌をとって来たのが韓国、朝鮮の歴史である。
そして、中国が少し弱くなると、反乱を起こすが、その度に鎮圧され、朝鮮の歴代の王は、中国の皇帝の使いに対して、泥にまみれた道路に土下座をして、頭を叩きつけて、謝罪をして許しを請うて来たのが韓国、朝鮮の歴史である。
「三跪九叩頭の礼」である。
中国の皇帝は、歯向かった朝鮮の王を許すが、その代わりに、謝罪を示す門を作らせ、そこに反省の弁を掘らせた。その門は今でも韓国にいくつも残っている。
良い悪いではなく、その国は歴史的な背景で、生き方、価値観、考え方が違うのだ。世界は、戦後の日本が教えたように、「人類皆兄弟」「話し合いで何でも解決」ではないのだ。
論理的、学問的に正しいと我々が考える事でも、他の国の人にとっては、それは常識ではないし、いくら説明しても、理解不能なのである。
そもそも、ダイバーシティー(多様性の尊重)とか、国を越えた人の間での相互理解とは、「人は国や民族が異なると、考え方や主義主張が大きく違うから、まずその差を知り、その溝を確認した上で、どう努力したら、その溝が少しでも埋められるかを考え、行動する事」である。
だが、日本ではこんな簡単な理屈がわからない人がほとんどである。
そして、対韓国との問題でも、「話し合えば、理解出来るので、相手がいかに激しく言ったり、行動しても、日本は大人の対応をすべき」という人が日本人に少なくない。
今回の選挙で旋風を巻き起こした「れいわ新撰組」の山本太郎代表は、対韓国問題で、早速「日本は大人の対応を」と言って、輸出管理の強化を批判し、撤廃する事を求めている。
山本太郎氏のれいわ新撰組は、若者の共感を呼ぶ政策を掲げて、200万人を越える票を獲得した。彼が言っている政策には賛成できる内容は結構ある。
しかし、この「日本は大人の対応を」という話は全く賛成出来ない。
「日本人は大人の対応を」という事は、「相手は日本よりも格下、劣った国なので、大国の日本はそんな格下の相手に対して、全力で対応するのは大人げない」と言っているのと同じであり、相手の国を軽蔑し、見下しているという事なのである。
これは韓国に対して、大変失礼な事である。
韓国は今や世界十位の経済大国にまでなって来た先進国であり、世界の経済大国である日本が、手心を加えないといけない小国ではないのである。
今の文在寅大統領が、以前の大統領に比べて無茶苦茶な事を言い出した背景にあるのは、「韓国は今や世界の大国になった。半導体など先端分野では日本を追い抜いた」という意識が強烈にあるからである。
そして、日本にない核兵器やミサイルを北朝鮮が持ち、その北朝鮮との統合を真剣に考える文在寅大統領は、武力でも日本を潰すものを自分達が持つ日が近いと考えている事も態度が大きくなった事の大きな理由である。
上にも少し触れたが、今回の輸出管理の強化について、韓国は国際会議でもアメリカでも、凄まじい宣伝活動をして、全く嘘の論理をでっち上げ、日本がいかに酷い事をしているか、大PR作戦をしている。
韓国の大PR作戦は今に始まった事ではなく、巨額の予算をつけて国際機関やアメリカ、その他の国でも多くの人を自国民を動員して、反日の活動をして来た。
これに対して、日本は「正義は我にあり、金持喧嘩せず」という発想で、正に「大人の対応」をして来た。
その結果、国際機関やアメリカでは、嘘の従軍慰安婦の話が定着してしまい、英語で「従軍慰安婦」は「sex slave 」と翻訳されてしまった。また、実際は募集工だった戦争中の朝鮮人(当時は日本人)が「徴用工」(強制連行されて、劣悪な環境で労働を強制された者)になってしまったのである。
その韓国の主張を裏付けたのが、日本政府のかつての河野談話であり、村山談話だったのである。政府の公式な談話が、嘘の話を本当だと世界に宣言する事になったのである。
今の対韓国の問題は、今後、金融の話など第二、第三の話も出て来るだろうし、韓国のその度に、また、大々的に国際的に大宣伝活動を繰り広げるのは必至である。
今、日本がしないといけない事は、「相手を格下に見下した、大人の対応」ではなく、国の名誉をかけて、韓国に負けない大PR作戦をする事である。
そして、対韓国については、細かい第二、第三の対策を打つのではなく、大前提としての、1965年の日韓基本条約の見直し検討を打ち出す事が必要である。
日韓基本条約の締結で、日本は当時の韓国の国家予算の2倍の金を韓国に支払うとともに、日本が韓国に置いて来た財産を全て放棄した。この日本が朝鮮半島に置いて来た財産は、今の価値にして40兆円、50兆円と言われている。
不利な条件で条約を締結した背景には、対共産圏対決のために、韓国が必要だったアメリカの強い圧力があったし、勝手に時の李承晩大統領が変更した国境線のために、不当に拿捕され、抑留された何千人という日本人漁民がいて、その返還が最優先だったからである。
日本では知れていないが、欧米の諸国が第二次大戦の後、植民地を去った後、彼らはかつての植民地に作った施設や財産を、独立したかつての植民地の請求し、金を手に入れた。これは世界の常識なのである。
だから、「韓国があまりにも約束を守らずに暴走するなら、日本は日韓基本条約を廃棄して、日本が残した財産を請求します」と言っても、世界的には何も問題がないのである。
また、在日朝鮮人の日本での永住権について、日韓基本条約で二世まで認めると日本は約束した。
その後の三世、四世については、日本国内での対応で、永住権を認めて来たのだが、日韓基本条約を破棄するのだから、在日韓国人、朝鮮人は他の外国人と同じ扱いとして、永住権は廃棄するという事を宣言する用意があると言うのである。
更に、日本の教科書は、中国や韓国に配慮して、彼らが嫌がる記述はしないという本当に馬鹿げた「近隣条項」という約束があるが、これもまずは、韓国については、この「近隣条項」を廃棄し、真実の歴史を書く事を宣言するのである。
前に書いたが、今、韓国でソウル大学の名誉教授のグループが、日韓の歴史の真実を古い資料などを調べて、かなり正しい事実をネットで流しているし、「反日種族主義」という本も出版している。
少なくても、日本の教科書をこのレベルくらいまでには、真実に近づけるのだ。
韓国を格下の手を差し伸べる相手ではなく、対等の競争相手として対する姿勢をはっきり示す事が、真の隣国との対等な付き合いの第一歩なのである。
20190731
政治改革のために、参議院を審議会、調査会、公聴会の場に
最近の日本を見ると、幕末・明治維新や戦後の敗戦からの復興にも匹敵する、大きな曲がり角に立ち、対応を間違えると、日本は20年後には世界のベスト20位にも入れない小国に転落する恐れが充分にある状態である。
多くの日本人がまだ日本企業や経済は世界的に1,2位の競争力を持っていると信じているが、外国や外国人と多く接する機会の多い企業経営者に話を聞くと、どの産業分野でも日本の国際競争力は大きく低下しており、例えば、話題の5Gでは、日本は手も足も出ない状態で、アメリカ、中国または韓国のシステムを使うしかない状態である。
そこで、今回から、「異論・極論・直言――マスコミが言わない解説、提言」とタイトルを変えて、日本が今、抱える大きな課題を順次取り上げ、それについての自分なりの解決策を書いて行こうと思う。
今の日本をが駄目になった最大の理由は、世界が大きく変わる中、新時代に対応できない東大出の中央官庁の官僚が、いまだに実質日本を支配して、政策も彼らが実際に決めている事にある。
中でも世界が大規模な財政出動をして、国力を伸ばしている中、緊縮財政という時代に全くそぐわない政策を30年も取り続けた財務省の罪は重い。
この官僚支配を打破し、日本を再度、魅力ある国にするには、まずは政治を強くするしかない。だから、第1回目の今日は選挙改革、政治改革を取り上げる。
参議院選挙では、投票率が全国平均で50%を切った。これは、今回の選挙自体に国民が「ノー」を突き付けたのに等しい。
中には投票率が5割を切った選挙は無効にして、全員を落選させるべきだという事まで言う人が出ているが、政治家の数を減らせば、それでなくても強い官僚を更にのさばらせるだけである。
まずは政治家にしっかりしてもらわないといけないし、そのためにも、政治の仕組みを変えないといけない。
日本は二院制の国だが、世界には一院制の国もあるし、二院制でも、1つの院は地方自治体の長などが自動的に選ばれるなどしていて、実質選挙がないような国もある。
日本は衆議院と参議院の違いがなく、それが交互に選挙をするので、実質的に1、2年に1回は選挙があり、それが政府が長期的な視点で仕事ができない大きな原因になっている。
まずは、参議院の位置づけをはっきりさせないといけない。
アメリカでは上院は、大きな問題が起きた時に公聴会や調査会というようなものを上院に設け、そこで集中的に調査、議論をする。また、日本でいう大臣や最高裁の判事、副大統領の選任にあたっては、上院の公聴会に候補者に出席してもらい、集中的に質問をして、その人の考えや人生を浮かび上がらせた上で、是非を問う事にしている。
そして、この様子はテレビ中継される。
筆者は、日本でも参議院に、大きな問題が起きた時に、アメリカのように調査会、公聴会を設置し、そこで調査や質疑を行う機能を持たせたらよいと思い。
更に、今の日本の政治では、各官庁が自分達の考えを通そうとして、自分達の考えに盲従してくれる大学教授などを学識経験者と称して呼んで、審議会を開催し、この審議会を隠れ蓑にして、自分達が書いた審議会報告を出して来て、政府に実行を迫るという事をしている。
この各省庁の官僚が実質支配している審議会を改めて、参議院議員に審議会の委員となってもらい、専門的でわからない事については、議員がその分野の専門家を呼んできて、意見を聞いた上で、審議会としての結論を出すようにしたら、日本の政治は大きく変わる。
そして、こうした審議会や調査会などの機能を参議院の主な仕事にしたら、議員の選び方も大きく変わって来るし、立候補者も、現在のように労働組合のOBとか、大きな組織の利益代表というような人はほとんどいなくなり、弁護士、医師、会計士、企業経営者OBなど専門知識を持った正に識者が中心の立候補になって来ると思われる。
そうなれば、参議院議員の政党色は薄れて来る。
政権獲得の選挙は衆議院で良い。参議院は全く別の役割を与えるのである。そして、参議院議員は党議拘束を外して、議案について投票できるようにする。こうすれば、良識派がもっと増えて来るようになる。
かつて、日本でも参議院は「良識の府」と言われた。こうした時代に戻すのだ。
また、日本は人口の割に議員の数が多過ぎる。アメリカは人口が日本の2.5倍いて、上院は百人と、日本の3、4分の1である。
参議院はまずは、各県から1人の50人とする。人口の多い少ないに関係なく、歴史的な経緯もあり、人々の生活や意識からも、各県から1人づつという発想は捨ててはいけない。今回、高知と徳島、鳥取と島根で行ったような合区は絶対してはいけない。
そうせざると得なかった理由に、左派の弁護士集団が選挙の度に1票の格差を基に、憲法違反という訴えを起こす事から、こうした合区が行われたのだが、これも簡単で、憲法を修正して、1票の格差問題は百パーセント是正する事は不可能なので、違憲訴訟の対象にしないと明記すれば良いだけである。
この憲法改正は、ほとんどの党が賛成するであろうから、修正条項追加という形で明記すれば良いだけである。
憲法改正の話は別の機会に書くが、今の条文を修正しようとするから、議論が進まないのであって、アメリカのように、修正条項を追加して行くというスタイルにして、必要に応じて、修正条項を追加するようにすれば、簡単にできるのだ。
そして、本文と矛盾する場合は修正条項の方を有効とするという考えにすれば、改正作業ははかどる。修正条項が都合が悪くなれば、また、新たな修正条項を追加すれば良いだけの事なのだ。
日本は憲法を神格化しすぎて、文章をどう変えるかというような事を考えるから、面倒になるのであって、毎年でも、都合に応じて、修正条項を追加していくようになれば、頭の固い、馬鹿な憲法学者が大きな発言力を持つ事などなくなるのだ。
憲法の話はともかく、各県1人以外は各ブロック毎の候補者として、百人を定員として、各ブロック毎の議員数は人口比例としたら良い。
今の人口で言えば、北海道4、東北7、北関東5、南関東28、中部17、近畿18、中国6、四国3、九州12人である。
ブロックが広過ぎるという意見もあると思うが、候補者はブロック全体を歩く必要はない。自分の出身地盤を固めて、当選に必要な票数を固めれば良いのだし、今回の参院選での「れいわ新撰組」や「N国党」のように、ネットを上手く活用して、投票を増やした党や候補者もいる。
日本の政治がおかしくなった理由はいくつかあるが、その1つに中選挙区を小選挙区に変えた事がある。
これは何年か前に、マスコミ、学者が大合唱して、政権交代のために小選挙区制度と主張して導入したものだが、その結果、1つの政党からは1人しか立てないから、党の力が強くなり、議員や候補者は党幹部に気に入られる事に一番力を入れ、選挙民の顔を向けるのではなく、党幹部の顔色を伺う議員が急増したのである。
10月からの消費税の引き上げにしても、個人的には反対の自民党議員は結構いる。しかし、党幹部の力が強いと、反対も出来ない。党の公認が得られなくなるからだ。つまり、小選挙区制度は議員が言いたい事も言えなくする制度なのだ。
更に選挙民にしたら、今回の選挙のように、野党統一候補ともなると、選択肢がなくなり、自民党にも野党統一候補にも入れたくない人は、れいわやN国党に入れるというような行動になり、両党が票数を増やす結果となったのである。
中選挙区制度にすれば、嫌でも選択肢は増える。それが選挙民の関心アップにもなるのである。
また、本当は自民党から出たいが、自民党は現職がいるので、野党から出ざるを得ないとして野党から立候補して議員になっている人が今、結構いる。こうした矛盾もなくなって来る。
南関東から28人となったら、例えば自民党だけで、候補者は20人は立つ事になるだろうし、野党第一党なら十人近くは出る事になるだろう。こうなれば、党幹部の決定ではなく、候補者次第という事になり、候補者はより自由に発言できるようになるし、選挙民をより以上に大切にするようになる。
こうした大選挙区が参議院で定着してくれば、衆議院も今の馬鹿げた小選挙区制度を改めようという事になり、同じような仕組みで衆議院議員も選挙で決める事が出来るようになって来る。
今の政治家の大きな問題の1つが世襲問題である。
国会議員の6割くらいが世襲議員で、政治がビジネスになってしまっている。子供の時から父親は国会議員で、周囲から「坊ちゃん」と言われて育った人間が、また、議員になって行くから、国民の痛みがわからない政治家がどんどん増えて来ているのだ。
でも、上に書いたようにすれば、世襲議員は急減して行くだろう。世襲議員を大幅に減らすだけで、政治家は大分ましになる。
それでも世襲議員が減らなければ、各県の1人の枠については、候補者の三親等以内に国会議員がいる人はその選挙区から出馬する事が出来ないようにすれば良い。
これも、左派系弁護士が憲法違反という訴訟を起こすだろうから、憲法に修正条項で世襲議員の制限を書き加えれば良い。
政治改革の大きな点に投票の仕方がある。
今のネットの時代に、投票もネットでも出来るようにすべきである。海外で実施している国も既にあり、問題はない。本人確認は指紋認証とパスワード、マイナンバーなどを組み合わせれば、不正は防げる。
そして、コスト的には大きく削減される。
国政選挙をすると、何百億という金がかかるのは、選挙管理などの人件費である。これをネットで投票ができるようになれば、コストは何分の1になって来る。
ネットでの投票は、自宅のパソコンやスマホからも出来るし、ATMからも出来るようにする。そして、投票の期間、公示期間を今の2倍くらいに増やす事をすれば投票率も上がって来る。
低投票率が問題になっているし、テレビでの事前の選挙にからむ番組が少なかった事が言われているが、テレビ局については、候補者の演説や討論を一定時間流す事を義務付けるようにすれば、投票率は上がって来るし、候補者の人となりももっとよく分かって来る。
各党の候補者を単に並べて議論をするだけでなく、1人1人の候補者について、テレビの司会者が単独で次々に質問をしていくような番組を作るのである。1人15分も話を聞けば、その候補者の人間性や考えは嫌でもわかる。
こうすれば、タレント候補など直ぐにボロが出るし、底の浅さも簡単にわかる。
演説も現在NHKが流しているような面白くもない、型にはまったものではなく、自由に演説できるようにすれば良い。話すだけでなく、表やグラフを使っても話も可とし、立っても良いし、座っても良いなどもっと、スタイルを面白くするのだ。
そして、これはテレビ番組だけでなく、録画したものを選挙民が自由な日時にネットで見られるようにすれば、関心はもっと高くなるのは間違いない。
また、筆者が若い頃は立ち合い演説会というのがあり、候補者の話が1つの場で色々な候補の話が聞けたが、これを復活する事である。そして、選挙カーでの呼びかけを禁止するのである。
候補者がネットを使って自分の主張をする事については、明らかに公序良俗に反するものを除いては自由にしたら、候補者についての理解がもって進むのは間違いない。
衆議院の改革はまた別の機会に書く事にする。
20190725
庶民目線の左派政党は登場した。次は庶民目線の右派政党の誕生だ。
参議院選挙が終わり、新聞やネットでも、結果について、様々な分析が行われている。
特徴としては、移民法や消費税の引き上げなど、失政だらけの自民党だが、野党はもっとひどいという国民の評価で、自民党は議席や票は減らしたが、減り方が思ってより少なく、政権を引き続き維持できる結果となった。
本来なら、消費税引き上げ、年金2000万円問題など政府を攻撃する材料には事欠かず、野党はもっと躍進しておかしくない環境だったのに、全くそうした利点を生かす事ができなかった。
立憲民主党は、旧民主党が政権をとってみて、政権を担う事がいかに大変かを経験し、政府を批判するだけの野党の方が気楽とばかりに、本気で政権を狙いに行くという姿勢は全く見られず、自民党よりも旧民主党時代の仲間、国民民主党潰しに力を入れて、議席が増えたという事で、勝利宣言をする能天気さである。
そして、比例区で当選した立憲民主党の候補者を見てみると、公務員組合や日教組、郵政、私鉄労連など旧総評系の労働組合の幹部がほとんどで、正に公務員や大手労働組員のための政党である事を明確に示している。
また、共産党と公明党が前回の選挙に比べて、百万票以上減らし、言われているように、創価学会員や共産党員の減少がかなり進んでいる事が裏付けられた。
共産党は党員の減少、大事な資金源である赤旗の購買者の激減で、資金的に大変な状態になっていて、以前のように、各選挙区に候補者を立てる事が難しくなっている。
それを表面に出す訳にもいかないので、野党共闘という形にしたが、政策のすり合わせが全くないままの共闘は、有権者の理解を得にくかった。
それでも、議席数では、それなりに善戦したのは、東北でほぼ全勝に近かったからである。新聞の解説では、TPPなどで農民票が自民党離れを起こしているとしているが、ある東北出身の政治家は「東北では、未だにテレビや新聞の報道を信頼している人が多く、ネットが及びにくい地域」と情報弱者ぶりを嘆いていた。
大きな変化が起きにくい選挙だったが、今回の選挙で、将来、あの時が大きなターニング・ポイントと言われるであろう出来事があったと筆者は考える。
それは山本太郎氏のれいわ新撰組と、立花孝志氏のNHKから国民を守る党、国民が庶民感覚で何かおかしいと思っている事を、明確に党の方針として掲げた政党が議席を得た事である。
また、当選者を出せなかったが、安楽死を考える党や、オリーブの木などが、国民が直面する大きな問題を政策に掲げて活動し、一定の得票を得た事も大きな出来事であると思われる。
それぞれの党の主張や背景などで、突っ込める点は色々あるが、少なくても、ここに来てやっと、庶民目線の政党が出て来て、議席を確保したという事は特筆に値すると筆者は考える。
日本人は江戸時代、明治維新以降と、お上意識が強く、「お上がこう言うのだから、多分、そうなのだろう」とか、「お上には逆らえないから」という感じで生活している人が多く、その傾向が今でも続いている。
だから、欧州はともかく、日本では明らかに間違った政策である消費税も、「東大を出た優秀な財務省官僚が、国家財政のために消費税は必要というのだから、多分、そうなのだろう」と従って来た。
しかし、ここ数年、何人かの勇気ある人たちが「財務省の言っている事は完全な間違い。日本がこの30年間、成長が全く止まったのは、財務省、日銀の間違った政策のせい」と言って、データなどを元に、ネットを中心に主張するようになって来た。
そして、それを聞いた多くの国民がその話に納得して、「財務省など官僚が言っている事は間違いだ」と気がついて来たし、「中央省庁の官僚は庶民目線が全くない。自分達は不況になっても給料は保証されるので、庶民の痛みがわからないのだ」と感じるようになって来た。
そして、その現実には、政治家ではなく、その官僚が支配している日本について、おかしいとノーを突き付ける人が増えて来たのである。
そうした背景があるので、消費税の廃止を訴える「れいわ新撰組」や、日本の公共放送として明らかにおかしいNHKをぶっ壊すという、「NHKから国民を守る党」が議席を得るようになったのである。
庶民目線、庶民の生活感覚から、それは違うと政府などを批判し、庶民の生活感覚から政策を主張する党が欧州では多く出て来て、国によっては、政権に関与する所まで出て来ている。
この政党について、欧米だけにでなく、日本のマスコミ、学者も「ポピュリズム政党」と言って批判する。そして、単にポピュリズムと批判するだけでなく、極右ポピュリズムとまで言って非難している。
マスコミや学者がそうした政党を、極右と言う理由は簡単だ。学者やマスコミが極左なので、中道にいる人達が極右に感じるからに過ぎないのだ。
また、ポピュリズム、即ち大衆迎合主義と批判する事で、大衆の支持で政権を取ったドイツの戦前のナチを思い起こさせようとしているのである。
でも、欧州で起きているポピュリズム政党の拡大は、単に「大量に入って来て、強盗などの犯罪が多発するようになった、この国を元の戻してほしい」と願う庶民の素朴で切実な思いから出ている事なのである。
それを一流大学を卒業したエリートであるEU官僚や学者、マスコミ人からすると、自分は安心した地域に生活し、犯罪に巻き込まれる恐れがないだけに、「庶民は困った難民をどうして助けないの」という発想になるのである。
イギリス国民がEU離脱を決め、他のEU加盟国の中でも、今のUEはおかしいと言う国がいくつも出て来た理由は簡単で、一流大学を卒業したエリート達の感覚が、庶民のそれを大きくずれ、「彼らにはもう任せられない」と思い出したからである。
事情は日本でも全く同じである。
世界的に、過去数十年間正しいと多くの人が信じ、政治家や官僚が行って来た政策が本当は正しくなかったのではないかという声が起きて来ている。
そして、ノーベル賞をもらうような偉い学者が言って来た経済理論が実は間違いだったのだという声が大きくなり、無視できなくなって来た。それが今の世界である。
話は簡単である。
過去何十年と、人、物、金の世界規模の自由化は良い事とされ、自由化、グローバリズムが推奨され、それの傷害となる国よる規制や規則、国内産業の保護というような事がどんどん撤廃されてきた。
その結果はどうなったかと言えば、弱肉強食で、個人も企業も国も、強いものだけが生き残り、弱い者は淘汰され、富は上位1%、5%の人に独占されて行ったのである。
企業はより工賃の安い国に工場を作ったので、国内は空洞化し、失業が増えたのである。
つまり、自由化、規制緩和は強い国や企業、個人にとっては良い事かもしれないが、多くの国、人、企業にとっては、むしろ逆にあってはならない政策だったのである。
日本で庶民目線の政党が誕生した事はとても良い事である。
庶民目線とは、日々の生活がどう安定し、安心して生活でき、結婚し子供を作る環境が欲しいという事である。防災や海外からの圧迫がなく、暮らしていける社会が欲しいという事である。
ある意味では人として当たり前の要求である。でも、それが既得権益の上の立って考え、行動している政治家、官僚には、当たり前ではないのだ。
わかりやすい話をすれば、保育園の待機児童問題はいつまでも解消されない。
待機児童問題を日本全国で解消するための予算は精々2~300億円である。やろうと思えば、簡単に解決できる話である。
でも、いつまで経っても解決しない。理由は簡単だ。既得権益の上に立っている政府自民党も野党も、そして、官僚も解決に動こうとしないのだ。
新設の保育園をどんどん作ったら、少子化が進んでいるので、何年後かには施設が余って過当競争になる。だから、経営者たちは施設の新設に反対していて、自民党に施設をあまり作らないように圧力をかけている。
一方、そうした施設で働く人達は、同じく将来、施設があまるようになると、自分が失職する恐れがあるので、新増設には反対で、立憲民主党などの野党に増設しないように圧力をかけている。
また、地方自治体の担当者は、「民間企業に任せると質が落ちるので、公的なものや認可された施設関係者でないと駄目」という発想で、民間企業の参入を妨害している。
いずれも、自分達の都合で行動し、庶民の立場などは眼中にないのだ。
極左と言われた元国会議員が東京の区長になった世田谷区で、待機児童がどこの区よりも多く、解消が進まない理由は、ここにあるのだ。
でも、ネットの時代になり、こうした事がどんどん明らかになって来て、多くの国民がおかしい事に気が付いて来たのだ。筆者の予想というか、当然の帰結として、今回、存在感を示した庶民目線の政党は次第に結びついて行くと思う。政治は数であり、数がなければ、何もできないからである。れいわ新撰組やオリーブの木などは代表がネットや選挙演説で言っている事にほとんど差はない。そして、結集しだせば、良い候補者も集まって来る。
多くの人が集まれば、極端な政策は次第に後退し、多くの人が賛成できる政策が残って行く事になる。最初の選挙の時に、過激派集団が支援して当選した事から、専門家の間では危険視される山本太郎氏を見ていると、人の意見を吸収する力はあるし、話の内容にも弾力性がある。多くの国民を引き付ける魅力さえ感じられる。
今後の政治を考える時、れいわ新撰組が1つの核になる可能性まであると筆者は考える。
ただ、今回、線議員選挙で議席を確保したり、存在を明らかにした庶民目線の政党は、そのほどんどが左派系の庶民感覚政党である。
ご存知の方も多いと思うが、欧州ではポピュリズム政党には、左派も右派もいる。日本で左派系の庶民目線政党が出て来た次は、是非、右派系の庶民感覚政党が出て欲しいものである。
ちゃんねる桜の水島社長や経済評論家の三橋貴明氏らが、保守系の国民新党の誕生を呼び掛けているのは、こうした背景である。
筆者の取材体験でも、政治家は本当に大変である。私生活はないし、主義主張も時には妥協で曲げないといけない。筆者などは頼まれても、やりたいと思えない職業だが、日本を変えるためには、しっかりした政治家が必要である。
かつて、自民党には将来有望な若手政治家がいくらでもいた。
しかし、今の自民党にはそうした人がほとんどいない。そうなったのは世襲議員の大量生産が理由である。世襲議員の最大の問題点は、庶民感覚がない事である。
東大出の財務省など中央省庁の官僚も、子供の時から受験勉強に明け暮れていて、庶民感覚などない人が、今はほとんどである。
受験エリートの最大の特徴は、上から言われた事をそのまま覚え、実行する丸暗記型のロボット人間で、自分の頭で考え、皮膚感覚を磨くという発想がほとんどない人達なのだ。
だから、間違った事でも上司の命令は絶対で、それを推し進めるから、政治も行政も庶民感覚からずれていくのである。
中学校を卒業し、高校は2年に上がれずに中退したという山本太郎氏が、どういう経緯で俳優になり、政治家になったかは知らないが、少なくても、今の大半の官僚や政治家よりは、庶民の皮膚感覚を持っている人である事だけは間違いない。
そして、そうしたエリート、サラブレッド出ない人がもっともっと、政治の世界に出て来て欲しいものである。
20190721
眞子様を南米公式訪問させる皇室と、大々的に報道するマスコミの不思議
秋篠宮家の眞子様が南米のペルーなどを2週間の予定で公式訪問し、現地の首脳と会ったり、様々なイベントに出席していた。そして、その様子をテレビは1日に何回もイベントの出席する眞子様の様子を丹念に報道していた。
筆者はこの様子を見ていて、とても不思議に感じたし、筆者の周囲にいる人達は「テレビを見ていて、眞子様の様子が流れると、テレビのチャンネルを変える」と異口同音に話している。
多くの国民は眞子様の顔を見れば、小室圭氏との婚約騒動を思い出す。週刊誌の報道によれば、眞子様はいまだ小室氏との結婚を望んでいて、両親と会話もないくらいに断絶状態だという。
そして、週刊誌の話は雑誌を買って読まなくても、新聞やテレビでその内容が報道されるので、多くの国民が駄目男との結婚にこだわる眞子様に違和感を覚えている。だから、顔を見ると、不快になるので、チェンネルをひねって、他の局に変えるのである。
多くの国民から、こうした反発が出る事は充分に予想されたのに、皇室は何故、婚約問題を放置したまま、彼女を南米公式訪問させたのか理解に苦しむ。
そして、多くの国民がそう思う事はわかっていながら、テレビ局も南米に取材の人間を随行させ、行事ごとにカメラを回し、1日に何回もお色直しして、服装を変えた眞子様の姿を放送している。
このテレビ局の無神経さも理解できない。
日本国民の過半数が今でも皇室を尊敬していて、親しみを感じている。
しかし、今の日本人は戦前の日本人と違って、無批判に皇室を敬愛している訳ではない。おかしい事はおかしいと言い、ネットの普及もあって、かなり厳しく文句を言う人も少なくなくなった。
筆者自身、マスコミに長年いた者として自戒もあるが、マスコミは、特に皇室については、嘘の報道をずっと続けて来た。
こうした事があるだけに、皇室関係者は言動に留意し、批判を受ける事を避けないといけないのだが、婚約騒動が終わっていない眞子様を露出が多くなる外国公式訪問をさせること自体、ナンセンスで、庶民感覚を全くわかっていないと筆者は感じる。
筆者は左系の学者や新聞社などと違う意味で、天皇制はなくなっても仕方がないと考えている。
天皇が天皇であり、皇室が皇室であるためには、国民から尊敬され、日本人の心の拠り所である存在でないといけない。それを強く意識せず、女を前面に出す皇女など要らないし、そうした皇女を育てた宮家も要らない。
そうした秋篠宮を育てたのは上皇とその妻であり、眞子様の婚約騒動を終わせる事が出来ない天皇など要らないのだ。
筆者が周辺の人と話をすると、秋篠宮も紀子様も嫌いだし、雅子様も美智子様も嫌いという人が少なくない。若い人だけでなく、老人世代でも、着実に皇室に対する不信感、不要感は広がっている。
皇室は存在するだけで尊敬の対象となる訳ではないのだ。
その言動が国民に支持され、尊敬を勝ち取らないと、やがて、国民は天皇制度など要らないという時代になっているのである。
悲しい事は、そうした国民の意識を皇室の人達がわかっていない事である。眞子様の南米訪問を決めた事は、正に国民の厳しい目を理解しない皇室の怠慢ともいえる。
20190720
京アニ火災…日本人の無防備ぶりを今更ながら教えた事件
京都アニメーションでの火災で30人を越える人が死亡した。
事件そのものは痛ましいもので、放火した犯人については、言い訳ができる話ではないし、万死に値する犯行だと言える。
だが、その一方で、こうした事件の度に、テレビ新聞の報道で違和感を覚えるのは容疑者がどんな人間だったなどという事に多くの事件を割き、日本の企業や個人の安心、安全、防御などについての、備えのなさについての言及が極めて少ない事である。
かつて、日本は安心な国で、地方の農家などへ行けば、家に鍵をかけていない所が少なくなく、それでも、犯罪などは滅多に起きず、問題はなかった。
しかし、こうした地方で育った人が大学進学で、東京や大阪などへ出て来て、自分の部屋がアパートの2階、3階にあるからと、ベランダの戸の鍵をかけずにいて、暴漢に忍び込まれて、乱暴されたとか、殺されるというような事件が何件も起きた。
強カン事件は事件が事件だけに、犯人が逮捕された時には、あまり大きく報道されないが、裁判になって、犯人が有罪になったりして、1人の男が何十人、時には百人を越える女性をおかしていたという事件が何件も起きている事が明らかになっている。
また、大分以前だが、大阪の池田小学校事件で、学校に暴漢が侵入し、何人もの小学生が殺されたり、秋葉原で無差別殺人が起きたりした上、最近では、神奈川県の登戸で、登校バスを待っている生徒が暴漢に殺される事件が起きるなどして、今の日本は、もはや、安心、安全な国ではない事は、何回も示されている。
にもかかわらず、個人も会社も安心、安全に留意し、まさかの時の対応、備えに本当に関心が薄く、無防備だった結果が、今回のような悲惨な事件に結び付いたとも言える。
今回の京都アニメーションの事件では、犯人は1階の入り口から、台車にガソリンが入ったバケツを乗せて、会社に入り、そこでガソリンを撒いた上で、火をつけている。
常識的に考えて、見知らぬ男が台車にバケツを載せて、会社に入って来たら、守衛がそれを停止したり、止めたりするのが普通だが、この会社ではそれが行われなかった。
筆者にはそれが不思議でならない。
筆者も小さな会社を20年以上経営していたが、少なくても筆者は、火事や災害が起きた時の避難や、変な人間の侵入については、いつも対策を頭の片隅に置いていた。それは経営者として、何人もの人を預かる者として、当然の事だと思って対応して来た。
今回の京都アニメーションの会社の社長の話では、普段は出入りはチェックしているが、この日は外部から人が来る予定があったので、そうした事はしていなかったという。
でも、経営者としての視点なら、そうした予定があれば、逆に、いつも以上に警備の人を増やして、出入りを見守り、何か問題が起きないようにするのが、当然だと思う。
だが、この会社では、そうした事は行われず、犯人は容易に会社に入れ、ガソリンを撒き、放火をする事が出来たのである。
被害にあった会社を責める積りはないが、経営者として、人を預かる人間としての行動にしては、何か違和感を覚えるのだ。
気のせいか、テレビのインタビューに答える社長の表情に、これだけの事件を起こしてしまった経営者の責任という意識がほとんどないように見受けられる。
それが自分が直接の原因でないにしろ、経営者は結果がすべてで、大事件が起きたらそれは即、経営者の責任なのである。
今回の火災では、1階の火災が2階、3階にもまで及んだ原因に、建物内で人の行き来が楽に出来るようにと、螺旋階段が設置されていたために、それが煙突の役割をして、全館に火事が広がったという。
これも、確かに便利かもしれないが、火事や災害など、思わぬ災害に対応するという視点が抜けた建て方である。
便利と安全とは、概ね、逆のものである。でも、会社で建物を作る時には、そこで多くの人が働く以上、多少、便利さを犠牲にしても、安全を優先する発想があってしかるべきであると思う。
また、3階から屋上に出る戸の所で十数人の人が死んでいたという話である。
屋上に出る戸に鍵はかかっていなかったが、開けた形跡はない。ほとんどの人が一酸化炭素中毒で身動きがとれなくなり、屋上に脱出できなかったようである。
これも、普段の教えがなかったためと思われる。
筆者が子供から生徒時代には、まだ、家は木造の建物がほとんどで、コンクリートの建物はなく、それにともなって、日本全国で火災が多く発生した。
筆者が小学生の時、車が行きかう道路を挟んだ向かいの家が火事になり、全焼する出来事があった。
少し広めの道路が間にあるとはいえ、火が大きく燃え上がって、火の粉も多く地上に降り注いでいて、自分の住まいの方に飛んで来て、自分が住んでいる家も燃えるのではないかという恐怖心に駆られた事があった。
そんな時代だったので、火事で人が焼死するというのは珍しくなかった。
そうした事を受けてか、消防署の人が時折、学校に来て、防火訓練が行われたりもした。
そして、火事の際には、焼死もあるが、一酸化炭素中毒で手足が動かなくなって、死ぬ事が多いので、火災に遭った時は、タオルや衣服などの繊維を水で濡らして、それを口にあてて、逃げるようにというような事を教えてもらった。
だから、大人になっからも、火事にあった時は、タオルを濡らして口にあてて、避難するのだという意識は強くもっていた。
今回の京都アニメーションの事件でも、こうした濡れタオルの教えが徹底されていたら、少なくても、屋上への戸の所で死んでいた20人近い人は死ななくて済んだはずである。
東日本大震災の時、被害にあった地区の幼稚園でいつも、園児の避難訓練をしていたところがあり、この幼稚園では、普段の訓練のお陰で、1人の犠牲者も出ずに集団で避難出来たという話がある。
しかし、この幼稚園の関係者の話として、普段、避難訓練をしている幼稚園の人に、周辺の住民は「あんな立派な防波堤があるのに、避難訓練をするなんて、なんて無駄な事をしているのだ」と笑って、からかっていたという事が伝わっている。
東日本大震災では、立派な防波堤を信じて、9割の住民が避難をしなくて、それもあって、多くの人が犠牲になった。
また、東日本大震災の時、筆者は42階建ての東京の臨海部のタワーマンションを事務所として借りていて、大きな揺れを体験したし、エレベーターが止まり、41階の事務所と地上を階段で何回も上り下りした経験もした。
こうした事もあって、地震の後、臨海部のタワーマンションはパタッと売れなくなったが、地震から数年も経つと、大震災を忘れたように、臨海部のタワーマンションは人気を取り戻した。
まさにのど元過ぎればの例えである。
また、最近の西日本での豪雨での土砂崩れや河川の氾濫で多くの人がなくなった時も、地方自治体の避難勧告に対して、9割の住民が避難しなかったというデータが出ている。
日本人はどうしてしまったのかと首をひねらずにおられない。
何回か書いたが、かつて林房雄は著書「緑の日本列島」で、日本は台風や災害で毎年のように被害に遭うので、西欧のように自然を科学で抑えつけて、制圧しようとするのではなく、防衛をしながら、不可抗力な時もあるので、被害をいかに少なくするかという知恵を働かせ、自然と共存して来たと書いた。
そして、そこから、自然や不可抗力のものに対する恐れ、畏敬の念を持ち、地区の住民が協力して、被害を少なくする集団主義が育ったのだと述べた。
こうした背景が歴史、文化的にあるので、敗戦で廃墟になった日本が、絶望せずに、短期間に「奇跡の復興」と言われた経済発展で、1980年代には、アメリカの6割位に迫る経済力を持ち、世界2位の経済大国になったのである。
しかし、戦後の日本は経済発展に全力を挙げるために、防衛はアメリカに任せきりの状態になり、それが70年も続く内に、国土防衛だけでなく、会社や地区、個人に至るまで、安心、安全、災害対策に時間と金をかけて、留意するという発想まで失ってしまったと言える出来事がそこここで起きている。
韓国との最近のトラブルは、戦後、日本が韓国に譲り続けた結果、韓国に「韓国が強く出れば、日本は譲る国だ」という認識を定着させてしまった事の何十年かのつけが出ているに過ぎない。
韓国は戦後、嘘の歴史を学校でずっと教え続けて来た。
そして、その教育で育った韓国人が60歳、70歳から今の小学生にいたるまでいるのだから、少なくても、韓国では「嘘が真実になってしまった」のである。
敗戦まじかの李承晩時代はともかく、1965年に日韓基本条約を結んで国交を樹立した時点で、この歴史教育についても、日本は時の韓国の朴正熙大統領にきちんと話をして、決着をつけるべきだったのだが、それをしなかった。
その失敗が今の韓国の増長ぶりを招いたともいえる。
そして、今、輸出管理の厳格化が大きな問題になると、マスコミもネットの書きこみも、「日本企業への影響も大きい」とか、「落ちどころはどこか」という事を書きだしている。
「国」とか、「安全」「外国交渉」という際には、例え、自分に痛みがあっても、絶対に譲ってはいけない事があるのに、戦後の日本はすべてを経済、金で考え、「名誉」や「プライド」などは二の次、三の次にして来たのであり、今回もそうなりそうな気配すらする。
筆者は前にも書いたが、今回の韓国との事は、参議院選挙が終わったら、自民党内の圧力で、「措置の緩和」、つまり、日本の腰砕けで終わる可能性が結構あると考えている。
そして、それはこれまで以上に韓国を増長させ、より以上の誤解を与えるものなのだが、妥協の理由として、「アメリカが仲介して来たので、それに従った」と言い訳をしそうである。
それで、韓国内の「反日種族主義」はもはや、消し去る事ができない思想として、定着し、今後何百年にわたって、日本を苦しめ続ける事になるだろう。
対中国も同様である。
天安門事件の時に、欧米は揃って、中国共産党を非難して、経済制裁をした。あの時に、日本も欧米に協力して、制裁を継続していたら、多分、中国共産党政権は倒壊していたと言われている。
だが、日本は欧米の制裁を破って、いち早く中国に手を差し伸べ、天皇を訪中させ、経済協力をした。これで西側の足並みが乱れ、天安門事件はうやむやになり、中国共産党政権は生き延びた。
中国に日本に感謝するどころか、嘘の歴史教育を徹底し、反日教育を強化したのである。
「簡単にころりと騙される奴は信用できない奴で、徹底的に利用するだけ」これが中国人の日本人観である。
今も、G20の時の習近平氏と安倍総理の会談で、日中関係は完全に正常化するとの考えで一致したとして、10月に習近平氏の訪日を決めた。訪日した習近平氏は間違いなく天皇の訪中を要請する。
これはアメリカの制裁を打ち破る突破口に日本を利用しようとしているだけなのに、今の日本は天安門事件の反省もないまま、また、中国に利用されようとしている。
こうした事が起きるのは、戦後、「国とはなにか」「守らないといけない事は何か」「防衛」「安全とは何か」という事を全く考えずに、経済、金優先で70年間過ごして来たためである。
京都アニメーションの火災は、そうした意味で、今の日本を象徴している事件とさえいう事ができると言える。
20190715
改憲議席3分の2の攻防という、マスコミ、野党の不毛な議論
参議院議員選挙の投票日まで1週間を切ったが、投票予測で、どの新聞も「改憲議席3分の2を維持できるかどうかの攻防」「改憲勢力、過半は維持だが、3分の2は難しいか」というような記事を書いているし、テレビでも同様の報道している。
そして、野党は「憲法改悪を阻止するためにも、与党の3分の2議席は何としても阻止する」と叫ぶ。
筆者はこの話を聞く度に、なんて意味のない議論をしているのかと思う。
まず、自公、維新を改憲勢力とマスコミや野党は言うが、公明党は改憲などする気はないのは明らかである。
公明党、創価学会は基本的に現在の憲法について護憲であり、その姿勢は親中、親韓である。中国、韓国は日本の憲法改正に反対であり、中国、韓国に結構、信者がいるし、幹部に在日の人が多いと言われている。
その公明党、創価学会がそれを押し切って、改憲に進むとはとても思えないのである。
公明党が自民党の改憲について、協力するような態度をしているのは、与党である事を維持する事が大きな利権であるので、自民党に協力する格好をしているに過ぎない。
だからこそ、維新の会は「公明党との連携を切って、自分達と組もう」と呼び掛けているのだ。
それをわかっているのに、自民党が公明党との連立を維持しているのは、選挙での創価学会の票が欲しいからであり、維新は大阪中心で、全国的な広がりがないからである。
更に言えば、自民党の議員の内、半数近くが憲法改正に反対、もしくは消極的であり、自民党首脳が改憲を決めたとしても、党全体が改憲に動き出すとはとても思えない。
自民党の国会議員全員が同じ考えである訳ではない。
自民党を1つの党と考えると間違える。自民党は政権与党を維持するための、いくつかの集団の集合体と考えるのが実態に近い。
池田勇人を源流とし、今は岸田氏が代表を務める宏池会は、基本的に憲法を改正しようという考えではない。歴史的に見ても、元首相の宮沢氏や、加藤紘一氏など宏池会の人達の行動をみればわかるように、彼らの思想、行動は「解釈改憲」である。
田中角栄に買われて、かつて自民党で大きな力を持っていた後藤田正治氏は、剛腕で強面のイメージだが、その姿勢は護憲であり、戦争反対であった。
竹下元首相の流れをくむ竹下派も親中、親韓であり、二階幹事長も親中、親韓の代表であり、その利権も大きいから、自民党が改憲に動こうとしても、協力するとはとても思えない。
戦後の自民党の議員の行動や思想を見てみれば、憲法を改正しないで、解釈で対応しようという「解釈改憲」だったと言い切っても良い。
こうした背景があるから、ここしばらくの間、衆議院でも参議院でも与党が3分の2の議席を持っているのに、改憲の動きが進まないのである。
安倍首相がいくら改憲と言っても、自民党は動かないのであるし、安倍首相自身、本当に改憲の意思があるのか疑問という人もいるくらいである。
自民党は「野党が国会で改憲の議論に出て来ないので、議論が進まない」という説明は、自民党が改憲に動かないための言い訳であると言っても良いのだ。
マスコミや野党は二言目には「改憲をさせないために、与党に何としても3分の2を与えないようしないといけない」という事を言うが、筆者はこれは、国民主権を無視し、国民を信用していない、国民を愚弄する発言だと思う。
時代とともに人々の考えや社会の情勢や環境も変わって来る。だから、どこの国でも改憲は何度も行われている。日本と同じように、戦後、アメリカ軍に憲法を押し付けられたドイツでは、何十回と憲法改正をしている。
時代とともの憲法が変わるのは当然なのである。
ところが、日本では「憲法は一字一句いじってはいけない」という左系の議員が多くいたし、朝日新聞を中心としている左派系マスコミも、そういう論調で国民を長年、洗脳して来た。
だから、改憲が70年近く行われて来なかったのである。
改憲が右寄りであれ、左寄りであれ、国会で改憲派が3分の2を確保したとしても、それで改憲が行われる訳ではない。衆参両院の決議を経た後、国民投票をして、過半数の国民がそれに賛成しないと、改憲は行われないのである。
筆者はどういう内容になるにせよ、国民レベルで憲法の中身について、どこが問題であり、どういう点で新しい書き込みや改正が必要だという大々的な議論を近い将来すべきだと思う。そして、一度、国民の意思を確認すべきであると思う。
そして、その後、主権者の意思を何年に一回か聞いて、憲法を修正して行くというのが本来の民主主義だと思うが、改憲反対派は、主権者の国民を信用していないから、何としても、国民投票をさせたくないのである。
戦後の日本は防衛はアメリカに任せ、経済復興、成長に邁進して来た。しかし、ここ30年、行き詰まって、閉塞状態となり、大きな改革をしないといけないのは多くの人がわかる話である。
そして、今の日本を大きく変えようとすると、憲法改正は避けて通れないのである。
例えば、今回の参議院選挙に立候補しているある候補者は「格差是正のためには、土地の公有化が不可欠」と言っている。かなり過激な意見だが、確かに1つの案であり、土地の公有化で、様々な問題が解決するのは事実である。
しかし、土地の公有化は憲法改正をしないと出来ない事である。
また、「今の政治は年寄り中心の政治で、もっと現役中心の政治にしろ」という意見が結構あり、そのための方法として、選挙の際の投票権について、現役世代に1人2票、年金世代には1人1票というように差をつけて、現役を重視しろという考えがある。
これも、時代を変えるには良い案の1つだが、実施するには憲法を改正しないといけない。
また、意見が対立する問題を議員に任せておいても、どうにもならず、いつも先送りになっているので、難問は国民投票をして、答えを決めて行けという意見もある。
スイスでは、頻繁に国民投票をしていて、最低賃金を上げるかどうかについても、国民投票をしているので、スイスを真似るべきだと主張する人もいる。
だが、これをするにも、憲法を改正をしないといけない。
今回の参議院選挙では、高知、徳島や山陰などが、2つの県で1つの選挙区という合区が2つ出るという事になり、1つの県から1人も国会議員を出せない県が出るようになった。
どうしてこうなったかと言えば、選挙の度に、左系の弁護士が「1票の格差をあるのは憲法違反だ」と裁判を起こすからである。
人数だけで平等を言うなら、首都圏から選出する議員は全体の4分の1にしないといけない。これが憲法の精神だからである。
でも、誰が考えても、これはおかしい。
国会議員の選出は人口だけの問題ではない事は、直ぐにわかるが、憲法裁判になると理屈の上では、裁判官も違憲判決を出さざるを得なくなるのだ。
政治が沈滞化している大きな原因に世襲議員の問題がある。議員の6割以上が世襲だと言われる。この世襲議員をなくす方法として、三親等以上の親族が国会議員がいる場合は、同じ選挙区からは出馬できないようにするという案がある。
でも、これも、今の憲法のままでは実行できない。法律を作るためには、憲法を改正しないといけないのだ。
憲法9条は大きな問題だが、9条以外でも、国を改革しようとすれば、直ぐに憲法問題に突き当たるのである。
だから、本当なら、様々な問題について、憲法改正を2、3年かけて大々的に行い、一度に全部の改正をするのではなく、合意ができたものから1つづつ、改正をしていくようにすれば、日本の景色が大分変ってくるし、政治がもっと身近なものになるのである。
だが、野党もマスコミも憲法改正に反対だし、議論をする事さえ、封じている。国を良くするために、憲法を前向きで改正して行くと言う発想がないのだ。
日本を良く改革して行こうという気持がないとしか言いようがないのである。
20191201
失敗から何も学ばないラグビー協会、サッカー協会、侍J
ラグビーのワールドカップ東京大会は大成功の内に終わり、多くの日本人がラグビーの良さを知ったと思うが、その熱も冷めやらぬ内に、発表された来年のスパーリーグを戦うサンウルブズのメンバーを見て、愕然とした。
日本人は早稲田大学の学生ただ一人、そして、今回のワールドカップで活躍し、テレビのバラエティー番組などに度々登場しているような日本チームの選手が誰一人選ばれていないのだ。
サンウルブズは一、日本代表のチームとして、豪州やニュージーランド、南アという強豪国のチームと戦うために、日本から参加するチームである。
そのチームに日本人が唯一人しかおらず、今回のワールドカップで活躍した日本チームの選手が誰一人選ばれていない不思議な人選なのである。
4年前のイギリスで開催されたワールドカップで日本が強敵の南アフリカを破った事で、ラグビーブームとなったと時、豪州、ニュージーランド、南アなどのチームで争うスーパーリーグに日本からもチームが参加するという話が出て来て、結成されたのがサンウルブズである。
そして、その試合が日本で見られるという事で、多くの人が期待したが、その期待はあっという間に消え去り、それとともに、折角起きたラグビーブームもあっけなく消えてしまった。
3年前の時の失敗の最大原因は、スーパーリーグに参加する日本のチームのサンウルブズと、全日本代表の統一が、日本ラグビー協会の意思の不統一から行われず、バラバラな存在となった事である。
この結果、ワールドカップで活躍した五郎丸やリーチ・マイケルなどの選手がサンウルブズに参加せず、そうした選手の姿が見られると思って、試合を見に来た観客ががっかりさせた。
その上、主力選手がいないサンウルブスは試合でも弱く負け続けた。誰も日本が負け続ける試合は見たくないので、次第に客足が遠のき、ラグビーは人の話題にも上らなくなってしまったのである。
更に、日本でのサンウルブスの最初の試合に、日本ラグビー協会の幹部が来ておらず、チケットは売れているのに、企業の買い上げ中心だったので、客席はガラガラなのに、本当に見たくて、会場に来たファンを客席に臨機応変に入れるという事が出来なかった事もファンの怒りを買った。
今回のサンウルブスの選手の選考は、この3年前の失敗から何も教訓も得ていないという事の表れと言える。
日本ラグビー協会の言い訳は、ワールドカップを日本で開催した事もあって来年は日本国内のラグビーのチームが争うトップリーグと、スーパーリーグの日程がかぶってしまったという事にある。
また、スパーリーグ側は、サンウルブスがあまりに弱い事、また、期待された日本企業からのスポンサーが思ったように集まらない事もあって、来年のシーズン限りで、日本チームを除外する事を決めた。
こうした事もあって、日本ラグビー協会は来年のサンウルブズのチーム編成にあたっては、無理をしないという事を決めたようである。
でも、それは、細かな経緯を知らずに、ラグビーが面白くなったと思って、サンウルブズの試合に来るファンを冒涜する事であるのを協会の幹部はわかっていない。
事情で日本代表と言えるような選手編成が出来ないなら、そうした事情を説明するとか、スーパーリーグへの参加自体を取りやめるなどの措置をすべきだったのである。
日本ラグビー協会の幹部は今回のワールドカップの成功に気を良くして、サッカーのように、ラグビーのプロ化を打ち上げているが、計画が甘く、サッカーのJリーグを立ち上げた川渕氏から、その甘さを批判される始末である。
ワールドカップが終了したので、大学のリーグ戦が始まったが、そのいくつかの試合の中継を見て、ラグビー協会は本当に駄目だと思った。
かつて、旧の国立競技場に5万人からの観客を集める位、人気スポーツだったラグビーが衰退して大きな理由に、審判のえこひいきな判定があったが、これが何も変わっていないのに、本当にこの協会はどうしようもないと思った。
筑波大と帝京大学の試合、帝京大学と早稲田大学の試合、この2つの試合では、明らかに審判が一方のチームの肩を持つ笛を吹いていた。
かつて、多くのファンを激怒させ、ファン離れの大きな原因になって、早稲田大と同志社大の試合を見る思いがした。
ラグビーは審判の笛で、試合の形勢は大きく変わる。だから、審判は中立で公正な判断をしないといけないのだが、かつてのファン離れの反省が全く生かされていない事を痛感した。
サッカーの協会もお粗末なラグビー協会と良い勝負である。
国内チームの監督としては良いかも知れないが、日本代表として、外国チームと戦う集団を任せる器でない人間を代表の監督にしている。
もっとひどいのは、日本代表とU-22の双方のチームの監督を兼任させた事で、満足に両チームの指導が出来ていない事である。
そのくせ、練習試合で少し強いチームと戦ってボロ負けすると、監督は選手を叱って、自分のお粗末さを棚に上げている。
サッカー協会の代表チームの監督選びは、今の監督の決定だけでなく、過去数代にわたって迷走の連続で、選んだ外国人監督が日本のチームの特徴と全く合わない戦術を取ったり、試合に関係ない疑惑で監督を解任せざるを得ないような事を繰り返している。
それでいて、協会のトップや監督選考をする担当の幹部が誰も責任を取らないし、そもそも監督選考のプロセスを明らかにしていない。
サッカーはJリーグの試合にそれなりに観客が入り、また、チームの社長にプロの経営者をすえるなどしたため、グッズも売れて、黒字のチームが増えている事もあって、サッカー協会には危機感はない。
しかし、頂点に立つ日本代表チームやU-22チームが、ワールドカップや五輪で無様な負け方をするようならファンは離れて行く事を知らないといけない。
監督の手腕で、チームが大きく変わる事は、今回のラグビーのワールドカップの南アやイングランド、そして、日本チームの結果が示している。
今からでも遅くはない。一刻も早く、サッカーの監督は変えないとだめである。
監督として不適切な人間を監督にして、迷走しているのはサッカーだけではない。サッカーと良い勝負なのが、野球の侍Jである。
先頃、行われたプレミア12と銘した野球の国際大会で日本チームは優勝した。しかし、その試合を見ていると、野球を少し知っている人間なら、監督が指揮官として全く不適切である事は明らかである。
まず、この国際試合には、アメリカのメジャーリーグの意向で、メジャーリーガーは1人も参加しなかった。
アメリカチームだけでなく、南米の国々、韓国、台湾のチームにも、現役大リーガーは参加できない仕組みになっていたのである。だから、日本が圧勝して当然なのである。
それなのに、練習試合も含めて、行われた試合の監督の采配は首を傾げる事の連続だった。
その第一は、明らかに外人相手に投げるには不向きな巨人の山口投手をローテーションの中心に据えて試合を戦い、こっぴどく打ち込まれても変えなかった。
更に、その出来事をなかった事にでもするように、一番大事な試合に、また、山口を先発させ、先取点を取られた。幸い、味方が逆転したので、事なきを得たが、逆転できなかったら、大失態だった。
また、打率が1割にも満たない上、全くスランプ状態の巨人の丸選手を使い続けた。それも、中軸に据えて、意図的にチャンスが来たら、それを丸選手の存在でぶち壊しにする事を意図したとも思える、オーダーの組み方だった。
侍ジャパンに選ばれる事を辞退する選手が多かったのは事実である。ソフトバンクの千賀投手や巨人の菅原投手、そして、DNAの筒香選手など日本を代表する選手は辞退したという。
それでも、どうしてこの選手を選ばないのかという選手は何人もいたし、逆に、何故、この選手を選んだのかと疑問に思う選手も結構いた。
国際試合は勝ち抜き戦なので、1年間で戦うリーグ戦とは戦い方が全く異なる。調子の良い選手を中心にメンバーを組むのは当然だし、外人相手に通用する選手を選んでチームを作らないといけないのに、全くそれが出来ていなかった。
日本の野球チームで監督の経験がなく、侍ジャパンの監督として、無能とも言える指揮をした小久保前監督は、責任をとって辞めた。今の監督を見ていると、小久保前監督時の失敗の教訓が全く生かされていないと感じる。
しかし、何試合か試合を見ている内に、今の監督、稲葉は無能なのではなく、また、ファンや選手の方を見て指揮をしているのではなく、日本の野球界を仕切っている人間や球団の方を見て、采配をしているのではないかと感じるようになった。
巨人の山口投手は今シーズン末に、ポスティングを利用して大リーグに挑戦の意思を持っている。そして、成績は良いが、扱いに苦慮している巨人は山口投手を出したがっている。
これまでの巨人はポスティングを頑なに拒否して来た。その巨人が認める理由は、とにかく山口を出したがった事に加えて、エースの菅原もポスティングを利用して、来年末に大リーグに挑戦する意思を持っている。
監督の甥を解禁第1号にしたくないので、山口を第1号にする事で、批判を免れようとしている。その巨人の思惑を知っているので、それに迎合した采配をしたと考えると、色々な辻褄が合って来る。
日本の野球界は、巨人とソフトバンクの意向を無視しては成り立たないと言われる。侍ジャパンの稲葉監督は、そうした意味では、権力者の忠実な番犬として行動しているのかも知れない。
だからだろうか。あれだけ駄目な指揮をした稲葉監督について、スポーツ新聞などが、あたかも有能な指揮者というような扱いでインタビュー記事を載せていた。
20191102
五輪マラソン札幌開催が決まった、マスコミが言及しない2つの原因
来年の東京五輪でのマラソン競技の開催場所が札幌の変更になった。
この問題で東京都の小池知事は終始反対の姿勢を示し、一時は「政治生命をかけて戦う」とまで勇ましい事を言ったが、結局は矛を収めた。
この問題を報道する日本の新聞、テレビの論調はそのほとんどがIOCを批判し、これまでどちらかと言えば、批判の対象だった小池知事の肩を持つトーンだった。
だが、マスコミも小池知事も重要な2つの事実についてほとんど言及していない。そして、その2つが、マラソンを東京から札幌に移す事の決定的な理由になったのである。
その2つとは何かと言えば、その1つはオリンピックを東京に誘致するにあたって、日本側がIOCに提出した報告書の内容である。
そこには「7月、8月の東京は、選手たちが最高のパフォーマンスを出せる温暖で晴れの日が多い理想の天候」と書いてあるのだ。
御存じと思うが、1964年の東京五輪は10月10日が開会式だった。体育の日という祝日は、この東京五輪開催を記念しての事なのである。スポーツをするのに不敵な夏を避けて、秋の開催だったのである。
しかし、今のオリンピックは7月、8月と決まっている。
その理由は、オリンピックの放映権で最大のお客であるアメリカのテレビ局が、ビッグスポーツイベントが目白押しの秋での、オリンピックの開催に反対しているため、IOCはオリンピックを夏の行わざるを得ないからだ。
北半球で7月、8月のスポーツの祭典を開催しようとする時、夏の暑さが大きな問題となる。だから、暑さが問題にならないという事は、開催場所を決定する上で、重要なポイントになるのだ。
この問題について、東京都を含む日本側は上に書いたような、嘘の報告書を提出する事で、東京開催を勝ち取ったのである。
今回の騒動を報じるマスコミの報道の仕方を見ると、IOCがある日、突然、方向転換をしたかのように言っている。しかし、事実は違う。
国際陸連やIOCは東京開催が決まった後、8月の東京開催で、マラソンや競歩などの競技で問題なく開催できるか、ずっと、東京に対応策を聞いてきたのである。
だから、東京とは何百億円という費用をかけて、道路の舗装対策や、沿道にミスト(霧の噴霧)が出る所を設けるなどの対策を準備して来たのである。
でも、そうした対策をしても、8月の東京の炎天下でマラソンや競歩を実施するのはどうしても無理がある。だから、気温がまだ低い、早朝の開始という話も用意したのである。
でも、いくらどんな対策を用意しても、8月開催には無理がある。
特に国際陸連はずっと懸念を示し続けて来た。そこへ、夏のドーハでの国際陸上開催で、マラソン競技で半数の選手が完走できずに棄権するという事態が起きて、「夏の東京開催は無理」と最終判断したのである。
一部の報道では、これだけ対策をしているのだから、8月に開催すべきという暴論があるが、こうした人は万一、8月に東京でマラソンを開催して、死者や重病患者が出た時の保障や責任をどう考えるのだろうか。
今回の災害のように、「最悪の事は考えない」という最近の日本人の論法は世界では通用しないのだ。
また、一連の騒動報道で、「元々8月開催が無理なので、9月、10月開催を東京が言うべき」というのがあるが、これも厳然たる事実を無視した内容である。
オリンピックはかつてのロスアンゼルス五輪をきっかけに、完全に商業主義になった。ショーの要素を増やし、いかに儲けるかのビジネスになったのだ。
そして、オリンピックの放映権で最大のスポンサーであるアメリカのテレビ局側の意向は絶大で、夏のオリンピック開催は他のスポーツイベントのぶつからない7月、8月にならざるを得ないのである。
文句を言うなら、アメリカのテレビ局以上の金を出すスポンサーを出さない限り、議論にもならないのである。
ビジネスになって来ると、見る側の論理が重要になって来て、開催地の事情は二の次になって来る。そして、開催地は巨額な費用を負担する事になり、五輪後にも、その負の遺産で苦しむ事になるのだ。
いまだに、冬の長野五輪の負の遺産で苦しんでいる長野県、長野市や、1916年のリオ五輪や、それよりも前の北京五輪の開催会場が今、悲惨な常態になっている事などマスコミはほとんど取り上げない。
でも、口コミでそうした事情が次第に多くの人のわかって来たので、世界の主要都市がオリンピックの立候補をしようとすると、市民から反対運動が出て来て、立候補辞退をする都市がいつくも出て来るようになったのである。
2つの理由のもう1つは何かと言えば、IOCと開催都市の間で結ぶ契約書の存在である。
そこには、開催国や都市とIOCは色々協議をして、開催細目を詰めて行くが、当事者同士の話し合いで結論が出ない場合、IOCが最終的に決定すると明確に書かれているのである。
だから、IOCのバッハ会長も、コツ副会長も「相談、協議するのではなく、IOCが決定した事を伝えたのです」と言ったのである。
日本人には契約の概念が乏しい。
でも、欧米では、契約書は重要で、争い事が起きた時は、契約書でどうなっていたかが、最後の決着のポイントになる。
欧米では、極端に言えば、契約書で「うまく行かなかった時は、命をもってあがなう」と書いたら、書かれた人は、書いた人の命さえ奪う事が出来るのである。これが契約の意味なのである。
だが、契約概念が薄い日本では、契約書に署名捺印をしても、裁判になると、その内容が常識に反していた場合、契約書自体が無効になってしまう。日本の常識は欧米では非常識なのである。
遺言などでこの差がはっきり出て来る。
欧米では遺産を残す人が自分の意思で誰か特定の人に全財産を譲ると書いたら、それが実行される。
でも、日本だと、仮にそう遺言にあっても、子供や妻には相続権があり、遺言を書いた人の意思は無視されるのである。
今回の報道で、マスコミの報道で一番欠けていた事は、「オリンピックの主催者はIOCである」という事実である。開催都市は場所を提供する存在にしか過ぎないのだ。
開催都市や国と協議し、仲良く、上手く運営しましょうというが、意見が対立したら、主催者のIOCが最終的な決定をする事は文書で明記されているのである。
東京都の小池知事が文句を言っている理由の1つに、森会長や橋本五輪大臣には先に札幌への移転の連絡をしながら、自分への連絡が1日遅くなったという事がある。
しかし、これは自らの行動がIOCの小池不信の原因になっている事を知らないといけない。
小池知事は東京都の知事選で、築地市場の移転問題で、従来の決定を覆したため、五輪関係の工事が遅れた。そして、それが会場の変更などという問題に波及したのである。
小池知事はこの問題でカヌーを東北の都で開催するなどの考えを示し、IOCに要望をした。
だが、IOCにすれば、小池知事の個人的な都合で、東京都が約束した事が変わる話に、こちらを巻き込まないで欲しいという反応になり、そのやりとりの中から、IOCの小池不信が生まれたのである。
まともな話し合いが出来ない人ではなく、話し合いが出来る人、森会長や橋本大臣に先に伝えて了解を取り、外堀を埋めるという行動をIOCがしてもおかしくないのである。
欧米では個人的に差しで話をして、その人の人格やものの考え方を理解し、それに応じて付き合い方を決めるのは普通の事である。
トランプ大統領が安倍首相は話が出来る相手だが、韓国の文在寅大統領は話が通じない相手と思ったのは、最初の1,2回の話し合いで、そう解釈したからである。
そうした意味で、日本の政界を時の流れに応じて泳ぎ、その時々の一番の権力者に取り入り、常に日が当たる場所を歩くようにして来て、実物以上に自分を大きく見せる事に成功し、東京都の知事までになった小池氏の事を、IOCの会長も副会長もよく理解したのだと思う。
マラソンは札幌開催になったが、東京五輪にはまだ大きな問題が残っている。それはマスコミがほとんど報じないが、トライアスロンとゴルフの会場問題である。
トライアスロンは東京湾のお台場周辺で行われる事になっているが、東京湾への家庭排水の放出で、会場周辺はし尿の匂いが強く、水質も悪く、この問題への対応が出来ていない。
だから、当初行われる予定だったプレ五輪の大会は中止にせざるを得なかったのである。
東京都は海に二重の柵を設けて、家庭排水を会場に入れないようにして、何とか開催したいとしているが、上手く行く見通しが立っていない。
マラソンの移転で、選手の意向が云々という話が出たが、トライアスロン問題は、選手の健康問題を無視して強行しようとしている東京都の姿勢が目立つ。
もう1つ、ゴルフの問題は、会場が埼玉県川越市の霞が関カントリークラブだという事である。8月のこの地区は東京よりも遥かに蒸し暑く、ゴルフを行うのには全く適していない場所である。
そのゴルフ場で開催しようとしているのだ。
霞が関カントリークラブは名門のゴルフ場で、企業の社長や政治家などが多く会員になっている所で、電通が深く関与しているゴルフ場でもある。多くあるゴルフ場から、霞が関が選ばれた理由の1つにそれがあるとも言われている。
しかし、選手の立場からすれば、最悪の場所である。
知らない人も多いが、東京湾沿いに東京都が所有しているゴルフ場がある。海に面しているので夏でも海風で涼しく、霞が関よりも遥かに涼しくプレーができる。
なおかつ、霞が関を借りると、準備期間も含め多額の補償が発生するが、東京湾のコースだと、都の持物なので、こうした巨額の補償金も不要であり、当初の2倍以上に膨れ上がった五輪の開催費用を減らす事にもつながる一石二鳥のコースである。
マラソンの移転問題をきっかけに、トライアスロンやゴルフなどの会場問題を追及し、会場の変更などをするきっかけになる報道をするのがマスコミの役割だと思うが、今の日本のマスコミには、そうした役割を期待する方が無理なのだろう。
20191101
かつて大人気だったラグビーが衰退した理由、そして、プロ化の困難さ
ラグビーのワールドカップ大会で、日本がベスト8に勝ち残り、日本列島にラグビーフィーバーが起きた。そして、これをとらえて、日本ラグビー協会は日本ラグビーのプロ化を言い出した。
だが、筆者は、ラグビーのプロ化は簡単ではなく、多分むしろ、無理だろうと考える。
若い人は知らないと思うが、1950年代から80年代にかけて位までは、ラグビーは大人気で、正月の元旦に国立競技場で行われた試合には、5万人を越える観客が詰めかけたものである。
当時、サッカーはマイナースポーツで、ラグビー人気には及びもつかなかった。ラガーマンは学生の憧れで、明治の松尾雄二などは次から次へと浮名を流した事でも有名になった。
当時のラグビーは大学では明治、早稲田、慶応、そして、関西の同志社などが強く、学生は首都圏では、2つのリーグがあって、それぞれ総当たりの試合をした。
明治、早稲田、慶応は同じリーグで早明、早慶の試合には、多くの観客が詰めかけた。フォワードでの攻撃にこだわる明治と、バックスの展開で得点を狙う早稲田という違う特色のチームの対戦は見ごたえがあった。
そして、大東文化、法政、関東学院、日大などが所属する別のリーグも、総当たりをして、2つのリーグの上位チームが対戦をして、関東大学の優勝者を決めた。
関西は関西でリーグ戦があり、優勝チームが関東の大学の優勝チームと大学日本一を争った。そして、社会人チームの優勝者と大学チャンピオンが今度は日本一を争って決戦をしたのである。
この頂上決戦が正月の元旦と15日の成人の日に行われ、大観衆が入った会場は、晴れ着姿の女性も観戦して、色を添えたのである。
筆者は1950年代からラグビーを見て来て、ラグビー観戦歴はもう60年にはなる。
筆者が子供の頃、社会人では八幡製鉄(今の新日鉄住金)が強く、中でも宮井国夫という選手は恐ろしく足が速く、次々とトライを奪い、その脚力に憧れたものである。
当時の八幡製鉄の強さはかなりなもので、全日本代表ではなく、八幡製鉄だけの単独のチームメンバーで豪州、ニュージーランド遠征をして、現地の人からも一目置かれ、宮井は豪州のチームに移籍しないかと誘われた程である。
また、70年代、80年代になっても、明治大学から新日鉄釜石に行った松尾雄二、そして、同志社大学から神戸製鋼に行った平尾誠二のプレーには見ていて心が躍ったものである。
新日鉄釜石と神戸製鋼はラグビー日本一を7年連続で成し遂げ、その連勝の様子だけでなく、華麗な攻撃や堅い守備に感心したものである。
松尾の凄さはハーフ陣として、ボールを持つと、フォワードに渡して突進させるか、足の速いバックスに渡すかの選択だけでなく、自らボールを持ってトライを狙って走る事に加えて、相手の守備陣との距離があると思うと、ドロップゴールを狙って、3点を取る事も出来、4つの選択肢のどれになるかを楽しめたものである。
また、京都の伏見工業という当時、不良校とさえ言われていた高校に赴任した体育の教師が、部活のラグビーを通して、生徒を再生させた物語が「スクールウォーズ」というドラマにまでなり、話題になった。そして、その選手の中心にいたのが平尾である。
彼は仲間の大八木などとともに伏見工業から同志社大、そして、神戸製鋼に行って、大活躍をした。このドラマ性も人気を呼んだのだ。
これだけ大人気だったラグビーの人気が落ちて来た理由はいくつかある。
その1つは、松尾、平尾などのスター選手が引退するとともに、ファンを引き付けるものがなくなった事である。
2つは学校での体育での怪我が大きな問題になるようになり、運動会で騎馬戦さえ行われなくなるような風潮の中で、ラグビーをしようとする雰囲気が出にくくなった事である。
男の子は体を鍛えようという意識から、授業が終わったら、部活をするのではなく、塾に行こうという生徒が圧倒的に多くなる中、怪我が多く、身体の消耗が激しいラグビーはスポーツの中でも、より敬遠されるようになって来たのである。
そして、自分がしないまでも、見るスポーツとしてのラグビーからファンが離れる大きな原因になったのが、審判の判定のおかしさである。
それまでもラグビーの試合では、審判が特定のチームに有利に笛を吹くという話はあったが、一時期、これが目立ち、ファンを失う原因になった。
更に1980年代に、かつてはラグビーより遥かにマイナーだったサッカーが人気スポーツとなり、92年のJリーグの発足により、サッカー人気がどんどん上がって行き、それと反比例して、ラグビーが人気がなくなってしまったのである。
長らく低迷期が続いたラグビー界にとって、4年前の2015年のイギリスでのワールドカップで、日本代表が南アのチームを破った快挙は人気復活の大きなチャンスだった。
しかし、ラグビー協会はその機会を生かせず、盛り上がったラグビー人気は短期間でしぼんでしまった。
現在のラグビー協会は、大学とトップリーグに参加している企業の負担で成り立っている。強い大学や企業に対して、協会の発言力はなく、資金力もない状態である。
だから、4年前にブームが起きかけた時、ラグビー界が意見の統一ができず、豪州、ニュージーランド、南ア、アルゼンチンのチームが戦う南半球の大会への参加が認められた時、日本からのチームが全日本代表という形には出来ず、全日本代表と、南半球大会に参加するサンウルブスは別チームになり、ヘッドコーチも別の人という奇妙な形となったのである。
そして、ワールドカップで活躍した五郎丸など主力選手が単独で海外チームに所属する形となり、そうした選手がいるものと期待して来たファンを失望させたのである。
また、南半球の大会の日本での試合でも、チケットの販売はチームを持つ企業に依存したままで、協会主導とはならず、サンウルブスの日本での開幕戦は、チケットは形の上で完売していたものの、実態は企業の買い上げのためファンは会場には来ず、球場に空席が目立ち、それがテレビに映し出されるという醜態を演じてしまった。
もっと、言えば、この記念すべき開幕戦に、協会の責任者が誰も来ておらず、会場内はガラガラだが、球場の外でチケットを買えないで、出来れば見たいと思って会場まで来ていたファンを、臨機応変に会場に入れるという事が出来なかったという二重の失態を演じたのだ。
今回の予選リーグ戦の突破で、ベスト8になった事をきっかけにマスコミはラグビーを多く取り上げている。また、強く、面白い試合を直接見た、にわかファンが多く出たという事も協会には追い風である。
それを受けた協会の副会長になった清宮氏がラグビーのプロ化をぶち上げた。しかし、協会の実態は4年前と何も変わっておらず、お寒い状態のままである。
それはチームをベスト8に導いたジョセフ・ヘッドコーチにコーチを今後も引き受けてもらうかどうかで、協会の意見が分かれ、直ぐには続投要請ができなかった事でも明らかである。
協会関係者の意見が一致しなかった理由は3つある。
1つは金である。現在の彼の年俸は4000万円であるが、ベスト8に導いた事で、年俸は倍になり、結局、続投要請で協会が提示した年俸は1億円となった。協会の事務局はこの費用の捻出を懸念したのである。
もう1つは選手からの指導者への評価の2つの意見があった事である。1つはベスト8に導いた良い指導者。もう1つは実際の功労者はヘッドコーチではなく、その下にいる2人のコーチであり、その2人がコーチを辞める事が決まっている中、ジョセフ氏が今後、どこまで力を発揮できるかという疑問である。
3つ目は、世界のラグビー界の指導者数人が、日本の企業対抗のトップリーグのチームの監督になっていて、ヘッドコーチの候補者は他にもいたからである。
最終的には、資金の目途もついて、続投要請となったが、日本のラグビーチームがベスト8から更に上を目指せるかと言えば、大いに疑問である。
これまでの選手は企業丸抱えの常態で、主力選手はその企業の資金と一部スポンサー企業からの支援で、年収4、5千万円を得ていたが、多くの選手は所属企業の会社員扱いで、普通のサラリーマンの年収と変わらない収入しか得ていない。
強国相手の国際試合に出ても、出場手当が1日2、3千円だったというような話まで、既に週刊誌などで書かれ始めている。
つまり、選手の自己犠牲の上に今日の日本の成績があるのである。
今、プロスポーツの選手になると、少し活躍すれば、多額の報酬が手に入るようになった。
テニスの錦織選手の年収は数十億と言われるし、野球選手なら、12球団の主力選手は誰も数億円の年収を得ている。
サッカーでも、世界のトップになれば、3桁の億の年収となる。そこまで行かなくても、日本人選手でも、海外で活躍すれば、年収は数億円となる。
これに対して、ラグビーは世界ナンバーワンの年俸と言われる外国の名選手で、1億5千万円程度と、ピラミッドの頂点はかなり低いのだ。
その理由の最大のものはチームは1週間に1回しか試合ができず、しかも、体のオーバーホールがあるので、半年位は体を手入れする期間としないと、体がもたないという事である。
1週間に5試合も6試合も出来る野球などに比べれば、興行で入る収入がそう多くないという構造的な問題を抱えているのである。興行収入が少なければ、選手にもそんなに多くの金は払えないのは当然である。
スポーツの選手で一流になれる人は、他のスポーツでも、それなりの成績が残す事が出来る。
こうした中、怪我が多く、年収が低いラグビーをプロの選手として目指す人間が今後、多く出て来る事はそう期待はできないのではないか。筆者はそう考える。
今回の準々決勝の南ア戦で、いくら努力しても、体で優っているチームが優れたコーチの下、明確な作戦で来た場合、体で劣る日本は、なすすべがない事が示された。
日本人と欧米の人の間の体力差はいかんともしがたいのである。
報道によると、日本チームは今後、豪州、ニュージーランド、南ア、アルゼンチン、フィジーとの間で6か国対抗戦を行うという話である。しかし、筆者はこれには疑問を感じる。
南のチームは体力で日本人よりも優れている上、体をぶつけてくる戦い方をするチームが多い。こうしたチーム相手にしては、日本人選手は体力を消耗し、怪我を多発する危険性が高い。
そして、サンウルブズの試合がそうであったように、毎回、大敗して、日本が負ける試合が続くようであれば、ファンは逃げて行くのである。
では、ここまで盛り上がったラグビー熱を失われないようにするにはどうしたら良いか。
筆者はアイデアは2つあると考える。
まずは、15人制のラグビーについては、南半球の国別対抗や、南半球のチーム別の大会であるスーパーリーグに参加するのではなく、イギリスを中心に欧州で行われている6ネイションズ(イングランド、ウエールズ、アイルランド、スコットランド、フランス、イタリア)の大会に参加させてもらう方が日本のためになると考える。
6ネイションズだと、実力的に見て、日本は頑張れば、中位程に位置し、時には優勝争いも出来る可能性がある。でも、スーパーリーグや南半球の国別対抗だと、常時、最下位争いの可能性が大であり、何十年経っても、優勝はまずあり得ない。
どちらの方がファンが集まるかと言えば、誰が見ても明らかである。
もう1つは7人制のラグビーにもっと力を入れる事である。
ラグビーが盛んな豪州やニュージーランドでは、15人制とともに、13人制や7人制のラグビーも盛んで、変わらない位の客を集めている。
そして、7人制は15人制に比べて、身体接触が少なく、従って怪我も少なく、知恵と技巧で日本が活躍できるスポーツで、かつ、7人制はオリンピック種目でもある。
そして、意外と話題にならなかったが、リオのオリンピックでは、日本は4位になっている強国なのである。
7人制は試合時間がハーフ10分などと短く、体力の消耗が激しくないので1日に何試合も出来る。人数が少ないから、少子化の日本に向いている。
日本にとって、好条件が揃っているのである。
7人制が強くなると、15人制もまた、平行して人気が出て来るだろう。副次的な効果という意味でも、7人制は面白い存在である。
欠陥だらけの公選法を絶対視する異常さ…高笑いする官僚
2人の大臣が辞任した。理由は公選法に違反した疑いが濃厚という事である。
1人は後援会の幹部が亡くなり、秘書が香典5万円を届けた事が公選法に違反するというのだ。
もう1人は、妻でやはり国会議員の選挙で、支持を訴える車のウグイス嬢に公選法で定められた上限の1万5千円を越えて、3万円を支払ったという疑いである。
公選法によると、選挙民への香典は本人が持参すれば、法律に違反しないが、秘書や家族が持って行くと、公選法違反となるという。
地方選出の国会議員は、なかなか地元に帰れない。だから、慶弔があった時に、秘書や妻などが代理で出席はよくある事である。でも、公選法では本人以外が持っていくと、買収にあたり違反だというのだ。
日本人の普通の常識で、色々世話になった人が亡くなった時に、葬式に行くのは当然の事であり、その時に、包む香典も5万円は常識の範囲内である。そして、本人が行けない時、妻や代理人が行く、これも常識である。
50万円、百万円持って行ったというなら、買収とかという議論になってもおかしくないが、5万円の香典がどうして、選挙違反で買収にあたるのか理解に苦しむ規則である。
何年か前に、ある女性大臣が公選法に違反したとして、大臣を辞任した。
内容は、選挙民に団扇を配ったのが買収にあたるというのだ。買収というが、団扇は1つ百円もしない。それでも、配ると買収になると公選法は言うのだ。
この団扇騒動には余談があって、この大臣の辞任騒動から、今は立憲民主党で幹事長を務める蓮舫議員が、同じように地元選挙民に、同じように大量の団扇を配っていた事が明るみに出た。
だが、こちらは公選法に違反しないという事で、大きな騒ぎにならなかった。
辞任した自民党の大臣と蓮舫の団扇の違いは何かというと、自民党の大臣の団扇には柄が付いていたが、蓮舫議員の団扇には柄がなく、手で持つ所に丸い穴が空いていたというだけの差である。
これで、片方は公選法違反で買収にあたり、もう一方は買収にはあたらず、違反ではないというのだ。国民感覚から遠く離れた、笑い話にもならない法律解釈である。
記者を長くしていたので、何人もの議員と付き合い、彼らの本音の話を多く聞く機会があった。この時に、彼らがよく言っていた話の1つが、公選法など選挙に関連する法律、規則の異常さである。
議員は年賀状を出す事が出来ない。公選法で選挙活動とみなされるからだ。
ある親しかった国会議員は「いつも多くの友人、知人から年賀状をもらうが、返事が書けないのが心苦しい。でも、出すと公選法違反なので、出せない」と話していた。
筆者の知人の記者が関西のある市の市長に当選した。すると、この知人は12月に市長になると年賀状を出せないので、年末にそれを断るハガキを送って来た。
今ではネットでのメールで元旦の挨拶を済ませる人も増えたが、賀状は日本人にとって長年の習慣で、議員だから、賀状を出してはいけないというのは本当に庶民感覚からずれまくっている。馬鹿げた規則である。
最近の話で、自民党の和田政宗議員が参議院選挙の公示前に、ある大企業の会合に呼ばれて話をした。
その時に、「参議院の比例区は党名を書くと、議員の得票にならないので、私を支援してくださる時は、個人名を書いてください」と挨拶した。
これを週刊文春が公選法違反だと取り上げた。公示前の選挙活動にあたるというのだ。
幸い、この話は、異常な公選法に照らしても、スレスレの話なので、大きな問題にならなかったが、おかしな公選法に照らして違反を言い出したら、議員は何も出来なくなってしまう。
おかしいのは議員の方でなく、公選法なのに、「公選法はおかしい」という話にならずに、些細な異常な公選法に対する違反だけをマスコミや野党議員は大騒ぎするのである。
本来、法律は国会が作るものである。少なくても、戦後の日本の法律や政治を作る際に考えた憲法ルールはそうである。
だが、現実には、法律は役人、官僚が作っている。
だから、柄がついた団扇が違法で、柄がない団扇は合法というような信じられないような解釈が出て来るのである。
誰が解釈をするかと言えば、東大出の官僚である。本来法律を作るはずの国会ではないのだ。
日本は世界でも有数の法律で細かく色々な事を決め過ぎる国家である。
多くの国では、法律は大枠だけを作り、その大枠に違反しない限り、議員も国民も自由に活動できるという事になっている。だが、日本は異常に法律や規則、それに役所の政省令、通達で国民や企業を縛っている。
その縛りが役人の大きな権益となり、少しでも違反すると、国民、議員、企業に罰則が適用されるのである。
公選法はその代表例で、細かく規定し過ぎている。だから、少し何かあると、公選法違反になる。そして、違反事例が出ると大騒ぎになり、その度に、法律の改正が官僚の手で進められ、また、細かく議員を縛る事になるのである。
でも、今回の2人の大臣の辞任騒動でのマスコミの論調は、「議員は公選法を守れ」である。公選法がいかに一般国民の常識から離れているかという話は全くない。
そして、野党はこの2大臣の辞任と、文科大臣と防衛大臣の失言問題が解決しない内は、国会の審議に応じないという姿勢である。
この失言にしても、笑って済ませる範囲の話である。それを大臣に陳謝させその上で、首相の任命責任を追及するという発想自体が異常である。
「身の丈」という言葉は差別でも、貧しい人を貶める者でも何でもない。学力、家の資力などは学生自身が一番わかっているし、個人で差がある事も事実である。「身の丈」で行動するというのは当然の事で何が悪いのか理解に苦しむ。
「雨男」という話は仲間内では良くいう話だ。ゴルフのコンペなどで、その人が参加すると、雨になるという人が結構いる。そうした時、雨男が自分で「済みません。私が参加すると雨になるので」と言うのは、世間どこでもある事だ。
多分、河野大臣は自分で雨男を自認していたので、自衛官相手にそう言い、「自分が大臣になって、皆さんの仕事が増えてしまったように済まない。皆さんが力を発揮できるように、援助しますから」という趣旨を言った事自体に何か問題なのか。
米中の貿易戦争や、中国公船の尖閣列島への領海侵犯の常態化、韓国問題、イギリスのEU離脱とともに、世界経済が大きく揺れるという時に、小さな問題どうでもよい事を大きく叫んで、国会の審議もしないという野党をマスコミは批判しないのだ。そちらの方が余程異常だ。
筆者はずっと言い続けているが、日本は国民主権の民主主義国家ではない。官僚独裁国家で、重要な事を官僚が決め、国民が選んだ国会議員や政府よりも官僚が上位にいて、彼らが国を牛耳っているのである。
だから、首相が反対する消費税の増税が止まらずに、実施されたのである。財務省は予算の配分権と、国税という逮捕権限を持つ組織を配下に持つ。だから、政治家はこのアメとムチで、反抗できないようになっている。
そして、この官僚中心社会は財務省だけでなく、他の中央官庁にまで及んでいる。畜産動物の病気対策などが叫ばれていた中、何十年も獣医学部の新設が出来なかったのは、独占権益を守りたい獣医師会と文科省が結託して、大学の新設を拒んでいたからである。
そして、これに風穴を開けようした安倍政権は、文科省の誘導の下、新設大学に利益誘導をしたとして、マスコミに袋田叩きにあったのである。
官僚は自分が前に出ないで、裏であれこれ工作をする。そして、その時に使うのがマスコミである。「特ダネ」だというように耳打ちされ、大きな原稿を書いたら、それはそのまま官僚のために利用される事だったという話は、筆者自身の体験だけでなく、多くの周囲の記者の動向からも、多く目撃している。
戦後の復興に中央省庁の高級官僚が大きな役割を果たしたのは事実である。
しかし、当時の官僚は、国を復興するという強い意識があったし、何よりも自分や自分の省庁よりも、国と国民を最優先に考え、日本の立て直しに全力を挙げた。
だが、日本が復興し、欧米に追いつくと、目標を失った官僚は、自分の出世と自分の省庁の利権最優先になり、その上、世界の動き、大きな流れの変化などを理解しないで、上司の顔色だけを見て、行動する官僚は時代の変化についていけなくなった。
日本は過去30年間、世界の国の中で、最劣等生だったのだ。その理由は官僚独裁国家日本の官僚が劣化し間違った政策を続けて来たので、どんどん転落しているのである。
官僚が劣化し、国や国民を優先せず、自分の出世や自分の省庁の事だけを考えている良い例が最近あった。
今回の台風による大きな被害が出た事で、過去20年間、怠って来た防災対策をしないといけないという声が大きくなるのは必定である。
だが、それを見越して、財務省は新聞記者に原稿を書かせた。
1つは日経新聞が書いた1面の記事である。
それは「今回の災害で、強い堤防などを作れという声が大きくなると思うが、財政難、少子高齢化社会、そして、異常気象などで、防災対策は果たしてどれだけの効果が挙がるのか疑問である。これからの時代は国民1人1人が災害時にどうするか、どうしたら自分を守れるかを考え、行動する時代になったのだ」というような記事である。
台風の被害で百人以上の人が死んでいる中で、こうした記事がどうして出て来たか。
災害対策に多額の金が出ていく事を憂慮した財務省官僚の話を聞き、それに忖度した日経の編集委員が、こんな反国民的な原稿を平気で書いたのである。
2つ目は産経が同じように、嵐が収まっていない時に、「消費税は今後、1度の何%も上げるのではなく、毎年1%づつというように少しづつ段階的に上げて行くという考えが政府内に浮上している」と書いた。
長年の記者経験から言えば、この産経新聞の記事は財務官僚が「災害対策で多くの金が必要なら、今後十年は上げないと安倍首相が言った事は出来ず、消費税を上げるしかない」と安倍政権に声高に宣言したとも言える内容である。
こういう事を書くと、「それは推測でしょう」「財務省の意向ではなく、記者の取材の結果だ」という反論が出て来そうだが、役人はプロ、記者はアマチュア、それが今の日本の現実である。
公選法の話の戻せば、簡単で、「投票を依頼して、金品十万円以上渡したら、買収にあたる」と決めれば良いだけである。
公選法では選挙活動でのネットの使用も細かく規定している。これも、縛りをなくして自由にしたらよいだけの事である。
ルールを細かくするから、違反が出て来るのである。
20191026
20年間、防災対策を怠った災害大国・日本の悲劇
東日本に大きな水害をもたらした台風19号に続いて、今、日本を襲いつつある台風20号などで、千葉県などで大きな被害が出ているし、今後、東北地方にも、更に被害が出る事が予想される。
マスコミの報道を見ていると、溢れている水や、水の被害に遭った住民の家の惨状、そして、避難所の様子などを中心に伝えている。
その一方で、何故、これだけの河川で氾濫が起き、大きな被害が出たか、そして、今後、そうした事が再度、起きないようにするにはどうしたら良いかという視点が極めて乏しい。
そんな中、東京多摩川の堤防で決壊したのは、住民の反対で堤防の建設が進まなかったの事が原因だと、週刊誌が報道し、話題になっている。
そして、ネットでは、民主党政権時代に、マスコミが喝采した茶番劇だった事業仕分けで、蓮舫議員が「百年に1回起きるかどうかわからない水害のために、巨額の費用を使って堤防を作るのはおかしい」と発言して、多摩川の堤防建設を止める大きな原因になったとして、当時の発言がVTRがアップされ、「やはり、民主党が犯人だったのか」と、再認識させている。
何回か書いたように、東京で育った筆者は、子供の頃、台風による水害で、東京の街が水浸しになり、家の屋根に避難して助けを求めている人々を消防署員がボートで救助している様子などを何回となく見ている。
こうした繰り返される水害対策として、日本政府は1960年代から防災対策の予算を増やして、治山、治水対策に取り組んで、堤防などが強化し、筆者が社会人になる頃には、日本で台風による大きな水害はほとんど起きなくなった。
これを数字で見ると一目瞭然で、1950年代には年間6兆円位だった公共事業費が60年代には7、8兆円になり、ピークの1998年度(平成十年度)には、補正予算も含めて、年間14.9兆円を記録した。
それがそれ以降、この20年間、どんどん減って行って、去年2018年度には、戦後の貧しい時代の1950年代の6兆円に戻ってしまった。そして、この20年間の削られ続けた公共事業費の少なさが、ここ数年の大きな水害の原因になっていると言っても過言ではないのである。
公共事業費はもう30年位前から、「もう公共事業は建設し終わっているので同じ額を使い続けるのは土建利権で、箱物行政は止めるべき」という声が大きくなり、旧社会党と共産党が個々の堤防やダム、橋、道路などについて、「この事業は無駄だ」と1つ1つを指摘して、ブレーキをかけ出し、マスコミもこれを支援する報道を続けた。
こうした流れを受けて、小泉政権は公共事業費を大きく削り出し、民主党政権になると、「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズにして、土地の買収が終わっている八ッ場ダムの公示を中止すると言い出し、大騒ぎになるなどして、公共事業費がどんどん削られて行ったのである。
筆者は公共事業費の大幅削減の裏に今の財務省、旧大蔵省の存在が大きいと考える。膨れ上がる公共事業費を減らそうとして、共産党や社会党だけでなく、マスコミ、自民党にまで、公共事業の無駄を説明して、削減の声を大きくして公共事業費を半分以下に抑え込んだのである。
この財務省PR作戦が利いたのか、いくつものテレビがほとんど車の走らない地方の道路の様子を撮影した映像を流して、「猪や猿しか通らない道路に巨額の工事費を使う無駄遣いをしている」と、何回も放送した。
そして、その過程で、車に乗る人がガソリンを使う時に支払っているガソリン税が道路建設のために使う道路特別財源だったのを、2009年度に特別財源を止めて一般財源化し、年間十兆円に上っていた道路関係工事費を大きく減らせる事に成功している。
こうした公共事業費の大幅削減は何をもたらしたかと言えば、まずは、地方の土建業者の減少をもたらし、いざ、災害が起きた時に、直ぐに対応できる業者がいないという状態になったのである。
台風19号の被害などで、大きな被害が出た地方で復旧事業がなかなか進まない理由の1つに土建業者の減少があると言われている。
財務省が日本を駄目にしたという話は山ほどあるが、暗記優等生の東大卒の財務省官僚には、何十年単位で国の将来を考えるという発想は全くなくなってしまい、目先の利害、自分の出世だけに目が行っているのである。
では、公共事業費を減らした財務省や日本政府だけが悪いのかと言えば、そうではない。こうした事態になった最大の原因は、多くの日本人から「防災」の意識がほとんどなってしまった事にあると筆者は考える。
その典型的な例が多摩川の堤防の工事に反対した周辺住民の存在である。
多摩川は1970年代に決壊して、沿岸の家が何軒も流されるという被害が出て、堤防を強化しようという事になったのに、「堤防の桜や松の美観を壊す」というバカな論理で、周辺住民が反対した事で堤防工事が終わず、それが今回の堤防決壊につながったのである。
多摩川の沿線住民だけではない。台風19号で神奈川の武蔵小杉のタワーマンションが浸水したという話が出たが、専門家の間では「武蔵小杉は買ってはいけない地域」というのが定説だった。
多くの人が本や雑誌、ネットでそれを訴えていた。にもかかわらず、その地域で、しかも、これも専門家が絶対買ってはいけないと言っているタワーマンションを買って被害に遭ったのだから、酷い言い方かもしれないが、被害に遭った人は自業自得なのである。
タワーマンションを買ってはいけない理由は2つ。1つは高過ぎて、普通、マンションで行う十年に1回の大規模修繕が行えない事。もう1つは災害が起きて、電気が止まった時、何十階からの上り下りはできなくなるだけでなく、電気、ガス、水道が止まったら、住む事も出来なくなるからである。
筆者は東北大震災の時、賃貸だが、東京の42階のマンションに住んでいたので、高層階の部屋で電気などが止まった時はいかに大変かを体験している。
簡単な論理である。
都心から近く交通の便も悪くないのに、開発が進まなかった地区というのは、それなりの理由があるのである。それを開発した不動産業者の宣伝文句に乗って買った人は、同情の余地はないと言えるのである。
今回の東京や千葉、福島などの被害だけではない。
東北大震災では、明治と昭和初期の地震による津波被害の教訓で、土地の古老達が、「これより海寄りには家を建ててはいけない」という石碑をいくつも作っていた。そして、この忠告を無視して、石碑よりも海寄りに家を建てて住んだ人の多くが死んだのである。
もっと言えば、巨大な防潮堤を作った事に過信して、宮城県など大きな被害に遭った地区の住民の9割が、津波警報が出たにもかかわらず、避難しようとしなかったのである。
岡山、広島の水害、崖崩れも、過去の何回も被害に遭った地区で、国土交通省のハザードマップで、危険地域と真っ赤に塗られた場所だったのである。それにもかかわらず、多くの人がそこに家を建てて住み、被害にあったのである。
台風19号で千曲川が氾濫した様子が空撮で新聞に掲載されたが、これだけ大きな河川の両側に、川よりも低い場所に多くの住宅を建てる事自体、ナンセンスなのに、びっしりと家が建っていて、それが水浸しになっている様子が写っていた。
筆者は空撮の写真を見て、こんな住宅建設を進め、治水対策を疎かにして来た、国、地方自治体、そして、住民のセンスを疑った。
でも、これは長野県だけの話ではない。東京でも川よりも低い地域に多くの住民が住んでいて、その対策が何十年も前から言われているが、一向に進まない。
不動産所有権があるからという事だが、そろそろ、こうした地域については、新規の家やマンションの建設は認めないというような法律を作る時期に来ているのではないか。
日本人は古来から、台風の通り道である上、地震大国で、世界の巨大地震の6割以上は日本で起きている上、活火山も多い日本に住む事で、自然の力を恐れ、それとどう共存して行くかと工夫をして来た。
そして、巨大な費用を使って、例えば、元々東京湾に流れ込んでいた利根川を銚子の方に変え、しばしば氾濫をする川の治水対策を行って来た。東京の神田川はかつて、頻繁に氾濫する川だった。それを神田山を切り崩して両岸が高くして、洪水が起きない川にしたのである。
この2つの大事業はいずれも江戸時代に行われた。江戸時代に出来た事がどうして、近代の今の日本で出来ないか、不思議でならない。
財務省が言う財政難といのは嘘だという事は、MMTの理論の登場などで明確になった。今こそ、年間20兆円を5年間、合計百兆円の金をかけて、国の防災対策を徹底的に行うという時期に来ているように思う。
公共事業のいわゆる箱物は50年位すると、劣化すると言われている。更新は必要なのだ。
台風19号の気象庁の警告の出し方と、マスコミの報道の仕方のひどさは前に書いたが、災害情報の伝達の仕方も再整備が不可欠である。
まず、気象庁は気象についての事実だけを報道する事だけに徹すべきである。間違っても、台風19号の時のように、十の都県に「命を大事にする行動をとれ」などという間違った警告を出してはいけない。
言われても、どうしようもない警告を言われる人間の立場に立つという感覚を持てない人間は役人になってはいけない。
災害の多さや、災害の大きさをPRする事で、予算を増やそうとする意地汚い根性を気象庁は早く捨てるべきである。
避難情報の発信は地方自治体の役割であって、気象庁の役割ではない。
台風19号の時に、気象庁と地方自治体の警報の出し方が異なっていて混乱が一部の地区であったようだが、具体的な避難の指示や勧告はあくまでも、地方の実情をよく知っている地方自治体の仕事である。
地方自治体はホームページに防災欄を作り、台風や津波、地震などの災害の際に、各地区毎の情報を逐次掲載して、住民に指示と勧告をするとともに、放送などでも、住民誘導を行うべきである。
そして、マスコミの存在だが、台風19号では、マスコミ、特にテレビは気象庁の尻馬に乗って、日本人を不必要に煽りまくった。
東京のスーパーでは、気象庁とマスコミの煽りのせいで、売り場からパンや総菜を売り切れになった。煽りは良い結果は生まないのである。
1つの県をエリアにしている地方のテレビ局ならともかく、関東全域を放送エリアとしているキー局という東京のテレビ局が、住民避難の情報を流す事自体無理があるのである。
それを実行したからこそ、「東京、千葉、神奈川の都県民は、命を大事にする行動をとってください」などというバカだけ報道になったのである。
災害にあたっての、気象庁と地方自治体の役割、そして、マスコミは何が出来て、何は出来ないかをきちんと考え、不必要な事はしないという反省をきちんとしないと、今後も同じ誤ちをする事は必定である。
20191012
台風19号…不安を煽るだけの気象庁とマスコミ
下の書き込みは9月12日の夜8時過ぎにした。一夜明けて、13日の朝になって、台風は首都圏を行き過ぎたが、結果は筆者が思っていた通りになったし、筆者の意見は変わらない。
大型の台風19号が関東を直撃しているが、気象庁は「過去最大級の台風」とした上で、東京、神奈川、埼玉など首都圏、関東などの11の都県に「大雨特別警報」を発令した。
「特別警報」とは、「土砂崩れや浸水による何らかの災害が既に発生している可能性が極めて高く、直ちに命を守るために、最善を尽くす必要がある警戒レベル5」で、避難指示などよりも上で、5段階の最も上位で、国民、住民に、「自ら命を守る行動をしろ」と呼び掛けるものである。
更に気象庁は「何十年の一度の規模の台風で、河川の決壊などで、何千人が犠牲になる可能性もある」というような話さえしている。
しかし、筆者はこの気象庁の発表や、これを伝えるテレビなどのマスコミ報道を見ていて、非常に奇異に感じた。
東京を含む首都圏には日本全体の3分の1近い3千万人以上が住んでいる。気象庁の言っている事をそのまま受け取ると、日本人の3分の1以上の人に、「大変危険だから、直ちに、自分の命を守る行動をしてください」と言っているのだ。
こんなバカな話はあるだろうか。ナンセンスそのものである。
何百、何千万人の人にどこに避難しろ、どう自分で自分を守れというのだ。
そもそも、普通の国民に「とても危険ですので、命を守る行動をしてください」と言って、「はいわかりました」と国民が言って、避難などの行動が出来る訳ないではないか。
わかりやすく言えば、「日本にミサイルが飛んで来ますので、国民の皆さんは命を守る行動をしてください」と言われるのと同じで、そう言われて、どうしたら良いか、思いつく日本人がいると考えるのだろうか。
原点の話として、台風19号が「過去最大級の台風」だという事自体おかしい。台風19号の中心気圧は910ヘクトパスカル程だが、1960年代から80年代にかけて、日本には900を切って、800台の超大型台風が十個以上襲来している。
今回の台風19号は「過去最大級の台風」という事はそもそも嘘なのだ。役所が良く使う常套手段、「最大」では嘘になるので、「最大級」と級を入れる事で、嘘だという追及を逃れるのだ。
ここ1年程の気象庁の台風に関する予報や、注意の呼びかけは、どんどん大袈裟になって来ている。「過去最高」とか、「観測史上初」というような国民を脅かし、煽るような表現が多用されている。
ここ十年程の間に、気象観測の地点が大きく増えている。当然、かつて観測していなかった地区で、観測データが取れるようになった。でも、それは十年位、長くて20年程度のデータであり、ちょっと、大雨などが降れば、「観測史上最大」となるのだ。
気象データなどは百年単位、少なくても戦後どうであるかという位のスパンで見ないと、大袈裟な話で、住民に不安を煽るだけの事になってしまう。
注意を呼び掛ける事と、不安を煽る事は別問題である。
官庁を長年、取材して来た筆者の体験から言えば、役所が「大変だ」という時は、「大変」という事で、これまで以上の予算を獲得する事が狙いである事がほとんどで、ここ1,2年の気象庁の発表の仕方、「大変だ」とか、「観測史上初」という言葉は、正にそれを狙ったと思えるパターンである。
筆者は東京で育っているので、台風の大きな被害を何回も体験している。
筆者が子供の時は、台風で東京のかなりの地域が水浸しとなり、消防署が家の屋根に避難している住民をボートで救出などいう光景は珍しくなかったし、東京の下町では、家の天井の船を吊っている家さえあった程である。
葛飾、隅田、江東、荒川などは「ゼロメートル地帯」、つまり、海や川よりも土地の高さが低いという有難くない呼び名さえもらっていた。そして、これらの地域では、台風による広範な水浸しは数年に1回起きていた。
だが、その後、政府は水害対策の力を入れ、堤防を整備するなどした事などから、筆者が大学生以降になると、子供の頃に体験したような、東京のかなり広範囲の地域が水浸しになるというような事はなくなった。
勿論、部分的な災害はその後も起きた。
例えば、多摩川が台風で増水して、川沿いに建てられた家が何軒も押し倒されるというような事はあった。
しかし、それは東京の広範囲な地域の問題ではなく、大きな川沿いの地域などに限定された話であり、大半の東京都民には関係のない話だったのである。
全国でここ数年の話でも、岡山、広島などで起きた土砂崩れや水害により家屋が被害に遭った地区は、元々水害が多くあった地区とか、崖を削って住宅開発をしたような地域である。
また、かつてのゼロメートル地帯では、大型なの台風が来ると、今でも、下水の排水が間に合わず、主要道路が冠水する事が数年に1回は起きている。
でも、住民は慣れたもので、商店は土嚢を置くなどして、普通通り商売をしている。誰も大騒ぎはしない。
いずれにしても、川が氾濫したり、土砂崩れが起きて家が崩壊した地区は国土交通省が発表しているハザードマップに危険地域として、記載されている所であったり、川沿い、崖沿いの地区などがほとんどで、そうではない地区で、大きな被害が発生した所はほとんどない。
精々、突風や竜巻で家が壊れたというのが数件ある程度である。
今回の台風で、東京都はレベル5の「命を守る行動をとってください」という地域指定をされた。加えて、筆者の住んでいる東京郊外の市も、市としてもレベル5の指定を受けた。
だが、筆者は少しも心配などしなかった。何故なら、筆者の住む場所は高台で、岩盤が堅く、近くに川や海、崖もないからである。だが、筆者の妻の携帯は緊急避難などを呼び掛けるメールが頻繁に着信し続けていた。
全くナンセンスである。
気象庁のあるべき発表の仕方は、「まずは自分が住んでいる地区の災害危険度をハザードマップなどで確認ください。そして、このマップに記載されている地区にお住いの方は、地元の地方自治体の勧告に従って、避難などしてください」であるべきである。
そして、「川沿い、海沿い、崖下にお住みの方、過去に水害や土砂崩れがあった地区の方は、避難に備えて、自治体の誘導に従ってください」と呼び掛けるべきである。
気象庁が国民を煽り続ける中、テレビなどのマスコミもそれと同じトーンで国民を煽り続けている。映像で増水した川などを見せ、いかにも直ぐにでも大きな河川の堤防が決壊しそうな感じでリポートしている。
現に東京の多摩川が増水して、川の水が堤防を少し超えて、川沿いの道路が冠水したりしたが、広い地域が水につかって大変という事にはならなかった。
テレビは気象庁が発表する内容を報道しないといけないという義務を負っている。だから、気象庁の発表を報道するのは仕方がない。
しかし、テレビはそれを更に誇張するかのように、増水している川の映像を見せたり、竜巻で壊れた家の映像を何回も流す事で、気象庁の発表を更に増幅して国民に伝えている。
本来のマスコミの使命は、不安を煽るのではなく、もっと国民に冷静さを呼び掛ける態度があるべきはずだが、そうした発想は全くない。
筆者は仕事の関係で、1年前までの2、3年間、東京葛飾区に住んだ事がある。葛飾区は江戸川、荒川、中川と区内に大きな3本の川が流れていて、ハザードマップでは区内全域が真っ赤に塗られた地域である。
そして、その川の土手沿いの道路を歩くと、川底よりも低い所に多くの家やマンションが建っている。川が氾濫したら、かなり広範囲に水浸しになる所でもある。
過去にそうした経験があるので、住民もしたたかで、街を歩くと、3階建ての戸建てで、1階は駐車場にして、住まいは2階、3階としている家も何軒か見る事ができる。
しかし、この川沿いの堤防よりも低い地区に新築のマンションが建つのである。それも大手の業者の施工によるものである。
子供の頃から、ゼロメートル地帯で、街の広範囲が水浸しになった光景を何回も見て来た筆者からすると、こんなマンション、誰が買うのかと思うが、数か月もすると、完売しているのだ。
それも、川が氾濫したらひとたまりもない1階でさえ、売れているのだ。防災意識がない人が多いなあと感じる。
もっと言えば、行政が、そうした地域に新築の家やマンションを建てる時、規制をかけるべきだと思うが、それもしていない。
先の広島、岡山の水害、土砂崩れの場所も、新たに家を建てるという申請が出たら、行政が規制をしておかしくない地区である。でも、そうした事を行政はしない。
台風の時に、気象庁が大袈裟に煽る事よりも、ゼロメートル地域をなくしていく努力や、崖沿いに家は建てないという指導をしていける法律を作るべきなのに、日本の政治はそういう方向には行かないのだ。
最後に交通機関の一斉運休について触れるが、筆者は本当におかしいと思う。
大型の台風が来そうだからとして、飛行機が止まるのはわかるし、列車でも特急列車が運行中止になるのは理解できる。
しかし、普通の電車まで止める必要はあるのだろうか。
今の時代は、何かありそうだと、監督官庁の国土交通省が電鉄会社に一斉運休を指導する。そして、指導された電鉄会社も、役所に逆らうと嫌がらせをされるので、そのまま従うようになっている。
でも、この態度は国民の安全や利便を思っての事ではない。役人は自分の監督権のある事で、問題があると、マスコミに叩かれるのが嫌なので、自分に批判が及ばないように、過剰に業者を指導しているに過ぎない。
そして、指導された業者も、役所に逆らうと後が怖いし、役所の指示で運休なら、文句も言われないとばかりに、安易にそれに従っているだけなのだ。
でも、電鉄会社の本来の仕事は電車を動かして、利用者の便を図る事であるはずである。それなら、3本に1本の運転というように間引いていも良いし、全区間でなく部分でも良いから、運転をすべきではないか。
世の中には、どうしても移動しないといけない人も存在する。そうした人は時間がかかっても、長く待ってでも、3本に1本の電車に乗るのである。
そうしたニーズに応えるのが運送業者の仕事であると筆者は考える。
勿論、途中で止まったり、遅れたりするのは覚悟の上という了解を取っての上での運行だが。
最近の日本は企業でも役所でも、マニュアル通りに行動する事が増え、自分の頭で考え、顧客にどう対応しようかという態度が本当に少なくなった。
20190916
テレビは見たくない顔のオンパレード
筆者は、最近ではテレビの地上波はほとんど見なくなった。
毎日、結構の時間、パソコンで作業をしているので、疲れた時や作業の合間に、ネットの色々な解説トークを見ると、情報量でも分析力においても、地上波のそれが、あまりにもお粗末に見えて来る。
地上波で頻繁に出て来る評論家や学者、記者にはもっともっと勉強してと言いたくなる位、ネット情報と地上波情報には大きな差がある。
勿論、ネット上にもいい加減な情報も上がっているが、内容を聞けば、本物か偽物かわかるし、何よりも、多くの選択肢があるのが良い。地上波のようにテレビ局や番組のプロデューサーの考えを押し付けられなくて済む。
ドラマやバラエティーも、CS放送の外国の番組を見ると、構成がしっかりしたものが少なくなく、視聴者を引き込む力を持っている。これに対して、日本のドラマなどは構成も粗いし、金をかけずに安手に作られている。
日本の地上波のドラマやバラエティーなどは、1,2の必要で見るものを除いて、今では見る事はほとんどなくなった。
それでも、朝、昼、晩の食事時には、当方の家の食卓にはパソコンがないので、食事の箸休めには、ニュースを中心に報道系の地上波の番組を見る事になる。そして、番組の合間にCMや、ドラマなどの予告が入ったりするので、地上波の状況を垣間見るようになる。
そうした時に、この顔、見たくないと思える人が結構、登場する。
好き嫌いは個人の好みなので、筆者が見たくないと思っても、見たいという人もいると思うので、「こんな人間使うな」と、テレビ局に文句を言う積りはないが、そうした人間が画面に映ると、チャンネルと変えるか、テレビを消してしまう。
筆者だけでなく、筆者の70歳を越える妻も、かつては、これと言って見なくない番組がなくても、テレビはつけっ放しにしていたが、今では、見たい番組がないと、テレビを消して、本や雑誌を読むか、家事をしたりしている。
そして、時折、テレビをつけても、彼女が見たくない人の顔がテレビに映ると、チャンネルを変えるか、テレビを消している。
そんな時、「好きな人を出せとは言わないが、最近は、どうして顔を見たくない人を多く登場させるのか、発想が理解出来ない」と文句を言う。
今、ネットやスマホで情報を得て、テレビを見なくなった若者が増えたと言われているが、テレビ中毒だと考えられている年寄りでも、知人と会って話をすると、「最近は本当に見ようと思う番組がなくなった」とか「何故、あの不愉快な人が何度も登場するの」と、多くの人が異口同音に文句を言っている。
筆者が見たくないのに頻繁に登場する人の筆頭格は、まず、デヴィ夫人だ。
何よりも彼女には品がない。そして、元大統領夫人という肩書のせいか、上から目線で高飛車に物を言う姿勢が不愉快でたまらない。
およそ上流階級の人の立ち居、振舞いとは反対の極にいる人である。
そんな彼女を、CMや番組に使うテレビ局や会社の考えが何とも理解できない。
筆者くらいの年齢のマスコミ関係者なら、彼女がインドネシアに行って経緯を知っている。そして、それは、彼女がスカルノ大統領との馴れ初めをテレビで話したり、本に書いたりしている事とは全く違う。
インドネシア独立の父、スカルノは大統領になり、権力を掌握すると、自分の愛人に日本人が欲しくなったのだ。そして、当時の自民党の大物、岸信介元首相にそれを頼んだ。
名前は第三夫人とか言って恰好をつけているが、要は愛人である。いくら頼まれても、普通の女性に、その役を頼む事は出来ない。そこで、岸元首相は当時、流行っていた都内のキャバレーで、ホステスとして働いていたデヴィ夫人に因果を含め、大金を渡して、インドネシアに行かせたのである。
本人は金を受け取り、納得して行ったが、それこそ、性の対象としてインドネシアに渡ったのである。だから、いくらインドネシアに何年いようと、上流階層の作法など身につけようもない。
そのスカルノは晩年、独裁がひどくなり、クーデターが起きて、大統領を辞めざるを得なくなり、それとともに、居場所をなくしたデヴィ氏はインドネシアを去り、その後、日本に帰って来たのである。
以前は、たまにテレビに出る位だったが、今は何故かよく出て来るし、CMにまで登場するようになって来た。彼女に何かの売りがあるかと言えば、何もない。
知識でも、知性でも、品でも何でもよいが、テレビに出る人は、その人特有の売りがないといけないと思うが、彼女にはその売りがないのだ。
そんな人をどうして高い金を使って登場させるのか。使う人の気が知れない。
デヴィ氏とともに、見たくない人で、筆者にとって、上位を争っているのが、マツコ・デラックス氏である。
断っておくが、筆者は同性愛者に対して、何の偏見もない。どこの国でも、歴史的に見ても、同性愛者は十人に1人いるという統計がある。という事は1クラスに3、4人の同性愛者がいてもおかしくない計算になる。
テレビに同性愛者と公言して登場したのは、おすぎとピーコが最初であったと思う。彼らは映画やファッションについて、解説出来るくらいの知識をもっていたし、何よりも高飛車でなく、不愉快さを感じさせなかった。
だから、好きではないが、テレビに出ているのを見ても嫌な感じはなかった。
また、かつて「世界は二人のために」という曲を歌手として大ヒットさせた相良直美は頂点にいる時に、週刊誌に同性愛者だと書かれ、そんな事で騒がれるのに嫌気を指した彼女は、歌手活動を辞めてしまった。
筆者は彼女のファンであった訳ではないが、歌は上手く、こんな事で、引退に追い込む週刊誌を理不尽だと、当時、思ったものだ。
マツコ・デラックス氏について言えば、売り出し始めた頃、深夜番組で、有吉弘行と夏目三久の3人でのトークをたまに見る機会があったが、3人のバランスが面白く、マツコ氏に特別嫌な感じはなかった。
ところが、最近のマツコ氏は大手企業のCMに5本出ているし、番組も出すぎという位に出ている。そして、元々辛口なトークだったが、段々上から目線になって来て、嫌味が増して行ったのである。
筆者の印象で言えば、今のマツコ氏は、刺身のつまとか、わさびがメインディッシュになって皿の上に乗り、さあ食べろと言われている感じである。わさびは所詮、ちょこっと、皿の上に乗って、他の食材を引き立てる役なのに、それがメインになった事による違和感が半端ないのである。
そして、N国党の立花孝志議員とN国党の投票した人を批判するコメントを番組で言った事に対して、立花議員が噛みつき、テレビで論争しようと言った話が出て来た。
これに対して、マツコ氏が謝る訳でもなく、反論するでもなく、議論をするでもなく、ただ、逃げ回っているだけである。
筆者は「マツコ・デラックス氏は所詮、評論家として、無責任に高い所から好きな事を言っている癖に、噛みつかれたら逃げ回っている。それなら、辛口コメントで売っている意味はない」と感じた。
立花氏の喧嘩商法を是認する訳ではないが、自分が言った事に対しては、きちんと責任をとるか、反論するかするのが、辛口コメントで売る人の姿勢だと思う。
そして、立花氏が言う「ホモでデブでブスがマイナーな立場で、辛口な事を言って売ったが、今はCMだけで年収数億円のメジャーになった。体制側の人間になったのに、本人にその自覚がなく、相変わらずマイナーの意識のままで行動している」という論が、筆者には説得力がある話に聞こえる。
筆者が顔を見ると、チャンネルを変える人に池上彰氏がいる。
彼は元々、NHKのテレビで子供向けにニュースをやさしく解説する番組をやっていた。そして、それを民放に持ち込んだのである。
政治経済の話は理屈があるし、業界の慣行もあるので、わかりにくい。それを子供でもわかるように解説するのが池上氏の売りである。
ところが、彼の話には嘘、間違いがとても多く、それを知らずに信じた人は、間違いを刷り込まれているのである。この批判は多くの専門家が指摘しているし、筆者の専門の経済の話を聞いていても、間違いがとても多い。
何故、そんな事になるかと言えば、テレビや新聞、雑誌などの露出が増えて来ると、自分ひとりの勉強、リサーチでは足りなくなって来る。だから、チーム池上は何人ものスタッフを抱えるようになった。
このアシスタント・スタッフ達は、市販されている本を読み、その分野の専門家と言われる人の話を聞いて、メモを池上氏に上げる。池上氏はそれを読んで、自分の知識、意見と思えるような態度でテレビで話をする。それがチーム池上のスタイルである。
だが、最近の日韓のトラブルでも明らかになったように、教科書に書かれている常識と実際の歴史は異なっている事は少なくないし、意図的に間違った常識を堂々と主張している大学教授や評論家が多くいる。
池上氏が政治でも、経済でも、社会部ネタ的な話でも、専門がきちんとあり、数多くの取材をしてきた人なら、自分が知らない分野の話でも、話をしている相手の人間性を見極め、話に問題がないかどうか相手を見るのだ。
だが、池上氏はそれができないのだ。
今の日本社会の問題点は、彼のような人間に一流国立大学が教授の肩書を与えてしまう事だ。専門性がなく、間違った話をする人間を国立大学の教授にする大学って何なのか、本当におかしい。
筆者が顔を見ると、チャンネルを変えてしまう対象の人間に武井咲や桐谷美玲などの女性タレントがいる。
共通している事は目が鋭く、多分、学校時代に番を張っていたと思える事である。「目は口ほどにものを言い」という言葉があるが、人間の目を見れば、その人の性格、これまでの人生などが見て取れる。
武井咲はかつて、東京の地下鉄の宣伝ポスターのキャラクターに起用された事があるが、駅に貼りだされていた大きなポスターの目の部分がペンで塗り潰され、横に「この目、怖い」という書き込みがあったという話がある。
日本共産党の幹部も目が鋭く、顔が笑っていても、目が笑っていない。こういう人は要注意で、いつ足をすくわれるかわからない。
女優と言えば、筆者が子供の頃の主演女優達は皆、美人で、知性があり、育ちが良いという感じの人が多かった。久我美子、有馬稲子、香川京子、司葉子、佐久間良子、山本富士子などなど。
好き嫌いは別として、彼女達が出て来ると、ほっとする感じがした人が多かった。それが今の女優やタレントは顔は美形だが、少し気を許せば、後ろからどつかれそうな人が多い。
女優、タレントだけでなく、アナウンサーや司会者にもそうした警戒が必要なタイプの人が結構多い。
こうした業界では枕営業が珍しくなくなって来ているというし、有名番組のプロデューサーには、タレントの所属事務所などに金や女性を要求する人が少なくないともいう。
こういう事に耐えて、のし上がっていく事が求められるようになると、目が鋭いようなタイプの女性が増えて来るのは仕方がないのかもしれない。
20190912
マスコミが作り上げた虚像…小泉進次郎を更に美化する愚
昨日の内閣改造の話を報道するテレビの昼の番組を見ていたら、そこに出演していた大手通信社の政治部記者が信じられない事を言った。
「彼は環境大臣になって、1,2年後の自民党総裁選挙に出れば、当選間違いないから、次期総理が決まったようなものです」。年齢からみて、記者歴が20年位はある人間である。政治部記者を長くしている人間がこの程度の発想かと思い、今更ながらマスコミの劣化を感じた。
筆者のその思いを代弁するように、番組に出ていた弁護士が「政治ってそんな簡単なものではないでしょう」と反論をしたら、その政治部記者は「いや、決まりですよ。問題は当選するかどうかではなく、総裁選に出馬するかしないかで、出馬すれば、当選間違いなしです」と更に念を押していた。
確かに、マスコミが行う「次期首相に誰がふさわしいか」というアンケートでは、ここ数年、小泉進次郎がトップになっているのは事実である。
しかし、大統領制度の国なら、本来は大統領にふさわしくない人間でも、国民に人気があれば、大統領になるというような事は起きうる。現に隣の国で起きて、国を大混乱に陥らせている事をみても、それはわかる。
しかし、日本のような議院内閣制度の国だと、国民に人気があっても、自党の議員の多数の支持を得ないと、首相にはなれない。例え2年後であっても、今の自民党の議員の過半数が、2年位の短期の内に、首相に小泉進次郎を推すとはとても思えない。
小泉進次郎の人気が出たのは、元首相の息子で、イケメンで話もパキパキしている事などによる。そして、スターを欲しがっていたマスコミが、彼を持ち上げ、将来の総理候補などという報道を何回もするので、何も知らない国民はそうなのかと思っているだけである。
少しくらい顔が良く、サラブレッドであったとしても、政治家が評価されるかどうかは、大きな問題が起きた時の対処の仕方とか、トラブルの処理の仕方によるものであり、そこで初めて、政治家としての資質が問われるのだ。
これまでに、そうした場面に出くわした事がない小泉進次郎氏は、そういう意味では、政治家としては、まだ、全く未知数なのである。
テレビなどに多く出て、国民の人気が少し出たとしても、その政治家を支える議員が多くならなければ、それこそ、派閥の長にもなれないのである。
一般の政治家ならともかく、首相は国の命運にかかわる重大事について、きちんとした判断が出来、外国の首脳とも厳しい交渉が出来ないといけない。
イケメンであるとか、名門だというような事は、そうした重大事の対応と何も関係はない。
これまでも、サラブレッドで顔も悪くなく、弁も立ち政策にも明るかった政治家が問題の処理を間違えたり、起こした問題そのものから、その政治家の資質がわかってしまい、首相候補から外れてしまい、今でも、閣僚候補にすら名前が上がらなくなった人はいくらでもいる。
その端的な例が船田元議員である。
祖父は衆議院議長を務めた名門で、家は地元で有名な学校を経営している家で、政策にも強く、一時期は次の時代の総理候補と言われ、周囲も本人もそのつもりでいた。
しかし、船田議員はNHKの元アナウンサーで議員になった女性と不倫をした上、長年付き添って来た妻と離婚して、この女性と再婚した事で、選挙民の反発を浴びて落選し、その後、復活したものの、今では、彼の名前を聞く事もほとんどなくなってしまっている。
筆者は小泉進次郎議員とは会った事もないので、個人的な事は知らない。しかし、伝わって来る話を総合すると、とても、総理の器とは思えない。
それを明確に示したのは、滝川クリスタルとの結婚である。
彼女は多くの男性と浮名を流し、男性と半同棲もしていたという女性である。顔はハーフという事もあり、知的に見える。だが、頭が良くない。だから、話せば直ぐにボロが出る。
従って、アドリブが必要な時の対応はまず無理で、ここしばらくは、アドリブが不要なCM出演を中心に露出をして来た人である。
彼女と半同棲していたある俳優は、スポーツ選手と三角関係からの争奪戦で、滝川クリスタルを彼女にする事に成功した。しかし、一緒に生活してみて、彼女があまりにも頭が悪い事に嫌気がさして、別れたと言われている。
彼女の資質を示す話として、以前、宮根誠司とともに、報道番組の司会をした時のエピソードがある。
滝川は宮根の会話についていけず、ボロを出しまくり、ついには番組を下りる事になったのだ。筆者もその番組を何回か見たが、アドリブが必要な報道番組は彼女にはとても無理という事が明白だった。
報道番組の司会者なら、新聞などの丹念に目を通し、頭と知識を整理しておかないといけないのに、それすら出来ず、番組で絶句するシーンが何回もあり、見ている人間に「こんな事も知らないのか」と思わせた人である。
それでいて、男性関係は活発で、顔と違って、かなりの肉食系だという。
滝川クリスタルがどんな人間でも良いが、問題は小泉進次郎がそんな滝川クリスタルと結婚した事である。
そして、官邸で行われた会見で、記者に「彼女のどこが良かったのか」聞かれた小泉進次郎は「一緒にいると、ホッとする。構えなくて済む」という話をしている。
これは、宮根の話についていけず、半同棲した俳優から、あきられた知的レベルの女性が小泉進次郎にとって、自分と同じレベルで、丁度良く、ホッとするという人であるという事である。
つまり、マスコミが作り上げた虚像に苦しみ、実像とのギャップに悩んでいた進次郎氏が、滝川のレベルに自分が合うという事を言ったのである。
学歴もアメリカに留学してデコレーションしたが、関東学院大学卒である。そう考えれば、納得する話である。
小泉進次郎の母親はエスエス製薬の元社長で、政治家も務めた、泰道三八の娘である。小泉純一郎は閨閥作りのために、泰道の娘と結婚したのである。
だが、彼女はとても、政治家の妻が務まる人ではなかったのである。
政治家の妻は頭の回転が良い上、気配りができ、後援者ときちんと付き合い、夫に代わって、政治活動をしないといけない場合が多いが、彼女にはとても、それが無理だったのである。
だから、彼女の役目を小泉純一郎の姉が務め、自分は結婚もせずに、政治的に小泉純一郎の妻の役、そして、進次郎たちの母親の役、政治家の秘書の役をこなし、弟、純一郎を首相にまでした女傑である。
この純一郎の姉は、進次郎の滝川クリスタルとの結婚を聞いて、激怒したと言われている。それはそうだろう。自分が丹精込めて育てた進次郎が、とんでもない女に引っかかったと、彼女は感じたのだろう。
小泉進次郎の母は、かつて、雑誌のインタビューを受けた事がある。離婚して大分経った時点の話である。だが、その話を読んで感じた事は、彼女は何故、自分が政治家の妻が務まらなかったかが、いまだに、理解していないという事である。
進次郎は母親代わりの叔母さんや、父親の様子を見て育ったので、多少鍛錬はされているが、資質は母親に近いのかも知れない。
小泉進次郎のもうひとつの、そして、最大の問題点は既に、財務省に取り込まれ、緊縮財政、増税派であるという事である。
財務省は先を見て、色々な手を打っている。その1つが、財務省出身の同じ年くらいの政治家を進次郎の側近として、張り付かせている事である。
財務省は民主党政権時代、それまで増税に反対だった野田元首相、菅元首相などをレクチャーという洗脳で、増税派に転向させ、公約と全く反対の増税が民主党政権下で決まったのである。
安倍首相は、その民主党政権が決めた日程に苦しみ、二度、延期したが、今回はもう延期は無理と思って、実施しようとしているのだ。
これまでにも書いて来たように、平成の30年間、日本がデフレで苦しんだ最大の理由は、財務省、日銀の間違った政策のためである。今年10月の消費税増税も、してはいけない事を更にしようとしているのである。
その財務省に小泉進次郎は既に取り込まれているのだ。
そもそも、彼が次期首相に有力候補と言われる事自体、今の日本に、いかにしっかりした政治家が不在なのかの証明でもあるのだ。
20190908
嫌韓、断韓ではなく、知韓、闘韓の勧め
半導体に使うガスの輸出管理の厳格化から始まった韓国と日本とのトラブルについては、ネットでも大手マスコミでは、多くの人が取り上げ、ユーチューバーによると、韓国問題を取り上げると、アクセス数が増えると言わせる状態にまでなっている。
そして、雑誌やネットなどでは、嫌韓や断韓の話があふれている。
それはそれで良いとは思うが、筆者は、今の日本は韓国の事のついて、また、日韓の歴史をほとんどの日本人が知らないで、議論をしているように感じてならない。
まずは歴史をきちんと知り、韓国とはどんな国で、どんな人達であるかを理解した上で、正しい対応をすべきであると思う。
歴史を知らないので、中国人や韓国人の嘘の歴史の話をされた時に、日本人の多くは反論も出来ないし、人によっては彼らの嘘の話を信じ、大手マスコミのコメンテーターのように、平然と、韓国や中国が言う話をそのまま言う人すらいるのが今の日本である。
更に、韓国は中国ととともに、国連など世界の様々な場で、日本の悪口を言い続けるだけでなく、嘘の歴史を多額の金を使ってPRしている。
これに対して、日本はこれまで、中国や韓国に遠慮をして、そうした活動をほとんどしてこなかったため、韓国や中国が言う嘘が、世界では真実として通ってしまっている話が少なくない。
嘘の従軍慰安婦の話は、韓国人たちの活動の結果、第三国のアメリカの学校の教科書に載って、アメリカ人に嘘の歴史を教えているという事が今現在、行われているのである。
今、日本がすべき事は、正しい歴史をしっかり認識し、韓国や中国という国や国民性を理解する事である。
そして、その上で、国を挙げて、中国や韓国が世界でばらまいている嘘の歴史を否定する正しい歴史の知識を発信する事をしないといけない。
まず、世界で他国との問題、トラブルを論じ、対処する時、戦後の日本で憲法などで教えて来た、「世界の国の人々は平和を愛し、話し合いで何でも解決する人達ではない」という事を日本人は理解しないといけない。
個人としては良い人でも、国と国とという話になると、利害が対立し、個人の友情などではどうしようもない事がいくらでも起きるのである。
それを勉強するのが地政学で、本来、地理の勉強は地政学が含まれるのだが、戦後の日本では、GHQの命令で、地政学を教える事が禁じられ、今でも、それがそのままなのである。
だから、戦後の日本の地理の勉強は、地名や川などの名前を無意味に暗記する全くつまらない学問になってしまったのだ。
どこの国でも国境を接した国同士には、争い事はつきものなのである。そして、話し合いでは解決できずに、武力衝突という事は少なく起きるのである。
まず、日本人は「人類皆兄弟、話し合いでなんでも解決できる」というドン・キホーテのような発想を一日も早く捨てる事から始めないといけない。
また、日本人の多くの人は、「真実は勝つ」とばかりに、トラブルが起きると、「冷静に」「大人の対応を」などと言って、日本の正しさをあえて大きな声で言わないのが美徳のような事を言う人が、マスコミや学者に多いが、これも間違いである。
日本が正しい事を主張しない間に、「従軍慰安婦や性奴隷」と国連人権委員会では認定されてしまったし、本当は募集工なのに、徴用工という言葉が定着し、それがユダヤのアウシュビッツ収容所のような所に閉じ込めれ、強制労働をさせられて来たという話が世界で飛び交っているのである。
日本は200年以上にわたって、1つの国で同じ民族が生活して来たため、「以心伝心」(話をきちんとしなくても、思いは理解してもらえる)という発想が強い。
だが、これは世界では通用しない。自分を守るためにも、主張すべき事はきちんと主張しないといけない事を認識すべきである。
中国、韓国を理解するには、その歴史を知らないといけない。
中国では何十年に1回というように王朝が交代して来た。多くの場合、前の王朝の幹部だった人間が前の皇帝を倒して、新しい皇帝に就任した。
新しく就任した皇帝がまずする事は何かというと、自分の協力して、自分が皇帝に着くのに功績のあった部下の幹部を一族郎党ともに皆殺しにする事である。
理由は簡単で、それだけ力のある部下は、自分がしたようにいつ自分を倒して次の皇帝になろうとするかわからないからである。
実力者を排除した後、皇帝がする事は前の王朝の歴史を抹殺する事である。前の皇帝は悪い人間で、間違って支配者になってしまった。自分がその前皇帝を倒して、新しい皇帝になるのは、神の意志なのである。
中国三千年の歴史とかいうが、その割に歴史的な史跡や建造物があまり残っていないのは新皇帝が前の王朝のれ歴史を抹殺し、遺跡や施設を破壊したからである。
破壊するだけでなく、前の王朝の歴史を改竄し、自分の都合の良いように書き改めて行くのも常套手段である。歴史は事実が大切なのではなく、自分にとって、あってはならないものは、自分の都合の良いように変えていく。それが中国の歴史なのである。
また、皇帝は自分が正当に神に選ばれたものである事の証明として、周辺の国からの朝貢を求める。朝貢をする国が多ければ多い程、自分が皇帝として相応しいという証明になるからである。
朝貢は属国が強国、中国を恐れ、臣下の礼をつくすものではない。簡単に言えば、盆暮れの挨拶に土産物を持って行くという感じの方が実態に近いのである。
だから、少し力のある周辺国は朝貢をしない。
だが、そうだと、中国の皇帝は自分の正当性が示せない。だから、朝貢をする国の旅費を中国が持ち、貢物への返礼品は貢物よりも高価なものを持たすから、来てくれと頼む事も珍しくなかったのである。
こうした背景があるので、日本は聖徳太子の有名な書、「日出る国の天子、日没する国の天子に…」というような書状を出せたのだし、それまで国名を倭国(背の低い人の国)という別称から、「日本」と変える事が出来たのである。
また、皇帝と同格に近い「天皇」という呼称も中国の皇帝は認めたのである。
日本の話はともかく、中国では、歴代の王朝が前の王朝を否定し、歴史を書き変える事が繰り返されたが、こうなると、一般の国民はどうなるのか。
簡単である。庶民は皇帝などの支配者や歴史、国を信用しなくなるのだ。信じられるのは自分と、自分の一族であり、自分の身は自分で守るというようになって行くのだ。
生き抜くために、生活の知恵として、嘘をつく事は珍しい事ではない。だから、中国では「嘘をつくという事」はアメリカのように、非常に厳しい批判の対象にならないのである。
嘘をつく事は悪い事ではなく、「嘘をつかれて騙された自分がバカだった」と中国人は考えるのだ。だから、「自分の嘘に騙される人間、日本人はバカだ」と思う、それが中国人なのである。
また、中国人は笑顔で接して来る人、自分から折れて来る人は信用しない。何か腹にあると思うからである。だから、譲歩を続ける日本から金だけをふんだくりながら、心の中で、そんな日本を軽蔑しているのだ。
中国人が尊敬するのは、自分を打ち倒すくらい強い相手であり、譲歩しない相手である。
良い悪いではない。相次ぐ王朝交代の中で、庶民が生き抜いていくために、みにつけた生活の知恵なのである。
では、韓国はどうか。
韓国は日本など力のある他の周辺国と違い、2000年にわたって中国の属国だった。今、韓国が自国の歴史として教えている高麗、高句麗についても、中国の歴史学会では、「あれは中国のかつての王朝の1つ」と認識していて、中国にとっては、韓国の歴史は中国の歴史の一部の扱いなのだ。
中国の属国の時代が長かった韓国人は、ではそれをどう考え、自己を正当化しようとしたかと言えば、世界の中心は中国で、韓国、朝鮮はその側近の小中華であり、それ以外の日本を含む周辺国は、それ以下の蛮族としたのである。
朝鮮の国内では、武力を持つ武人が力を持っていては、いつ自分がひっくり返されるかも知れないので、武力を軽視し、削減した。そして、支配者同士の間で、血みどろの権力闘争を国民そっちのけで行っていたのである。
朝鮮の支配者は、中国が世界の中心で、自分はその一番の子分とずっと思って来た。だが、その中国が日清戦争で日本に負けた。そこで、李氏朝鮮の皇帝は何をしたかと言えば、強国ロシアの大使館に逃げ込んだのである。
中国が頼りにならないから、強国ロシアに頼ったのである。だが、そのロシアが日本に日露戦争で負けてしまった。
そこで、どうしたかと言うと、自ら進んで日本に併合してもらい、自分達が日本人になる事を望んだのである。
日本と中国(当時の清)が戦ったのは、朝鮮の扱いをめぐっての戦争だったのである。日清戦争に日本が勝つことによって、朝鮮は中国の属国の位置から脱して独立国になる事が出来たのである。
ロシアとの戦いも朝鮮が火種だったのである。
朝鮮の人達には他の国は自分の上か下しかないのである。
同格という発想がないのだ。そして、強国にはひれ伏し、自分よりも下だと思う国には、見下したような態度をとるのである。事大主義である。
自分が強く主人と思っていた中国、ロシアを破った日本に憧れ、自分自身、強国日本の一員になろうとして、日韓併合を自ら日本に願い出たのである。
ところが、その日本がアメリカとの戦争に負けてしまった。彼らにすれば、やっと自分が一流になれたと思ったのに、戦争に負けてしまった。
そこで彼らはどう考え、自分を正当化しようとしたか。
それは、自ら進んで日韓併合を申し出たにもかかわらず、武力で威嚇されて、併合されたという話を作ったのだ。そして、日韓併合時代にありもしなかった日本からの独立を戦う集団がいて、独立運動を戦い続けたという嘘の話を作り上げ、戦後、自分も戦勝国の地位に着こうとしたのである。
だが、この嘘はアメリカに拒否されてしまった。
ただ、日本との戦争に手を焼いたアメリカは、日本を二度と立ち直れない国にする事を考え、武力を否定する憲法を押し付けただけでなく、日本にいる朝鮮人の勝手な行動を黙認したのである。
そこで、戦後のGHQ支配時代に、朝鮮人は日本人に強盗、強カンをし続け、駅前の土地などは不法に手に入れていったのである。GHQに武力を取り上げられて、何も出来なかった日本の警察署の襲撃まで行っている。
長い間、日本における朝鮮人の好き勝手の許していたアメリカは、朝鮮戦争の勃発とともに、方針を変えて、日本の警察に武器を持たせ、自衛隊まで作らせた。
これにより、朝鮮人の日本での好き勝手な行動は少し収まったが、38度線で共産圏の北朝鮮と対峙する最前線の韓国を大事にせざるを得ないアメリカは日本と韓国の間で揉め事をあると、基本的に日本に譲って解決するように、日本に迫り、日本はそれに従わざるを得なかったのである。
だから、1965年、日韓基本条約を結ぶ際にも、日本が朝鮮半島に残した財産や作った学校などの施設の建設費などの返還も放棄し、当時の韓国の国家予算の1.5倍の金を日本が支払うというという事で話をつけざるを得なかったのである。
日韓基本条約だけでなく、戦後の日本は韓国に譲り放なしだった。それはアメリカがそう仕向けた事もあるが、多額の金が日本から韓国に流れるにあたって、その金の一部をキックバックさせて私腹を肥やす日本人の政治家などが何人もいた事も事実である。
自民党のこうした行為だけでなく、北朝鮮の日本人拉致について、社会党が北朝鮮の手先となって、拉致活動の手助けをしていたという証言が出ているなど、与野党挙げて、売国奴の日本人が多くいたもの事実である。
過去の歴史をきちんと知り、また、そこから来る民族性やものの考え方を理解した上で、中国や韓国とは付き合わないといけない。
また、中国、韓国には多額の費用をつかって、日本を貶める広報活動を熱心に繰り広げている。そして、それに日本人の左派系の弁護士やマスコミ関係者、学者が協力しているのだ。
日本政府は、こうした事を知りながら、ずっとほとんど何もして来なかった。だから、好き放題が出来て来た韓国は、今回の安倍政権の輸出管理の強化に、どう対応して良いかわからずに、右往左往しているのである。
日本が今、すべきことは、歴史をきちんと知り、中国や韓国が歴史から出て来た民族性などを理解し、「隣人だから仲良く」ではなく、「会えば、会釈をするくらいの仲の隣人」となり、経済的にも政治的にも出来るだけ関係を絶つ事が極めて重要である。
「反日種族主義」の本を書き、韓国が真の近代国家になるために、歴史的事実をファンタジーで書き換えるのではなく、事実を事実としてとらえ、国を変えようと呼びかけているソウル大の名誉教授は、「日本は変に妥協せず、今の厳しい態度を貫いてください。それが韓国の近代化を進める近道なのです」と言っている。
韓国は今、文在寅大統領の思想の下、北に吸収合併される路線に突き進んでいる。それは韓国滅亡の道である。日本は余計な事はせずに、それをじっと見つめる事である。
そして、それによる難民が大量に日本に来る日がそう遠くない事を理解して、その事態に備えた準備にとりかかるべきである。
国際的には、ここ何十年と中国と韓国がして来たように、世界に向けて、事実を基に、嘘を暴くPR活動を少なくても韓国並みの予算をつけて、本格的に行うようにしないといけない。
それが後世の日本人が中国人や韓国人にたかられないようにするための今の世代の日本人の責務である。
20190906
余りにもお粗末な監督・コーチ…負けるべくして負けたU18野球と日本柔道
本日、9月6日、韓国で行われていたU18ワールドべースボールで、日本は韓国チームにサヨナラ負けを喫して、決勝ラウンドへの進出が難しくなった。
このチームの派遣にあたっては、開催地の韓国に配慮して、日の丸を外して行くという事を高野連が決め、高野連の一体である朝日新聞がスクープの形で、それを報道した事もあって、厳しい批判を浴びて、日の丸を復活するというお粗末ぶりを発揮しての大会出場であった。
日の丸問題はともかく、このU18チームの選手選考は全く、お粗末の極みだった。直ぐ前に開かれた甲子園の夏の高校野球で優勝した大阪の履正社から、選手が1人も選ばれなかったのである。
どのスポーツでも、海外遠征をする時には、直前の全国大会で優勝したチームの選手を中心に選ぶのが常識だが、今度のU18では1人も選ばなかったのだ。
また、右投げ左打ちの内野手を6人も選ぶという偏った選考であり、台湾のチームからは、「日本は左バッターが多いから、左投手をぶつければ勝てる」と言われる始末である。
そして、本来の守備でないポジションに選手を試合で配置したため、送球などでの凡ミスが相次ぎ、それが原因で負けるという試合があった。守備は本来の位置の選手を選ぶのは当然である。それは体で色々な事を覚えているからだ。
にもかかわらず、本来の守備位置でない選手を多く試合に起用するという、野球という球技を知らないような采配を永田監督は取り続け、負けたのだ。
選手選考はそれだけでなく、元々投手だが、バッティングも良い選手を優先的に選び、投手として投球した上で、バッターとしても打ち、外野などの守備につくという選手が何人もいた。
高校野球では、エースで4番という選手がいる事は確かである。だが、少なくても、全国選抜を選ぶとなれば、野手として一流、投手として一流という基準で選手を選ぶのが当然で、両刀使いはせいぜい1人いるかいないかというのが普通だが、今回のチームでは何人も両刀使いを選んだのだ。
有能は投手は何人もいた。それをきちんと選んで、投球に専念させれば、簡単に点を取られるという事など、そうはなかったはずである。
韓国戦をみていたら、ある投手は外野手で試合を始め、先発の投手が1回でマウンドを下りると、投手となって4投げ、別の投手にマウンドを譲ると、別の外野のポジションについて、その後も試合に出続けていた。
この投手は過去の試合で4試合に投手として出場している。投手の休養という事の意味を永田という監督は全くわかっていないとして言いようがない。
日本を代表して海外に遠征するチームの選手を選ぶ時は、複数の関係者が議論をして選手を選ぶのが常識だが、この選び方を見る限り、明らかに特定の個人の好みで選んだとしか思えない内容である。
そして、結果は、台湾に負け、韓国にも負けたのである。
ちなみに、チームの監督は甲子園の優勝チームの監督ではなく、高野連の技術委員長とかいう肩書を持つ人間で、試合を見ていても、監督の意思が選手に伝わり、選手がその線に沿って行動しているとはとても思えない状態で、肝心な時にエラーをして負けるというパターンが繰り返された。
見ていて、一生懸命プレーをしていた選手が気の毒でならなかった。
選手の選考について、監督は協会の幹部と相談したと言っているが、別の協会幹部は監督に任せたという趣旨の事を言っている。両方とも責任逃れである。
本来、選手の選抜については、公平な立場に立てる人が3,4人集まって議論をして選ぶというやり方でないと、今回のような馬鹿げた話が今後も起きかねない。
ついでに言えば、日本はU18の野球の世界の大会で優勝した事がない。隣の韓国は何回も優勝しているのにである。
何試合かを見たが、日本の選手が技術的に劣っているとは思えなかった。負けたのはチームとしての意思、勝つために何をするかという考えが不足していたとしか思えない試合ぷりであった。
かつては、高校野球と言えば、高野連が朝日新聞、毎日新聞、NHKと勝手に色々な事を決めて、好き勝手にやって来れたが、今は、ネットの普及で多くの人が高野連などの利権団体について、そのお粗末さを知るようになり、駄目な行動には厳しい指摘をするようになって来た。
だが、当事者はそうした事の自覚がなく、従来のままの行動で、負けるべくして負けたというのが、今回の結果だったと言える。
監督、コーチがお粗末だったのは、少し前に東京で開かれた柔道の世界選手権も同様であった。
前回、前々回に比べて金メダルの数は減ったし、メダル総数でも減らした。嫌メダルの数という事よりも、負けた選手の負け方が皆一緒なのだ。
負けた日本選手は自分の得意な型だけを必死にかけようとする。対戦相手は当然、強い選手の得意技を知っているし、ビデオなどで十分に特徴を見ているので、単純に得意技をかけに行っても、余程の幸運でもない限り、かかる訳がない。
そして、イライラして、スキが出たところを相手に技をかけられて決められ、何とか追いつこうとして技をかけるが、技が単発で単純なので、かかる訳もなく、時間だけが過ぎ、日本選手は負けたのである。
柔道でも相撲でもそうだが、いくら切れのよい技であっても、その技単独では相手に簡単にかかる訳はない。決勝、準決勝ともなれば、相手も強豪選手で実力はそれ程の差がないからだ。
下馬評で金メダルが確実と言われ、決勝で負けた日本選手の相手は、まず、日本選手に足技をかけ、日本選手がそれを何とか踏ん張ってこらえていると、そのこらえている足に別の技をかけ、それでも日本選手がこらえると、自分の体を日本選手に預けて倒れ込み、日本選手はたまらずに転んで、技ありを取られてしまった。
つまり、相手選手は3つの技を連続して出して、日本選手を倒したのである。
相撲の世界で、強い力士は鮮やかな技を決めて、相手の体を見事に横転させる。
どうして、あれだけきれいに決まるかと言えば、例えば、右から上手投げをしようと考えた時は、左から投げを打ち、相手が左足に力を入れて踏ん張った時、右から強い投げを打つと、体が逆に力を入れていたので、バランスを崩して、きれいに横転するのである。
きれいに技が決まるためには、この技の組み合わせが必要なのである。
日本の柔道選手を見ていると、この呼び水の技がない選手がほとんどなのだ。
そして、負けた後のインタビューを聞いていても、日本選手もコーチ、監督も何故、勝てなかったが全く分かっていない。
ある選手は「もっと練習の量を増やして、次はリベンジします」と言っていた。
これを聞いて、思わず言いたくなった。「必要なのは量ではなくて質なんだよ、連続技の工夫なんだよ」と。
どうしたら、連続して3つくらいの技をかける事が出来るかを考え、そうした工夫の練習をしないと、日本選手のメダルの数はどんどん減って行きそうである。
そして、日本チームの監督、コーチの話を聞く限り、こうした勝つコツ、理屈を理解し、選手に説明できる人がほとんどいない状態だという事がわかる。
野球も柔道もそうだが、もっと、プロのしっかりしたコーチが出て来ないと、選手があまりにも可哀そうである。
今、日本のバドミントンの選手はとても強くなった。男子のシングルスで桃田は世界一のランキングで、世界選手権でも優勝したし、女子のダブルスでも日本選手は連キングが世界一で、世界選手権で優勝した。
かつて、日本のバドミントンはそこそこには強かったが、今はとても強い。その理由の1つに外国人コーチの存在がある。優れたコーチであれば、外国人でも招聘して指導してもらう。それが選手が強くなるコツである。
カーリングも先進国のカナダなどからコーチを招聘して教わり、強くなっている。
野球の世界では「名選手が名監督になるとは限らない」という趣旨の言葉があり、選手時代にそれ程活躍した人でない人が監督やコーチになって、チームを強くしてケースがいくらでもある一方で、名選手が監督としては無能で、結果が出せない人が少なくない。
理由は簡単だ。名選手は子供の時から選手になっていて、頭で理解するのではなく体で覚えてしまっているので、論理的に後輩や部下に説明が出来ない人が多いのだ。
また、一流選手だった監督、コーチは自分が簡単に出来た事を現役の選手が出来ない事自体、理解できないのだ。
高校野球の場合、伝統校と言われる名門校で監督をして来て、今、高野連で幹部をしている人は基本的に、全日本選抜の監督にすべきではない。
なぜなら、名門校で長く監督をした人間は全権を持って自分の好きなように采配して来ているので、他の人と相談をして決めるなどという事には慣れていないからだ。
では、全日本の監督はどうしたら良いか。簡単である。甲子園の優勝チームの監督を監督にし、ベスト8になってチームの監督が協議して、選手の選抜をすれば良いだけの事である。
今現在現役であり、選手を指導して優勝した。その実績が何よりも重要であり、今現在の強い選手を一番知っている人なのだからである。
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