マルクス思想の日本への影響

目次
1912年01月 中華民国( 南京政府 。フィリピンに続くアジアで2番目の共和国)成立
1912年03月 中華民国が首都を南京から北京に移す( 北京政府
1914年04月 近衛文麿が東京帝大哲学科から京都帝大法学部に転校
1916年09月 河上肇 著「 貧乏物語 」大阪 朝日新聞 連載開始
1919年01月18日 第一次世界大戦講和の国際会議 をパリで開催   パリ講和会議で日本が人種的差別撤廃を提案
1919年03月01日 三一万歳事件
1919年10月 中国国民党 (上海、党総理=孫文)結成
1921年07月 中国共産党創立大会 を上海で開催
1924年01月 中国共産党員が個人として国民党に加入( 第一次国共合作
1925年01月20日 日ソ国交回復
1925年03月 東京放送局 (初代総裁: 後藤新平 (注1) 、理事長: 岩原謙三 )ラジオ放送開始
1927年04月06日 張作霖が李大釗らを内乱罪容疑で逮捕 。3週間後に李大釗らが処刑され、共産党は張作霖を恨んだ。
1927年07月 国共内戦 開始
1928年02月 普通選挙実施 。天皇敵視政党躍進
1928年03月15日 日本共産党関係者等千余名を一斉検挙 (治安維持法違反容疑)
1928年06月04日 中華民国奉天近郊で、奉天軍閥の指導者 張作霖が暗殺される( 張作霖爆殺事件
1928年07月 トロツキーとの後継者争いに勝ったスターリンが「敗戦革命論」を提起( コミンテルン第6回世界大会
1929年10月24日 世界恐慌(Black Thursday) 。米国共和党支持率低下。日本でも 「ソ連型計画経済」神話が流布
1931年09月18日 南満州鉄道の線路爆破( 柳条湖事件
1931年09月18日 ~1932年02月18日。 満洲事変
1932年 河上肇が日本共産党に入党
1932年03月 満洲国の建国
1932年07月10日 日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書 」を、共産党機関紙「赤旗」が掲載
1932年11月08日 米国大統領職を民主党が奪還(フランクリン・ルーズベルトが就任) 。日米の指導層がマルキスト達によって占められる
1933年03月27日 国際連盟脱退通告
1933年12月27日 近衛文麿 の政策研究団体= 昭和研究会 (新聞記者・共産主義者の巣窟)設立。主宰者は近衛のブレーン後藤隆之助
1935年07月25日 砕氷船理論 」に基づきスターリンが演説(第7回コミンテルン世界大会)
1936年02月26日 ~29日。 陸軍青年将校らが下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂 二二六事件
1936年11月 昭和研究会 の正式組織化
1937年06月04日 第1次近衛内閣発足(~1939年01月05日。 朝日新聞 記者風見章 内閣書記官長就任。近衛首相は、国内融和を図る為という口実で、治安維持法違反者、共産党員、二二六事件関係者等に係る大赦を主張)
1937年07月07日 北京近くの盧溝橋で起きた日本軍と中国国民党軍の衝突( 盧溝橋事件
1937年07月29日 冀東防共中国自治政府配下の保安隊が日本軍部隊・特務機関を襲撃し、日本人居留民223名を強姦等の上殺害( 通州事件
1937年11月20日 大本営 設置
1937年12月04日 南京攻略 (~12月13日。後々、大虐殺プロパガンダに利用される)
1937年12月17日 岡田嘉子 らソ連に逃避行(スパイ容疑でソ連に逮捕される)
1938年04月01日 国家総動員法 発布
1939年01月05日 ~1939年08月30日。平沼騏一郎内閣
1939年 朝日新聞 記者 中野正剛(衆議院議員)南進論及び日独伊三国同盟を支持し、撃栄東亜民族会議を主催
1939年05月 ~9月。満州国・モンゴル人民共和国間の国境線をめぐって発生した紛争(ノモンハン事件)
1939年08月30日 ~1940年01月16日。阿部信行内閣
1940年01月16日 ~7月22日。米内光政内閣
1940年03月30日 汪兆銘 中華民国 南京政府 樹立
1940年07月22日 ~1941年07月18日。第2次近衛内閣
1940年09月27日 日独伊三国同盟成立
1940年10月03日 杉山元 陸軍大将 参謀総長就任 大本営の責任者となる
1940年10月12日 大政翼賛会設置(~1945年06月13日。 朝日新聞 記者 中野正剛が総務に就任。国家社会主義運動家 赤松克麿が初代企画部長に就任)
1941年04月13日 日ソ中立条約締結
1941年07月18日 ~1941年10月18日。第3次近衛内閣
1941年07月28日 南部仏印進駐
1941年08月 アメリカが日本に対し石油完全禁輸
1941年09月 ~1942年04月。 ゾルゲ事件 朝日新聞 論説委員 佐々弘雄が 尾崎秀実 関連記録隠滅)
1941年10月18日 近衛第三次内閣総辞職、東條内閣誕生
1941年11月26日 アメリカの最後通牒(ハルノート)
1941年12月08日 (米時刻9日)真珠湾攻撃開始
1942年03月07日 ポートモレスビー激戦
1942年08月07日 ガダルカナル島激戦
1944年03月01日 アサヒグラフ 「撃て!この鬼畜米国!」発刊
1944年03月 インパール作戦
1944年07月 米内光政 海軍大臣就任
1944年11月 朝日新聞 記者  尾崎秀実 が巣鴨拘置所内で「獄中記」を執筆
1945年02月14日 近衛文麿 が昭和天皇に上奏文 (注2) を提出し、アリバイ作り (注3) をした。
1945年04月07日 鈴木貫太郎 内閣総理大臣就任
1945年08月06日 原爆広島投下
1945年08月08日 原爆長崎投下→ ソ連対日宣戦布告
1945年08月14日 日本がポツダム宣言を受諾 敗戦革命論 実践者達による終戦引き延ばし工作( 宮城事件
1945年08月15日 昭和天皇玉音放送「敗戦受諾の詔書」→蒋介石、抗日勝利演説
1945年08月20日 ソ連軍樺太住民数十万人虐殺
1945年08月25日 ソ連軍樺太全土占領
1945年10月 国共双十協定締結
1945年10月22日 大阿仁村事件
1945年11月30日 海軍省廃止(海軍大臣 米内光政)、陸軍省廃止(陸軍大臣 下村定)
1945年12月24日 生田警察署襲撃事件
1946年01月 国共停戦協定成立 政治協商会議開催
1946年07月 国共内戦 再開
1947年03月 毛沢東軍が延安から敗退
1947年10月 毛沢東軍が「中国土地法大綱」公布
1948年11月 毛沢東軍が東北地方制圧
1949年01月 毛沢東軍が長江北岸・北京・天津制圧
1949年05月 毛沢東軍が上海制圧
1949年08月 吉田茂首相がマカーサに在日朝鮮人全員送還を嘆願
1949年09月 毛沢東が中央人民政府主席に就任
1949年10月01日 中華人民共和国成立を宣言
1949年12月 中華民国台北遷都
1950年 辻政信 著「 潜行三千里 」出版、慰安婦軍属を主張
1950年3月1日 原爆技術をソ連に流した軍事スパイ クラウス・フックスに懲役40年の判決 。アメリカ国民は共産主義への恐怖で慄き、米国民主党支持率低下
1950年06月 朝鮮戦争
1951年01月 在日朝鮮統一民主戦線 結成
1953年6月19日 原爆技術をソ連に流した軍事スパイ ローゼンバーグ夫妻に対する死刑執行 。アメリカ国民は共産主義への恐怖で慄き、米国民主党支持率低下拍車
1954年09月 毛沢東軍が金門島・馬祖島を砲撃
1956年11月06日 米国大統領職を共和党が奪還(ドワイト・アイゼンハワーが就任)
 (注1)後藤新平は、日ソ国交回復に尽力して「赤い男爵」との異名をとった。1928年訪ソした際スターリンと会見して国賓待遇を受けた。
 (注2)近衛上奏文要旨=現状は敗戦必至。米英世論が天皇制廃止に至らぬうちに米英と講和すべき。敗戦の混乱に乗じた共産革命を恐れるべき。軍人にも共産主義に染まった者達が居る…思えば、満州事変、支那事変及び大東亜戦争を引き起こしたのは、日本の革新を企む軍関係者の陰謀だった。それを官僚、民間有志らが支援していた…戦争終結には、これら軍関係者を取り除き共産主義者を抑える必要がある。…(取り除くべき軍関係者実名列挙)
 (注3)近衛は、敗戦後マカーサにいち早く接近して戦後政治の主導権を握ろうとし、責任を総て軍部に押し付け、元凶である 昭和研究会 のメンバーは咎めようとしなかった。
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