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宮城事件 (1945年8月14日の深夜から15日にかけて起こったクーデター未遂):日本政府のポツダム宣言受諾を妨害し戦争終結を阻止しようと企む陸軍省幕僚や近衛師団参謀らが皇居を占拠したが、クーデターは失敗し、首謀者らは自殺した。
1945年8月に原爆を2発落とされた日本は、同月13日の最高戦争指導会議でポツダム宣言受諾を決定し、翌日、連合国側にその旨を伝えた。
下村宏情報局総裁は、昭和天皇に玉音放送の実施を提言した。
当時、 ソ連軍は樺太を攻撃 していたが、北海道には到達していなかった。

畑中少佐外5人の陸軍将校らは、 ソ連軍による日本解放が為されるまで終戦を引き延ばそうと企み 、クーデターを計画した。クーデターの内容は、近衛兵と東部軍による皇居占拠、天皇確保、政府首脳部和平派追放、ポツダム宣言破棄、戦争継続を目的とするものだった。8月14日午後3時、畑中少佐は、東部軍管区司令官田中静壱大将と面会したが、入室した途端、田中大将に一喝され、萎縮して一言も喋れぬまま帰途についた。午後11時5分、玉音放送の録音が始まり、無事終了したが、昭和天皇の希望により二度目の録音が行われた。録音を終えて帰路についた下村宏情報局総裁とNHKの録音技師玉虫一雄氏は、坂下門で近衛兵達に捕えられ監禁されたが、近衛兵達は玉音盤を見つけることができなかった。

8月15日午前1時45分、畑中少佐らは、森赳近衛師団長を殺害した上で師団長命令を偽造し、近衛歩兵第二連隊を動かして皇居を占拠した。そして、電話線切断や皇宮警察官武装解除を行って皇居と外部を遮断し、皇居内で玉音盤を捜したが見つけることはできなかった。「陛下はこの阿南に対して、お前の気持ちはよくわかる。苦しかろうが我慢してくれ、と涙を流して仰せられた。自分としては、もはやこれ以上反対を申し上げることはできない」と述べて徹底抗戦の考えを撤回した阿南陸軍大臣を殺害した後、畑中少佐らは、放送会館武力占拠によりラジオ放送を通じて国民に戦争継続を呼びかけようと試みたが、失敗に終わった。

早朝、東部軍を率いて皇居に乗り込んできた田中静壱大将の説得に応じて、近衛兵達は投降した。
午前11時20分、椎崎中佐と畑中少佐は、二重橋と坂下門の中間の松林で自殺した。クーデターは、録音盤を見つけられないまま幕を閉じた。

8月15日正午に玉音放送が流されて終戦を迎えた。
参考: 日本のいちばん長い日



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